1.通勤手当の距離要件
通勤手当の支給にあたり、
「住居から勤務地までの距離が○km未満なら通勤手当は支給しない」
といったように、一定の距離が支給要件とされていることがあります。
https://j-net21.smrj.go.jp/startup/manual/list8/8-1-21.html
この距離について、道路距離なのか、公共交通機関を利用した場合の移動距離なのかが、明確に定義されていないことがあります。
そうした場合、距離要件は、道路距離で考えられるのでしょうか? それとも、公共交通機関を利用した場合の移動距離で考えても良いのでしょうか?
この問題を考えるにあたり、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介した、大阪地判令2.3.13労働判例ジャーナル101-32 社会福祉法人稲荷学園事件です。
2.社会福祉法人稲荷学園事件
本件で被告になったのは、保育園(本件保育園)を運営する社会福祉法人です。
原告になったのは、被告で保育士として勤務していた方です。在職中に通勤手当が減額・不支給になったとして、本来もらえずはずであった通勤手当との差額を請求しました。
被告が通勤手当をカットしたのは、賃金規程の定め方が関係しています。
具体的に言うと、被告の賃金規程上、通勤手当は、
「最短の公共輸送機関を利用して計算し、2km以上の地域より通勤するものに対しては、1カ月あたり20,000円を限度として全額支給する。ただし、交通用具使用者(自転車等)は、1カ月あたり4,100円とする。」
と定められていました。
原告の通勤距離は、公共交通機関を利用すれば3.3kmと、支給要件を充足していました。しかし、道路距離では1.7kmと支給要件が充足されていませんでした。これを根拠として、被告は通勤手当の減額・不支給に及びました。
この論点について、裁判所は次のとおり判示し、公共交通機関を利用した通勤距離で計算することを認めました。
(裁判所の判断)
「被告の賃金規程上『最短の公共輸送機関を利用して計算し、2km以上の地域より通勤するものに対しては、1カ月あたり20、000円を限度として全額支給する。』との定めがあること・・・、原告宅から本件保育園までを公共交通機関を利用して移動したときには、その移動距離は2kmを超えるものになること、原告はそのような公共交通機関を利用して本件保育園に通勤していたこと・・・、被告は、原告に対し、本件雇用契約の締結直後から通勤手当を支払っていたこと、運賃改定に伴うものとみられる通勤手当の増額があったこと・・・等といった事情が認められる。そして、被告は、原告宅と本件保育園までの道路距離(ほぼ直線距離に近いもの)が1.7kmである旨の証拠・・・を提出するなどしているが、原告が選択した通勤方法ないし経路・・・について、『最短の公共輸送機関を利用して』との賃金規程の定めの趣旨に反するまでの不合理さは認められず、そのような経路を前提とすれば、賃金規程の定めに示された距離要件を欠いているとも認められない。これに、原告及び被告がともに長期間にわたり通勤手当の支給を前提とした行動をしていたと評価し得る状況があることを併せ考慮すれば、本件雇用契約には、その約定として原告主張に係る通勤手当の支払が含まれているものと認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。これに反する被告の主張は採用できないものである。」
3.案外問題になりやすい通勤手当の支給要件
通勤手当の支給要件は、金額が少ない割には問題になりやすいという印象を持っています。それは距離の測り方が多義的であることと、裁判所が金銭が絡む不正行為に厳しい姿勢をとっていることが関係しているのではないかと思います。
裁判所には金銭的な不正行為を重くみる傾向があり、
「横領・背任、取引先へのリベートや金品の要求等の金銭的な不正行為、・・・は職場規律違反として懲戒事由となる。金銭的な不法行為の事例では、額の多寡を問わず懲戒解雇のような重大な処分であっても有効性は肯定されやすい」
と理解されています(第二東京弁護士会労働問題検討委員会『2018年 労働事件ハンドブック』〔労働開発研究会、第1版、平30〕221頁)。
そのため、通勤経路が多義的であることと相まって、事業主が関係性の悪化した労働者を追い出そうとするとき、通勤手当は粗になりやすいのです。
本件は、
「最短の公共輸送機関を利用して計算し」
との文言から公共交通機関を利用した距離であるとの帰結を導きやすい事案ではありましたが、裁判所は、
「賃金規程の定めの趣旨に反するまでの不合理さは認められず」
といったように金規程の趣旨との関係で合理性を有するか否かを判断基準として、原告の主張する通勤経路が距離要件を充足するのか否かを判断しました。問われるのが、最短距離ではなく、合理性の幅の範疇に収まっている通勤経路をとった場合の距離であることを明らかにした点に本件のポイントがあります。
手当の不正受給のケースでは、懲戒解雇を無効とした事例も少なからず存在します(前掲『2018年 労働事件ハンドブック』225頁参照)。それは、手当の不正受給類型においては、使用者側からの言い掛かり的なケースが相当数含まれていることも影響しているのではないかと思います。
この裁判例は、従前問題視されることなく通勤手当の支給対象になっていたはずなのに、勤務先から突然最短距離を基準に通勤手当の不正受給を指摘されたといった場面などにも、活用できる可能性を持っているのではないかと思われます。