弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

固定残業代-入社時には聞いてなかった、後で告げられて話が違うと思っている方へ

1.「出向手当」は固定残業代?

 「時間外労働、休日および深夜労働に対する各割増賃金(残業代)として支払われる、あらかじめ定められた一定の金額」を固定残業代といいます(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕115頁参照)。

 固定残業代には、割増賃金の支払いに代えて一定の手当を支給する類型(手当型)と、基本給の中に割増賃金を組み込んで支給する類型(基本給組込型)があります。

 この手当型の固定残業代について、目を引く裁判例が判例集に掲載されていました。

 東京地判平29.8.25判例タイムズ1461-216です。

 この事件では、「出向手当」を固定残業代と取り扱うことができるかが争点になりました。

 本件で特徴的だったのは、就業規則に、出向手当は「固定残業代として支給する」「支給額は、出向現場および勤務負荷等の実態により、個別に決定する」「28時間の固定残業代が含まれる」と明記されていたことです。

 しかし、裁判所は、本件の出向手当が固定残業代であることを否定しました。

2.固定残業代としての有効性を否定した論理構成

 裁判所が採用したのは、以下のロジックです。

「就業規則の内容が労働契約成立時から労働条件の内容となるためには、①労働契約成立までの間に、その内容を労働者に説明し、その同意を得ることで就業規則の内容を労働契約の内容そのものとすること、又は②労働契約を締結する際若しくはその以前に合理的な労働条件を定めた就業規則を周知していたこと(労働契約法7条)を要する。ただし、上記②の場合は労働契約で就業規則と異なる労働条件が合意されている部分は、就業規則の最低基準効(同法12条)に抵触しない限り、労働契約が優先する(同法7条但書)。労働契約で用いられている用語につき、就業規則が一般に理解される意味とは異なる特別の意味で用いているからといって、就業規則での特別の意味で解釈することは労働者と使用者の個別の合意による労働契約の内容を使用者のみの制定による就業規則に基づいて変更し、就業規則を優先させるに等しく、使用者による労働者に対する労働条件の明示義務(労働基準法15条)及び理解促進の責務(労働契約法4条)並びに労使の対等な立場における合意原則(労働契約法1条、3条1項、8条、9条本文、労働基準法2条1項)の趣旨に反し、予測不可能な労働条件を押し付ける不意打ちにもなりかねないから、労働契約締結前にその就業規則も示して、就業規則の内容が労働契約そのものとなり、労働契約の用語を就業規則での特別の意味で用いることが労働契約に取り込まれたといえる上記①の場合に当たらない限り、労働契約法7条但書の趣旨に従い、その労働契約はやはり一般に理解される意味で解釈するべきである(就業規則の最低基準効に抵触する場合は除く。)。

 本件で原告Bと被告会社との間で取り交わされた雇用契約書には、

「出向手当が固定残業代であること、更には恒常的な時間外労働が予定されていることをうかがわせる記載はなく、出向手当は基本給とともに『基本報酬』を構成するもの」

とされていました。

 これについて、裁判所は、

「就業規則で『出向手当は、固定残業代として支給する』旨を定めることで、出向手当を固定残業代に当たるものと意味づけて、仮にこれが周知されて前記②の場合に該当しても、さらに前記①の場合に該当しない限り労働契約の内容が優先するというべきである。」

「就業規則での『出向手当は、固定残業代として支給する』旨の定めが労働契約成立時から労働条件の内容となるためには、前記①の場合に該当すること、すなわち、就業規則の内容を原告Bに説明し、その同意を得ることで就業規則の内容を原告Bとの間の雇用契約書(甲21)と同様に労働契約の内容そのものとすることを要する。

と判示し、

「原告Bと被告との間の雇用契約書(甲21)を合理的に解釈すれば、原告の賃金は所定労働時間内の勤務に対する賃金である『基本報酬』たる基本給及び出向手当に加え、残業代及び交通費で構成され、残業手当及び交通費は出向手当とは別に清算されることが定められていたというべきである。」

と結論付けました。

3.入社までにきちんとした説明がなければ、後で手当を固定残業代だと言われても、固定残業代であることを否定し、普通に残業代を請求できる可能性がある

 これまでも合意の不備を指摘して、固定残業代の有効性を否定した裁判例は一定数出されていました。

 最近で言えば、「原告らの入社時に技術手当について正確な説明がなされていたとは考え難いというべきである。」として技術手当が固定残業代に該当するとの使用者側の主張を排斥した東京地判平30.4.18労働判例1190-39労経速2355-18PMKメディカルラボほか1社事件がこの系譜に属します。

 今回紹介した裁判例は、従来なかった考え方を打ち出したというわけではありませんが、明瞭な規範を示している点で、極めて画期的だと思います。

 固定残業代は濫用的に用いられて問題になった裁判例が多数出されていて、言葉自体にネガティブなイメージが定着しつつあります。

 そのためか、固定残業代の中には、「技術手当」「出向手当」といったように、一見してそれと分からない名称が付けられているものがあります。

 入社した後になって、こういうものが固定残業代であると告げられたからといって、残業代の請求を諦める必要はありません。

 就業規則に固定残業代であることが明記され、それが周知可能な状態にあったとしても、一般的に固定残業代であるとイメージしにくい名称が付けられていて、そのことがきちんと説明されていなかった場合、争える余地は十分にあります。

 採用されるまでは説明がなかったのに、入社後、なし崩し的に就業規則の規定を見せられ、固定残業代が採用されていることを押し付けられそうになっている方がおられましたら、ぜひ、一度ご相談頂ければと思います。