1.セクシュアルハラスメント(セクハラ)に対応する義務
平成18年厚生労働省告示第615号「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(令和2年6月1日適用)は、 事業主に対し、
セクハラに関する労働者からの相談(苦情を含む)に応じ、適切に対応するために必要な体制を整備することや、
事後に迅速かつ適切な対応をとること
などを義務付けています。
しかし、いくら体制の整備や事後対応が義務付けられていたとしても、内部のシステムであることから、法人の代表者を始めとする有力者のセクハラに対しては十分に機能しないことが少なくありません。
それでは、セクハラ被害にあった労働者は、事業主から組織として適切な対応をしてもらえなかった場合、どのような手段をとることができるのでしょうか?
幾つかの手段が考えられますが、その中の一つに、職場環境を整備・維持すべき義務、適切な事後対応をとるべき義務に違反したとして、事業主に対して損害賠償を請求することがあります。一昨日、昨日とご紹介している名古屋地判令5.1.16労働判例ジャーナル133-12 医療法人愛整会事件は、この職場環境を整備・維持すべき法的義務への違背との関係でも特徴的な判断を示しています。何が特徴的なのかというと、直接の加害者よりも、組織として不十分な対応しかしなかった法人の方に多額の慰謝料の支払い義務があると判示している点です。
2.医療法人愛整会事件
本件で被告になったのは、整形外科や訪問看護事業を行っていた医療法人(被告法人)と、その理事長であった医師(被告A)です。
原告になったのは、平成27年4月に被告法人が運営する病院に医療事務担当職員として雇用され、令和元年12月21日まで同病院の職員の地位にあった方です。被告Aから、
二の腕を服の上から掴まれる、
肩に手を回され抱き寄せられる、
足で足に触れられる、
腰を抱き寄せられる、
脇腹のあたりを指で軽く突かれる、
脇に手を回され抱き寄せられる、
すれ違いざまに側面に抱きつかれる、
胸ポケットにあったボールペンを直接取られる、
使用したボールペンを取ろうとした手を握られる、
二の腕を触られる、
などのセクシュアルハラスメント行為を受けたとして、
被告法人に対しては、適切な対応をしなかったこと等を理由に安全配慮義務違反に基づいて(第一事件)、
被告Aに対しては不法行為に基づき不法行為に基づいて(第二事件)、
それぞれ慰謝料等を請求しました。
裁判所は、被告Aによるセクハラ(不法行為)を認めたうえ、次のとおり述べて、被告法人の責任も肯定しました。
(裁判所の判断)
「一般に、使用者は、雇用契約上、従業員に対し、良好な職場環境を整備、維持すべき法的義務を負うところ、セクハラの防止に関しても、上記認定の指針(厚生労働省告示)の存在や、昨今のセクハラについての社会の認識等を踏まえれば、職場におけるセクハラへの対処方針を明確にし、これを周知徹底するべく種々の啓発活動を行うことに加え、個々の申出に対しても適切に対応する義務を負うというべきであり、このような義務に違反してセクハラ行為を招いた場合、行為者自身の責任とは別に、使用者自身も安全配慮義務違反による責任を免れないと解される。」
「これを本件についてみると、被告法人は、原告から本件訴えのあった当時、被告病院の就業規則においてセクハラ行為を行うことを禁じる趣旨の規定及びセクハラ行為を行った場合の解雇に関する一般的な定めを置いていたことが認められ、さらに、職員からの苦情に対応、処理する機関である院内委員会が存在していたことが認められる・・・。」
「しかしながら、被告法人が原告のセクハラの申出を正式な苦情として処理し、院内委員会の審議に上程したとは認められず、院内委員会が原告からの申出に対して有効に機能したとは言い難い。」
「また、被告法人は、原告の複数回にわたる訴えに対し、まずもって重要と思われるべき、被害者とされる者(原告)や関係者(上司である■等)、加害者とされる者(被告A)に対する詳細な聞き取り調査などを行わず、被告Aに対しては、セクハラ行為の訴えがあるから気を付けてほしいという極めて抽象的かつ中途半端な対応をするにとどまり、組織としてセクハラの訴えがあった際の対応としては全く不十分と言わざるを得ない。原告と■との令和元年11月21日の面談も、原告の訴えを真摯に聞いて対応するためのものというより、当時の医事課内部の人員不足による多忙さに対する被告法人(■)から原告への謝意等が話題の中心であり、被告法人としてはセクハラに対する聞き取りとしての意図を有していなかったことがうかがわれ、甚だ不十分である。これらの被告法人の原告の申出に対する対応は、被告法人自体のセクハラ防止に関する意識の低さを如実に示すものであって、良好な職場環境を整備、維持すべき法的義務に反するものということができ、被告法人は、原告に対し、安全配慮義務違反があるというべきである。また、被告法人が主張する過失相殺についても、過失相殺をすべき事情は認められず、採用できない。」
(中略)
「被告Aの原告に対する行為態様は、身体的接触を伴い、複数回にわたるものではあるとはいえ、わいせつ性の程度は高くなく、悪質なものとはいえない。」
「他方で、原告の訴えに対する被告法人の対応がセクハラの申出に対する対応として著しく不適当であったことは先に述べたとおりであり、本件では、被告法人の対応それ自体に対する慰謝料も発生するというべきである。そして、原告は、被告Aからのセクハラ行為及び被告法人に対する複数回に渡る被害申告の申出の後、急性ストレス反応との診断を受け、さらに令和元年12月31日には被告病院を退職するに至っているところ、これについては、当時の医事課が多忙であったことからくるストレスや原告の元々の心的要因も影響していると推認されるとはいえ、被告法人が十分な対応を取らなかったことが一定程度影響したと言わざるを得ず、被告法人の対応が退職の一つの契機となった点は慰謝料の増額事由として考慮する。もっとも、退職や転職それ自体は原告が自由に決定できる事項であるから、原告が主張するような逸失利益的な側面を考慮することはできない。」
「以上の点を踏まえれば、原告の精神的苦痛に対する慰謝料としては、第1事件について70万円、第2事件について30万円をもって相当と認める。」
3.第1事件の方が第2事件よりも慰謝料が高い
本件の特徴的なところは、法人に対する責任追及を問題にする第1事件の方が、直接の加害者である代表理事に対する責任追及を問題にする第2事件よりも高額の慰謝料の支払いが命じられているところです。
一般論としていうと、法人の代表者のセクシュアルハラスメントが問題になる場合、法人の職場環境整備・維持義務、職場環境配慮義務、職場環境調整義務、安全配慮義務などと呼ばれている法的義務を別途問題にする実益は少ないと考えられてきました。なぜなら、代表者の不法行為に対しては、法人も連帯して責任を負う旨の条文が存在することが多いからです。
例えば、会社法350条は、
「株式会社は、代表取締役その他の代表者がその職務を行うについて第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。」
と規定しています。
また、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律78条は、
「一般社団法人は、代表理事その他の代表者がその職務を行うについて第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。」
と規定しています。
医療法46条の6の4は上記一般社団法人及び一般財団法人に関する法律78条を準用しています。
このような建付けになっているため、被害者は代表者の不法行為とその職務関連性さえ立証すれば、法人にも代表者と同様の法的責任を追及することができます。法人に責任追及をするにあたり、敢えて法人固有の義務違反を問題にする実益は乏しいと考えられてきたのは、そのためです。
しかし、本件の裁判所は、被告法人に対し、直接の加害者である被告Aよりも高額の慰謝料を認定しました。このような解釈があり得るとなると、代表者のハラスメントに対し、会社法350条等を活用していた従来の実務が一変する可能性があります。
今後、法人代表者のハラスメントを問題にする事件において、労働者側としては、会社法350条等に安易に飛びつくのではなく、法人固有の義務違反を検討することが必要になってくるかも知れません。