弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

違反事実申告に対し、労基署に監督権限を行使する義務はあるか?

1.違反事実申告

 事業場に労働基準法に違反する事実がある場合、労働者は労働基準監督署に違反事実を申告することができます(労働基準法104条1項)。

 それでは、申告を受けた労働基準監督署は、申告をした労働者との関係で、何らかの監督権限を行使する義務を負うのでしょうか? 労働者は監督権限の行使を権利として要求することができるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判平29.5.12判例タイムズ1474-222です。

2.東京地判平29.5.12判例タイムズ1474-222

 本件は労働基準監督官に対して労働基準法104条1項に基づく違反事実申告をした原告が、監督権限を適正に行使しなかったとして、国を相手に国家賠償請求訴訟を提起した事案です。

 労働基準法104条1項に基づく違反事実申告を受けた場合に、労働基準監督官が何等かの作為義務を負うのかが論点の一つになりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、作為義務の存在を否定し、原告による国家賠償請求を否定しました。

(裁判所の判断)

労働基準法104条1項に基づく申告は、労働者が労働基準監督官に対して事業場における同法違反の事実を通告するものであるが、同法は、同条2項において使用者が同条1項の申告したことを理由として労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならないと定めるのみで、その申告手続や申告に対応する労働基準監督官の措置について別段の規定を設けていないことに照らすと、少なくとも当該申告をした労働者個人との関係において、労働基準監督官に対し、当該申告に対応して調査等の措置をとるべき職務上の作為義務まで負わせたものと解することはできない。したがって、同法104条1項に基づく申告をした労働者が、当該申告を契機として労働基準監督官が事業場に対しその監督権限を行使したことにより、結果的に当該申告をした労働者が利益を享受することがあったとしても、それは、反射的にもたらされる事実上の利益にとどまり、法律上保護された利益ではないというべきであるから、当該申告をした労働者は、当該申告を受けた労働基準監督官による調査等の措置が適正を欠くこと等を理由として国家賠償法の規定に基づく損害賠償請求をすることはできないといわざるを得ない上、本件においては、前記前提事実のとおり、本件申告がされた後、B監督官においてAに対して事情聴取を実施した上で一部是正するよう勧告を行うなど、実際に労働基準監督官による調査等の措置が講じられており、その調査や監督権限の行使の如何について、B監督官やC監督官、あるいは当時の町田支署の支署長においてその裁量権を濫用したということのできるような事情を認めるに足りる証拠はないことからすると、本件申告処理の終了が違法に原告に損害を加えたということはできず、原告の被告に対する国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求権を認めることはできない。

3.監督権限不行使を問題にしたくなることもあるが・・・

 労働基準監督署が適切に監督権限を行使してくれない時に、これを何等かの形で問題にしたいと思うことは実務上なくはありません。

 しかし、裁判所は、裁量濫用の場合に例外があることを示唆してはいるものの、違反事実申告に対する作為義務があることを否定したうえ、

「当該申告をした労働者は、当該申告を受けた労働基準監督官による調査等の措置が適正を欠くこと等を理由として国家賠償法の規定に基づく損害賠償請求をすることはできない」

と国家賠償の途を事実上塞いでしまいました。

 労働基準監督署の監督権限の不行使に司法的統制を及ぼす方法を閉ざして、本当にそれでいいのかという感覚はありますが、現行実務上、監督権限の不行使を国家賠償請求で争うハードルが極めて高いことは、覚えておく必要があるだろうと思います。