弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

精神的な不調があるときは、職場に明示的に相談しておいた方がいい

1.予見可能性

 精神的な不調について、限界まで職場に相談しない方がいます。

 事柄の性質上、職場に伝えたくないことは分かりますが、精神的な不調を感じた場合には、できるだけ早く職場に配慮を求めることをお勧めします。深刻な被害が生じることを回避するとともに、万が一の時、損害賠償を請求し易くするためです。

 法律の世界では、しばしば「予見可能性」という概念が用いられます。

 過失責任を問うにあたっての「過失」は、予見可能性と結果回避義務の二つの要素から構成されると理解されています(我妻榮ほか著『我妻・有泉コンメンタール民法-総則・物権・債権』〔日本評論社、令元、第6版〕1467頁参照)。予見可能性のない結果に責任を問うことはできません。

 また、予見可能性は因果関係の存否を問う場面でも問題になります。民法416条2項は、

「特別の事情によって生じた損害であっても、当事者がその事情を予見し、又は予見することができたときは、債権者は、その賠償を請求することができる。」

と特別損害に因果関係を認めるためには予見可能性が必要であるとしています。

 時折、いじめで子どもが自殺した時、明らかに原因-結果の条件関係のある場合でも、「因果関係が認められない。」と言って学校の責任が否定されることがあるのは、法律上の因果関係が上述のように理解されるからです。平成30年度には54万3933件のいじめが認知されていますが、自殺等の悲惨な事態に至る件数は極めて少数です。そのため、通常生じることのない自殺という結果について、予見が難しかったといえるケースでは「因果関係」が認められるかが普通に争点になります。予見可能性が認められない場合、自然的な条件関係には争いがなかったとしても、裁判所では「因果関係が認められない。」という判断がなされることになります。

https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/31/10/1422020.htm

https://www.mext.go.jp/content/1410392.pdf

 予見可能性は損害賠償を請求するうえで避けては通れない、「過失」「因果関係」といった法律要件と結びついている極めて重要な概念です。

 そして、賠償義務者に予見可能性があったことを主張していくにあたり、最も直截的な橋頭堡の築き方は、予め被害を受けそうなことを相談・申告しておくことです。言っておけば何でも予見可能になるというほど単純であるわけではありませんが、予め相談・申告をしておけば、危険が顕在化して損害を受けた場合にも、危険を放置した加害者に対して責任を問い易くなります。

 それは職場で精神的な不調を感じた時も同じです。そのことは、近時公刊された判例集に掲載されていた、札幌高判令元.12.19労働判例ジャーナル96-70 北海道二十一世紀総合研究所事件 という裁判例からも読み取れます。

2.北海道二十一世紀総合研究所事件

 本件で一審被告となったのは、企業経営に関するコンサルティング等を目的とする株式会社です。

 一審原告になったのは、一審被告の正社員の方です。残業が嵩んで鬱病になったとして、一審被告会社らを相手取り、安全配慮義務違反に基づく損害賠償を請求する訴えを起こしました。

 一審では総額約3500万円の損害賠償請求が認められましたが、高裁は次のとおり述べて一審被告会社の予見可能性を否定し、一審原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「一審被告会社が発症前3か月間における一審原告の労働時間が長時間に及んでいることを把握しつつ、その業務負担について、格別、軽減の措置を執っていない一方、この間における一審原告の担当業務は、主として一審原告の専門分野に属する本件調査義務であり、データの集計等に時間を要したという長期化要因について、相談の機会はあったものの、これを利用することはなかった等の事情を指摘することができる。一審被告会社としては、一審原告の業務がうつ病の発症をもたらしうる危険性を有する特に過重なものと認識することは困難であり、単に労働時間が長時間に及んでいることのみをもって、一審原告のうつ病の発症を予見できたとはいえないというべきである。そして、本件において、他に一審原告のうつ病発症の予見可能性を基礎付ける事実は認められない。」
「また、一審原告は、平成17年度当初、複数の調査研究業務を担当していたが、前記認定事実・・・のとおり、最終的には主な担当業務が本件調査業務のみとなっており、ここから更に一審原告の担当業務を減らすのは困難であったというべきである。そして、一審被告会社では、毎週、意見交換のための全体会議が開催されており、一審原告は、その機会に、業務遂行上の課題を伝え、上司や同僚に相談することができ、これが困難であったとは認められないのに、相談等をしなかった。そうすると、一審被告会社は、一審原告の業務を更に削減することが困難であった上、特に一審原告から業務の遂行が困難であることの申告もなかったことから、早期に心身の健康相談やカウンセリングを受診する機会を設けたり、休養を指示したりすることを含め、一審原告のうつ病の発症を回避するために具体的な対応をすることも困難であったというべきである。
「以上のとおり、一審被告会社が一審原告の時間外労働が長時間に及んでいることを把握していたとしても、一審原告の担当していた業務の内容等の事情を考慮すれば、一審原告がうつ病を発症することを予見できたとは認められず、また、一審原告のうつ病の発症を回避するために具体的な対応をとることも困難であったというべきである。一審原告がうつ病を発症したことについて、一審被告会社に安全配慮義務違反は認められない。

3.言わなければ、伝わらない

 高裁は事前の相談・申告の機会が活かされていないことを理由に、一審原告の鬱病の発症について、職場(一審被告会社)に予見可能性はなかったと判示しました。

 相談・申告を受けた会社が負担を軽減してくれる可能性はそれなりにありますし、仮に相談・申告を無視するような会社であったとしても、事前に相談・申告をしておけば、損害が顕在化した時に、賠償責任を問い易くなります。少なくとも、予見可能性がないという形での逃げ道を塞ぐことに役立ちます。

 言いにくいことであるとは思いますが、言わないことは伝わりません。精神的な不調は長引いたり繰り返したりすることも珍しくないので、限界を迎える前に、きちんと職場に相談・申告しておくことが推奨されます。