弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

「所定時間外賃金」は時間外割増賃金(残業代)か?

1.「所定時間外賃金」は時間外割増賃金か?

 残業代を請求する事件においては、使用者側から、特定の賃金項目・手当項目が時間外割増賃金(残業代)に該当すると主張されることが珍しくありません。

 こうした主張に対し、当該賃金項目・手当項目について、時間外割増賃金にすることの合意が成立していないとして、使用者側の主張が排斥されることがあります。

 近時公刊物に掲載されている、大阪地判平31.2.28労働判例ジャーナル88-38天理交通事件も、その系譜に属する事件です。

 この事件では、「所定時間外賃金」と書かれた項目が、時間外割増賃金として支給されたものと認められるかが争点となりました。

2.天理交通事件での裁判所の判断

 この事件で原告になったのは、バスの運転手です。

 勤務先と交わした雇用契約書には、

「1 甲(被告)は乙(原告)を雇用し、乙は甲に雇用されて労務を提供する事を合意する。」
「2 雇用条件は、基本給150,000円(1ヶ月15日間拘束・超過日数分は、歩合給として1日につき12,000円)他手当として(通信費1,000円・通勤費15,000円・サブ乗務5,000円)社会保険・厚生年金の加入は、いたしません。」
「3 試用期間は、平成26年10月28日より平成27年1月27日とする。」
「4 乙の就業職種・場所・日時は、甲の指示による。」

と記載されていました。

 この「歩合給」が給与明細書上、「所定時間外賃金」として記載されていたところ、これが時間外手当として支払われたものであるかが問題になりました。

 裁判所は、次のように述べて、「所定時間外賃金」が時間外手当であることを否定しました。

「証拠(乙1、2)によれば、被告就業規則(賃金規程)25条2項〔2〕には『勤務日数が基本出勤日数を超えた場合、別表2に定める時間外割増基本給を支給する。』と規定されている。」
「確かに、同条項は、「時間外手当」の項目に記載されていることからすると、上記時間外割増基本給は、時間外手当として支払われているようにも思われる。しかしながら、証拠(甲1、甲2の〔1〕ないし〔13〕)によれば、本件雇用契約書には、『基本給150、000円(1ヶ月15日間拘束・超過日数分は、歩合給として1日につき12、000円)』と記載されており、上記賃金規程の内容と大きく異なっていること、被告が原告に対して毎月交付していた給与明細書には、時間外割増賃金(給与明細書上は『時間外』と記載されている。)とは別に、『所定時間外賃金』の項目が記載されていること、以上の点に、本件雇用契約締結時、被告が原告に対し、被告就業規則(賃金規程)の該当箇所(25条2項〔2〕)を見せるなどして、15日を超えた分の賃金が、時間外割増賃金の趣旨で支払われる旨の説明があったことを認めるに足りる的確な証拠はないこと(かえって、上記のとおり、同金員について、本件雇用契約書には『歩合給』として支給する旨記載されている。)をも併せ鑑みれば、被告が『所定時間外賃金』として支払っている金員が時間外割増賃金の趣旨で支払われるということについて、原告被告間に合意があったとは認められない。

3.就業規則に規定があり、それらしい名前が付けられていたとしても、残業代請求を諦める必要はない

 固定残業代の問題点が一般に周知されるようになりつつあるからか、雇用契約時には、それと分からないような労働条件が提示されていることがあります。

 しかし、入社以前には固定残業代だと分からなかったような賃金項目が、入社後に固定残業代のように見える項目で支払われ、既成事実が積み重なったとしても、当該項目が固定残業代であることを否定できる場合があります。

 天理交通事件では、歩合給を固定残業代に振り替えることの可否が問題になりました。 

 裁判所は、

雇用契約書と賃金規程との表現上の相違(歩合給⇔所定時間外賃金)、

給与明細書上に時間外割増賃金の額を示す項目が「所定時間外賃金」の項目とは別に、別途項目として設けられていたこと、

入社時の説明の欠如

を理由に、合意の欠缺を理由に、「所定時間外賃金」を時間外割増賃金であることを否定しました。

 これは、固定残業代の存在をぼかして入社させた従業員に対し、後出し的に固定残業代の定めを適用することへの警鐘として受け止めることができます。

 従業員に固定残業代が適用されるためには、固定残業代を採用することが労働契約の内容として、きちんと合意されていなければなりません。

 入社前や入社時には分からなかったけれども、なぜか固定残業代の定めが適用されている、そのような扱いに納得できないとお感じの方は、残業代の請求が可能かどうかを弁護士のもとに相談に行ってもいいかも知れません。

 なお、時間外割増賃金であることを否定された場合、当該賃金項目・手当項目を残業代は、残業代を請求するにあたっての基礎賃金に含めて考えることができる場合があります(天理交通事件の裁判所も、そのような理解を採用しています)。

 既払いの時間外割増賃金を減少させる効果と相まって、労働者側にかなり有利な計算で残業代を請求できる場合がありますので、固定残業代に関し不正確な説明を受けた労働者は、簡単には諦めたりしまわないことをお勧めします。