弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

従業員数が10人以上になった時、それまで存在していた就業規則は労働者過半数代表者からの意見聴取をしなくても有効になるのか?

1.就業規則の作成・変更にあたっての意見聴取義務

 労働基準法89条は、

常時十人以上の労働者を使用する使用者は、次に掲げる事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならない。次に掲げる事項を変更した場合においても、同様とする(以下略)」

と規定しています。

 また、労働基準法90条は、

使用者は、就業規則の作成又は変更について、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者の意見を聴かなければならない。」(第1項)
「使用者は、前条の規定により届出をなすについて、前項の意見を記した書面を添付しなければならない。」(第2項)

と規定しています。

 労働基準法90条に規定されいてる「就業規則」は、この条文が労働基準法89条を受けた条文であることから「就業規則一般をいうのではなくて、常時10人以上の労働者を使用する事業場における就業規則」(厚生労働省労働基準局編『労働基準法 下』〔労務行政、平成22年版、平23〕906頁参照)であると理解されています。

 要するに、常時10人以上の労働者を使用する使用者は、労働者過半数代表者からの意見を聴取したうえで、就業規則を作成する義務があります。

 他方、常時10人未満の労働者を使用するにすぎない使用者は、就業規則の作成にあたり、労働者過半数代表者からの意見を聴取する必要もなければ、就業規則を行政官庁に届け出る義務もありません。

 それでは、常時10人未満の労働者を使用する使用者が労働者過半数代表者から意見を聴取せずに作成した就業規則について、その後、従業員数が常時10人以上に増加したにもかわらず、事後的に労働者過半数代表者からの意見聴取等を行わなかった場合、元々存在していた就業規則の効力は、どのように理解されるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が掲載されていました。大阪地判令5.10.5労働判例ジャーナル143-34 スマット事件です。

2.スマット事件

 本件は労働者が申し立てた仮処分事件です。

 債務者になったのは、薬局を設置する有限会社です。

 債権者になったのは、平成22年6月に債務者との間で期間の定めのない雇用契約を締結し、瓜破あさひ薬局で薬剤師として働いていた方です。令和5年6月2日付けで債権者からスマット薬局への配転命令を受けたものの、当該配転命令は無効であるとして、同薬局での就労義務のない地位を仮に定めることなどを申立てました。

 瓜破あさひ薬局の従業員数は元々10名未満でしたが、令和元年6月に10名に達しました。本件の原告は、配転命令権の根拠が就業規則にあることを踏まえ、

「瓜破あさひ薬局について、従業員が10名であった期間があることに鑑みると、同薬局について、労働基準法89条1項に基づく届出等(等の中に労働者過半数代表者からの意見聴取が含まれる趣旨だと思われます 括弧内筆者)が必要であるにもかかわらず、同薬局との関係での届出はされておらず、同薬局従業員にとの関係で就業規則は適用されない。」

と主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、就業規則の効力に問題はないと判示しました。結論としても、配転命令の有効性を認め、債権者側の申立てを却下しています。

(裁判所の判断)

「労働基準法89条1項、90条によれば、使用者は、常時10人以上の労働者を使用する事業場につき、その労働者過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数代表者の意見を聴いたうえで、就業規則を作成し、これを労働基準監督署に届け出る行政上の義務を負っている。また、使用者は、常時10人以上の労働者を使用するとはいえなかった事業場において、常時10人以上の労働者を使用するに至ったときは、遅滞なく、就業規則の届出を所轄する労働基準監督署長にしなければならないものとされている(労働基準法施行規則49条1項)。」

「本件についてこれをみるに、瓜破あさひ薬局について令和元年5月までは常時10人以上の労働者を使用する事業場には当たらず、同薬局との関係で債務者は就業規則作成義務、労働者過半数代表からの意見聴取義務及び就業規則届出義務を負わなかったものの、同年6月以降の従業員数の推移に照らすと、その頃、同薬局は常時10人以上の労働者を使用する事業場に該当するに至ったというべきであって、債務者は遅滞なく同薬局の労働者過半数代表から本件就業規則について意見を聴いた上で、本件就業規則を大阪南労働基準監督署長に対する就業規則の届出をすべき義務があったもののこれを怠ったといわざるを得ない。

しかしながら、本件就業規則作成時や発効日には瓜破あさひ薬局との関係で労働基準関係法令への抵触があったとは認められないから、本件就業規則の発効により、本件就業規則は債権者・債務者間の労働契約の内容となっている(債権者は就業規則の不利益変更を指摘するが、上記認定事実・・・に照らせば、配転命令の関係で就業規則の不利益変更があったとは認められない。)。そして、その後就業規則の過半数代表からの意見聴取義務や労働基準監督署長への届出義務の不履行という後発的な手続的瑕疵により、債権者・債務者間の労働契約の内容から本件就業規則に係る部分が失効すると解すべき法的根拠は見出し難い。

「よって、債務者は、本件就業規則に基づき、瓜破あさひ薬局の従業員に対し配転命令を発する権限を有している。」

3.「後発的な手続的瑕疵」にすぎないから処分を取消してはダメ

 以上のとおり、裁判所は、労働者過半数代表者からの意見聴取をしていないことについて、「後発的な手続的瑕疵」にすぎないとして、本件就業規則は失効しないと判示しました。

 意見聴取の手続は労働者が自分達の利益を就業規則に反映させるための機会であり、重要な意味を持っています。「後発的な手続的瑕疵」にすぎないとして就業規則の効力と切り離すことには疑問がありますが、本論点についての裁判例として、参考になります。