1.黙示的な職種限定合意
職務内容を限定する合意を、一般に職種限定合意といいます。
使用者による配転命令権は、滅多なことがない限り権利濫用にはなりません(最二小判昭61.7.14労働判例477-6 東亜ペイント事件)。
しかし、職種限定合意が認められれば、労働者側に不利な権利濫用の判断枠組みに依拠しなくても配転の効力を否定することができます。そのため、配転命令権の効力を争う場合には、しばしば黙示的な職種限定合意の成否が争われます。
黙示的職種限定契約の成立については、
「医師、看護師、ボイラー技士などの特殊の技術、技能、資格を有する者については職種の限定があるのが普通であろう」
とされる一方、
「特別の訓練、養成を経て一定の技能・熟練を修得し、長い間その職種に従事してきた者の労働契約」
については
「その職種に限定されていることがある。しかし、技術革新、業種転換、事業再編などがよく行われる今日では、この職種限定の合意は成立しにくいといえよう。」
と理解されています(菅野・山川『労働法』〔弘文堂、第13版、令6〕683-684頁参照)。
通説的な理解からすると、幾ら一定の技能・熟練を修得し、長い間その職種に従事していたとしても、それだけでは職種限定契約は認められないのが普通です。まして、就業規則に配転の根拠があるだけではなく、労働契約書(雇用契約書)に職務の変更があり得ることが書かれていた場合、猶更、職種限定合意は認められにくそうに思われます。
しかし、近時公刊された判例集に、就業規則に配転の定めがあり、契約書にも使用者で職務を随時変更することができると書かれているIT業務に従事していた方との関係で職種限定合意が認定された裁判例が掲載されていました。東京地判令6.12.10労働経済判例速報2584-8 フィデリティ事件です。
2.フィデリティ事件
本件で被告になったのは、有価証券の売買等を目的とする株式会社です。
原告になったのは、被告との間で労働契約を締結し、IT部門のアナリストとして、社内で使用されている機器の修理や調整等の業務に従事していた方です。休職期間満了による自動退職(自然退職)の効力を争って地位確認等を請求する訴えを提起したのが本件です。
本件で職種限定契約がどう絡むのかというと、
ユーザーサポート業務(社内でのIT関係のトラブル対応やオフィス機器の導入・移動を主導する等の業務)を担当する者として勤務することができなくなったから、就労不能といえ、休職事由があり、これが自動退職事由になるのだ、
という趣旨の被告の主張との関係で問題になりました。要するに、職種が限定されているのだから、限定されている職務をこなすことができなくなれば、休職⇒退職へと自動的に流れて行くという主張です。
これに対し、原告は、
「本件契約書には、『役職又は職務』の欄において、『就業規則に従い貴殿の職務を随時変更することができる。』との記載がある。したがって、原告の職務内容は、ユーザーサポート業務に限定されるものではなく、変更も予定されていた。」
「また、本件契約書には、本件職務記述書が添付されているものの、本件職務記述書には、『職務の完全な一覧を構成することを意図したものではな』いことや、『役職に即してその他の職務を遂行するよう命じられる場合がある。』との記載がある。したがって、本件契約書に本件職務記述書が添付されていることは、原告がユーザーサポート業務以外の業務を担うことを想定していなかったことを示すものではない。」
などと主張し、職種限定合意の存在を争いました。職種が限定されていないのだから、何か仕事をこなすことができれば、復職できるはずだという趣旨です。
これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、職種限定合意の成立を認めました。なお、結論としげ、裁判所は原告の請求を棄却しています。
(裁判所の判断)
「原告に適用がある被告の就業規則(以下「本件就業規則」という。)には、下記の規定がある・・・。」
(中略)
「第7条(人事異動)
1.会社は、業務上の必要により、配転(職務もしくは職場の変更)、昇格、降格、役職の変更(昇降格に伴う同変更を含む)、出向(以上、まとめて『異動』という)を命じることができる。」
「被告は、原告を採用することにし、原告と被告は、令和元年5月15日、本件労働契約を締結した。その際、本件契約書には、本件職務記述書が添付された。また、本件契約書には、『役職及び職務』として、『貴殿(原告を指す)の役職は、アナリスト-テック・ハブとする。貴殿は、テクニカル・マネージャー-テック・ハブのC(Cを指す)に直属するものとするが、これは、業務上の必要に応じて変更される場合がある。』、『本契約には、詳細な職務記述書(本件職務記述書を指す)が添付されている。本記述書は、貴殿の職務の完全な一覧を構成することを意図したものではなく、貴殿は、貴殿の役職に即してその他の職務を遂行するよう命じられる場合がある。FIL(被告を指す)はまた、FILの就業規則に従い貴殿の職務を随時変更することができる。貴殿は、FILに対してだけではなく、関連会社に対しても役務を提供するよう命じられる場合がある。このほか、FILは、自己の絶対的裁量により、貴殿の雇用を本契約記載と同一の雇用条件で、関連会社に譲渡することができるものとする。』との記載があった。」
(中略)
「本件就業規則において、私傷病有給休暇は、『社員が業務外の傷病により就業できない場合』(本件就業規則38条)に付与され、私傷病休職は、私傷病有給休暇の期間満了後も傷病が治癒せず就業できない場合(本件就業規則39条1項(a))に、『会社が決定する』(本件休職等規程7条3項)ものであるから、本件就業規則及び本件休職等規程に基づいて、被告が従業員に対して私傷病休職を命じることができるのは、『業務外の傷病により就業できない場合』であることが必要である(以下、これに関する本件就業規則及び本件休職等規程における規定を『本件休職事由に関する条項』という。)。そして、本件休職事由に関する条項に該当するというためには、労働者に債務の本旨に従った労務の提供をする能力がなく、労働者の提供する労務が債務の本旨に従った労務の提供とはいえない場合であることを要するものと解するのが相当である。」
「前記・・・記載のとおり、被告は、令和4年2月24日、原告の復職を認めているから、その後、原告が本件就業規則58条(f)により自動退職となるには、復職後において、私傷病休職を発する要件、すなわち本件休職事由に関する条項に該当する事由が認められることが必要であり、前記事実の立証責任は、被告にあるものというべきである。そして、本件においては、被告は、本件通知により令和4年3月22日をもって自動退職となったものと扱っているから、同日の時点で、前記事由が認められる必要がある。」
「原告と被告との間で職種を限定する合意があったか否かについて検討するに、
〔1〕被告は、中途採用においては、求人する特定のポジションに求められる必要な知識、技術及び経験等を有している人材を採用しており、いわゆるジェネラリストの中途採用は行っていないこと・・・、
〔2〕原告の採用においても、ユーザーサポート業務を行う者を採用するため、本件職務記述書を本件転職エージェントに交付して募集を行っており、原告は、これを前提に応募していること・・・、
〔3〕原告は、平成18年以降に勤務した5社において、いずれもIT業務に従事しており、本件職務経歴書においても、IT関係の能力を有していることを強調して、自らの強みをアピールしていたこと・・・、
〔4〕本件契約書には本件職務記述書が添付されていること・・・
等の事情を総合すれば、本件就業規則7条に配置転換等に関する一般的な規定があり、本件契約書にも、同条に関する記述があること等を踏まえても、原告と被告との間には、原告が担当する業務を本件職務記述書に記載されたユーザーサポート業務に限定する旨の合意があったものと認められる。そうすると、原告に債務の本旨に従った労務の提供をする能力がなく、原告の提供する労務が債務の本旨に従った労務の提供とはいえない場合であるといえるか否かは、ユーザーサポート業務の内容を前提に判断すれば足りることになる。」
3.資格職でなく、契約書で職務変更が予定されていても職種限定合意が認められた
以上のとおり、裁判所は、使用者側の主張に沿い、職種限定合意の成立を認めました。原告の方は専門性はあるのでしょうが、それは、医師等とは異なり、従来、職種限定合意の成立が認められにくいとされていた類型(熟練労働者)に該当します。
しかも、本件では契約書に職務の変更に関する記述が書かれていました。
このような事実関係のもと、裁判所が上記程度の事情で熟練労働者の職種限定合意を認めたことは注目に値します。
裁判所の認定は本件事案との関係で言うと、労働者に不利なものです。しかし、事実認定論は価値中立的なもので、理論上、使用者側が主張すれば職種限定合意が認められるのに、同じことを労働者側が主張すれば職種限定合意が認められないということはないはずです。
本裁判例は労働者の敗訴判決ですが、職種限定合意の成立を主張して行く場面で活用できる可能性のある裁判例として、実務上参考になります。