弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

HIVと内定取り消し

1.HIVと内定取り消し

 ネット上に、

「病院がHIV差別はナンセンス 普通に働き、生活できる時代です」

という記事が掲載されていました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190613-00010000-bfj-soci&p=1

 記事には、

「HIV感染(※)を告げなかったことを理由に、病院の採用内定を取り消されたのは不当だとして、社会福祉士の30代の男性が病院を経営する社会福祉法人「北海道社会事業協会」(札幌市)を相手取り、慰謝料など約330万円を求めて裁判を起こしています。」

「6月11日に札幌地裁であった本人尋問で、病院側の代理人弁護士が、『感染は嫌だというのは差別なのか』『医者には自分の身を守る自由がないのか』『100%感染しないと言えるか』と、HIVに関して知識不足の質問を繰り返して、裁判官に静止される場面がありました。」

と書かれています。

 記事に書かれていることが事実であるとすれば、病院側の対応は、色々と問題が多いように思われます。

2.採用時にHIV感染の事実を尋ねることが許されるのか

 先ず、そもそも採用時にHIV感染の事実を尋ねることの適否が問題になり得ると思います。

 記事でも引用されている厚生労働省の

「職場におけるエイズ問題に関するガイドラインについて」(基発第75号 平成7年2月20日)

は、

「職場におけるHIV感染の有無を調べる検査(以下「HIV検査」という。)は、労働衛生管理上の必要性に乏しく、また、エイズに対する理解が一般には未だ不十分である現状を踏まえると職場に不安を招くおそれのあることから、事業者は労働者に対してHIV検査を行わないこと。」

事業者は、労働者の採用選考を行うに当たって、HIV検査を行わないこと。

と明記しています。

https://www.jaish.gr.jp/anzen/hor/hombun/hor1-36/hor1-36-1-1-0.htm

 また、HIVによる免疫機能障害の一部は身体障害として取り扱われます。

https://www.mhlw.go.jp/www1/shingi/s1216-3.html#1

 厚生労働省は、

「プライバシーに配慮した障害者の把握・確認ガイドライン」

において、

「採用面接時等に、事業主が応募者に対して・・・障害の有無を照会するのは、特別な職業上の必要性が存在することその他業務の目的の達成に必要不可欠な場合に限られ、その際には、目的を示して本人に障害の有無を照会しなければなりません」〔募集指
針第四の一の(一)〕」

としています。

 労務管理上、HIV感染の事実に関しては、採用時に尋ねること自体、基本的には適切とはいえません。

3.病院側はHIV感染の事実をどのように知ったのか

 記事からは不分明ですが、病院がHIV感染の事実をどのように知ったのかも気になります。

 警察官に対して本人の明示的な同意を得ることなくHIV抗体検査を実施した事案において、

「警察学校が原告に対し二回にわたって実施した本件HIV抗体検査は、本人の同意なしに行われたというにとどまらず、その合理的必要性も認められないのであって、原告のプライバシーを侵害する違法な行為といわざるを得ない。」

とした判例があります(東京地判平15.5.28労働判例852-11東京都(警察学校・警察病院HIV検査)事件)。

 また、大学病院の血液検査の結果、HIV陽性と診断された原告(看護師)が、当該大学病院の医師からHIV感染の情報を取得したうえ、職員間で情報共有したとして、勤務先病院をプライバシー侵害で訴えた事件がありました(福岡地裁久留米支判平26.8.8労働判例1112-11社会福祉法人A事件)。

 この事件で、原告の方は、情報を漏洩した大学病院も訴えており、大学病院との間では100万円の支払いを受ける和解が成立したことが報告されています(引用判例雑誌の解説部分参照)。

 HIV感染の事実を、本人に秘匿して、あるいは、本人以外からのルートから入手することには、違法性が認められる可能性が高いと思います。

 記事の病院は告知義務違反を主張しています。しかし、そもそも病院は本人が告知していないのに、どのような方法でHIV感染の事実を知ったのかと思います。

 情報入手の方法の適法性が気になるところです。

4.HIV感染を理由に内定を取り消すことができるのか

 採用内定の法的性質を「就労開始の始期の定めのある解約留保権付労働契約」(東京地決平9.10.31労働判例726-37インフォミックス(採用内定取消事件)と理解する場合、内定取消は解雇の可否の問題として議論されます。

 上述の、

「職場におけるエイズ問題に関するガイドライン」

には、

「HIVに感染していることそれ自体は解雇の理由とならないこと。」

と明記されています。

 HIV感染に関しては、就労困難というわけでもない場合に告知義務を導くことは困難ですし、感染の事実それ自体を理由に解雇することができるわけではありません。

 労働者から解雇理由の証明書の作成・交付を請求された場合、使用者はこれに応じなければなりません(労働基準法22条)。

 病院側が解雇理由(内定取消理由)証明書に何と書いていたのかは記事からは不分明ですが、HIV感染の告知義務違反や、HIV感染の事実を記載していたとすれば、悪い意味で、相当勇気のある判断だなと思います。

5.病院の代理人弁護士の質問は適切か

 記事によると、病院側の代理人から、

①『感染は嫌だというのは差別なのか』

②『医者には自分の身を守る自由がないのか』

③『100%感染しないと言えるか』

という趣旨の質問があったようです。

 こういう尋問は適切ではないと思います。

 先ず、形式的な問題として、当事者尋問では、

一 証人(当事者)を侮辱し、又は困惑させる質問
二 誘導質問
三 既にした質問と重複する質問
四 争点に関係のない質問
五 意見の陳述を求める質問
六 証人(当事者)が直接経験しなかった事実についての陳述を求める質問

が禁止されています(民事訴訟規則115条2項、127条)。

 ①~③いずれの質問も、いたずらに当事者を困惑させたり、意見を求めたりするものであり、民事訴訟規則に照らして、その適法性に疑義があります。

 また、それを措くとしても、一体、どういった戦略的意図のもとで、①~③のような質問をしているのだろうかと思います。

 普通、弁護士は

「こういう問いかけをしたら、こう答えるのではないか」

という予想を立てたうえで尋問します。

 想定問答のようなものを作って、事前準備します。

①に対しては、

「合理的な理由なく嫌だといって感染者の内定を取り消すのは、身体障害者差別そのものだと思っていますが、違うのでしょうか。」

②に対しては、

「身を守る自由がないとか、私、言いましたっけ?」

「身を守る自由はあると思いますが、日常生活では感染しないので、そんなに構えて頂かなくてもいいと思いますよ。」

③に対しては、

「私は医者ではないので、そのようなことは聞かれても分かりません。」

という切り返しが予想され、私には有効打になるとは思えません。

6.採用段階から知見のある弁護士に相談していれば本件は防げたのではないか

 採用段階から知見のある弁護士が病院側にアドバイスを行っていたとするならば、本件のような事件は起こらなかったのではないかと思います。

 少なくとも、私であれば、「HIV感染の事実を聞いていいか、調べていいか。」と質問されたら、「何か余程切実な理由でもない限り、質問をするのも、調査するのも適切ではありません。基本的には控えておいた方がいいでしょう。」と回答していたと思います。

 弁護士にも得意・不得意はあるため、一定の規模以上の事業体は、問題に応じて顧問弁護士を使い分けるといった工夫をしても良いだろうと思います。