1.労務提供の意思が伝わるタイミング
解雇されても、それが裁判所で違法無効であると判断された場合、労働者は解雇時に遡って賃金の請求をすることができます。いわゆるバックペイの請求です。
バックペイの請求ができるのは、民法536条2項本文が、
「債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債権者は、反対給付の履行を拒むことができない。」
と規定しているからです。
違法無効な解雇(債権者の責めに帰すべき事由)によって、労働者が労務提供義務を履行することができなくなったとき、使用者(労務の提供を受ける権利のある側)は賃金支払義務の履行を拒むことができないという理屈です。
しかし、解雇が違法無効であれば、常にバックペイを請求できるかというと、残念ながら、そのようには理解されているわけではありません。バックペイを請求するためには、あくまでも労務の提供ができなくなったことが、違法無効な解雇に「よって」(起因して)いるという関係性が必要になります。例えば、何等かの理由によって違法無効な解雇とは無関係に就労意思を喪失してしまったような場合、就労意思喪失時以降のバックペイの請求は棄却されることになります(ただし、就労意思の喪失は容易には認められない傾向にあります)。
これと類似する問題として、
就労意思が伝わるまでの間、バックペイが発生するのか?
という論点があります。
解雇には30日の予告期間が設けられています(労働基準法20条)。
典型的な解雇紛争では、
① 予告期間付きで解雇を通知される、
② すぐに弁護士のもとに相談に来る、
③ 弁護士が解雇の効力を争う・労務提供の意思があると通知する、
④ 解雇日が到来する、
という経過が辿られます。
この場合、解雇の効力発生日当初から就労意思を持っていたことが明らかであり、解雇日以降働けなかったことが使用者の責めに帰すべき事由によることに疑義を容れる余地はありません。
しかし、紛争事案の中には、
① 解雇日が到来する、
② 弁護士のもとに相談に来る、
③ 弁護士が解雇の効力を争う・労務提供の意思があると通知する、
といったように、解雇日が来てから、解雇の効力を争うという通知がされることもあります。
こうした場合、解雇日~解雇の効力を争うと通知した日についても、就労意思があるものとしてバックペイの対象になるのでしょうか?
この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令6.8.21労働判例ジャーナル157-56 東亜産業事件です。
2.東亜産業事件
本件で被告になったのは、生活雑貨の製造販売等を行う株式会社です。
原告になったのは、被告との間で労働契約を交わしていた方です。
令和3年12月31日、被告から同日をもって解雇する旨の意思表示を受けました。
令和4年1月13日、この方は、被告の元代表取締役に対し、復職したい旨のメッセージを送信しました。
また、令和4年1月16日には、被告代表者に対し、「a(原告 括弧内筆者)どうなるんですか?」というメッセージを送信しました。被告代表者からは「わからん笑」というメッセージが返信されていました。
令和4年2月21日、原告は代理人弁護士を通じ、解雇に理由がないことや原告が従業員としての地位を有していることを通知しました。
これに応じ、令和4年2月25日、被告は解雇を撤回し、原告に出社を命じました。
その後、原告の方は被告を退職したのですが、
解雇~解雇撤回までの賃金(歩合給)が支払われていない、
解雇撤回は不法行為にあたる
などと主張し、未払賃金等の支払を求める訴えを提起したのが本件です。
この事件で、被告は、次のとおり主張しました。
(被告の主張)
「原告は、本件解雇後、代理人を通じて内容証明郵便を送付する・・・まで、就労意思を示さなかった。したがって、令和4年1月1日(本件解雇の翌日)から同年2月22日(上記内容証明郵便の到達日)まで、原告が就労することができなかったのは、被告の帰責事由によるものではなく、ノーワーク・ノーペイの原則によって、上記期間の賃金請求権は存在しない。原告が被告代表者に送信したメッセージは復職の意思表示とは評価できないし、被告の代表者でも役員でもないjに対するメッセージは被告との関係で何らの意思表示にもならない。」
しかし、裁判所は、次のとおり述べて、被告の主張を排斥しました。
(裁判所の判断)
「原告は、令和4年1月及び同年2月に、被告に対する労務を提供していないところ、これは、本件解雇によって被告が原告による就労を拒絶したことによるものであり、本件解雇が後に撤回されたこと・・・及び本件解雇の理由について被告が何ら具体的な主張をしていないことに照らせば、被告の責めに帰すべき事由によるものと認めるのが相当である。」
「被告は、原告は本件解雇後に就労意思を示しておらず、原告が就労することができなかったのは被告の帰責事由によるものではなく、ノーワーク・ノーペイの原則によって賃金請求権は存在しない旨主張するが、原告が令和4年1月16日に被告代表者に対して自身の処遇について尋ねる旨のメッセージを送信したこと・・・や、代理人が同年2月21日に本件解雇には理由がない旨記載した内容証明郵便を送付したこと・・・に照らし、原告に就労意思がなかったとは認められず、被告が主張する事情は、原告が労務を提供することができなかったことにつき被告の責めに帰すべき事由によるものであると認める妨げとなるものではない。」
「したがって、被告は、原告の令和4年1月分及び同年2月分の歩合給の支払を拒むことができない(民法536条2項)。」
3.解雇撤回の事案ではあるが・・・
この事案は解雇撤回の事案ですが、裁判所で示されている考え方は、判決によるバックペイとの関係でも妥当すると思います。
解雇の効力発生日から結構日が経ってから相談に来られる時などは、労務提供の意思を示すまでのバックペイを取れるかが不安になることもあります。しかし、2か月弱くらいなら解雇日にまでバックペイを遡らせることができそうです。
裁判所の判断は、解雇の効力発生日以降に労務提供の意思を通知しなければならなかった事件に取り組むにあたり、実務上参考になります。