弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

持ち帰り残業の労働時間性が認められた事例(自由意思でやっていたとの反論が排斥された事例)

1.持ち帰り残業の労働時間性の立証

 業務過多から家に仕事を持ち帰って働いている方がいます。

 こうした持ち帰り残業についても、客観的にみて「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」(最一小判平12.3.9労働判例778-11三菱重工業長崎造船所(一次訴訟・会社側上告)事件)である限り、労働時間性は認められます。

 しかし、家での持ち帰り残業の労働時間性の立証は、決して容易ではありません。

 主な理由は二点あります。

 一つ目は、作業開始時刻と作業終了時刻を客観的に立証しにくいことです。

 残業代を請求する場面にしても、労災民訴で業務負荷を立証する場面にしても、労働時間を立証する責任は基本的に労働者側にあります。家での仕事の場合、タイムカードのような客観的な証拠に基づいて労働時間を計測していることは稀です。また、上長の監視下で場所的に拘束されている勤務先での稼働とは異なり、家では作業の合間に休憩するのも自由です。そのため、単純に作業開始時刻と作業終了時刻を特定するだけでは、その間ずっと指揮命令下に置かれていたことを立証しきれないことが多いのです。

 二つ目は、使用者の指揮命令下に置かれていたと評価できるのかという問題です。

 通常の残業代請求事件でも、使用者側からしばしばなされる反論の一つに「指示してないのに、好き勝手に自由意思で残業していただけだ。」という趣旨の主張があります。こういう理屈は勤務先での居残り残業をしている時には通りにくいのですが、持ち帰り残業の局面になると、必ずしも容易に排斥できるわけではありません。

 このように持ち帰り残業に労働時間性を認めてもらうためのハードルは高いのですが、近時公刊された判例集に、このハードルを乗り越え、持ち帰り残業に労働時間性が認められた裁判例が掲載されていました。東京地判令2.3.25労働判例1228-63 アルゴグラフィックス事件です。

2.アルゴグラフィックス事件

 本件はいわゆる労災民訴です。

 くも膜下出血を発症して死亡した労働者(亡A)の遺族(妻及び子)が、労災認定を受けた後、亡Aの勤務先に対して安全配慮義務違反等を理由に損害賠償を請求した事件です。業務負荷の評価に関係して、亡Aの時間外労働時間をどのように認定するのかが争点の一つになりました。その中で、亡Aの持ち帰り残業を労働時間として認定できるのかが問題になりました。

 この論点について、被告は、

「被告は、従業員に対し、深夜時間帯及び休日の労働を禁止していたものであり、自宅での業務を許容、黙認したこともない。被告は、亡Aに対し、他の同僚より少ない目標予算を設定していたものであり、持帰り仕事をせざるを得ないほどの仕事量を与えたことはなく、亡Aの自宅作業は、亡Aの行動スタイルとして自らの自由意思で行っていたものである。」

「また、亡Aの自宅作業は、被告事業所内における作業と異なり、被告の指揮命令下になく、精神的緊張や拘束性が低いほか、時間の調整も自由な意思で行い得るものであり、被告事業所内における労働とはその性質が全く異なる。」

「したがって、亡Aの就業時間外かつ被告事業所外での作業に係る作業時間は、労働時間の算定から除外すべきである。」

と主張し、持ち帰り残業の労働時間性を争いました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、持ち帰り残業の労働時間性を認めました。

(裁判所の判断)

亡Aは、被告から貸与され、業務用に使用していたパソコンを自宅に持ち帰り、夜間、深夜及び早朝の時間帯に、見積書や提案書等の作成やメールの送信等の作業を頻繁に行っていたものであり、発症前6か月の期間においては、被告事業所を午後8時頃に退社する日もあったものの、午後9時以降に退社することが常態化しており、午後11時前後に退社することも多かったというのであるから、被告事業所内での作業が終わらないため、自宅で業務を行わざるを得なかったものと認めるのが相当である。そうすると、亡Aが被告事業所外及び所定労働時間外に行った、いわゆる持帰り仕事についても、労働時間として算定すべきである。

「そして、亡Aの持帰り仕事に係る労働時間については、亡Aが送信したメールの時間及び内容、被告から貸与されていたパソコンのアクセスログを考慮して、そこからうかがわれる作業時間を基に認定するべきであるところ、ある程度の仕事量が存在し、継続的な作業が行われたと認められる場合には、かかる持帰り仕事が業務の過重性に影響したと評価することができるから、証拠からうかがわれる作業時間を合計した上で、これを30分単位で切り捨てにした時間を業務の過重性に影響した労働時間として認定するのが相当である。」

「そうすると、亡Aのいわゆる持帰り仕事に係る労働時間は、別紙4『持帰り仕事に係る労働時間の認定』記載のとおりであると認められる。」

「被告は、亡Aに対しては、他の同僚より少ない目標予算を設定していたものであり、持帰り仕事をせざるを得ないほどの業務を与えておらず、また、就業時間外かつ被告事業所外における作業を指示したことはなく、むしろ禁止していたものであるから、持帰り仕事は、あくまで自身の行動スタイルとして亡Aが自由意思で行っていたものであり、労働時間に算入すべきでないなどと主張する。」

「しかしながら、仮に、亡Aの目標予算が他の同僚より少なかったなどの事情があったとしても、そのことから直ちに被告事業所内で作業が終わらずに自宅で業務を行わざるを得なかったことが否定されるものではない。亡Aの上司であるI事業部長は、亡Aから休日並びに深夜及び早朝の時間帯に業務に関するメールが多数送られてきているにもかかわらず、これについて亡Aに対しかかる作業を中止するよう何らかの指示を行ったとは認められず、むしろこれを黙認ないし容認し、亡Aに持帰り仕事を継続させたものであり、被告において、亡Aの自宅作業を業務とは無関係な自由な行動スタイルとしてされたものであると断じ得るものではない。被告の上記主張は、採用することができない。

3.メールの送信記録は重要な証拠

 以上のとおり、裁判所は、自由意思で残業していただけだという被告の主張を排斥し、持ち帰り残業の労働時間性を肯定しました。

 ここで鍵になったのは、メールです。休日、深夜、早朝の時間帯に業務に関するメールが多数送られてきているのに、これを上司が黙認・容認していたことが、自由意思で残業していただけだという主張を排斥する有力な根拠となってます。

 メールによる労働時間の立証というと、一日の最初のメール、最後のメールなどに目が集まりがちですが、日中に出しているメールが事実認定の有力な資料になることもあります。何がどのように活きてくるか分からないため、法的紛争に発展しそうな事案では、故人のパソコンのデータは、いじらずに保全しておくことが推奨されます。