弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

PTSDの主張は容易には認められない

1.PTSDに罹患したという主張

 PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)とは、

「死の危険に直面した後、その体験の記憶が自分の意志とは関係なくフラッシュバックのように思い出されたり、悪夢に見たりすることが続き、不安や緊張が高まったり、辛さのあまり現実感がなくなったりする状態」

をいいます。

PTSD|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省

 ハラスメントが問題になる事件では、しばしばPTSDに罹患したという主張がなされます。しかし、そうした主張は、裁判所では、容易には認められない傾向にあります。裁判では、PTSDの概念が、かなり厳格に捉えられているからです。昨日ご紹介した、旭川地判令3.3.30労働判例ジャーナル113-38 旭川公証人合同役場事件も、PTSDに罹患したという診断書の信用性が否定された事件の一つです。労働者側の主張が認められなかった事例ではありますが、立証のポイントを理解するうえで参考になるため、紹介させて頂きたいと思います。

2.旭川公証人合同役場事件

 本件で被告になったのは、旭川公証人合同役場(本件役場)で公証人業務を行っていた方です。

 原告になったのは、公証人である被告との間で労働契約を交わし、書記として勤務していた方です。本件役場には、原告のほか、被告の妻であるC書記、D書記の3名が勤務していました。こうした職場において、被告から、多数回のメッセージの送信、身体的接触、性的言動等のセクシュアル・ハラスメント(セクハラ)行為や違法な退職勧奨を受けたとして、不法行為に基づく損害賠償を請求したのが本件です。

 損害論に関する主張の中で、原告は、

「被告の一連の言動によってPTSD及び不眠症を発症し、その旨診断を受け治療を受けている。」

と主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告の主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告の不法行為によってPTSD及び不眠症を発症したので、これらの治療に要した治療費の賠償も認められるべきである旨主張し、本件各診断書には、G医師が、原告に対し、同旨の診断をしたとの記載がある。もっとも、本件各診断書の内容を見ても、PTSDと診断されるためには、『実際にまたは危うく死ぬ、重傷を負う、性的暴力を受ける出来事』に対する曝露を要するとされるところ・・・、G医師は、セクハラ行為が上記出来事に当たると記載するのみで、この要件を充足していると判断した具体的な理由を示していない・・・上、原告が主張する被告の行為は、仮にその存在が全て認められたとしても、直ちに上記要件に該当するものとはいい難い。

「この点を措くとしても、本件各診断書は、被告によるメッセージ等の送信行為が終了してから少なくとも4か月が経過し、既に団体交渉の始まっていた平成31年2月以降に、原告の供述のみに基づいて作成されたものであり、本件各診断書の前提となったと考えられる原告の主張する被告の不法行為について、その全てを認定できないことは既に説示したとおりである。そして、被告によるメッセージ等の送信行為が終了した後、本件各診断書が作成されるまでには原告の息子の受験などの出来事もあり・・・、原告は、労働基準監督署による調査に対して、平成30年11月下旬頃から眠りが浅かったとする一方、不安が高まり動悸が激しくなったり、精神症状が著しくなったのは、被告に対して団体交渉の申入れをし、被告の態度や対応がどのように変わるか不安感が高まった後であると説明しており・・・、原告の精神症状が、被告の不法行為自体から生じたものといえるか疑問が残る。

「これらの事情に照らすと、仮に原告にPTSD及び不眠症その他の精神症状が認められたとしても、被告による前記・・・の不法行為とこれらの症状との間に相当因果関係があるとは認められない。」

3.PTSDの主張を通すにはポイントがある

 裁判所の判示から分かるとおり、PTSDの主張を通すには、幾つかのポイントを押さえておく必要があります。

 先ず、診断基準への該当性について判断過程の分かる形で説明されている医学的証憑が必要になります。雑駁に「PTSDと診断する。」とだけ書かれているような診断書だけでPTSDへの罹患を認定してもらうことは困難です。

 次に挙げられるのは、診断の前提となる事実関係が揺らがないことです。診断の基礎とされた事実関係が相手方の反証によって揺らいでしまうと、診断自体の正確性に疑義をもたれてしまいます。

 また、ハラスメントの終了から、あまり事案を置かずに医療機関を受診していることも重要です。PTSD症状は数か月~数年の後にはっきりとしてくることもあるため、受診までに時間がかかっているからといって、直ちに罹患が否定される疾患ではありません。しかし、本件のように受診していない期間にストレス因が生じてしまうと、ハラスメントとの因果関係が分かりにくくなってしまうからです。

 最後に挙げられるのが、入念な尋問リハーサルです。尋問で本来話す必要のないストレス因まで口を滑らせてしまうと、やはりハラスメントとの間の因果関係に疑義をもたれてしまいます。

 PTSDに罹患したことを裁判所に認定してもらうには、要所々々を的確に押さえて行くことが必要です。こうしたことを考えると、事件を組み立てて行くにあたっては、できるだけ早い段階から証拠収集、証拠形成について弁護士の関与があった方が望ましいように思われます。

 事件化するかどうかはいつでも決められます。しかし、流れてしまった時間は元には戻りません。ハラスメントを受けて苦しい思いをしている方に関しては、できるだけ早めに弁護士のもとに相談に行き、将来事件化する場合の勘所についてアドバイスを受けておくことをお勧めします。