弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

労働時間概念の相対性-労災認定の場面では厳密な労働時間「数」の立証がいらないこともある

1.労災認定の場面における「労働時間」の重要性

 精神障害の発症が労災と認定されるためには、時間外労働の時間数が重要な意味を持ちます。

 具体的に言うと、

「心理的負荷による精神障害の認定基準について(平成23年12月26日付け 基発1226第1号)(令和2年8月21日改正)」

は、

「発病直前の連続した2か月間に、1月当たりおおむね120時間以上の時間外労働を行い、その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった」場合や、
「発病直前の連続した3か月間に、1月当たりおおむね100時間以上の時間外労働を行い、その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった」場合、

精神障害の発症の原因となり得る強度の心理的負荷が生じるとしています。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/090316.html

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 そのため、労災認定の局面では、時間外労働の時間数が攻防の対象になることが珍しくありません。

2.労働時間概念は相対的なものなのか?

 この「労働時間」の概念をめぐっては、残業代請求の場面の「労働時間」の概念と同様に理解して良いのかという問題があります。

 令和元年11月26日、東京地裁労働部と東京三弁護士会との間で協議会が開催されました(労働判例1217-5参照)。

 この協議会の議題としても、残業代請求の場合と労災認定の場合とで労働時間の概念は異なるのではないかとの問題提起がなされました。

 ここで当時の東京地裁の裁判官は、

「残業代請求事件における労働時間と労災事件・安全配慮義務違反に基づく損害倍書う請求事件における労働時間とを対比する本協議問題に適切にお答えするのは、かなり難しいと感じております。」

と前置きしたうえ、要旨、

残業代請求の場面での労働時間は割増賃金を請求するための要件事実そのものであるから、労働密度が比較的少ない仮眠時間(不活動仮眠時間)であっても労働時間に当たると認められる場合がある、

労災事件・安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求の場合には、労働時間やその長さは、業務起因性や相当因果関係の要件を判断するに当たっての要素の一つとして考慮されるという位置づけになるため、労働密度や業務の困難性といったものを併せて考慮することになる、

といった形で、労働時間概念が相対的なものであることに、含みを持たせた説明をしました(上記労働判例1217-28佐藤卓裁判官の発言部分参照)。

 この協議会での議論を見て以来、残業代請求の場面と労災認定の場面との労働時間概念の差異について触れた裁判例が現れないかを注視していたのですが、近時公刊された判例集に、この論点に踏み込んだ裁判例が掲載されました。盛岡地判令2.6.5労働判例ジャーナル102-26 地方公務員災害補償基金岩手支部長事件です。

3.地方公務員災害補償基金岩手支部長事件

 本件は公務外災害と認定する処分に対する取消訴訟です。

 平成26年6月10日、奥州市の職員に医師として採用され、前沢診療所で勤務していた方(亡P4)が、電気コードで首をくくって自殺しました。

 医師の妻が原告となって自殺が精神障害に起因する公務災害(労災の公務員版です)であることの認定を求めたところ、処分行政庁はこれを公務外災害と認定する処分をしました。

 これに対し、原告が公務外災害の取消訴訟を提起したのが本件です。

 しばしば労災の取消訴訟で問題になるとおり、本件でも時間外労働時間の多寡が争点になりました。

 この争点について、原告は、

「亡P4は、平成25年1月頃に前沢診療所の常勤医師が亡P4 1名となって以後、平成25年10月15日から同月20日までの期間を除くと、学会や研修などでやむを得ず奥州市を離れなければならない日を除いて毎日宅直業務を行っており、平成25年1月から平成26年1月までの宅直日数は、別紙3『被災職員の宅直一覧表』中『○』で表示されているとおり、396日中351日に上る。亡P4は、宅直業務中、飲酒を控える等の気配りの上、携帯電話を入浴中には風呂場に就寝時には枕元に置くなどして自宅で待機し、入院患者の容体急変や急患の搬送などの問題が生じた場合には前沢診療所に駆けつける体制を取っていた。亡P4は、このような状況により、終日精神を解放することができず、絶えず緊張状態に置かれ、不眠に悩まされていた。」

「また、上述した宅直業務の際の状況からすると、亡P4は、ほぼ毎日労働義務を負っていたというべきであるし、宅直業務については実作業を行っていない不活動仮眠時間についても市の指揮命令下に置かれていたといえるから、これらも時間外労働時間に算入すべきである。

と自宅での待機時間も全て労働時間としてカウントされるべきだと主張しました。

 裁判所は、次のとおり述べて、原告の労働時間のカウントの仕方こそ否定したものの、宅直業務で強い心理的負荷がかかっていたことを認め、結論としても公務外認定処分の取消請求を認めました。

(裁判所の判断)

-労働時間のカウントについて-

「原告は、診療などの業務による負荷について、宅直業務を行った際の不活動仮眠時間も市の指揮命令下に置かれていたといえるから、これも時間外労働時間に算入すべきであり、そうすると、亡P4の時間外労働時間は1月当たり400時間前後になるから同人の負荷が強度であったことは明らかであると主張する。」

「しかしながら、精神疾患に関する公務起因性の検討において時間外労働時間を考慮するのは、賃金請求事件において対価を支払うべき時間外労働時間が存在するか否かを問題にするのとは異なり、労働そのものがもたらす肉体的負荷などに精神疾患を発症させ又は増悪させる一定程度以上の危険性が内在するか否かを判断するためである。そうすると、たとえ不活動仮眠時間が時間外労働時間にあたる場合であっても、当該労働のもたらす負荷が著しく低い場合などに不活動仮眠時間を時間外労働時間に算入して公務起因性を検討すると、その負荷の評価を見誤りかねない。この点、亡P4の宅直業務の様子をみるに、本件記録中、原告が不活動仮眠時間と主張する時間に亡P4が昼間の診療活動に匹敵する肉体的負荷を受けるような具体的な業務を行っていたとは認められないから、拘束に伴う精神的負荷などを別途考慮する余地はあるとしても、これを時間外労働時間に形式的に算入しても、負荷の強度を測ることにさして役立つものではない。

原告の上記主張を採用することはできない。

-宅直業務による心理的負荷について-

「宅直など自宅における業務についてみると、亡P4は、自宅にて、

〔1〕所長としての管理業務、

〔2〕2時間おきの心電図の確認、

〔3〕外来及び入院診療業務に関する電話による指示、

〔4〕呼出しに応じるということを務めていたことが認められ・・・、

亡P4の正確な従事時間を裏付ける的確な証拠はないものの、相応の時間外労働を行っていたと考えるのが合理的である。」

「また、平成25年1月以降、亡P4がほぼ毎日夜間の宅直当番を務める状態に陥っていることは上記ア記載のとおりであって、亡P4は、本件疾患を発症するまでの1年間、常に前沢診療所の入院診療を気にかけ続けながら生活していたのであり、一時も公務から解放されて心を休めることもままならず、精神的に疲弊する状況だったといえる。確かに、上記〔3〕及び〔4〕の回数は多数回とまではいえないが、時には深夜や早朝にされるなど不規則に行われていたものであり、しかも、それをあらかじめ予測することもできないのである。そうすると、1回あたりの所要時間は短かったとしても、それらによる精神的な負荷は大きいといえる。」

「以上を総合すると、亡P4は自宅で相当の時間外労働を行うことで肉体的負荷だけでなく精神的な負荷も受けたといえ、結局、宅直など自宅における業務による負荷は非常に強度であったというべきである。

-精神疾患発症の公務起因性について-

亡P4は、平成25年1月以降、1年を通して夜間も完全に業務から解放されることなく昼間の休息もままならない状態を継続し、市当局の物的心理的両面の支援も何らなく患者虐待問題という極めて深刻な問題の対応を迫られ、その後、明らかに市当局との対立状況を意識せざるを得ない中で病床廃止問題につき住民側の姿勢に立った意見をもって市当局などと対応せざるを得なかったのである。そして、平成25年11月頃からは患者数の増加などにより診療業務も繁忙になって時間外労働時間も増加し、本件疾患を発症する直前には1か月以上に渡って連続勤務を強いられ、更に肉体的にも精神的にも強い負荷を受けたものである。このことは、亡P4が、病床廃止問題に関して市当局との対立が鮮明になった平成25年夏頃から愚痴を言う、苛立つ、怒鳴るなどの行動を取るようになり、次第にその内容が深刻さを増していったことからも明らかである・・・」

「以上によると、平成25年1月以降、特に同年11月頃からの公務による精神的及び肉体的な負荷は本件疾患を発症させるほど客観的に過重であると認められる。

4.労働時間的に公務災害が認定されるには厳しい事案であったが・・・

 本件では亡P4が精神障害(双極性感情障害)を発症した時期について、平成26年1月ころであると認定されています。

 そして同月から遡って半年間の時間外労働時間は、次のとおり認定されています。

平成25年8月 31時間27分
同年9月    36時間27分
同年10月   37時間59分
同年11月   41時間00分
同年12月   40時間47分
平成26年1月 48時間58分

 弁護士的な発想で言うと、時間外労働が精神障害の発症に因果性を与えたというには、冒頭で述べたとおり、100時間~120時間くらいの時間外労働が必要だというのが一般的な捉え方ではないかと思います。

 時間外労働の時間が本件程度しかカウントされていないにもかかわらず、宅直と言う業務の性質に着目して、「相当の時間外労働」という概念を用いて時間外労働による強度の精神的負荷を認め、労災(公務災害)認定の途を切り開いたのは、非常に画期的なことだと思います。

 従来、労災の取消訴訟では、労働時間のカウントをめぐって、長期間に渡り、細かくて熾烈な攻防が繰り広げられていました。

 この判決が用いたロジックは、各日の労働時間の実体がどうなっていたのかという膨大な主張・立証活動の負担から、被災者(遺族)を解放する可能性を持っています。

 使える業態が医師の宅直に類似したものに限られるであろうこと、本件が宅直だけで勝負が決まった事案ではないことには留意しておく必要がありますが、本件は労災事件・労災民訴を扱う弁護士にとって極めて重要な裁判例として位置付けられると思います。