弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

罰則のない法律に効果はないのか?(パワハラ)

1.「パワハラ防止法」の効果を疑問視する声?

 ネット上に、

「罰則規定のない『パワハラ防止法』に効果はあるのか」

との記事が掲載されていました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190612-00010001-wordleaf-pol

 記事には、

「職場でのパワハラ防止を義務付ける法律が参議院で可決・成立しました。企業に対して相談窓口の設置や発生後の再発防止策について義務付ける内容ですが、罰則規定はなく、一部から効果について疑問視する声も出ているようです。」

「一部の専門家からは法律の効果について疑問視する声も出ているようです。その理由は法律に罰則規定がないからです。」

と書かれています。

2.パワハラ防止法とは

 記事で言われている「パワハラ防止法」というのは、

「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」(以下「労働施策総合推進法」といいます)

の改正条文のことだと思います。

 第198回国会(常会)提出法律案の

「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律等の一部を改正する法律案」

の一部を構成しています。

https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/soumu/houritu/198.html

https://www.mhlw.go.jp/content/000486036.pdf

 改正労働施策総合推進法32条の2第1項は、

「事業主は、職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であつて、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。」

と規定しています。

 同条以下の一連の新設条文を指して、「パワハラ防止法」なるネーミングを付けているのではないかと思います。

3.そもそも罰則さえあれば、法の実効性は担保できるという認識は正しいのか?

(1)罰則があればパワハラはなくなる?

 記事では「法律に罰則規定がない」ことを理由に「一部の専門家からは法律の効果について疑問視する声も出ているようです」としています。

 「罰則はない」ということを喧伝している記事は他にもあります。しかし、罰則のあるなしによって法の効果を規定する発想は、問題を単純に捉えすぎているのではないかと考えています。

 罰則があっても、パワハラの相談件数は増え続けているからです。

 どういうことかというと、パワハラに関しては、全部が全部、罰則がないわけではありません。

 厚生労働省はパワハラを以下の六つの類型に整理しています。

1)身体的な攻撃
 暴行・傷害
2)精神的な攻撃
 脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言
3)人間関係からの切り離し
 隔離・仲間外し・無視
4)過大な要求
 業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害
5)過小な要求
 業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと
6)個の侵害
 私的なことに過度に立ち入ること

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000126546.html

 刑法には、暴行罪(208条)、傷害罪(204条)、脅迫罪(222条)、名誉毀損罪(230条)、侮辱罪(231条)といった条文が規定されています。

 傷害罪には精神的な疾患を引き起こした場合も含まれるとする裁判例があります。

 例えば、名古屋地判平6.1.18判例タイムズ858-272は、被害者方に向かって怒号するなどの一連の嫌がらせ行為により不安及び抑うつ状態に陥らせた行為が、傷害罪に当たるとしています。

 その後に出された最高裁も、

「監禁行為やその手段等として加えられた暴行、脅迫」

によることを前提とした判断ではあるものの、

「精神的機能の障害を惹起した場合も刑法にいう傷害に当たると解するのが相当である。」

との判断を示しています(最二小判平24.7.24刑集66-8-709参照)。

 身体的な攻撃と精神的な攻撃の相当部分は、既に刑法・罰則による威嚇力の対象になっています。

 しかし、都道府県労働局へのパワハラの相談件数は、平成18年度には2万2153件であったのが、平成28年度には7万0917件へと大幅に増加しています。

https://www.no-pawahara.mhlw.go.jp/foundation/statistics/

 年度によって、割合の増減はあるとしても、厚生労働省のホームページによれば、「受けたパワーハラスメントの内容」は、54.9%が精神的な攻撃、6.1%が身体的な攻撃であるとされています。

 精神的な攻撃、身体的な攻撃が増えているのか顕在化しているだけなのかという問題はありますが、罰則による威嚇力があることと、パワハラの認知・相談件数には、それほどの相関性はないのではないかと思います。

(2)罰則があったとして、誰が法適用・法執行をするのか?

 また、罰則に言及する記事は、所掲の記事に限らず一定数見かけますが、こうした議論をしている人は、誰が法適用・法執行を図ることを想定しているのかなと思います。

 いじめ・嫌がらせでの民事上の個別労働紛争相談件数は、平成29年度には、7万2067件とされています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000213219.html

https://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11201250-Roudoukijunkyoku-Roudoujoukenseisakuka/0000213218.pdf

 平成30年の警察白書によると、平成29年に日本全国で警察が認知した粗暴犯の認知件数は6万0099件です。

https://www.npa.go.jp/hakusyo/h30/data.html

 労働基準監督官の人数は、平成28年度で3241名です。

https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/suishin/meeting/wg/roudou/20170316/170316roudou02.pdf

 パワハラが犯罪化されたとして、パワハラが行われていないかを監視し、違反事実を立証するための証拠を収集し、処罰に繋げていくといった活動が現実問題として可能なのかという疑問があります。

 刑罰法令として十分明確なものといえるかという技術的な問題もありますが、パワハラに罰則を定めたとしても、結局、形だけのもので適用実績に乏しいものになる可能性が高いのではないかと思われます。

4.法の実効性を確保するものは、罰則だけではない

 法の実効性を罰則に依存することの限界に関しては、随分前から指摘されています。

 例えば、独立行政法人労働政策研究・研修機構のホームページ上に、

「法を守る動機と破る動機-規制と違法のいたちごっこに関する試論」

という論文が掲載されています。

https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2015/01/index.html

https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2015/01/pdf/015-025.pdf

 この論文には、

「労働法の分野で間接的サンクションが機能していると思われるのは、ハラスメントに関する領域であろう。セクシュアルハラスメントやパワーハラスメントの規制は、直接的サンクションだけでは困難である。だがそれでも、ハラスメントについての人々の意識と行動は着実に変化している。ハラスメント行為を使用者が控えたり自主的に取り締まったりするようになったのは、『上から』の規制の結果と言うよりも、『下から』のプレッシャーや人々の評価・評判の影響であろう」

との言及がみられます。

 間接的なサンクションという言葉は、

「法に違反する行動をとると、他の人たちから白い目で見られ、社会的な評価や評判を落とす結果になるかもしれない。」

「権利意識の変容によって人々が自分の権利を強く主張するようになるために、使用者が何らかの対策を講じる必要に迫られる」

といったことを指しています。

 論文は、

「違法が多いと言われる労働法の世界だが、違法行為あるいは脱法行為に従事しているという評判を立てられることを恐れる使用者も少なくない・・・。たとえば、ブラック企業だと思われるとその企業への入社希望者を減らしてしまうかもしれないし、消費者がもつ企業イメージの低下にも直結しうる。」

と間接的サンクションの持つ可能性を示唆しています。

5.罰則がないからこの法律はダメだと悲観的になる必要はない

 罰則がないからこの法律はダメだといった議論を見すぎると、法律が改正されても何も変わらないと思っている人が出てくるかもしれません。

 しかし、企業側の納得が得られるのか、刑罰法規としての明確性をどのように確保するのかといった問題を乗り越えて罰則を導入したとしても、法適用・法執行の現実的な困難さが想定されますし、法の実効性が罰則とイコールであると考えている「一部の専門家」というのは、それほど多くはないのではないかと思っています。

 私も法曹有資格者として法専門家の一人ではありますが、罰則がないからこの法改正はダメだといった見方はしていません。

 裁判例を積み重ねることは、間接的なサンクションとして、パワハラへの抑止力になります。

 実務家的な感覚で言うと、裁判をするにあたり、依拠する法律論・法的根拠が法文の形で規定されているのといないのとでは、大分差があります。判例法理がある程度積み重なっている分野においてもです。パワハラが法文の形で明示的に規制対象とされたことで、被害を受けている人が声を挙げやすくなるのは間違いないと思います。

 改正法の条文の中に罰則がないからといって、あまりネガティブになることはない、そういう意見もあっていいだとうと思い、本論稿を掲載することにしました。