弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

代償措置が不十分(十分であるとまでは直ちにいえない)とされながらも競業避止義務が認められた例

1.競業避止(競業禁止)

 一般論として、使用者と労働者との間で交わされる競業避止契約・競業禁止契約(同業他社に転職したり、同業を自ら営まないとする契約)は、そう簡単には有効になりません。

 東京地裁労働部の裁判官らによる著作にも、「多くの裁判例は、①退職時の労働者の地位・役職、②禁止される競業行為の内容、③競業禁止の期間の長さ・場所的範囲の大小、④競業禁止に対する代償措置の有無・内容等を考慮し、合理的な範囲でのみ競業禁止の効力を認めている・・・。なお、最近の裁判例は、制限の期間、範囲を必要最小限にとどめることや、一定の代償措置を求めるなど、厳しい態度をとる傾向にある」と記述されています。(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』〔青林書院、改訂版、令3〕595頁参照)。

 しかし、近時公刊された判例集に、代償措置が不十分(十分であるとまでは直ちにいえない)とされながらも、労働契約書中の競業避止条項の有効性が認められた裁判例が掲載されていました。東京地判令5.5.19労働経済判例速報2543-6 日本産業パートナーズ事件です。労働者側で注意しておくべき裁判例の一つとして紹介させて頂きます。

2.日本産業パートナーズ事件

 本件で被告になったのは、投資事業有限責任組合財産の運用及び管理等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告と期間の定めのない雇用契約を締結していた方です。被告を辞め、プライベートエクイティ投資等を事業内容とする別会社(本件別会社)に転職したところ、被告に入社した時に交わした雇用契約書の競業避止条項と退職金減額規定を根拠に退職金の減額措置を受けました。これに対し、減額分の支給等を求めて被告を提訴したのが本件です。

 競業避止条項、退職金減額規定の内容は、それぞれ次のとおりです。

・競業避止条項(本件競業避止条項)

「原告は、原告が被告を退職するに至った場合に、退職後1年を経過する日までは被告が被告の競合若しくは類似業種と判断する会社・組合・団体等への転職を行わないことに同意する。但し、被告の事前の同意があった場合はこの限りでない。」

・退職金減額規定(本件減額規定)

「法令、労働契約その他会社規程等への違反が認められる場合には、退職金の減額を行うことがある。」

 また、被告の退職金は、基本退職金と業績退職金で構成されるところ、不支給となったのは、業績退職金部分に相当します。

 この事案で、裁判所は、次のとおり述べて、本件競業避止条項、本件減額規定の有効性を認めました。

(裁判所の判断)

「本件競業避止条項は、被告の従業員であった原告が被告に対し被告退職後に競業会社に転職しないことに同意する内容となっている。労働者は、職業選択の自由を保障されていることから、退職後の転職を一定の範囲で禁止する本件競業避止条項は、その目的、在職中の職位、職務内容、転職が禁止される範囲、代償措置の有無等に照らし、転職を禁止することに合理性があると認められないときは、公序良俗に反するものとして無効であると解される。」

被告の投資グループは、令和元年12月1日時点で投資職が16名で第一チームから第六チームで各2名ないし4名程度と、被告の事業規模(取り扱うファンドの額)に比して少人数で構成されている。投資グループは、各チームで投資検討先の情報等を入手し(かかる情報は公知の情報に限られないと推認できる。)、その分析や提案資料の作成を行い、ノウハウを用いてカーブアウト投資等のバイアウト投資事業を行っており、原告は、平成24年の被告入社以降、投資グループ所属の投資職として、被告の投資検討先の情報を入手し、その分析方法等を認識し、被告のカーブアウト投資等のバイアウト投資のノウハウを知ることができたと認められる。このようなノウハウ、情報及び経験を有する従業員が、被告を退職した後直ちに被告の競業他社であるバイアウトファンドのプライベートエクイティの事業を行う会社に転職等した場合、その会社は、その従業員のノウハウ等を利用して利益を得られるが、被告はそれによって不利益を受け得ると考えられるから、これを防ぐことを目的として、少なくとも投資職の従業員に対して競業避止義務を科すことには合理性があるといえる。

「これに対し、原告は、原告の職位が低かったと主張する。確かに、原告は、投資グループの中で比較的低いシニアアソシエイトの職位にあり、MD会議に出席せず、提案候補先の最終的な決定に関与していたとは認められない。しかし、投資グループでは各チームやプロジェクトチームで投資検討先の情報を入手することができ、その分析方法等を認識するなど、ノウハウ等を知ることができたことからすると、投資グループの中で比較的低い職位にある者も含めて競業避止義務を課すことには合理性があると認められる。また、原告は、守秘義務条項を定めれば足りる旨主張するものの、上記の目的や被告の保護すべき利益が被告のノウハウ等にあることからすると、競業避止義務を科すことにも相当性があると認められる。」

「次に、本件競業避止条項は、被告の競合若しくは類似業種と判断する会社・組合・団体等への転職を行わないことと定められており、競合又は類似業種の対象を被告が判断するとしており、その文言上、必ずしも明確であるといえない。しかし、被告は、カーブアウト等のバイアウト投資を主な事業とするところ、原告の退職前に競合の範囲をバイアウトファンドのプライベートエクイティ(を事業とする会社)であると説明しており、競合の範囲をかかる範囲と解するのであれば、制限の範囲が不相当に広く、また、本件競業避止条項を無効とするほどに不明確であるとはいえない。また、競業避止義務を負う期間を1年間とすることは、本件競業避止条項のの上記目的からすれば、不相当であるとはいえない。」

原告が本件競業避止条項に基づき被告に対し競業避止義務を負うことの代償措置について、被告が原告に年平均1200万円を超える相当額の基本年俸及び業績年俸を支払った点は考慮できるものの、原告の賃金が同業種の中で特に高額であると認めるに足りる的確な証拠はなく、原告が被告から得た経済的利益が代償措置として十分であるとまでは直ちにいえない。もっとも、原告が被告から相当額の賃金を得ていた上、上記・・・のとおり、競業避止義務を課すことに合理性があり、本件競業避止条項が不明確であるといえず、期間も不相当に長いといえないことをも考慮すれば、原告が被告から得た経済的利益が代償措置として十分であるとまでは直ちにいえないとしても、原告が競業避止義務を負うことが不合理であるとまではいえない。

「よって、投資職である原告に対し、少なくともバイアウトファンドのプライベートファンドを事業とする会社への転職を1年間禁止することに合理性があると認められないとはいえず、本件競業避止条項が、公序良俗に反し無効であるとはいえない。そして、本件競業避止条項違反を理由に退職金を減額できる(本件退職金規程14条は不支給にできる。)本件減額規定が無効であるとはいえない。」

3.合理性(必要性)が強ければ代償措置が不十分でもいいのか?

 この裁判例は合理性(必要性)と代償措置とを相関的に捉えているように見えます。競業避止義務を課する必要性が強ければ、代償措置が弱くても、競業避止条項の有効性が認められるといったようにです。競業避止条項の有効性をこのように捉えられると、代償措置がない(不十分である)からといって、安易に競業避止条項が無効になると考えて同業他社に転職してしまうと、予想外の不利益を受けかねません。

 この裁判例は上訴された後、東京高裁でも承認されており(東京高判令5.11.30労働経済判例速報2543-3)、労働者側は注意しておく必要があります。