弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

死者の残業代を請求する訴訟-タイムカードvs死人に口なし

1.死者の権利を行使することの困難さ

 権利を持った当事者が死亡してしまった場合に、その相続人が権利者に代わって訴訟提起などの権利行使を行うことがあります。

 しかし、この種の訴訟は、往々にして困難が伴います。事実関係を死者に語ってもらうことができないからです。

 多くの場合、係争となっている事件の内容を最も良く知っているのは、事件に至る経緯を直接経験してきた当事者です。そのため、当事者が死亡していると、訴訟を提起・追行するために必要な事実関係を十分に聞き取ることができません。すると、どうなるかというと、反対当事者が好き放題言っても、有効な反論を展開することが困難になります。そのため、相続人が死者の権利を承継して行使する事件は、処理が難しい事件類型の一つになっています。

2.死者の残業代を請求する訴訟(タイムカードvs死人に口なし)

 残業代を請求するにあたっては、労働者の側で労働時間を立証する必要があります。

 労働時間の立証は、

「タイムカード等の客観的な記録によって時間管理がなされている場合には、特段の事情のない限り、タイムカード打刻時刻をもって実労働時間と事実上推定するのが多くの裁判例・・・の立場である」

とされています(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕56頁)。

 このとき、

「使用者が、タイムカードで時間管理していたにもかかわらず、労務の提供の態様が不完全であったとして、実労働時間を争う場合もあるが、タイムカードによって時間管理がされている場合には、タイムカード打刻時間をもって実労働時間と事実上推定するのが多くの裁判例の立場であるから、これに反する反証・・・は容易ではなく、奏功しないことも多い。」

とされています(前掲文献61-62頁)。

 つまり、生きている人が残業代請求をする場合、タイムカードが手元にありさえすれば、使用者側から「サボっていた。」「雑談してからタイムカードを打刻していた。」などと言われたとしても、「サボっていません。」「働いていましたよ。」と普通に反論していれば、余程のことがない限り、タイムカードをもとに労働時間が認定され、残業代を請求することができます。

 それでは、当事者である労働者が死亡していた場合はどうでしょうか。この場合、職場で直接稼働実体を見ていたわけでもない相続人は、「サボっていません。」「働いていましたよ。」などと実体験に基づいて反論することができません。

 この場合、タイムカードがあったとしても、使用者側の言いっ放しが通ってしまうのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。福島地いわき̪支判令2.3.26労働判例ジャーナル101-26 いわきオール事件です。

3.いわきオール事件

 本件は、福島第一原発の廃炉工事現場内に設置されていた自動車整備工場で就労していた亡P3の相続人が、P3の勤務先であった会社に対し、P3の残業代を請求した事件です。

 原告がタイムカードの打刻時間に基づいて労働時間を主張したのに対し、被告会社は、

「従業員に対し、残業を行う場合にはタイムカードに記入して深刻するよう指示していたから、タイムカードにその旨記載のない日についてはP3が残業していた事実はなく、終業後直ちにタイムカードを打刻せずに自由に過ごしていたにすぎない。また、そのような記載があったとしても、残業時間は10分程度に留まる。」

など主張し、タイムカードの打刻時間に基づいて労働時間を認定することに異を唱えました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり判示して、タイムカードの打刻時刻に基づいて労働時間を認定しました。

(裁判所の判断)

P3のタイムカード上の出退勤時間は、上記・・・のとおりであるが、被告が主として、タイムカードを用いてP3ら被告従業員の労働時間管理を行っていたことは、被告従業員であったP4及びP5の各タイムカードの記載等・・・に加えて、・・・P3と1F作業を共にしていたP4が、被告事業所に出勤後タイムカードを打刻し、作業終了後にタイムカードを打刻していた旨供述していること・・・からも裏付けられるというべきである。

「これに対し、被告は、

〔1〕被告従業員に対して残業をする場合には必ずタイムカードの特記事項にその旨記入するよう指導していたこと、

〔2〕P4のタイムカード上の退勤時間に照らして、P3とP4が就労せずに被告事業所に残留していたにすぎないこと

を主張する。」

「しかしながら、P3のタイムカード・・・はもとより、P4及びP5の各タイムカード・・・を見ても、必ずしも、特記事項が記載されておらず(例えば、上記・・・のとおり、P3と同じく1F勤務であったP4のタイムカードを見ても、1Fに勤務したと考えられる平成28年1月6日(出勤時刻午前4時49分)及び同月7日(出勤時刻午前4時33分)の特記事項には何の記載もなく、また、平成28年1月21日から同月30日までの特記事項にも何の記載もないこと、また、P5のタイムカードにも、P5が始業時刻である午前8時の1時間以上前に出勤していた平成28年3月7日から同月19日までの特記事項にも何の記載もない。)、必ずしも特記事項の記載により被告が残業時間を管理していたとは認められず、この点に関する被告の上記〔1〕の主張はその前提を欠き、採用できない。また、被告の上記〔2〕の主張についても、P4は、1Fから戻った後にP3とともにP5の仕事を手伝った旨・・・述べており、全く作業に従事することなく、P3及びP4がP5の退勤まで被告事業所にいたとも認められず、被告の上記〔2〕の主張は採用できない。」

「そして、P3がタイムカード打刻後直ちに業務に従事し、終業後直ちにタイムカードを打刻したと解することも本件労働契約における始業及び終業時刻に照らして不合理でないことからすると、P3の始業及び終業時刻については、タイムカードの打刻時間・・・によって認定するのが相当である。なお、始業時刻と終業時刻に同時刻が打刻されている日については、本件労働契約における始業及び終業時刻・・・を参照して出勤及び退勤時刻を認定するのが相当である。」

4.タイムカードを核とした立証は、そう簡単には揺らがない

 本件ではP3と一緒に作業をしていたP4が原告側に有利な証言をしてくれたという事情があります。これが労働時間の立証にある程度効いているのは確かだと思います。

 しかし、それを差し引いたとしても、やはりタイムカードによる立証は強いなと思います。他の労働者のタイムカードとの比較と組み合わせることによって使用者側の反論を封じ、労働時間管理が(特記事項欄ではなく)タイムカードに基づいて行われたことを導き、そこから特段の不合理性がないことを理由に、タイムカードに基づいて始業時刻・終業時刻を認定しています。

 一家の収入を支えていた方が亡くなった場合、遺族は否が応でも貧困問題と向き合わなければならなくなることが少なくありません。世知辛いことではありますが、残された家族の生活を守るためには、少しでも多くのお金を確保することが重要になります。そのため、タイムカードがあれば、必ずしも死人に口なしにならないことは、一般の方も覚えておいて良い知識だと思います。