弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

従業員をゼロにすれば就業規則(退職金規程)を好き勝手に改廃できるのだろうか?

1.就業規則の変更の制限

 労働基準法90条1項は、

「使用者は、就業規則の作成又は変更について、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者の意見を聴かなければならない。」

と規定しています。

 また、労働契約法9条は、

「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。ただし、次条の場合は、この限りでない。」

と、同10条は、

「使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の変更によっては変更されない労働条件として合意していた部分については、第十二条に該当する場合を除き、この限りでない。」

と規定しています。

 このように、就業規則を労働者の不利に変更するためには、手続的にも実体的にも一定の制約が科せられています。

 それでは、労働者のいない会社では、就業規則を好き勝手に改廃することが許容されるのでしょうか?

 全従業員を受け皿となる会社に移転させて、就業規則を自由に改廃し、受け皿から再度全従業員を戻すといったことにより、就業規則の変更による労働条件の不利益変更の規制を潜脱することは可能なのでしょうか?

 この問題を考えるうえで興味深い判示をした裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.2.28労働判例ジャーナル102-52 アンデス事件です。

2.アンデス事件

 本件は被告(株式会社アンデス)を退職した原告が、退職金等を請求した事件です。

 被告は元々事業会社でしたが、平成8年10月1日、同じ建物の中にある関連会社であるアンデスハム株式会社に営業一切を譲渡するとともに、被告の従業員全員をアンデスハム株式会社に雇用させました。

 本件で原告になったのは、平成24年11月30日から平成30年6月28日までの間、被告と労働契約を交わしていた方です。被告からの退職の後、退職金規程が存在しているとして、退職金等の支払を求める訴えを提起したのが本件です。

 これに対し、被告は退職金規定は存在ないとして、原告の請求を争いました。

 裁判所は、次のとおり述べて、退職金規定の廃止を認定し、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

被告に退職金規程が存在したことを認めるに足りる客観的な証拠はない。アンデスハム株式会社における退職金規程の存在及びその内容は、被告の退職金規程の存在を客観的に裏付けるものとはいえない。」

「原告は、被告の総務部長として、被告に退職金規程が存在することを熟知していた旨主張し、これに沿う陳述書・・・を提出するとともに、原告本人尋問において同様の供述をする。」

「しかしながら、上記認定事実のとおり、被告が平成8年10月1日にアンデスハム株式会社に対して営業譲渡に伴って従業員全員を同社に引き継がせていること、それ以降、被告はいわゆる資産管理会社であって原告以外には従業員が存在していないことに加え、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、E(被告の元取締役)及びF(被告の元代表取締役)に対する退職金の支払はいずれも役員に対する退職慰労金の支払であり、この支払に関して何らかの規定が参考とされた事実が認められないことからすれば、上記営業譲渡に伴い退職金規程が廃止され、それ以降、退職金規程が存在しない旨の被告代表者の供述及び同人作成の陳述書・・・は信用でき、これらに反する原告作成の陳述書・・・及び原告本人の供述は採用できない。

「以上によれば、退職金規程が存在するものとは認められないから、この点に関する原告の主張には理由がない。」

3.元々退職金規程が存在しなかった/脱法的意図がなかった事案であろうが・・・

 裁判所は営業譲渡に伴い退職金規程が廃止されたから退職金規程は存在しないとの被告代表者の供述に信用性を認め、原告の請求を棄却しました。

 証拠上元々退職金規程の存在が認められない事案であったこと、営業譲渡・事業譲渡から年数が経っていて脱法的な意図を窺いにくい事案であったことには留意しておく必要があると思います。

 しかし、そうであるにしても、本裁判例は従業員をゼロにする方法での退職金規程の廃止という労働条件の不利益変更を安易に認めすぎているのではないかという気がしないでもありません。

 脱法的なスキームを裁判所が安易に認めるとは思えませんが、こうした形での就業規則(退職金規程)の改廃が認められてしまうと、事業譲渡と雇用契約の結びなおしを繰り返すことにより、労働条件の不利益変更に科せられた制約が潜脱されてしまわないかが、少し心配になります。