1.長時間労働による疾病と安全配慮義務
過去、恒常的な長時間労働で鬱病に罹患し、自殺した労働者の遺族が会社に対して損害賠償を請求した事件がありました。最二小判平12.3.24労働判例779-13電通事件と呼ばれている事件です。
この事件で最高裁は、
「使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」
と判示しました。
しかし、こうした注意義務が最高裁で承認された後も、労働者が長時間労働で心身を損なってしまう例は後を絶ちません。
長時間労働で心身を損なった労働者やその遺族が損害賠償請求を行う場合、使用者側から寄せられる反論は、ある程度類型化されています。そうした反論類型の一つに、
「会社は早く帰れと言っていた。無理はするなと言っていた。労働者が勝手に残業していただけだ。」
というものがあります。
昨日ご紹介した東京地判令2.3.25労働判例1228-63 アルゴグラフィックス事件は、このような反論を一蹴した事案としても注目に値します。
2.アルゴグラフィックス事件
本件はいわゆる労災民訴です。
くも膜下出血を発症して死亡した労働者(亡A)の遺族(妻及び子)が、労災認定を受けた後、亡Aの勤務先に対して安全配慮義務違反等を理由に損害賠償を請求した事件です。
裁判所は亡Aの恒常的な長時間労働を認定しましたが、被告会社は、
「I事業部長は、亡Aに対し、夜遅くまで仕事をしないこと、深夜や早朝にメールを送らないこと、睡眠を十分に確保することなどを指導していた。」
「他方、亡Aは、時間外労働に係る所属長、本部長及び会長の承認を求めたことは一度もなく、また、就業時間内における通常の業務のスケジュールについて事前に提出するよう繰り返し求められていたにもかかわらず、ほとんどこれを提出することもなく、さらに、就業日に毎日提出することが義務づけられていた日報を提出しないことがあった。こうした亡Aの態度により、被告としては、亡Aの勤務状況を把握することが極めて困難な状況にあったものであり、ましてや亡Aが自身の行動スタイルとして行った自宅作業について把握することは不可能であった。」
などと主張し、安全配慮義務に違反したことを争いました。
これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、被告会社の主張を否定し、安全配慮義務違反を認めました。
(裁判所の判断)
「亡Aの労働時間を管理する立場にあったI事業部長は、亡Aの発症前6か月間において、亡Aの労働時間が極めて長時間に及んでいることを認識していたものと認められ、被告は、亡Aが疲労を過度に蓄積して心身の健康を損なう具体的な危険があることを予見することができたものであるというべきである。」
「しかるに、被告は、平成25年9月、従業員の時間外労働を管理する職位にある者に対し、時間外労働には所属長等の承認を得ることを必要とする取扱いを定めた旨を周知し、同年10月には、原則として、深夜及び休日の労働を従業員に行わせないことを再認識するよう求め、深夜労働や休日出勤をさせた場合には、代休や振替休日を取得させるよう周知したものの、その後も、営業職の従業員の労働時間について、従業員本人からの申告以外にこれを把握するための術を有さず、亡Aについても、その心身の健康を損なうことがないようするための措置として、亡Aから時間外労働の状況を積極的に尋ねたり、業務による負荷がどの程度あるのかを聴取したりすることがなかったのであり、亡Aの業務負担を減らすために人員体制を見直すなどしたことも特段認められない。実際に、被告は、亡Aに対して固定残業代としての営業手当を支給しているとして、その労働時間を十分に把握していなかったのであり、本訴訟においても、正確な時間外労働時間を把握することができなかった理由として、亡Aからの申告がなかったことを強調する。そして、I事業部長において、亡Aに対し、早く帰宅するように述べたり、健康に留意するように指導したりしたとしても、それだけでは、到底、亡Aの心身の健康を損なうことがないようするための措置として十分なものであると認めることはできず、かえって、I事業部長からは、入院治療中の亡Aに対し、入院中の仕事を奨励する旨のメールが送信されるなどしていたものである。」
「そうすると、被告は、漫然と亡Aに過重な労働に従事させたものとのそしりを免れず、亡Aに対する安全注意義務を怠ったものといわざるを得ない。」
3.言っていることと、やっていることが違えば、安全配慮義務違反は免れない
被告会社では、管理職に対して従業員に深夜及び休日の労働を行わなせないことを周知したり、I事業部長において亡Aに「早く帰宅するように」「健康に留意するように」と言ったりしていたようです。
しかし、その実、亡Aに時間外労働の状況を積極的に尋ねることはなく、更には入院中の仕事を奨励するメールまで送信していました。
こうした事実から、裁判所は、被告会社の主張を排斥し、安全配慮義務違反を認めました。結局、言っていることと、やっていることが違うようでは、話にならないということだと思われます。
長時間労働に対する問題意識が高まっていることもあり、表向き長時間労働の抑制を謳う企業は増えています。しかし、残念なことに、表で言っていることと、裏でやっていることが異なっている会社も、決して少なくありません。そうした実情に対する警鐘としても、本裁判例は意義のある判示をしているように思われます。