弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

オープンスペースでのセクハラの立証-目撃証人がいない・目撃者がいないという指摘への反論

1.セクシュアルハラスメントの特徴

 一般論として言うと、セクシュアルハラスメント(セクハラ)は、第三者の目に触れない場所・態様で行われる傾向にあります。

 しかし、オープンスペースなど、第三者が視認可能な場所で行われることもないわけではありません。

 では、このような場合に、セクハラの立証が容易になるかというと、必ずしもそうはなりません。セクハラは権力を有している人が権力のない人に対して行われることが普通だからです。セクハラが行われていることに気付いていた人がいたとしても、権力者からの報復が懸念されるため、見て見ぬふりをされたり、証言を断られたりすることは少なくありません。

 立証できないだけならまだいいのですが、オープンスペース型のセクハラを訴えると、目撃証人を確保しにくい実情に乗じた被告加害者側から、

オープンスペースで行われたと言いながら目撃者がいないのは不自然である、

原告被害者側は敢えて嘘を吐いている、

といった趣旨の反論を受けることがあります。

 このような反論に対し、目撃証人を確保できないまま提訴に踏み切らざるを得なかった被害者側は、どうすれば再反論することができるのでしょうか? 昨日ご紹介した名古屋地判令5.1.16労働判例ジャーナル133-12 医療法人愛整会事件は、この問題を考えるうえでも参考になる判断を示しています。

2.医療法人愛整会事件

 本件で被告になったのは、整形外科や訪問看護事業を行っていた医療法人(被告法人)と、その理事長であった医師(被告A)です。

 原告になったのは、平成27年4月に被告法人が運営する病院に医療事務担当職員として雇用され、令和元年12月21日まで同病院の職員の地位にあった方です。被告Aから、医事課事務室内等のオープンスぺスにおいて、

二の腕を服の上から掴まれる、

肩に手を回され抱き寄せられる、

足で足に触れられる、

腰を抱き寄せられる、

脇腹のあたりを指で軽く突かれる、

脇に手を回され抱き寄せられる、

すれ違いざまに側面に抱きつかれる、

胸ポケットにあったボールペンを直接取られる、

使用したボールペンを取ろうとした手を握られる、

二の腕を触られる、

などのセクシュアルハラスメント行為を受けたとして、

被告法人に対しては、適切な対応をしなかったこと等を理由に安全配慮義務違反に基づいて、

被告Aに対しては不法行為に基づき不法行為に基づいて、

それぞれ慰謝料等を請求しました。

 本件はセクハラ行為を裏付ける客観的な証拠が多く残っているわけではないうえ、目撃証人も確保できておらず、被告Aもセクハラ行為の存在を否認しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告の供述の信用性を認めました。

(裁判所の判断)

「(1)当裁判所は、上記に認定した通り、被告Aの原告に対する複数のセクハラ行為があったと認定した。」

「被告Aは、原告の主張する各セクハラ行為の存在を否認し、かつ、本件では、セクハラ行為を裏付ける客観的な証拠が必ずしも多くないという面がある。したがって、原告の当裁判所における供述の信用性の吟味を中心としつつ、具体的に検討する。」

「(2)原告供述の客観的証拠・争いのない事実との一致」

 原告は、令和元年11月14日のセクハラ行為については、直後に■に対して被害を申告する内容のメッセージを送っていることが認められ、同事実自体からセクハラ行為の存在が相当程度推認されるところである(甲18)。また、原告は、令和元年11月21日の原告と■との面談において、■に対して被告Aのセクハラ行為を訴え、これに対し、■は、被告Aが一定のセクハラ行為を行っていること、看護師側からも被害申告があったことを前提とした発言をしている。被告Aは、この■の発言について原告に同情する文脈で述べた、あるいは原告を慰留するために述べたのではないかと供述するが(被告A本人28頁)、会話の流れ全体を見ると、■は当時の心情をありのままに語っており、被告Aのセクハラ行為が収まらないことについて諦めに近い感情を抱いていることが見て取れ、殊更にセクハラの被害内容や申告を誇張したものとは認めがたい。そして、原告の被害申告から間もない時期に原告と■との間でこのようなセクハラ行為を前提とした会話がされていること自体、セクハラ被害にかかる原告供述の信用性を高めるものである。」

「イ 原告のセクハラ行為の被害申告に関する供述のうち、令和元年5月、令和元年8月20日、令和元年11月21日の申告について、その日あるいはそれに近い時期に原告から被告法人に対して被害申告がされたことは被告らも認めるところであり、また、令和元年11月20日の岡崎警察署への被害相談も、客観的証拠(甲12)から認められる。原告は、被告Aや被告法人への個人的な恨みや悪感情があったとは認められず、殊更に虚偽の申告をして被告らを陥れようとする動機があったとはいえない。このように、被害申告の日時や内容について争いがないか客観的な証拠と一致していること自体、『前提となる被害内容にかかる供述の信用性があることを推認させるものである。』」

「(3)原告供述の内容について」

「ア 原告の供述内容について検討すると、まず、被害日時は、概ね月に1回程度となっているところ、これは、平成30年以降原告と被告Aが月1回程度診断書の記載のために1対1で作業をすることがあったという当時の状況(同事実自体は、被告らも認めるところである。)と一致し、合理性のあるものとなっている。」

「イ 被害場所については、医事課事務室内、外来診察室、廊下であるところ、同僚の医療事務職員や看護師の出入りがある場所であるが、周囲も仕事中であり、原告と被告Aのやり取りに注視していない可能性が高いこと、被告Aが、日常的なスキンシップの延長線上で、さほどの悪意なくこのような行為に及んだものとも解されること(■がこのように考えていることは認定事実のとおりである。)からすれば、上記各場所において被告Aがセクハラ行為に及んだことが不自然不合理とまでいうことはできない。」

「ウ 被害内容(行為態様)について、被告Aがスキンシップの一環として及んだものと解されることからすれば、さほどわいせつ性の高くない点は、むしろ原告供述の信用性を担保するものといえる。」

「(4)客観的証拠が乏しく、目撃証人がない点について」

本件では、原告供述を裏付ける客観的証拠に乏しいが、周囲に人がいるとはいえ、基本的には原告と被告Aが1対1で接している際の出来事であるという特質を踏まえれば、この点が原告供述の信用性を減殺するものではない。原告は、被害日時、場所及び内容については、令和元年11月14日に被告Aに被害を受けてから被害を訴訟に訴えることを決意し、医事課に保管してあった資料等と記憶を照らし合わせて記憶を喚起していったと供述するが、原告にとって印象深い出来事であったと解されること、月1度の機会におけるセクハラ行為であったことからすれば、他の日との記憶の混同等も考え難いことに照らし、上記供述には信用性が認められる。

「(5)原告供述の信用性にかかる被告らの主張について」

「ア 被告らは、原告の供述において、人目につかないようにセクハラを繰り返していたか、あるいは他人の目を気にすることなく公然と行われていたかという点等について変遷が見られるなどと指摘するが、原告が主張する被害の概要については被害直後のメッセージや警察署への相談時から基本的に一貫しており、個々の具体的なセクハラ行為の際に目撃者がいたか,どのような状況で行われたかについて当裁判所における証言が従前の主張と若干異なるとしても、些細なニュアンス程度のものにすぎず、それが原告供述の信用性を揺るがせるものではない。」

「イ 被告らは、令和元年11月14日のセクハラ行為について、原告が「■」なる目撃者の存在を隠そうとした点において供述の変遷が見られ信用性がないと指摘するが、上記アに述べたことに加え、同日のセクハラ行為の存在は原告が直後に■に送信したメッセージによっても的確に立証されるものであり、採用することはできない。」

「ウ 被告らは、令和元年8月20日のセクハラ行為について、抱きつかれた方向や、目撃者の有無について変遷が見られ信用性がないと指摘するが、前記アに述べたことと同様、採用できない。」

「エ 被告らは、被告Aの医事課事務室におけるセクハラ行為について、原告と被告Aが2人だけで仕事をしているという状況は考えにくく、第三者が目撃しない状況でセクハラ行為を繰り返すことは不可能であると主張する。しかしながら、■も含めた仕事中の職員が原告と被告Aとの一挙手一投足に注目しているとは考え難く、目撃者が存在しないとしても不自然ではない。なお、本件では、複数のセクハラ行為が業務中に行われていたことからすれば、目撃者が存在していた、あるいはスキンシップの延長だと思って周囲も見ていた、見て見ぬふりをしていた者がいた可能性も十分想定されるところではあるが、被告Aが被告法人の理事長という立場であったこと等を踏まえれば、本訴訟において目撃者として原告に協力することに躊躇するといったことも考えられなくはない。いずれにしても、被告ら指摘の点が原告供述の信用性を否定するものではない。

「オ 被告らは、被告Aの外来診察室10診におけるセクハラ行為についても、原告と被告Aが2人だけで仕事をしているという状況は考えにくく、第三者が目撃しない状況でセクハラ行為を繰り返すことは不可能であると主張する。しかしながら、この点も前記エに述べたことと同様、被告らの主張は採用することができない。

「(6)以上の点を踏まえ、当裁判所は、上記に認定した限度で原告供述の信用性を肯定し、被告Aの原告に対する行為を認めたものである。そして、被告Aが上記各認定の行為をしたことについて、その一部には業務上の説明の延長線上と見られるものもあるが、そうであるとしても相当性を欠くものであり、原告の意思に反する性的言動すなわちセクハラ行為に該当する。被告Aは、スキンシップの一環で上記各行為に及んだことが認められるとしても、被告Aのセクハラ行為の違法性が阻却されるものではない。被告Aは、原告に対し、上記各行為について不法行為責任を負う。」

3.目撃者がいないことは不自然ではない

 本件の裁判所が、

「仕事中の職員が原告と被告Aとの一挙手一投足に注目しているとは考え難く、目撃者が存在しないとしても不自然ではない。なお、本件では、複数のセクハラ行為が業務中に行われていたことからすれば、目撃者が存在していた、あるいはスキンシップの延長だと思って周囲も見ていた、見て見ぬふりをしていた者がいた可能性も十分想定されるところではあるが、被告Aが被告法人の理事長という立場であったこと等を踏まえれば、本訴訟において目撃者として原告に協力することに躊躇するといったことも考えられなくはない。」

との経験則を示したことは、かなり重要なことだと思っています。

 一般の方はしばしば誤解していますが、一般社会で通用している経験則と、裁判所で通用している経験則は、必ずしも一致しているわけではありません。

 例えば「人は契約書の内容を一々確認したうえで契約を結んでいるわけではない」という経験則があります。多くの人は細かい文字で書かれた契約書を一々読んでから署名・押印しているわけではなく、このような経験則は素朴な感覚には一致します。

 しかし、裁判所はこのような経験則を採用していません。逆に「人は契約書の内容を見たうえで署名・押印する」という経験則を採用しています。そのため、裁判所で「契約書に〇〇と書かれていることに気付かなかった。」などと主張しても、泡沫主張扱いされればいい方で、大抵の場合、無視・黙殺されます。

 ある経験則が存在するとして、それが裁判実務で通用するかどうかは、裁判例によって承認されているのかが決定的に重要な意味を持ちます。

 本裁判例は、気付かれなくても不自然ではない、見て見ぬふりをされる可能性がある、協力してくれる目撃者を見つけるのは難しい、こうした経験則を承認しました。

 何を今更と思われる方もいるかも知れませんが、裁判例による経験則の承認という観点から見ると、その意義は大きく、オープンスペースにおけるセクハラで目撃証人の欠如を指摘された場合、今後は本裁判例を活用して反論して行くことが考えられます。