弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

固定残業代として許容されない想定残業時間のライン

1.固定残業代の有効性-想定労働時間数を問題にするもの

 「時間外労働、休日および深夜労働に対する各割増賃金(残業代)として支払われる、あらかじめ定められた一定の金額」を固定残業代といいます(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕115頁参照)。

 この固定残業代の有効性について、想定労働時間数の多さが問題になることがあります。基本給を極端に下げたうえ、100時間分、120時間分といった極めて長時間の残業を想定した固定残業代を設け、事実上定額働かせ放題とする賃金体系を構築することの適否という形で問題になります。

 あまりに長い残業時間を想定した固定残業代の仕組みを設けることを違法だとした裁判例は相当数あります。しかし、そうした裁判例と比肩するほど想定労働時間が長いにも関わらず違法性を認めなかった裁判例も決して無視できない数存在しており、

固定残業代における残業時間数の上限について - 弁護士 師子角允彬のブログ

① 適法/違法の境目となる想定労働時間数がどのあたりにあるのか、

② 適法/違法の結論を分かつ労働時間数以外の要素として、どのような要素がどの程度影響を与えるのか、

が議論されています。

 こうした議論状況のもと、①の問題について、注目すべき判示をした裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。宇都宮地判令2.2.19労働判例1225-57木の花ホームほか1社事件です。

2.木の花ホームほか1社事件

 本件は被告木の花ホーム等の従業員であった原告が、残業代等を請求した事件です。

 本件では、基本給30万円に対し、28万3333円と約131時間分に相当する固定残業代の定めを置くことの適否が問題になりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、固定残業代の定めを公序良俗に反するものとして無効と判示しました。

(裁判所の判断)

「本件固定残業代の定めと原告の実際の時間外労働時間数は固定残業代としての性質に疑義を生じさせるほど大きくかい離するものではないが、ただ、そのかい離の幅は決して小さいものではなく、平均すると約50時間のかい離が生じている。その結果、かかる本件固定残業代の定めの下では、労働者(原告)は、1か月当たり平均80時間を超える時間外労働等を行ったとしても、清算なしに約131時間分の割増賃金(28万3333円)を取得することが可能となるため、常軌を逸した長時間労働が恒常的に行われるおそれがあり、実際、上記・・・で指摘したとおり、原告の時間外労働時間数は1か月平均80時間を優に超えているだけでなく、全26か月中、時間外労働等が1か月100時間を超える月は6か月、90時間を超えている月になると17か月にも上っていることなどに照らすと、上記・・・のとおり、本件各雇用契約の内容として本件固定残業代の定めがあることは事実としても、その運用次第では、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の疾病を労働者に発症させる危険性の高い1か月当たり80時間程度(平成22年5月7日付け基発0507第3号による改正後の厚生労働省平成13年12月12日付け基発第1063号参照)を大幅に超過する長時間労働の温床ともなり得る危険性を有しているものというべきであるから、『実際には、長時間の時間外労働を恒常的に行わせることを予定していたわけではないことを示す特段の事情』が認められない限り、当該職務手当を1か月131時間14分相当の時間外労働等に対する賃金とする本件固定残業代の定めは、公序良俗に違反するものとして無効と解するのが相当である。

「そこで最後に、上記特段の事情の有無を検討すると、本件全証拠によっても、上記特段の事情を基礎付けるに足りる事実は認められず、むしろ、前記・・・の事実及び別紙7①及び②の各『時間・賃金計算書』のとおり、原告の実際の時間外労働時間が優に1か月80時間を超え、減少する兆しなど全く認められない期間が長期に渡って続いていたことや、上記・・・のとおり原告が本件雇用契約の締結後間もなく心臓疾患(虚血性心疾患)を発症し、C病院で冠動脈バイパス手術を受けたことがあるにもかかわらず、被告らは、自らのリスク回避のため原告から前記・・・記載の誓約書・・・を取り付けただけで、その健康維持と心疾患の再発防止に向けた具体的な措置を講じようとした形跡が認められないことなどからみて、上記特段の事情は存在しないことがうかがわれる。」

「以上によれば、本件固定残業代の定めは公序良俗に違反し無効であると解される。」

3.1か月80時間を大幅に(優に)超える長時間労働が想定→違法

 上記のとおり、宇都宮地裁は、想定残業時間の多さを問題視するにあたり、いわゆる過労死ラインとされている月80時間という時間数に言及しました。

 「大幅に」「優に」といった修飾語が付せられていることを見ると、80時間を超えれば直ちに違法となる趣旨でないとは思われますが、それでも想定労働時間数の観点から固定残業代の効力を論じるにあたり、この裁判例が示した基準には、一定の意義を認めることができます。

 固定残業代の効力を否定できると、固定残業代部分を算定基礎賃金に組み入れたうえ、残業代を改めて全額請求することができます。固定残業代を採用する会社では長時間労働が恒常的に行われていることが珍しくないこともあり、残業代を請求することは結構な経済的利益に結びつきます。月80時間を超過する想定残業時間のもとで設計されている固定残業代の適用を受けている方は、一度、弁護士のもとに残業代請求の可否に関する相談に行ってみても良いのではないかと思います。もちろん、当事務所でご相談をお受けすることも可能です。