弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

専門職(医師)の能力不足解雇の可否を判断するにあたり、鑑定が用いられた例

1.専門職の能力不足解雇

 職務を行う能力や適格性を欠いていることを理由とする解雇の可否は、

「①使用者と労働者との労働契約上、その労働者に要求される職務の能力・勤務態度がどの程度のものか、②勤務成績、勤務態度の不良はどの程度か、③指導による改善の余地があるか、④他の労働者との取扱いに不均衡はないか等について、総合的に検討することになる」

と理解されています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』〔青林書院、改訂版、令3〕395頁)。

 しかし、専門職の労働者の場合、仕事の内容が難解で、

勤務成績(能力)の不良がどの程度なのか、

が良く分からないことがあります。

 近時公刊された判例集に、こうした場合の立証方法として、鑑定が用いられた裁判例が掲載されていました。福岡地判令5.12.12労働判例ジャーナル147-30 国立大学法人佐賀大学事件です。

2.国立大学法人佐賀大学事件

 本件で被告になったのは、佐賀大学医学部附属病院(附属病院)を設置、運営している国立大学法人です。

 原告になったのは、医師の方です。平成29年9月1日、期間5年の有期雇用契約を交わし、佐賀大学教授医学部医学科胸部・心臓血管外科学講座(本件教授職)に任命されました。しかし、平成30年9月30日付けで「勤務成績又は業務能率が著しく不良と認められる場合」等に該当するとして普通解雇されてしまったことを受け、その無効を主張し、地位確認等を求める訴えを提起しました。

 この事件では原告に能力不足が認められるのか否かが争点の一つになりました。

 裁判所は、次のとおり述べて能力不足解雇の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

当裁判所は、令和3年12月24日、当事者双方が申し出た鑑定(本件鑑定)について、鑑定人を山口大学医学部医学科器官病態外科学講座のf教授(以下『本件鑑定人』という。)と指定した上で採用した。

「本件鑑定の鑑定事項は、〔1〕原告が過去に執刀した冠動脈バイパス術、僧帽弁形成術及び同置換術、急性心筋梗塞後心室中隔穿孔修復術並びに大動脈基部置換術合計7症例(これらにはA医師及びB医師の意見書の評価対象とされた手術〔前記(7)イ〕も含まれる。)について、各症例の手術動画及び手術記録(サマリー)を鑑定資料として、手術手技の習熟度、安全性を医学的に評価すること及び、〔2〕心臓血管外科領域の一般的知見として、大学附属病院等において標準的と考えられる冠動脈バイパス術後の早期閉塞率の程度である。」

「当裁判所は、本件鑑定人に対し、手術手技の評価に関する結論の表現方法(評価尺度)について、A優れている、B標準的である、C許容範囲内である、D標準的でない、E劣っている等の用語例を参考とすることを依頼した。」

「本件鑑定人は、令和4年2月1日付けで、当裁判所に、鑑定書を提出した。」

(中略)

・本件鑑定の結果について

「本件鑑定においては、原告の行った手術手技の習熟度、安全性について、心拍動下での冠動脈バイパス術は『やや劣っている』・・・、心停止下での僧帽弁前尖の形成術を試みたが途中で置換術に切り替えた症例は『劣ったレベル』・・・、心停止下での僧帽弁前尖の形成術は『やや劣っている』・・・との評価がされており、原告が立ち会った冠動脈バイパス術の術後の早期閉塞率が約10.1%(=13本÷72本)~約13.9%(=10本÷72本)であること・・・についても、本件鑑定人が大学の附属病院等において標準的と考えるおおむね10%以内の水準・・・と比較して良好とはいい難い。」

「もっとも、本件鑑定においては、原告の行った心停止下での冠動脈バイバス術は『標準的なレベル』・・・、心停止下での左心室内栓摘除、冠動脈バイパス術は『標準的なレベル』・・・、心停止下での心室中隔穿孔修復術は『標準的なレベル』・・・、心停止下での大動脈基部置換術は『標準的なレベル』・・・との評価がされており、原告が心停止下で行ったグラフトの採取、吻合、心臓の癒着剥離、人工心肺の装着等の汎用的な手術手技の習熟度、安全性については、いずれも標準的なレベルである旨の評価がされている。また、本件鑑定においては、冠動脈バイパス術後の早期閉塞率はグラフトの種類や吻合した冠動脈によっては15%程度も許容されるとの意見が示されており・・・、原告が立ち会った冠動脈バイパス術後の早期閉塞率約10.1%~約13.9%はこれを下回っている。このように、本件鑑定の結果を全体として見れば、原告が心臓血管外科の専門医として不適格である旨の評価はされていないといえる。」

「その上で、原告は、附属病院心臓血管外科が第一選択として掲げていた・・・心拍動下での冠動脈バイパス術及び僧帽弁形成術の経験には乏しく不慣れであることは自認しているものの・・・、両術式については心停止下での冠動脈バイパス術及び僧帽弁置換術等の代替術式が存在し、各術式それぞれにメリット・デメリットが存在するから、自らの手術手技に照らしてそれらを適切に使い分けることや、附属病院心臓血管外科内の役割分担によって、原告の上記経験不足による支障を最小化することが可能である上・・・、原告が平成30年5月28日及び同年6月4日に自ら執刀した心停止下での冠動脈バイパス術の執刀時にグラフトの閉塞等は認められず・・・、上記・・・の本件鑑定の結果とも符合すること、原告が本件診療科長職として執刀医又は第一助手として立ち会った冠動脈バイパス術の死亡率は0%・・・と良好であったこと・・・を併せ考慮すると、原告は、特定の術式に限らず全体として見れば心臓血管外科の専門医として標準的なレベルの手術手技を行える能力を有しているものと評価することが可能である。」

・A医師及びB医師の意見書について

A医師及びB医師の意見書は原告の行った手術手技について、特に心拍動下での冠動脈バイパス術や僧帽弁形成術に特有の手技を中心として基本的なレベルにすら達していないとするものである。他方で、A医師は『人工心肺確立、心筋保護など基本的技術の安全管理は担保され、平均レベルに達しており、弁置換術など通常手術を行うには問題ないと思われる』、『基本的血管吻合技術も確立している』と、B医師も『吻合については、運針は概ね的確にできている』と述べているが、被告は、匿名とすることを約して上記専門家に評価を依頼したことを理由に、上記各専門家の氏名及び所属等を原告に開示せず、本件訴訟においても明らかにしていない・・・し、原告が医学的観点からこれに反論を加え・・・、九州大学名誉教授であるg医師もA医師及びB医師の意見書の内容に疑問を呈していること・・・に照らすと、その証明力は顕名でされた本件鑑定の結果よりも劣後するといわざるを得ない。

(中略)

「このように、本件雇用契約の内容は、原告が本件教授職と本件診療科長職を兼任し、附属病院心臓血管外科で手術に従事するというものである・・・ところ、本件鑑定の結果によれば、原告は、心臓外科の専門医として標準的なレベルの手術手技を行える能力を有していたと評価されており、その能力が著しく低かったとまではいえないこと・・・に加え、附属病院心臓血管外科の手術件数、診療報酬の減少の責任が全て原告にあるということはできないこと・・・、手続的相当性その他の事情・・・を併せ考慮すると、c院長の陳述・・・証言・・・及び附属病院循環器内科のh准教授の陳述・・・によれば原告が本件診療科長職に就いて以降附属病院に心臓血管外科と循環器内科の連携不全その他の業務上の支障が生じていたことが認められることを踏まえても、原告について本件雇用契約の期間満了を待つことなく直ちに雇用を終了させざるを得ないような特別の重大な事由があったとは評価できない(本件解雇事由とされた就業規則19条1号の勤務成績又は業務能率が著しく不良と認められる場合及び同条4号その他前三号に準ずる客観的かつ合理的な事由があるときに該当するともいえない。)。したがって、本件解雇は労働契約法17条1項の『やむを得ない事由がある場合』に該当せず、無効である。 」

3.立証方法としての鑑定

 鑑定について、民事訴訟法には、次のような規定があります。

第二百十二条 鑑定に必要な学識経験を有する者は、鑑定をする義務を負う。

2 第百九十六条又は第二百一条第四項の規定により証言又は宣誓を拒むことができる者と同一の地位にある者及び同条第二項に規定する者は、鑑定人となることができない。

第二百十五条 裁判長は、鑑定人に、書面又は口頭で、意見を述べさせることができる。

2 裁判所は、鑑定人に意見を述べさせた場合において、当該意見の内容を明瞭にし、又はその根拠を確認するため必要があると認めるときは、申立てにより又は職権で、鑑定人に更に意見を述べさせることができる。

 各当事者は、こうした規定の適用を求め、裁判所に対して、鑑定の申立をすることができます。

 しかし、

鑑定の必要性を認めてもらうためのハードルが高いこと、

鑑定費用が高額に及ぶこと、

鑑定人の判断はコントロール不可能であるが、しばしば、裁判の帰趨に決定的な影響を及ぼすようなインパクトを持ってくること、

当事者双方にも一定の専門知識は備わっていること(専門職労働者の労使紛争の場合)

などの理由により、実務上、立証方法として、それほど広く活用されているわけではないように思います。

 そのため、今回の裁判で、鑑定という立証方法(しかも双方申請)が用いられたのは、特徴的で興味深く思われました。

 鑑定の証拠としての威力は非常に強いので(実際、鑑定によって匿名の医師意見書が蹴散らされています)、当時者としては、結論が予想される場面でしかやりたくないのですが、双方申請ということは、原告、被告双方とも勝てると思っていたのかも知れません。

 結論の予測がしにくいこともあり、あまり鑑定をやろうという発想にはならないのが普通ですし、実際、労働事件で鑑定が用いられることは稀だとは思うのですが、専門職労働者の能力の高低を評価するにあたり、こうした鑑定の使い方があることは、覚えておいても良さそうに思われました。