弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

約30年に渡ってシステム関連の業務に従事していても、職種限定合意の成立が否定された例

1.配転命令と職種限定合意

 一般論として、配転命令には、使用者の側に広範な裁量が認められます。最二小判昭61.7.14労働判例477-6 東亜ペイント事件によると、配転命令が権利濫用として無効になるのは、

① 業務上の必要性がない場合、

② 業務上の必要性があっても、他の不当な動機・目的のもとでなされたとき、

③ 業務上の必要性があっても、著しい不利益を受ける場合

の三類型に限られています。業務上の必要性が広く認められていることもあり、いずれの類型を立証することも容易ではありません。

 しかし、職種限定合意の存在を立証することができれば、権利濫用を立証できなかったとしても、配転命令の効力を否定することができます。

 職種限定合意とは「労働契約において、労働者を一定の職種に限定して配置する(したがって、当該職種以外の職種には一切就かせない)旨の使用者と労働者との合意」をいいます(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、改訂版、令3〕290頁参照)。

 職種限定合意は明示的なものに限られるわけではなく、黙示的な合意が認定されることもあります。明示的な職種限定の合意がある場合、使用者の側も無理を押してまで配転命令を発令しようとはしないため、実際の事件で問題になるのは、大抵、黙示的な職種限定合意の成否です。

 それでは、長期間に渡って一貫して同じ仕事をしてきた場合に、黙示的な職種限定の合意を認めることはできないのでしょうか?

 私の知る限り、単に長期間に渡って一貫して同じ仕事をしてきたというだけで、職種限定合意の成立を認めることは容易ではありません。近時公刊された判例集にも、そうした裁判所の姿勢を推知できる裁判例が掲載されていました。大阪地判令5.3.31労働判例ジャーナル138-14 摂津金属工業事件です。

2.摂津金属工業事件

 本件で被告になったのは、情報機器・通信機器用ラック・ケースの設計、製造及びその販売等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、昭和39年生まれの男性で、平成元年7月21日に被告に雇用され、以降、令和2年3月31日までの間、被告本社のシステム課で、コンピューターシステムの構築及び管理等の業務に従事していた方です(その内3年間は経理課に所属していましたが、経理関係のシステム開発や運用上の問題点の検討等のシステム課の業務に近い業務に従事していました)。

 被告から令和2年4月1日付けでC工場製造部製造一課配属検査担当(C工場検査課)としての勤務を命じる配転命令(本件配転命令)を受け、その無効を主張し、C工場検査課で勤務する労働契約上の義務がないことの確認を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件の原告は、配転命令を無効とする法律構成の一つとして、職種をコンピューターの構築及び管理に限定する旨の合意が成立していたと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、職種限定合意の成立を否定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告に採用される前にシステムの管理等の業務に関連する国家資格を取得したことはなく、これに特化した専門的な職務経験を有していたものでもなかった・・・。すなわち、被告は、原告を採用するに当たり、原告が一定の資格を保有していることや、原告がシステムの管理等の業務に関わる特殊な技能や経験を有していることに着目してはいなかった。そして、被告は、原告を採用するに当たり、契約書を作成するなどして、原告の職種を特定のものに限定する旨を明らかにしてもいなかった・・・。被告の就業規則には、被告が業務上の都合により従業員の従事する業務を変更することができる旨の定めがあるところ・・・、被告が原告を採用するに当たり、原告との間で、上記の就業規則の条項を原告についてのみ排除する旨の合意をした可能性はうかがわれない。」

「原告が所属していたシステム課の職員は、他の部署に配置転換されることが必ずしも多くはなく、原告が本件配転命令を受けた令和2年頃の時点において50代半ばであったF及び40代前半であったGは、いずれも、被告に入社して以来、一貫して、システム課において勤務していた・・・。しかし、J、K及びLらのように、システム課に配属された従業員が他の部署に配置転換された例もあり・・・、他方で、HやQのように、他の部署に配属された従業員がシステム課に配置転換された例もある・・・。そして、本件全証拠によっても、システム課から他の部署への配置転換は、当該労働者がそのような配置転換を特別に希望した場合にのみ行われていたとの事実を認めることもできない。」

「このように、被告は、業務上の必要性を踏まえて、システム課に配属した従業員を他の部署に配置転換したり、他の部署に配属されていた従業員をシステム課に配置転換したりしているものであって、被告がシステム課に配属した従業員との間で、その専門性等を根拠として他の部署への配置転換を控える旨の合意をしている可能性はうかがわれない。」

「これに関し、原告は、

〔1〕『システム課の職員募集(コンピュータ要員)』との新聞の折込広告を見て被告の求人に応募したこと、

〔2〕コンピューター関連の国家資格を取得したこと・・・、

〔3〕システム課から他の部署への異動歴が30年以上なかったこと

等に鑑みれば、原告の職種をコンピューター関連専門職に限定する旨の本件合意が認められる旨主張するので、これについて検討する。」

「本件全証拠によっても、原告が被告の求人に応募する契機となった広告等の文面は明らかでないが、仮に、当該広告に『システム課の職員募集(コンピュータ要員)』との記載があったとしても、これは、採用後に最初に配属する部署や職務の内容を明らかにして労働契約の申込みの誘因を行うものにすぎない。広告に上記のような記載があったという事実のみをもって、被告が配置転換に係る就業規則の適用を排除する旨の明示又は黙示の合意をしたものと推認することはできない。」

「また、原告は、初級システムアドミニストレータ試験等に合格しているものの・・・、原告がこれらの国家資格を取得したのは、採用後20年程度の期間が経過した後であり、被告が上記資格に着目して原告をシステムの構築及び管理の専門職として採用したものでないことは明らかである。加えて、本件全証拠によっても、原告が資格を取得した後に契約内容の見直しが行われた形跡もうかがわれない。」

「そして、原告が長期間にわたりシステム課において勤務してきたことについては原告主張のとおりであるとしても・・・、被告が原告の保有する資格や特殊な技能・経験等に着目して原告を採用したものでないこと等の既に説示してきた事情に照らせば、原告が長期間にわたり同種の業務を担当してきたとの事実のみをもって、当事者間に原告の職種を限定する旨の明示又は黙示の合意が成立したものと認めることも困難である。」

「以上のとおりであって、本件全証拠によっても、原告の職種をコンピューター関連専門職に限定する旨の本件合意が成立したものと認めることはできず、これに反する原告の主張を採用することはできない。」

3.約30年働いていてもダメ

 以上のとおり、裁判所は、約30年に渡ってシステム関連一筋の業務に従事していたとしても、職種限定合意の成立は認められないと判示しました。

 医師やアナウンサーなど専門性が高いと自らが考えてきた一部職種を除き、裁判所は職種限定合意の認定に積極的ではありません。その姿勢は、長年同一の業務に従事してきた熟練労働者に対しても同じです。本件は、そうした裁判所の考え方を知るうえで、参考になります。