1.精神障害の認定基準
精神障害であったとしても、業務上の疾病である限り、労災認定の対象になります。
ある精神障害が、業務上の疾病と認められるか否かについては、
平成23年12月26日 基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(最終改正:令和2年8月21日 基発0821第4号)
という基準に従って判断されています。
https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf
この認定基準では、
対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること
を業務上の疾病として取り扱うための要件にしています。
それでは「強い心理的負荷が認められる」場合とは、具体的には、どのような場合をいうのでしょうか?
この問題に答えるため、認定基準は、出来事毎に心理的負荷の強弱の目安を規定しています。例えば、
重度の病気やケガをした 強
悲惨な事故や災害の体験、目撃をした 中
といったようにです。
2.出来事が複数ある場合
心理的負荷を生じさせる出来事が複数ある場合、その中に一つでも「強」とされるものが含まれていれば、業務起因性の判断に、それほど迷うことはありません。
しかし、いずれの出来事も単独では「強」にならない場合、業務起因性の判断は不安定なものになります。
この場合、認定基準は、
「出来事が関連して生じている場合には、その全体を一つの出来事として評価することとし、原則として最初の出来事を『具体的出来事』として別表1に当てはめ、関連して生じた各出来事は出来事後の状況とみなす方法により、その全体評価を行う。
具体的には、『中』である出来事があり、それに関連する別の出来事(それ単独では『中』の評価)が生じた場合には、後発の出来事は先発の出来事の出来事後の状況とみなし、当該後発の出来事の内容、程度により『強』又は『中』として全体を評価する。」
「一つの出来事のほかに、それとは関連しない他の出来事が生じている場合には、主としてそれらの出来事の数、各出来事の内容(心理的負荷の強弱)、各出来事の時間的な近接の程度を元に、その全体的な心理的負荷を評価する。
具体的には、単独の出来事の心理的負荷が『中』である出来事が複数生じている場合には、全体評価は『中』又は『強』となる。また、『中』の出来事が一つあるほかには『弱』の出来事しかない場合には原則として全体評価も『中』であり、『弱』の出来事が複数生じている場合には原則として全体評価も『弱』となる。」
と述べています。
つまり、心理的負荷「中」の出来事が複数ある場合、全体的な心理的負荷は「強」になる場合と「中」のままである場合に分かれることになります。
この「強」になる場合と、「中」のままである場合が、どのように振り分けられているのかは、今一良く分かっていません。ただ、個人的な経験・観測範囲においては、「弱」や「中」の事実は、幾ら集めても、なかなか「強」にはならない傾向があるように思われます。
しかし、近時公刊された判例集に、心理的負荷が「弱」「中」「中」の組み合わせであるにもかかわらず、精神障害とそれに続く自殺の業務起因性が認められた裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、札幌地判令2.10.14労働判例1240-47国・札幌東労基署長(カレスサッポロ)事件です。
3.国・札幌東労基署長(カレスサッポロ)事件
本件は、吃音の看護師Cの自殺が、業務による心理的負荷が原因となって発症した精神障害に起因するものなのかが争われた事件です。
原告になったのは、Cの父親です。労災保険法に基づいて遺族補償給付及び葬祭料を請求したところ、処分行政庁から不支給決定を受けました。その後、審査請求、再審査請求が棄却されたことを経て、取消訴訟を提起しました。
この事件では、心理的負荷を生じさせる出来事として、三つの項目が検討の対象になりました。
具体的には
ア.本件説明練習を含む指導担当者によるCに対する指導等
イ.Gとの面談において、課題を指摘され、また、試用期間が延長となったこと
ウ.患者からの苦情を受けていたこと
の三項目です。
裁判所は、各項目の心理的負荷について、次のとおり「弱」「中」「中」と評価しました。
(項目ア)
「本件説明練習は、口頭での説明やコミュニケーションを苦手とする新人看護師(C)が、上司(H等の指導担当者)の指導の下、患者への説明を正確かつ分かりやすくできるよう、これに先立って事前に練習を行うものであり、職務上必要なものである。また、その他の指導担当者によるCに対する指導及び叱責も、業務上のミス等に対するものであって、職務上必要なものであるといえる。したがって、そのような説明練習や指導等を行うこと自体が不合理なものではない上、これまで認定説示してきた本件説明練習や指導等の態様及び内容等に照らしても、新人看護師に対する業務指導の範囲内のものであったと認められる。そして、本件説明練習を含めた指導担当者によるCに対する指導等が行われたことにより、CとH等の指導担当者との間に、客観的な対立が生じていたとまでは認められないことからすれば、Cと同種の労働者を基準として、心理的負荷の程度は『弱』と認める」
(項目イ)
「Cは、第4病棟に配属されて以降、他の新人看護師と比べて、他の看護師に対する報告や調整をきちんと行うように指導されることが多かったところ・・・、報連相は、新人看護師に対して通常求められる事柄であり、また、Cのきつ音の症状は、主に緊張する場面や初対面の者に対応する場面で現れており・・・、日常的に接している他の看護師への報告等の場面はこれとは異なると考えられ、きつ音を有することが報連相を行うに当たって直ちに支障となるものとまではいえないことをも踏まえると、報連相の実施については、Cと同種の労働者にとって達成可能な課題を示されたものということができる。」
「また、採血や注射等の技術の習得についても、新人看護師に対して通常求められる以上の高度な水準を求められていたものでもないから、Cと同種の労働者にとって達成可能な課題というべきである。」
「さらに、患者とのコミュニケーション問題についても、Cは、患者への説明の際、緊張することがなければ言葉が突っかかることはなかったし、緊張が強いられるような患者についてはCの担当としないといった対応も取られていたこと(同前)、や、本件説明練習の目的は、Cがきつ音の症状を全く出すことなく、説明板の文章を滞りなく読めるようになることではなく、Cに対してそのようなことは求められていなかったこと・・・からすると、やはり、Cと同種の労働者であれば達成可能な課題を示されたものといえる。」
「そうすると、客観的にみて、Cと同種の労働者にとって、Gとの面談で示された各課題の達成に向けて従事しなければならない業務内容が質的に重大であるとまではいい難いところである。他方、これらの課題は、Cが当初の試用期間である3か月の間に求められる水準に達しなかったものであるところ、延長された試用期間は、その3分の1である1か月間であり、Gから、どの程度課題が達成されれば本採用されるかなどの具体的なことは示されておらず、Cにおいて、これが達成できなかった場合には解雇(解約)もあり得ると考えられる状態であったところ、Cと同様の立場に置かれた同種の労働者を基準としても、上記のような課題が示された不安感等による心理的負荷はある程度強いものであったといえる。」
「また、Cは、正規社員として本件法人に雇用され、雇用契約上、留保解約権の存在が明示されていたところ、2回目の面談において、Gから、延長された試用期間終了後の自己の処遇についての明言はなく、不安定な状態に置かれたといえる。また、Cは、本件病院への採用時34歳と新社会人としてはやや高齢であることからすれば、本件病院での勤務が継続できなくなった場合の再就職に対する不安は大きかったとも考えられる。そして、上記のとおり、Cは、当初の試用期間である3か月の間に、通常の新人看護師であれば到達すべき水準に達していない事項があったことも踏まえると、試用期間の延長により、示された課題につき水準に達することができずに解雇(解約)される可能性が、ある程度現実的に認識できる状態になったと認められるところ、このことは、Cと同種の労働者を基準としてその心理的負荷の程度を考えてみても、別表1において『弱』とされている『非正規社員である自分の契約満了が迫った』よりも強いものというべきである。」
「以上を踏まえると、Gとの面談において、課題を指摘され、また、試用期間が延長となったことを全体としてみると、心理的負荷の程度は『中』と認める」
(項目ウ)
「患者が、Cによる説明に関して苦情を申し入れた際には、そのときCを指導している看護師が患者に対して説明するなどの対応や、Cを当該患者の担当から外すようにし、Cには、Cが緊張するような威圧的な患者を避け、比較的温厚な患者や、同じ患者を担当させるという対応が取られていた・・・。C自身が、患者からの苦情への対応のために困難な調整に当たることはなかったものの、苦情の内容は、看護業務を遂行に当たって非常に重要な患者への説明内容や患者との信頼関係に関するもので、その数も少なくなかった上、Cの業務にも、患者の担当を外されたり、対応可能な患者が限定されたりするなどの影響があったほか、他の新人看護師は行っていない本件言換練習が必要となったことにも関係しているということができ、患者の苦情を受けて、Cの業務内容や業務量には相応の変化が生じていたというべきである。以上を踏まえると、Cと同種の労働者を基準として、患者からの苦情を受けていたことについて、その心理的負荷の程度は『中』と認める」
そのうえで、裁判所は、次のとおり総合評価し、精神障害及び自殺の業務起因性を認めました。
(裁判所の判断)
「上記ア~ウで説示した出来事は、一つの出来事のほかに、それとは関連しない他の出来事が生じている場合に当たるから、主としてそれらの出来事の数、各出来事の内容(心理的負荷の強弱)、各出来事の時間的な近接の程度を元に、その全体的な心理的負荷を評価することになる・・・」
「本件においては、3か月程度の期間内に、別表1における心理的負荷の強度が『中』と認められる上記イ(Gとの面談関係)及びウ(患者からの苦情関係)の各出来事が存するところ、上記ウの出来事による相応に重い心理的負荷が生じていた状況において、さらに、患者とのコミュニケーション問題を含む課題を提示され、これを改善しなければ本件病院での勤務を継続できなくなるかもしれず、その時期も迫っているという上記イの出来事による心理的負荷が加わったものである。そして、これらの出来事と重なる時期に、上記ア(指導担当者による指導等関係)による心理的負荷があったと認められることにも鑑みると、上記ア~ウの出来事に係る全体的な心理的負荷の程度は、Cと同種の労働者にとって、精神障害を発病させる程度に強度のものであったと認めるのが相当である。」
(中略)
「以上によれば、Cの精神障害の発病は、Cの業務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価できる。そして、業務によりICD-10のF0からF4に分類される精神障害を発病したと認められる者が自殺を図った場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、あるいは自殺行為を思いとどまる精神的抑制力が著しく阻害されている状態に陥ったものと推定できるから・・・、Cの死亡(自殺)も、Cの業務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価でき、業務起因性が認められる。」
4.「強」がなくても業務起因性が認められることはある
上述したとおり、個人的経験・観測の範囲内では、「弱」や「中」の出来事は、幾ら集めても、なかなか「強」のレベルには達しません。
しかし、本件は、「弱」「中」「中」という組み合わせであったにもかかわらず、精神障害の発症及び自殺との業務起因性を認めました。
Cは障害者(流暢性障害・吃音)でしたが、昨日紹介したとおり、心理的負荷は通常の新人看護師を基準に評価するとされています。そのため、「弱」「中」「中」という組み合わせでも業務起因性が認められたのは、被災労働者が障害者であったからだというわけではないように思われます。
本件は「強」になる出来事がないとして労災が認められなかった方が、労災認定を勝ち取ってゆくにあたり、参考になります。