弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

作業員・技術員が会社に立ち寄ってから現場に赴くまでの時間の労働時間性

1.通勤時間か、用務先間の移動時間か

 一般論として、通勤時間に労働時間性は認められません。「通勤という行為は、労働力を使用者の下へ持参するための債務履行の準備行為に位置づけられるものであって業務性を欠く」と理解されているからです(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕156頁参照)。

 これに対し、勤務先営業所と用務先間の移動時間や用務先間の移動時間は、基本的には労働時間であると理解されています。「通常は移動に努められることが求められるのであり、業務から離脱し、自由利用することが認められていないから」であるとされています(前掲『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』157頁参照)。

 この中間形態にあるものとして、会社に立ち寄った後、遠方の現場に移動するための時間の労働時間性が争われることがあります。例えば、現場作業員の方が、会社に置いてある道具を持って、遠方の作業現場に行くといったような場合です。特に、自宅からの直行が形式上許容されているような会社だと、通勤時間なのか、営業所~用務先間の移動時間であるのかが微妙になります。

 近時公刊された判例集に、この微妙な問題を考えるにあたり参考になる裁判例が掲載されていました。東京地判令4.12.2労働判例ジャーナル134-30 足立通信工業事件です。

2.足立通信工業事件

 本件で被告になったのは、

電話交換機、各種電話機の販売及び設計・施工・保守・工事を主な業務とする株式会社(被告会社)と、

被告会社の代表取締役(被告b)

被告会社の取締役会長(被告c)

の三名です。

 原告になったのは、被告との間で期限の定めのない労働契約を締結し、電気・通信工事の技術員として働いていた方です。被告会社から休職期間満了を理由とする退職手続を執られたところ、当該休職の原因は被告b及び被告cによる過重労働の強要等に基づく精神疾患であり、当該退職手続は業務上の疾病の療養中に執られたものであるから無効であると主張して、労働契約上の権利を有する地位にあることの確認等を求める訴えを提起したのが本件です。業務上の療養中の退職手続だから無効だというのは、労働基準法19条1項本文が、

使用者は、労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかり療養のために休業する期間及びその後三十日間並びに産前産後の女性が第六十五条の規定によつて休業する期間及びその後三十日間は、解雇してはならない。

と規定していることに基づいた主張です。

 こうした主張の裏付けとして、原告の方は平成29年10月中旬頃を発症日とする「気分(感情)障害」について、時間外労働が大幅に増えたことを理由に労災認定を受けていました。

 しかし、被告は、

「出退勤時刻を自己申告で提出させて管理し、事業場にはタイムカードを備えて出勤・退勤に打刻させていたが、業務により早出出勤や残業を行った場合には、その開始・終了時刻を旅費交通費精算書に記載させ、その時刻をもとに、時間外労働時間を算定していた。このように、被告会社の備付けのタイムカードは、旅費等の請求に用いるものであり、実質的な労働時間を示すものではない。」

「タイムカードの表示は、その時点で原告が被告会社の事務所にいたことを示すものの、本件現場において作業に従事したことを合理的に推認することはない。タイムカードの打刻開始時は、被告会社の事務所から移動を開始した時刻となり得るが、移動時間(すなわち本件現場までの通勤時間)は、行政解釈上も労働時間に含まれないのであって、業務性はない。結局、原告は、タイムカードの打刻後、現場へ移動し、現場で業務に従事し、帰社後にタイムカードを打刻するまでの具体的な労働実態を立証していない。

などとして、移動時間を差引けば原告の休職は過重労働によるものとは認められないなどと反論しました。

 こうした被告の主張に対し、裁判所は、次のとおり述べて、移動時間の労働性を認めました。結論としても、原告の休職は過重労働によるものであるなどとして、裁判所は原告の地位確認請求を認容しています。

(裁判所の判断)

「被告らは、タイムカードの打刻時刻は被告会社の事務所からの移動時間にすぎず、労働実態を明らかにするものではないと主張する。」

「しかしながら、被告会社では、事務所内での作業に限らず、被告会社の事務所に設置されたタイムカードを打刻して、現場作業に向かうこととなっていたのであり・・・、タイムカードを打刻した後の移動時間であっても、被告会社の指揮命令下に置かれていたということができるし、本件工事についてみても、原告は、被告会社の事務所において、本件工事に必要とされる配管材、ケーブル、端子、プラグ、設置機器等の材料を準備し、これを本件現場に持ち込んでいたのであって・・・、このような原告がタイムカードを打刻した経緯、被告会社の事務所における具体的な準備等の状況に照らすと、タイムカードの打刻時間をもって、原告が被告会社の労働に従事した時間と解することには十分な合理性があるというべきである。

3.タイムカード打刻、道具の持ち込みがあった事案ではあるが・・・

 本件には、タイムカードの打刻をした後に現場に行っていることや、事務所から現場に機器等を持ち込んでいたという特徴があります。被告の事務所~現場の移動時間に労働時間性が認められたといっても、こうした特徴は踏まえておく必要があります。

 しかし、事務所~現場の移動時間の労働時間性の論点は、それほど結論が自明である問題ではありません。本件は、労働者側が事務所から現場への移動時間の労働時間性を主張、立証して行くにあたり、先例として覚えておく価値のある裁判例だと思います。