1.固定残業代の対価性要件
固定残業代の合意が有効といえるためには、
「時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていた」
ことが必要とされています(最一小判平30.7.19労働判例1186-5日本ケミカル事件)。
そして、固定残業代が、
「時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていた」
と認められるかどうかを判断するにあたっては、当該手当で想定されている残業時間と実際の時間外労働の状況の乖離が考慮要素になると理解されています(同判例)。
それでは、想定残業時間と実際の時間外労働等の状況について、具体的に、どの程度の乖離が認められれば、対価性が失われるのでしょうか。
昨日ご紹介した、宇都宮地判令2.2.19労働判例1225-57 木の花ホームほか1社事件は、この問題との関係でも有益な示唆を含んでいます。
2.木の花ホーム事件
本件は被告木の花ホーム等の従業員であった原告が、残業代等を請求した事件です。
本件では、基本給30万円に対し、28万3333円と約131時間分に相当する固定残業代の定めを置くことの適否が問題になりました。
固定残業代の効力は幾つかの観点から議論されていますが、その中の一つに対価性の問題があります。具体的に言うと、実際の労働時間数との乖離との関係で対価性が否定されるのではないかが問題になりました。
この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、対価性があることを認めました。
(裁判所の判断)
「被告らは、その賃金規程17条において職務手当の性質につき、『時間外労働に対する割増賃金として』支払われるものであることを明記した上(なお上記賃金規程の周知性に疑義を生じさせるような証拠はない。)、本件雇用契約の締結に当たって、『職務手当』の性質を確認すべく、原告に対し、本件給与通知書を交付し、『原告の給与』が『月額:583、333円(基本給(能力給)300、000円、職務手当283、333円)』であること、そして、その『職務手当』283、333円は『時間外労働に対する割増賃金の定額払い』であって時間外労働は131時間14分に相当するものであることを明示している。また、原告に対して支払われた職務手当は、1か月当たりの平均所定労働時間(173.75時間)を基に計算すると上記のとおり約131時間分の時間外労働に対する割増賃金に相当するものであるところ、原告の実際の時間外労働等の状況・・・との間に一定のかい離が認められるものの、上記固定残業代としての性質を否定するほど大きくかい離するものではない(むしろ、上記時間外労働時間数は1か月平均80時間を優に超えおり、上記131時間分の時間外労働の約3分の2に及んでいる上、1か月100時間を超えている月は6か月、90時間を超えている月になると17か月に及んでいる。)。これらによれば、原告に支払われていた職務手当は、本件雇用契約において時間外労働に対する対価として支払われるものとされていたこと(本件固定残業代の定め)が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。」
注)対価性の観点からは、上述のとおり、固定残業代の効力は否定されないとされましたが、結論としては、昨日ご紹介したとおり、想定残業時間の多さを根拠に、固定残業代の効力は否定されています。
3.3分の2あれば有効? 下方向の乖離でも対価性を否定する根拠になる?
少し前、このブログで、想定残業時間を約80時間とする職務手当について、実際の時間外労働が120時間を上回っていたという事実関係のもとで、対価性が認められないことを理由に、固定残業代の効力が否定された事案をご紹介させて頂きました。
固定残業代の効力-実際の時間外労働等の状況との乖離 - 弁護士 師子角允彬のブログ
この判決が出たときに、
① 40時間という乖離が一つの基準になり得るのか、
② 実際の時間外労働が下方向に振れている場合にも乖離という観点から対価性が否定されることが有り得るのか、
が気になっていました。
本件は時間外労働の実体について、
「原告の平成25年4月11日から同27年6月30日までの間の時間外労働時間(法外残業時間)は、別紙・・・『時間・賃金計算書』の『法外等労働時間』欄に記載のとおりであり、これを基にすると、上記26か月(計算上は27か月であるが、原告は平成25年6月は病気により休職していたことから、この1か月を除いて月数を計算する。)の月平均時間外労働時間は80時間を優に超えており、具体的には80時間を超えた月は22か月あり、うち100時間を超えた月が6か月あった。」
と認定されています。
本裁判例は、想定残業時間の概ね3分の2以上・30時間台の乖離については対価性が否定されるほどのものではないと判示しました。
また、下方向での乖離が理論的に対価性を否定する材料にならないのであれば、想定残業時間と実際の時間外労働との乖離を検討する必要はないはずですが、裁判所は乖離の実体をきちんと検討しました。このことは下方向の乖離でも対価性が否定される場合が有り得ることを示しています。
どのような場合に対価性が否定されるのかは、未だ不明な部分が多く、引き続き裁判例の動向を注視して行く必要があります。