弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

押売りを招きかねない過酷なノルマが従業員に対する安全配慮義務違反を構成するとされた例

1.過酷なノルマから生じる諸問題

 営業など一定の職種で働く人には、ノルマが課されていることが少なくありません。

 ノルマを設定すること自体は問題ないのですが、量的に達成困難であったり、運用が過酷であったりする例を見ることがあります。

 こうした過大・過酷なノルマには、二つの問題があります。

 一つは消費者被害です。過大・過酷なノルマを課された労働者は、ノルマを達成するため、無理のある営業活動を行いがちです。結果、必要もないのに物やサービスを強引に購入させられる人が生じることになります。

 もう一つは、労働問題です。過大・過酷なノルマによる心理的負荷は、精神障害を発症させる原因になります。精神障害の発症で済めばまだ良い方で、時として自殺の原因となることもあります。

 このような実情があることから、無理のあるノルマは法的にも消極的な評価が下されるべきだと思っていたのですが、近時公刊された判例集に、押売りを招きかねない過酷なノルマを従業員に対する安全配慮義務違反だと判示した裁判例が掲載されていました。札幌地判令4.8.29労働判例ジャーナル130-44 医療法人社団恵和会事件です。

2.医療法人社団恵和会事件

 本件で被告になったのは、

病院及び老人保健施設を経営する医療法人社団(被告恵和会)、

被告恵和会総務部の課長代理を務めていた方(被告C)、

被告恵和会の福祉支援サービス(医療法人社団恵和会宮の森病院の福祉支援サービスえん)に勤務していた方(被告D)

の三名です。

 原告になったのは、平成27年8月1日から被告恵和会に正社員として雇用され、被告恵和会の福祉支援サービスに配属され、勤務している方です。

介護保険の申請について介護保険法の趣旨に反する申請件数の目標を設定されたうえ、その達成を強要された、

被告C及び被告Dから人格を否定する言動をされた、

などと主張し、

被告恵和会に対しては安全配慮義務違反等を理由に、

被告C、被告Dに不法行為を理由に、

損害賠償を請求する訴えを提起したのが本件です。

 本件の裁判所は、次のとおり述べて、被告恵和会で行われていたノルマ制に安全配慮義務違反を認めました。

(裁判所の判断)

「介護保険は、被保険者の要介護状態又は要支援状態(以下『要介護状態等』という。)に関し、必要な保険給付を行うものとすると定められ(介護保険法2条1項)、要介護状態等とは、身体上若しくは精神上の障害を理由に入浴、排せつ等の日常生活につき常時介護を要すると見込まれる状態又は常時介護を要する状態の軽減等に特に資する支援を要すると見込まれる状態であるなど(同法7条1項2項参照)、心身上の原因により日常生活に支障があることが一定の要件とされている。これに介護保険法上、要介護認定又は要支援認定の審査が想定されていることを考慮すれば、介護保険の申請は、申請者の生活状況等の事情に照らし、その必要性があることが前提となっているものといえる。介護支援専門員倫理綱領・・・において、利用者の有する能力に応じ、自立した日常生活を営むことができるよう、利用者本位の立場から支援していく旨規定されているのも、このような趣旨と解される。そうすると、介護保険の申請の必要性は数量的に把握することは難しく、介護保険の申請業務につき一定の件数を目標とした場合には、必要性のない又は乏しい者についても介護保険の申請を促す事態が生じるおそれがあり、ひいてはその者が『有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう』必要な給付を行うために介護保険制度を設けたという介護保険法の目的(同法1条)に沿わない事態を招く可能性があることは否定できない。

「これに関し、本人尋問における被告Dの供述によれば、被告恵和会の経営する居宅支援事業所においては1年間で200名の要介護者が中止になり、その分を穴埋めする必要があるところ、被告恵和会の統計によれば、10件の新規申請のうち1件が要介護認定されることから、福祉支援サービスにおいて年間100名の要介護者を確保するために、年間1000件の新規申請を念頭に置き、当時福祉支援サービスに所属していた7名の頭数で割り振った申請件数、すなわち1人当たり月間12件、半年で72件とする本件目標を設定したことが認められる。」

「そして、被告恵和会の目的には、福祉施設の経営が含まれており、施設の利用者が減少すると法人の存続に影響が出る可能性が否定できないことからすると、介護保険の新規申請件数に一定の目安を掲げること自体は必ずしも不当であるとはいえない。」

「しかし、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、E主任は、原告に対し、平成30年6月6日、同年度夏期賞与に関し、必達目標である12件は大幅未達であることなどを理由に評価点が低いことを告げ、同年7月11日、7月以降は新規申請件数のみならず、健康教室実施回数、法人利用実績を加えた3本柱で考課すると告げたことが認められ、被告恵和会においては、本件目標の達成状況が人事考課に影響を及ぼしていたことがうかがわれる。

「そして、前記・・・のとおり、介護保険の申請の必要性は数量的に把握できない性質のものであり、従業員の努力にも限界があるのみならず、場合によっては介護保険法の目的に沿わない事態を招きかねないこと、実際、本件目標を達成できていたのは、福祉支援サービスでは、被告Dのみであり、しかも、その被告Dは、相当強引に申請を促していた様子もうかがわれること・・・を考慮すれば、新規の申請件数を1人当たり月間12件とする本件目標は合理性を欠くものといわざるを得ない。

「そして、前記説示の事実に加え、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、E主任は、原告に対し、定期的に行われた面談等の機会において、繰り返し本件目標を達成できない原因やそれを改善するための方策等を詳細に質問していることが認められるのであるから、合理性を欠く本件目標の達成を要求していることは明らかである。

したがって、被告恵和会には、安全配慮義務違反の債務不履行が認められる。

3.ノルマが違法(安全配慮義務違反)とされた

 ノルマを課すること自体が特に問題ない行為と理解されていることもあり、消費者被害や労働問題を引き起こしている割に、ノルマを違法だと判示した裁判例は、それほど多くないように思われます。そうした状況下において、本件の裁判所がノルマを違法(安全配慮義務違反)だと判示した点は注目に値します。

 本件で問題となった介護保険の申請件数に係るノルマは、介護保険法の趣旨から、押売りを招きかねないノルマを問題視しやすい素地があったといえます。その意味で特殊なケースであることは否定できませんが、本件は無理なノルマで苦しんでいる労働者を守るため、活用できる可能性があります。