弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

事業場外労働のみなし労働時間制の適用に雇用契約書や就業規則での定めは必要ないのか?

1.事業場外労働のみなし労働時間制

 労働基準法38条の2第1項は、

「労働者が労働時間の全部又は一部について事業場外で業務に従事した場合において、労働時間を算定し難いときは、所定労働時間労働したものとみなす。ただし、当該業務を遂行するためには通常所定労働時間を超えて労働することが必要となる場合においては、当該業務に関しては、厚生労働省令で定めるところにより、当該業務の遂行に通常必要とされる時間労働したものとみなす。」

と規定しています。これは一般に「事業場外労働のみなし労働時間制」と呼ばれています。

 「みなす」というのは反証が許されないことを意味します。つまり、所定労働時間以上に働いていたことが立証できたとしても、所定労働時間働いたものとして扱われます。但書があるためあまり無茶はできないにしても、こうしたルールは、しばしば残業代(所定労働時間外の労働の対償)を踏み倒すために濫用されます。

 このように濫用の危険を孕んだ制度(事業場外労働のみなし労働時間制)を導入・運用するにあたっては、雇用契約書や就業規則の定めなど、労働契約上の明確な根拠が必要ではないのでしょうか?

 昨日ご紹介した東京高判令4.11.16労働経済判例速報2508-3 セルトリオン・ヘルスケア・ジャパン事件は、この問題を取り扱った裁判例でもあります。

2.セルトリオン・ヘルスケア・ジャパン事件

 本件は残業代請求の可否を主要なテーマとする事件です。

 被告(被控訴人)になったのは、医薬品の製造及び販売等を業とする株式会社です。

 原告(控訴人)になったのは、被告に入社してから退職するまでの間、医療情報担当者(MR=Medical Representative)として働いてきた方です。原告には事業場外労働のみなし労働時間制が適用されていましたが、「労働時間を算定し難い」との要件に該当しないなどと主張し、割増賃金を請求しました。

 一審は、原告の主張を排斥し、本件には事業場外のみなし労働時間制の適用が認められるとして、割増賃金請求を棄却しました。これに対し、原告側が控訴したのが本件です。

 控訴審において、この事件の原告(控訴人)は、事業場外労働のみなし労働時間制の適用を受けるためには、雇用契約書又は就業規則にその旨が明記されていなければならないと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告(控訴人)の主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

「週報は、エクセルの1枚の表に、1週間単位で、当該MRが担当する施設ごとに、業務を行った日付とその内容とを入力するものであり、内容欄のセルには相当の文字数の文章を自由に入力することができるから・・・、被控訴人は、MRに対し、週ごとに、事後的にではあるが、MRが1日の間に行った業務の営業先と内容とを具体的に報告させ、それらを把握することが可能であったといえる。」

「また、週報には始業時刻や終業時刻等の記入欄はないものの、被控訴人は、平成30年12月、従業員の労働時間の把握の方法として本件システムを導入し、MRに対して、貸与しているスマートフォンから、位置情報をONにした状態で、出勤時刻及び退勤時刻を打刻するよう指示した上、月に1回『承認』ボタンを押して記録を確定させ、不適切な打刻事例が見られる場合には注意喚起などをするようになった。そうすると、平成30年12月以降、被控訴人は、直行直帰を基本的な勤務形態とするMRについても、始業時刻及び終業時刻を把握することが可能となったものといえる。」

「そして、被控訴人は、本件システムの導入後も、MRについては一律に事業場外労働のみなし制の適用を受けるものとして扱っているが、月40時間を超える残業の発生が見込まれる場合には、事前に残業の必要性と必要とされる残業時間とを明らかにして残業の申請をさせ、残業が必要であると認められる場合には、エリアマネージャーからMRに対し、当日の業務に関して具体的な指示を行うとともに、行った業務の内容について具体的な報告をさせていたから、本件システムの導入後は、MRについて、一律に事業場外労働のみなし制の適用を受けるものとすることなく、始業時刻から終業時刻までの間に行った業務の内容や休憩時間を管理することができるよう、日報の提出を求めたり、週報の様式を改定したりすることが可能であり、仮に、MRが打刻した始業時刻及び終業時刻の正確性やその間の労働実態などに疑問があるときには、貸与したスマートフォンを用いて、業務の遂行状況について、随時、上司に報告させたり上司から確認をしたりすることも可能であったと考えられる。」

「そうすると、控訴人の業務は、本件システムの導入前の平成30年11月までは、労働時間を算定し難いときに当たるといえるが、本件システムの導入後の同年12月以降は、労働時間を算定し難いときに当たるとはいえない。」

控訴人は、当審において、労基法38条の2第1項により事業場外労働のみなし制の適用を受けるためには、雇用契約書又は就業規則により同項の適用があることを明記しなければならないと主張するが、事業場外労働のみなし制は、労基法の規定に基づく制度であり、雇用契約書又は就業規則に別途定めを置くことは要件とされていないから、控訴人のこの主張は採用することができない。

「以上によれば、控訴人の被控訴人における業務は、事業場外での労働に当たり、本件システムの導入前の平成30年11月までは、労働時間を算定し難いときに当たり、事業場外労働のみなし制が適用されるが、同年12月以降は、労働時間を算定し難いときには当たらず、事業場外労働のみなし制は適用されない。」

3.東京高裁は消極の判断をしたが・・・

 上述のとおり、東京高裁は、事業場外労働のみなし労働時間制の適用にあたり、雇用契約や就業規則上の根拠は必要とされないと判断しました。

 しかし、事業場外労働のみなし労働時間制は、本来的には実労働時間に基づいて割増賃金を請求できる場合であったとしても、それができなくなる(所定労働時間労働したものと擬制される)という不利益と結びついています。

 また、労働基準法の基本原則は実労働時間の計測・管理であって、事業場外労働のみなし労働時間制は「労働時間を算定し難いとき」にのみ適用される例外的なルールとして位置付けられています。例外的なルールを適用するのであれば、本則ではなく敢えて例外を適用することについて、労働契約上の明確な根拠(雇用契約での合意、就業規則の定め)がなければ、労働者にとって不意打ちになりかねません。 

 裁判所の判断に疑問はありますが、東京高裁がこの問題に消極の立場をとったことには留意しておく必要があります。この判断が今後定着して行くのか、裁判例の動向が注目されます。