1.賃金支払義務
労働基準法24条1項本文は、
「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。」
と規定しています。
賃金を支払うことは労働契約上当たり前のことではありますが、労働基準法はこれを契約上の義務から法的義務へと引上げ、賃金の不払いを犯罪として規定しています(30万円以下の罰金、労働基準法129条1号参照)。
このような法の建付けからすると、賃金の不払いが違法であることは明らかです。
それでは、賃金の不払いを理由として、慰謝料を請求することはできるのでしょうか?
なぜ、このような問題が出てくるのかというと、損害賠償(慰謝料)を請求するためには、「損害」が発生していることが必要だからです。
賃金が支払われれば、経済的な損失は埋まることになります。物損を理由とする損害賠償請求について言うと、裁判所では、しばしば、
精神的な苦痛が生じているとしても、その程度の精神的苦痛であれば、経済的な損害が填補されることによって、自動的に慰謝されるはずだ、
というロジックが使われます。
そのため、賃金不払いで慰謝料を請求しようと思った場合、このロジックを突破する必要が生じます。
近時公刊された判例集に、欠席判決ではあるものの、賃金不払いを理由とする慰謝料請求が認められた裁判例が掲載されていました。東京地判令6.3.18労働判例ジャーナル152-47 ウィンスター事件です。
2.ウィンスター事件
本件で被告になったのは、
不動産取引の仲介業等を主たる事業とする株式会社(被告ウィンスター社)
被告ウィンスター社の代表取締役(被告C)
の2名です。
原告になったのは、被告ウィンスター社の元従業員です。
賃金の欠配を理由として、未払賃金と慰謝料の支払いを求める訴えを提起したのが本件です。
本件で特徴的なのは、慰謝料請求の部分です。
原告は、慰謝料請求との関係で、次のような主張をしました。
(原告の主張)
「被告ウィンスター社が、原告らの賃金を2か月以上も欠配させた行為により、原告らの生計維持に危険が生じ、同人らは精神的苦痛を被った。」
「被告らが、原告らの委任を受けた本件組合による団体交渉の申入れを無視し、現在も応答を行っていないこと、労働基準監督署監督官の連絡にも関わらず、賃金の弁済を行わないことからすれば、被告らの対応は悪質である。」
「特に、原告Aの2023年9月分の賃金について、被告ウィンスター社は、他の従業員に賃金を支給する資力を有していながら、故意に、原告Aのみに賃金を弁済しないとの対応に出ており、これは、本件組合を通じて団体交渉を申入れた原告Aに対する報復的な不利益措置というほかない(労働組合法7条1号)。」
「以上から、被告ウィンスター社による労働基準法24条1項の違反行為により原告らに生じた精神的苦痛が、未払賃金の弁済によって慰謝されると評価する余地はない。」
「原告らに生じた精神的苦痛を慰謝するに必要な金員は、原告Aについて35万円、原告Bについて25万円を下らない。」
「なお、被告Cは、会社法429条1項に基づき、慰謝料相当額を被告ウィンスター社と連帯して賠償する義務を負う。」
本件では原告Aについて35万円、原告Bについて25万円の慰謝料が請求されていますが、これは原告Aの基本給月額が35万円であったこと、原告Bの基本給月額が25万円であったことと平仄を併せたものと考えられます。
本件の被告は裁判を欠席したところ、裁判所は、次のとおり述べて、原告の請求を認めました。
(裁判所の判断)
「原告らの請求原因に係る事実は、被告らにおいて争うことを明らかにしないことから、自白したものとみなす。そして、本件において認められる一切の事情を考慮すると、原告Aの精神的苦痛に対する慰謝料の額は35万円、原告Bの精神的苦痛に対する慰謝料の額は25万円と認めるのが相当である。」
3.欠席判決ではあるが・・・
本件は被告欠席のもとで言い渡された欠席判決ではあります。
欠席判決の場合、基本的には原告の請求がそのまま通ります。
しかし、欠席判決であったとしても、慰謝料額に関しては、裁判所は当事者の主張に拘束されません。例えば、秋山幹夫ほか『コンメンタール民事訴訟法Ⅲ』〔日本評論社、第2版、2018〕407頁には、
「訴状に記載された慰謝料や相当賃料のような法的評価のされた事実の主張について本項(筆者注 擬制自白に関する条文)を適用する場合には、その評価の基礎となった事実についてのみ擬制自白を認めるべきであって、評価額自体には及ばないと解すべきであるから、裁判所は当事者の主張する評価額に拘束されない」
と記述されています。つまり、慰謝料1億円を請求し、被告が裁判に欠席したところで、裁判所は1億円の慰謝料を認容しなければならなくなるわけではなく、適当に慰謝料額を定めることができるということです。
本件でも、裁判所は、
慰謝料額を認めないという判断はできたし、
認めるとしても、金額を削ることもできました。
しかし、裁判所は、基本給1か月分に相当する慰謝料額を「相当」だと判断しました。
故意による賃金欠配、不利益取扱の禁止条項への違反(労働組合法7条)などハードルは高そうですが、慰謝料請求の芽のある事案で幾ら請求するのかを考えるにあたり、裁判所の判断は参考になります。