1.ハラスメントに対する意識の高まりの反作用
令和2年6月1日、
「事業主は、職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であつて、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。」(労働施策総合推進法30条の2第1項)
などの法文を含む改正労働施策総合推進法が施行されました。
こうした法改正の影響もあり、パワーハラスメントに対する意識は年々深まりを見せ、従前よりも随分、被害の予防、被害者保護が図られるようになっています。
しかし、パワハラ防止指針(令和2年厚生労働省告示第5号「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」)が、
「就業規則その他の職場における服務規律等を定めた文書における職場におけるパワーハラスメントに関する規定等に基づき、行為者に対して必要な懲戒その他の措置を講ずること」
を要求していることに藉口して、行為者に対して苛烈な処分が行われる現象も散見されます。中には何年も前のハラスメント事件を掘り返して懲戒処分が行われる例もあります。
確かに、ハラスメントは厳正に対処されるべきです。しかし、それまで問題にされていなかったにも関わらず、何年も前の出来事を掘り返して懲戒処分を行うというのも、行き過ぎであるように思われます。
それでは、こうした古いハラスメント行為を理由とする懲戒処分について、何等かの歯止めはかからないのでしょうか?
この問題を考えるうえで参考になる裁判例が近時公刊された判例集に掲載されていました。水戸地判令4.9.15労働判例ジャーナル130-14 学校法人常磐大学事件です。
2.学校法人常磐大学事件
本件で被告になったのは、常盤短期大学(本件大学)を設置する学校法人です。
原告になったのは、昭和58年4月に被告に雇用され、平成22年4月から本件大学幼児教育保育学科(本件学科)の教授として勤務していた方です。複数の教員や学生に対するハラスメント行為を理由に停職1年間の懲戒処分(本件懲戒処分:令和2年6月1日~令和3年5月31日)を受けた後、その無効確認や停職期間中の賃金の支払を求める訴えを提起したのが本件です。
本件では被告から多数のハラスメント行為が摘示されていますが、その中に含まれていた教員fに対するハラスメント行為は、かなり古いものでした。
被告が主張したハラスメント行為は、次のとおりです。
・教員e(旧姓f)(以下「f」という。)に対するハラスメント行為
「原告は、fに対し、以下のハラスメント行為をし、それにより、fはうつ病を発症して被告を退職した。」
「原告は、組織上の指示命令系統下になかったfに対し、平成22年4月実施のティーパーティー(学生が親睦を深めるための集い)に関することなど、メールや電話で頻繁に仕事に関する指示を出し、分刻みでその達成状況を管理し、かつ職務範囲外の事項においても、fだけには報告・連絡・相談を徹底するよう強要した(以下『fハラスメント〔1〕』という。)。」
「原告は、平成22年頃、fに対し、内線で『今から研究室に来て』と呼び出し、fが研究室に向かうとストップウォッチを片手にふんぞり返った姿勢で椅子に座り、呼出しから来るまでの時間を計測していた。そして、来るのが平均よりも遅いと指摘し、短い説教をした。また、用件自体もメールや電話でやりとりできるようなものであった。(以下『fハラスメント〔2〕』という。)」
「原告は、平成22年4月22日頃、fに対し、電話で『あんたやっぱりとんちんかんだわ』と言った。また、『あんたがちゃんとやるんだよ』、『ちゃんと仕事してください』などと低い声で耳打ちをした。(以下『fハラスメント〔3〕』という。)」
これらfに対するハラスメント行為について、裁判所は、次のとおり述べて、懲戒事由に該当することを否定しました。なお、結論としても、本件懲戒処分は無効とされています。
(裁判所の判断)
「後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。」
「fは、平成22年4月から本件大学本件学科に助教として勤務していたが、平成23年12月17日、菊池整形外科医院の医師より、うつ病と診断され、平成24年3月で被告を退職した・・・。」
「fは、平成24年3月に被告を退職する際、当時の学長宛てに手紙を差し出しており、その手紙には原告から受けたパワハラの内容が記載されていたが、それだけでなく当時の副学長や学科長によるパワハラを訴える内容も記載されていた・・・。」
「当時の学長はfから上記手紙を受け取ったが、被告が、原告に対し、fが訴えた内容について、懲戒処分のみならず、何らかの指導・注意をしたことはうかがわれない・・・。」
「fハラスメント〔1〕ないし〔3〕につき、原告は、記憶がないとしてこれを否認するところ、事実関係は必ずしも明らかではないが、当時の学長宛てに作成した手紙やfの証言等に照らせば、fが、原告から業務等に関連して厳しい指導・注意を受けたことが一応うかがわれる。しかし、被告の主張自体からもそれが業務上必要かつ相当な範囲を超えるものであるか定かでない(『あんたやっぱりとんちんかんだわ』などの発言についても、適当でなく避けるべき表現ではあるが、威圧的であるとか侮辱的であるとまで直ちにはいえない。)。」
「また、fに対するハラスメントは、仮にこれが事実であったとしても、本件懲戒処分の時点で既に約10年が経過しており、遅くとも本件懲戒処分の約8年前には当時の被告の学長もfの訴えを同人作成の手紙により認識していたが、これに対して何らかの対応をしたことはうかがわれない。被告は、fの訴えが学長限りに留められた理由について、原告のみでなく、当時の副学長や学科長のハラスメントを訴える内容でもあったこと、fが既に平成24年3月31日で退職することとなっており、ハラスメントの申立てをしないと手紙に記載されていたことが理由であると説明するが・・・、これはfが当時の副学長や学科長に対してもハラスメントを訴えていたことから、退職の原因にはf自身にも問題があったなどと考えて同人の訴えを真剣には取り合わなかったと考えるのが自然であり、まして被告は平成26年12月には原告を学科長に任命したことからすると、被告において、fが退職に至った原因が原告によるハラスメント行為であると認識していたとは考え難い。このようにfの件について、少なくとも約8年間にわたり何ら調査、処分等がされていなかったにもかかわらず、本件に係るハラスメントの申立てをきっかけに突如として被告がこれを問題視することは、使用者として一貫性を欠く恣意的な対応と言わざるを得ず、これを停職という重大な処分の懲戒事由として主張することは失当というべきである。」
「以上によれば、これが本件就業規則73条3号の定める懲戒事由に該当するということはできない。」
3.極端に古いハラスメント行為の掘り返しは許されない
上述のとおり、裁判所は、fに対する古いハラスメント行為について「使用者としての一貫性を欠く恣意的な対応」であることを理由に、懲戒事由に該当することを否定しました。
古いハラスメント行為が掘り返される背景には、不審な動機、加害者と目された人に対する使用者側の悪意のあることが少なくありません。本裁判例は、恣意的な理由によるハラスメント行為の掘り返しを掣肘するために活用して行くことが考えられます。