弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

他の従業員からの苦情を、本人に伝える時に求められる配慮義務

1.従業員間の軋轢に対する上司の対応

 労働事件に関する相談を受けていての実感ですが、労働者と使用者との紛争の発端には、労働者間の軋轢が背景にあることも珍しくありません。

 例えば、単なる言い掛かりにすぎない同僚からの苦情を、碌に精査もせずに鵜呑みにした上司から厳しく叱責されたことが、叱責を受けた労働者に遺恨を与え、後々の紛争の火種になっていることがあります。

 同僚からの讒言を鵜呑みにした使用者・上司の不適切な対応について、何か法的に問題にする根拠がないかと思っていたところ、昨日もご紹介した高知地判令2.2.28労働判例1225-25池一菜事件に、目を引く判示がありました。

2.池一菜事件

 本件は自殺した労働者(P6)の遺族が、勤務先に対して安全配慮義務違反に基づく損害賠償を請求した事件です。

 長時間労働のほか、代用取締役の娘(常務取締役)からハラスメントを受けたことが心理的負荷となって精神障害を発症し、自殺に至ったというのが原告の主張の骨子です。

 ハラスメントの一つとして、他の従業員から聞いたP6に対する苦情を碌に精査もしないまま文書にまとめ、これをP6に交付したという出来事がありました。

 この出来事について、裁判所は、次のとおり判示しました。

(裁判所の判断)

「ミスを他の従業員のせいにしたことや他の従業員から聞いたP6に対する苦情などを伝えた点については、企業秩序の維持や職場環境のために必要性が認められる余地はあるものの、前提となる事実関係の調査を尽くした上で、他の従業員らの苦情が事実に基づく相当なものか、相当であるとしてどのようにP6に伝えるのかなどを慎重に検討すべきであるのに、〇月6日の出来事から同月8日までのわずか2日間という短期間に文書にまとめ、P6に対しこれを交付するのみで特段の説明もしなかったという方法は、業務上の指導としては相当とはいえない。

3.他の従業員からの苦情の伝え方には一定の配慮が必要

 注意義務の措定という脈絡ではなく、業務上の指導としての相当性に関する判示ではありますが、裁判所は、同僚から苦情が出ていることを労働者に伝えるにあたっては、
① 前提となる事実関係の調査を尽くした上で、他の従業員らの苦情が事実に基づく相当なものか、
② 相当であるとしてどのようにP6に伝えるのか、
を慎重に検討すべきであると述べました。

 苦情に事実的な基盤があるのかどうか調査を尽くさなければならないとしている点と、事実的な基盤がある場合でも伝え方を慎重に検討しなければならないとしている点は、かなり高い水準の義務を使用者に課しているようにも読めます。

 問題があるから相談に持ち込まれるという職業的なバイアスがかかっているであろうことは否定できませんが、私が観測する限り、同僚の勤務態度に関する労働者からの苦情に対し、本件の判決が指摘するような対応(調査を尽くすこと・言い方を慎重に検討すること)がきちんと採れていない上司・使用者は、決して少なくないように思います。

 讒言を鵜呑みにした上司から辛く当たられたからといって直ちに採算性のある事件にすることができるわけではありませんが、こうした問題に対しても、一定の法律論を構築できないわけではないことは、一般に周知されておいても良いのではないかと思います。

 

上司と一緒の出張は心身への負荷がかかるから移動時間も労働時間

1.通勤時間・出張中の移動時間の労働時間性

 一般論として、通勤時間に労働時間性は認められません。労働力を使用者の下へ持参するための債務履行の準備行為に位置づけられるため業務性を欠くというのと、その内容においても通常は自由利用が保障されているというのが理由です(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、初版、平29〕106頁参照)。

 出張前後の移動時間も、これと同様の理由から、基本的には労働時間性を有しないと理解されています(同文献107頁参照)。

 こうした議論状況のもと、近時公刊された判例集に、出張時間に労働時間性を認めた裁判例が掲載されていました。このブログでも前に二度言及したことのある、高知地判令2.2.28労働判例1225-25池一菜事件です。

自殺の予見可能性-問責にどこまでの認識が必要なのか? - 弁護士 師子角允彬のブログ

労働時間等に関する規定の適用除外と長時間労働に対する安全配慮義務 - 弁護士 師子角允彬のブログ

2.池一菜事件

 本件は自殺した労働者(P6)の遺族が、勤務先に対して安全配慮義務違反に基づく損害賠償を請求した事件です。

 長時間労働による心理的負荷がかかっている中で、代表取締役の娘(常務取締役)からハラスメントを受けたことが原因で精神障害を発症し、自殺に至ったというのが、原告の主張の骨子です。

 心理的負荷の強弱を判断するため、原告の時間外労働時間数が議論の対象となり、その流れで、出張のための移動時間の労働時間性が問題になりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、上司とともに移動する態様での出張では、心身への負荷がかかるから移動時間も労働時間に該当すると判示しました。

(裁判所の判断)

「タイムカードには出退勤の時刻が打刻されていないが、P6の業務には、年1回ほど、1泊2日での大阪の光洋スーパーへの出張販売が含まれていたこと・・・、タイムカードの平成21年11月7日の欄に『午後~大阪』の記載と同月8日の欄にかかる記載の下に『〃』の記載があること・・・や、業務日誌の記載内容・・・からすれば、P6が被告P4に帯同して、大阪にある光洋山田店において被告会社で生産しているトマトジュース等の店頭販売を行うために、同月7日から同月8日まで大阪に出張したことが認められる・・・。また、業務日誌には、平成21年11月7日の箇所に、『午前中 休み 午後 大阪へ 社長と グッド出張』という記載があり、同月8日の箇所には、『AM10:00 ホテル出 グッド社長迎え』、『キッサでコーヒーを飲み時間をつぶす』や『昼食後 1時間程で3時に店を出て空港へ.』という記載があるため・・・、同月7日は午後から被告P4とともに大阪への移動を開始したこと、同月8日は午前10時頃に宿泊先のホテルを出発したこと、同日の店頭販売でも休憩時間を取れていたこと、予定していた店頭販売を終えて同日午後3時頃に帰路に着いたことなどが認められる。」

労働者の出張は使用者の業務命令に従って行うものであり、業務従事時間は使用者の指揮命令権に服する状態にあるから、労働時間に算入すべきである。そして、少なくとも部下が上司とともに移動する形態での出張については、移動中も部下は心理的、物理的に一定の緊張を強いられることが通常であって、心身への負荷がかかるから、移動時間も労働時間として算入するのが相当である。

「そうすると、本件大阪出張のうち、同月7日については、午後の所定就業時間である午後1時から午後5時までを、同月8日については、午前10時から午後の所定終業時刻である午後5時までを、それぞれ労働時間に算入するのが相当である。なお、休憩時間については、P6が被告会社の就業規則に定められた時間を超過したり不足したりした事情は窺われないことから、同月7日については15分を、同月8日については1時間15分を、それぞれ休憩時間として、上記労働時間から控除すべきである。」

3.残業代請求訴訟への応用の可能性

 労災民訴の場面での労働時間性と、残業代請求の場面での労働時間性とは、必ずしも同一の概念ではありません。

労働時間概念の相対性-労災認定の場面では厳密な労働時間「数」の立証がいらないこともある - 弁護士 師子角允彬のブログ

 しかし、池一菜事件の裁判所は、

「労基法上の労働時間は、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、かかる意味での労働時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができるか否かにより客観的に定まるものであって、労働契約、就業規則、労働協約等の定めのいかんにより決定されるべきものではないと解するのが相当である(最高裁判所平成7年(オ)第2029号同12年3月9日第一小法廷判決・民集54巻3号801頁)。」

と割増賃金の支払請求の可否が問題となった事件で示された労働時間の定義を引用したうえ、

「そして、業務の過重性を判断する上でも、このような実労働時間を前提に判断するのが基本的には相当であるといえるから、これを前提に、P6の被告会社における始業時刻、終業時刻及び休憩時間を認定し、時間外労働時間を算定することとするが、あくまで業務の過重性を判断するという点に留意して、該当性を評価し、認定を行うものである。」

と判示しています。

 「あくまで~」以下が、労働時間概念の相対性を承認した部分という見方も可能だとは思います。しかし、基本的には、労働時間の概念は残業代請求の場面での労働時間の概念と同一に理解すると述べています。

 残業代請求の場面では、通勤時間・出張前後の移動時間は労働時間に該当しないとの見解が通説的ではありますが、今後、上司と一緒の出張に関しては、例外的に労働時間性が認められる場面が出てくるかも知れません。

 海外への出張が多い業態などにおいては、出張中の移動時間が労働時間に含まれるか否かによって、残業代が大きく違ってくることも少なくありません。気になる方は、ぜひ、一度ご相談ください。

 

従業員をゼロにすれば就業規則(退職金規程)を好き勝手に改廃できるのだろうか?

1.就業規則の変更の制限

 労働基準法90条1項は、

「使用者は、就業規則の作成又は変更について、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者の意見を聴かなければならない。」

と規定しています。

 また、労働契約法9条は、

「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。ただし、次条の場合は、この限りでない。」

と、同10条は、

「使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の変更によっては変更されない労働条件として合意していた部分については、第十二条に該当する場合を除き、この限りでない。」

と規定しています。

 このように、就業規則を労働者の不利に変更するためには、手続的にも実体的にも一定の制約が科せられています。

 それでは、労働者のいない会社では、就業規則を好き勝手に改廃することが許容されるのでしょうか?

 全従業員を受け皿となる会社に移転させて、就業規則を自由に改廃し、受け皿から再度全従業員を戻すといったことにより、就業規則の変更による労働条件の不利益変更の規制を潜脱することは可能なのでしょうか?

 この問題を考えるうえで興味深い判示をした裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.2.28労働判例ジャーナル102-52 アンデス事件です。

2.アンデス事件

 本件は被告(株式会社アンデス)を退職した原告が、退職金等を請求した事件です。

 被告は元々事業会社でしたが、平成8年10月1日、同じ建物の中にある関連会社であるアンデスハム株式会社に営業一切を譲渡するとともに、被告の従業員全員をアンデスハム株式会社に雇用させました。

 本件で原告になったのは、平成24年11月30日から平成30年6月28日までの間、被告と労働契約を交わしていた方です。被告からの退職の後、退職金規程が存在しているとして、退職金等の支払を求める訴えを提起したのが本件です。

 これに対し、被告は退職金規定は存在ないとして、原告の請求を争いました。

 裁判所は、次のとおり述べて、退職金規定の廃止を認定し、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

被告に退職金規程が存在したことを認めるに足りる客観的な証拠はない。アンデスハム株式会社における退職金規程の存在及びその内容は、被告の退職金規程の存在を客観的に裏付けるものとはいえない。」

「原告は、被告の総務部長として、被告に退職金規程が存在することを熟知していた旨主張し、これに沿う陳述書・・・を提出するとともに、原告本人尋問において同様の供述をする。」

「しかしながら、上記認定事実のとおり、被告が平成8年10月1日にアンデスハム株式会社に対して営業譲渡に伴って従業員全員を同社に引き継がせていること、それ以降、被告はいわゆる資産管理会社であって原告以外には従業員が存在していないことに加え、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、E(被告の元取締役)及びF(被告の元代表取締役)に対する退職金の支払はいずれも役員に対する退職慰労金の支払であり、この支払に関して何らかの規定が参考とされた事実が認められないことからすれば、上記営業譲渡に伴い退職金規程が廃止され、それ以降、退職金規程が存在しない旨の被告代表者の供述及び同人作成の陳述書・・・は信用でき、これらに反する原告作成の陳述書・・・及び原告本人の供述は採用できない。

「以上によれば、退職金規程が存在するものとは認められないから、この点に関する原告の主張には理由がない。」

3.元々退職金規程が存在しなかった/脱法的意図がなかった事案であろうが・・・

 裁判所は営業譲渡に伴い退職金規程が廃止されたから退職金規程は存在しないとの被告代表者の供述に信用性を認め、原告の請求を棄却しました。

 証拠上元々退職金規程の存在が認められない事案であったこと、営業譲渡・事業譲渡から年数が経っていて脱法的な意図を窺いにくい事案であったことには留意しておく必要があると思います。

 しかし、そうであるにしても、本裁判例は従業員をゼロにする方法での退職金規程の廃止という労働条件の不利益変更を安易に認めすぎているのではないかという気がしないでもありません。

 脱法的なスキームを裁判所が安易に認めるとは思えませんが、こうした形での就業規則(退職金規程)の改廃が認められてしまうと、事業譲渡と雇用契約の結びなおしを繰り返すことにより、労働条件の不利益変更に科せられた制約が潜脱されてしまわないかが、少し心配になります。

 

イエスマンでないことを理由にクビにできるか?

1.仕事観の違い、質問・異論・意見の提出

 解雇やハラスメントに関する相談を受けていると、経営者との仕事観の違いや、質問・異論・意見の提出が、事件の端緒になっていることが珍しくありません。

 解雇の効力が問題となる事件について言うと、こうした価値観の違いに起因する摩擦が労働者側の問題行動を誘発してしまっている場合、その問題行動に解雇事由としての客観的合理性・社会通念上の相当性が認められるのか否かが問題になります。

 しかし、労働者の中には、不穏当な行動に及ぶことなく、ただ経営者とは異なる観点からの質問・異論・意見をぶつけ続けているだけの方も相当数います。こうした不穏当な行動のない労働者に対しても、強引に解雇の踏み切る使用者は、決して少なくないように思われます。

 それでは、こうした「イエスマンでないこと」を理由とした解雇は認められるのでしょうか? 経営者と異なる仕事観を持つことや、質問・異論・意見を出すことは、会社の足を引っ張る行為として、解雇の正当性を基礎づける事実になってしまうのでしょうか?

 昨日紹介した、東京地判令2.3.4労働判例1225-5 社会福祉法人緑友会事件は、この問題を考えるうえでも参考になる判示をしています。

2.社会福祉法人緑友会事件

 本件は、原告労働者が、被告使用者に対し、地位確認等を請求した事件です。

 本件で被告とされたのは、認可保育所等を経営する社会福祉法人です。

 原告になったのは、被告が経営する保育園(本件保育園)で保育士として働いていた方です。育児休業中に復職意思を伝えたところ、理事長との間で面談の機会が設けられ、

「実際問題とすると言葉で言えば解雇なんだけど・・・、園長が無理だって言ってるものを戻せとはいえない・・・、こういうことになってしまって大変申し訳なく思う・・・」

などと言われました。

 これが解雇の意思表示であるとして、その効力が争われたのが本件です。

 被告理事長が上記のような発言に及んだ背景には、原告の方と保育園長との間の軋轢がありました。被告は、要旨、

「原告の□□園長等に対する反抗的、批判的言動が、単に職場の人間関係を損なう域を超えて、職場環境を著しく悪化させ、被告の業務に支障を及ぼす行為であった」

と主張して、解雇の正当性を支えようとしました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、解雇の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告の主張する原告の□□園長等に対する言動のうち、認定できるものは前記・・・の認定事実のとおりであり、原告が本件保育園の施設長である□□園長の保育方針や決定に対して質問や意見を述べたり、前年度の行事のやり方とは異なるやり方を提案することがあったことは認められるものの、□□園長の指示、提案に従わず、ことあるごとに批判的言動を繰り返し、最終的に決まった保育方針、保育過程に従う姿勢を示さなかったとは認められない。原告の言動が、意見の内容、時期、態様によっては、施設長であり、上司である□□園長に対するものとして、適切ではないと評価し得る部分がないとはいえないとしても、現場からの質問や意見に対しては、上司である□□園長や□□主任らが、必要に応じて回答や対応をし、不適切な言動については注意、指導をしていくことが考えられるのであって、質問や意見を出したことや、保育観が違うということをもって、解雇に相当するような問題行動であると評価することは困難である。

(中略)

「そうすると、本件で認定できる原告の言動等を前提とした場合、これらが就業規則24条7号の「その他前各号に準ずるやむを得ない事由があり、理事長が解雇を相当と認めたとき」に該当するとはいえないから、本件解雇は、客観的合理的理由を欠き、社会通念上相当であると認めることもできず、権利の濫用として、無効であると解される。」

「被告は、原告が□□園長らに対して、反抗的、批判的言動をとっていた旨主張し、証人園長もそれに沿う供述をするとともに陳述書・・・を提出している。□□園長の供述及び同人作成の陳述書は、原告が原告グループとされる保育士らとともに□□園長や□□主任に対する反抗的な態度をとり、A保育士やC保育士と事前にすり合わせて職員現況等調査に□□園長や□□主任に対する批判的な記載をするなどした旨供述するものであるが、原告本人、証人A及び証人Cはこれに反する供述をするとともに陳述書・・・を提出しているところ、原告が原告グループとされる保育士らとともに、意図的に園長らに対する反抗的、批判的態度をとっていたことを裏付ける証拠は認められず、質問や意見をされた側の主観的な受け止め方によるところも否定できないことからすると、証人□□の陳述書及び供述は、前記認定事実と整合する範囲においてのみ信用することができ、前記認定事実に反する部分は信用することができない。」

「また、被告は、本件解雇の有効性の検討に当たっては、園児の最善の利益を踏まえて検討すべきである旨主張するが、そもそも、原告の□□園長らに対する言動については、解雇理由に該当するようなものがあったということはできないことからすれば、被告の主張は前記認定を左右するものではない。

3.質問や意見を出したことや価値観(保育観)の違いは解雇事由にならないし、勝手に顧客利益を決めたうえで解雇することは許されない

 上述のとおり、裁判所は、現場からの質問や意見に適切に対応するのが管理職・上司の務めであり、質問や意見を出したことや、価値観(保育観)の違いをもって問題行動と評価することはできないと判示しました。

 また、質問や意見をされた側の主観的な思い込みを事実認定の資料とすることに慎重な姿勢を示し、問題行動もないのに、勝手に顧客(園児)利益を定義して労働者を追い出すことも、許されないと判示しました。

 当たり前のことではありますが、雇われるということは、経営者や上司と仕事観を同一にしなければならないことを意味するわけではありません。イエスマンになりきらなければ社会人失格というわけでもありません。疑問を持つこと、意見を述べること、異論を出すことは、それ自体決して非難されることでもありません。

 イエスマンではなかったとしても、不穏当な行動にさえ及ばなければ、そう簡単に解雇が認められることはありません。価値観や意見の違いを理由とする解雇されて納得できない方は、一度弁護士に相談してみると良いと思います。

 

退職の意思表示の認定-「慎重に検討する必要がある」とされた例

1.退職の意思表示には「自由な意思に基づいていない」との理屈が通用しにくい?

 労働法の領域では、

「自由な意思に基づいていない。」

との理屈で、合意の効力を否定できる場合があります。

 しかし、合意退職、退職の意思表示の場面で、こうした理屈を適用できるかには争いがあり、適用を否定した裁判例があることは、以前、このブログでも言及させて頂いたとおりです。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/09/10/000625

 上記の記事で紹介した東京地判平31.1.22労働判例ジャーナル89-56 ゼグゥ事件は、

「退職届の提出という局面においては、労働者は使用者の指揮命令下から離脱することになるうえ、退職に伴う不利益の内容は、使用者による情報提供等を受けるまでもなく、労働者において明確に認識している場合が通常」

であることを理由に、退職の意思表示の効力を「自由な意思に基づいていない。」との理屈で争うことを、否定しました。

 それでは、退職の意思表示の効力は、民事上の他の意思表示と全く同じような感覚で認定されてしまうのでしょうか? 重大な効果をもたらすという観点から、認定に何等かの制約が及ぼされることはないのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.3.4労働判例1225-5 社会福祉法人緑友会事件です。

2.社会福祉法人緑友会事件

 本件は、原告労働者が、被告使用者に対し、地位確認等を請求した事件です。

 本件で被告とされたのは、認可保育所等を経営する社会福祉法人です。

 原告になったのは、被告が経営する保育園(本件保育園)で保育士として働いていた方です。育児休業中に復職意思を伝えたところ、退職勧奨を受けました。その流れで被告理事長からの説明に「はい。」と発言したことや、退職者一覧に自分の名前を記載するように求めたことが、退職を承諾する意思表示を認定する根拠になるのかが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、合意退職の成立を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、平成30年3月23日の原告と被告理事長との面談において、退職合意が成立した旨主張するので、検討する。」

「この点、労働者が退職に合意する旨の意思表示は、労働者にとって生活の原資となる賃金の源である職を失うという重大な効果をもたらす重要な意思表示であるから、退職の意思を確定的に表明する意思表示があったと認められるか否かについては、慎重に検討する必要がある。

「本件についてみると、前記・・・によれば、原告は、平成30年3月23日、被告理事長との面談において、被告理事長から、□□園長が無理だといっていることから復職をさせることはできない旨を伝えられ、退職を条件に3か月の特別休暇の提案を受けたのに対し、これを断り、解雇理由証明書の発行を求めていたことが認められるところ、このような原告の言動は、原告が退職に納得していないことを示すものと解される。そして、証拠・・・によれば、原告が、被告理事長の説明に対し、『はい。』などと述べていることは認められるものの、会話の流れを全体としてみれば、単に相槌を打っているに過ぎないと解され、被告理事長からの復職は認められない旨の発言に対し、このような原告の発言をもって、承諾をしたと評価することはできない。

「そうすると、原告が被告理事長から復職させることはできない旨を伝えられたのに対し、それを承諾する旨の意思表示をしたと認めることはできない。」

「一方、被告理事長は、実際には解雇である旨述べた上、園長が無理だという以上戻すことはできないとして、復職はできないことを明言していること、当該面談の後に、原告の求めに応じて解雇理由証明書を発行していること・・・からすれば、被告理事長の原告に対する当該面談における復職させることはできない旨の通告は、実質的には、原告に対する解雇の意思表示であったと認めるのが相当である。」

被告は、原告が平成30年3月末の本件保育園の退職者の一覧に自分の氏名を加筆させたことは、原告が退職に同意していたことを示す事情である旨主張するが、解雇に不満があったとしても、保護者や園児に対して復職できないことを伝えるために退職者一覧に自己の氏名を載せるように求めることは不自然とはいえないから、原告の当該行為によって承諾の意思表示があったと推認することはできず、当該事情は前記認定を左右するものとはいえない。

「また、証拠・・・によれば、被告が解雇理由証明書の内容について、原告の希望どおりに記載しようとしていたことは認められるものの、このような被告側の行為をもって、原告が解雇を受け入れていたと評価することはできない。」

「したがって、平成30年3月23日の面談において、原告と被告との間に退職合意が成立した旨の被告の主張は理由がない。」

3.「慎重に検討する必要がある」との法理

 原告が退職の合意自体の存在を争い、合意の事実そのものが認定できないとされたため、本件では合意の外形的事実を前提とする「自由な意思に基づいていない。」との理屈の採否が問題になることはありませんでした。

 そのため、本件の裁判体が、合意退職の場面での「自由な意思に基づいていない。」との理屈の当否について、どのような考え方をしているのかは分かりません。

 しかし、効力を論じる以前の問題、生の事実としての退職合意の認定の在り方について、

「退職の意思を確定的に表明する意思表示があったと認められるか否かについては、慎重に検討する必要がある。」

と明言した部分は、汎用性が高く、重要な判示だと思います。「慎重」な「検討」の意味内容によっては、「自由な意思に基づいていない。」との法理を適用するのと似たような結論を導ける可能性があるのではないかと思います。実際、裁判所は「退職者の一覧に自分の氏名を加筆させ」るといった退職意思を推認させる事実について、復職できないことを伝える手段として「不自然とはいえない」と危うげな理屈を構築してまで、原告の救済を図っています。

 本件のような裁判例の存在を踏まえると、合意退職が争点となる事件を受任するにあたっては、「慎重に検討する必要がある」の法理と「自由な意思に基づいていにない」の法理との、二つの観点から検討を進めて行く必要があると言えそうです。

 

日時を特定しない居眠りの主張・立証に意味はあるのか?

1.居眠りの主張・立証

 使用者側から解雇事由の一つとして、勤務時間中の居眠りを指摘されることがあります。また、残業代を請求した時に、「居眠りをしていたから払わない。」という反論が寄せられることがあります。

 しかし、大抵の場合、

「それでは、何年何月何日の何時から何時まで居眠りをしていたのか。」

と釈明を求めても、具体的な回答が返ってくることはありません。概ねのケースでは、「居眠りばかりしていた。」などという抽象的な主張が繰り返されたり、同僚と称する人物の「居眠りばかりしていました。」という趣旨の陳述書が出てきたりするだけです。

 こういう主張や供述には、日時が特定できなければ詳細な認否反論が不可能であることを指摘したうえ、単純否認していれば、裁判所から無視・黙殺してもらえることが多いように思われます。

 しかし、残念なことに、どれだけ無駄だと指摘しても、鸚鵡のように「居眠りをしていた。」という抽象的な主張を繰り返し述べられる事案に一定頻度で遭遇します。

 こうした事態に対応するため、引用できる裁判例がないかと思っていたところ、近時公刊された判例集に、参考になる裁判例が掲載されていました。大阪地判令2.3.27労働判例ジャーナル102-52 太平洋ディエムサービス事件です。

2.太平洋ディエムサービス事件

 本件は普通解雇の無効を理由とする地位確認の可否等が問題になった事件です。

 被告になったのは、顧客である官公庁や企業から、個人情報が記載された書面や個人情報に係る電子データを預かり、同データの加工、個人情報が印字された書面の封入等の作業を受託することを主要な業務内容とした会社です。

 原告になったのは、被告で従業員として雇用されていた方です。被告から普通解雇されたことを受け、地位確認等を求める訴訟を提起したのが本件です。

 被告が主張した解雇事由は幾つかありますが、その中の一つに、

「睡眠時無呼吸症候群を原因とする居眠り」

がありました。

 より具体的に言うと、被告は、

「原告は、平成27年8月頃以降、睡眠時無呼吸症候群の影響により、勤務時間中、頻繁に居眠りをするようなり、同月中、B取締役が何度も注意をした。原告は、同年9月、そのような居眠りにつき、睡眠時無呼吸症候群によるものであり、治療をしているので今後は改善する旨説明をし、その旨記載された同年10月2日付け診断書を提出したので、懲戒処分に付すことなく改善を待っていたが、居眠りの1日当たりの回数、時間が増え、約1時間近く眠っている日も少なくなかった。原告の居眠りは、職場の規律や業務遂行に影響を及ぼす程度のものであり、平成29年1月までのおよそ1年6か月間にわたって改善せず、原因である睡眠時無呼吸症候群は治癒していないのであるから、被告の就業規則上の解雇事由『精神もしくは身体の障害により、業務に堪えられないと認められるとき』(就業規則54条1号・・・)に該当する。」

と主張しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、居眠りを理由とする解雇を否定しました。

(裁判所の判断)

被告は、原告が睡眠時無呼吸症候群の影響により、勤務時間中、頻繁に居眠りをするようなり、その後においても、居眠りの1日当たりの回数、時間が増え、約1時間近く眠っている日も少なくなかったなどと主張する。

「そして、前記前提事実のとおりに認められる医師の診断内容等・・・に照らせば、原告が治療の継続を必要とする程度の睡眠時無呼吸症候群に罹患していたということはできるものの、被告主張に係る上記のような回数、時間に及ぶ居眠りがあったことについては、被告代表者の供述や被告従業員作成の陳述書・・・等があるほかに客観的な裏付け証拠はなく、他方で、これを否定する趣旨の原告の供述があることに照らせば、そのような居眠りがあった事実を認定することはできない。

「以上によれば、被告主張に係る『睡眠時無呼吸症候群を原因とする居眠り』の点については、その回数、時間等が『業務に堪えられない』との程度に至っているとの評価を可能とするだけの事実を認定できないから、被告主張に係る就業規則上の解雇事由への該当性が認められず、さらには、ほかにこの点を理由とした解雇に客観的な合理的理由があり、社会通念上相当であるとの評価を基礎付ける事実を認めるに足りる証拠はないというべきである。」

3.頻繁な居眠り、約1時間近く眠っている日も少なくなかった→✕

 裁判所は、客観証拠もない中で「頻繁な居眠り」「約1時間近く眠っている日も少なくなかった」といった抽象的な主張を行い、それを供述証拠で立証しようとしても、反対当事者から否認されれば、居眠りの事実を認定することはできないと判示しました。

 当たり前の判示だとは思いますが、個人的な実務経験の範囲で言うと、こうした当たり前の帰結を省みずに居眠りの主張をする使用者は一定数います。

 そのため、本件のような判示も、存外、参照頻度を持ってくるかもしれないなと思い、備忘を兼ねて紹介することにしました。

 

固定残業代の亜種-さじ加減によって支払われていた「時間外手当」「休日手当」は有効な残業代の弁済になるのだろうか

1.ランダムに額が決められている「時間外手当」「休日手当」

 固定残業代は、一般に、

「時間外労働、休日および深夜労働に対する各割増賃金(残業代)として支払われる、あらかじめ定められた一定の金額

として定義されています(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕115頁参照)。

 この固定残業代の有効性について、最高裁は二つの要件を定立しています。

 一つは判別要件です。固定残業代が有効といえるためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外の割増賃金に当たる部分とが判別できる必要があります(最一小判平24.3.8労働判例1060-5テックジャパン事件、最二小判平29.7.7労働判例1168-49医療法人社団康心会事件)。

 もう一つは、対価性要件です。一定の金額の支払が残業代の支払といえるためには、時間外労働等の対価として支払われたものであることが必要です(最一小判平30.7.19労働判例1186-5日本ケミカル事件)。

 ある「一定の金額」が固定残業代としての有効要件を満たすのかは、上述のとおり判別可能性、対価性の二つの観点から検討されます。

 それでは「時間外手当」「休日手当」との名目で支払われている金銭について、法定の計算方法や特定の法則性に依拠することなく、ランダムに金額が決定されていた場合はどうでしょうか?

 ランダムに決められた「時間外手当」「休日手当」が、時間外勤務手当等の弁済としての効力を有するか否かの判断は、固定残業代の有効要件と同様に考えることができるのでしょうか?

 それとも、判別可能性、対価性の要件は、飽くまでも「一定の金額」の支払に時間外勤務手当等の弁済としての効力が認められるための要件であり、ランダムに決められている「時間外手当」「休日手当」の支払は、判別可能性や対価性を論じることなく、名目通り時間外勤務手当等の弁済としての効力が認められることになるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、この問題(判別可能性・対価性が固定残業代固有の有効要件なのか、それとも、凡そ「時間外手当」等の名目で支払われる金銭一般についてそれが有効な残業代の弁済と認められるために必要な要件なのか)を考えるうえで、参考になる裁判例が掲載されていました。

 昨日もご紹介した大阪地判令2.5.28労働判例ジャーナル102-32 タカラ運送ほか1社事件です。

2.タカラ運送ほか1社事件

 本件はトラック運転手の方が原告となって提起した残業代請求訴訟です。

 被告会社は「運行時間外手当」「休日手当」との名目で適当な額の金銭を支払っていましたが、これは被告(元)代表者(被告P5)の匙加減(トラック運転手がよく頑張っているかどうかの判断)によって決められているものでしかありませんでした。

 本件では、この「運行時間外手当」「休日手当」が時間外労働等の対価と言えるのかが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次の通り述べて、時間外労働等に対する手当としての性質を有すると認めることはできないと判示しました。

(裁判所の判断)

-運行時間外手当-

「賃金明細書には、『運行時間外手当』欄があり、同欄に記載された金額は、原告P1の平成24年6月分及び原告P2の平成25年2月分を除き、賃金明細書下部の『内訳』欄にある『ベース』、『時間外手当』、2つの『割増』、『高速還付金』の各欄に記載された金額の合計額に一致する・・・。」

「しかしながら、原告P1の平成24年6月分及び原告P2の平成25年2月分の『運行時間外手当』欄に記載された金額と同月の賃金明細書下部の『内訳』欄にある『ベース』、『時間外手当』、2つの『割増』、『高速還付金』の各欄に記載された金額の合計額は、大きくそごしている。また、それ以外の期間についても、上記内訳の項目については、いずれも有無や金額が変動しているのみならず、如何なる趣旨で、どのような算出根拠及び計算方法により算出されたか判然としない。更に、『ベース』欄及び2か所の『割増』欄の金額は、被告P5が、さじ加減(トラック運転手がよく頑張っているかどうか)により決定されていたというのである・・・。

そうすると、運行時間外手当について、対価性・明確区分性があるとはいえず、時間外労働等に対する手当としての性質を有すると認めることはできない。

-休日手当-

「賃金明細書には、『休日手当』との欄があるが、当該記載のみから、これが法定休日労働に対する対価であるのか、それとも法定外休日労働に対する対価であるのか、その性質は判然としない。」

「また、証拠・・・によれば、被告アイシスは、従業員に対して、10トン車の場合、休日に積み降ろしのみ行ったときは8000円、終日作業をした場合は1万6000円を支給していたことが認められるものの、その算出根拠は不明である(被告アイシスは、原告らの時間単価について、759円程度である旨主張するところ、割増賃金の計算式から説明ができない。)。」

「そして、上記bの『ベース』欄及び2か所の『割増』欄の金額で述べたとおり、被告P5は、さじ加減(トラック運転手がよく頑張っているかどうか)により従業員の支給額を決定していたことも踏まえると、休日手当についても対価性・明確区分性があるとはいえず、時間外労働等に対する手当としての性質を有すると認めることはできない。

(中略)

「以上によれば、原告らの割増賃金の基礎となる賃金には、被告アイシスから原告らに対して支給された全額が算入されることとなる。」

3.勤務実体と大幅に乖離する僅少な残業代しか支払われていなかった時に、その支払いが残業代の弁済であることを否定できるか?

 上記の判示は、

「割増賃金の基礎となる賃金の考え方」

という論点の中での判示になります。

 つまり、「運行時間外手当」「休日手当」が割増賃金を計算するうえでの基礎賃金に該当するかという脈絡で判断されたものであって、「運行時間外手当」「休日手当」名目での金銭の支払が、時間外勤務手当等の弁済として有効かどうかという脈絡で判断されたものではありません。

 そのため、判別可能性・対価性を、ランダムに決定されている「時間外手当」「休日手当」が有効な時間外勤務手当等の支払と認められるための要件として位置付けたものなのかは、明確に読み取れるわけではありません。

 しかし、

「時間外労働等に対する手当としての性質を有すると認めることはできない。」

のであれば、それが時間外勤務手当等の弁済であることもないはずであり、判別可能性・対価性を、凡そある金銭の支払が、時間外勤務手当等の有効な弁済として認められる要件として理解したものという考え方も可能だと思います。

 もし、判別可能性・対価性が残業代の弁済一般の有効要件であるとするのであれば、実際の時間外労働等の分量に比して、少額の時間外勤務手当等の支払しかされていない場合、その乖離の大きさによっては、対価性がないことを理由に、時間外勤務手当等の支払があったことを否定することができるかもしれません。

 判別可能性・対価性が時間外勤務手当の弁済一般の有効要件なのか、引き続き裁判例の動向を注視して行く必要があります。