1.賞与の権利性
賞与が支給されることを見込んで生活設計を立てている方は、少なくないと思います。
しかし、法律上、賞与は当然に支給されるわけではありません。
多くの就業規則・賃金規程で、賞与は「会社の業績等を勘案して定める。」などと記載されています。こうした定めがされているのみである場合、「賞与請求権は、・・・各時期の賞与ごとに、使用者が会社の業績等に基づき算定基準を決定して労働者に対する成績査定したとき、又は、労使で会社の業績等に基づき金額を合意したときに、初めて具体的な権利として発生する」と理解されています。つまり、使用者による業績等の算定基準の決定、労働者に対する成績査定がされない限り、労働者は賞与請求をすることはできません。使用者の決定を待たずに賞与を請求できるのは、就業規則や労働契約書等で、支給金額が具体的に算定できる程度に算定基準が明確である場合に限られます(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、初版、平29〕28頁参照)。
それでは、採用条件通知書等に賞与込みの金額として、具体的な想定年収が書かれていた場合はどうでしょうか?
この場合、支給金額が明確であるとして、使用者の査定がなくても、賞与を請求することができるのでしょうか? それとも、一般的な場合と同じく、使用者が査定を行わない限り、やはり賞与の請求は認められないのでしょうか?
この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.12.15労働判例ジャーナル110-34 日産自動車事件です。
2.日産自動車事件
本件で被告になったのは、自動車の製造、販売等を目的とうする株式会社です。
原告になったのは、被告会社の元従業員です。被告から採用された時、次のような記載のある採用通知書の交付を受けました。
(採用条件通知書の記載事項)
基準賃金(月額) 480,000円
※時間外労働の有無に関わらず、固定残業代として30時間分の時間外手当115,110円を、基準賃金に加え翌月の給与にて支給
賞与
有り 時期、金額等についてはその都度、労使で交渉を行い決定する。
想定年収[月次給(固定残業代含む)×12か月分+賞与(目安値)]
10,363,620円
※賞与は、前年度(4月~3月)の業績と直近半期(4月~9月又は10月~3月)の出勤率に応じて支給。上記に示す額はそれぞれ100%勤務した場合の理論値であり、実際に支給される年収とは異なる。
この記載事項に従えば、年間賞与額は、
10,363,620-(480,000+115,110)×12
=3,222,300
円となるはずです。
原告は、平成30年8月16日から働き始め、平成31年2月28日に被告を退職しました。上記の年間賞与額と6か月半で案分すると、その金額は、174万5412円になります。
しかし、被告は労働組合との事務折衝日に在籍していなかったとして、原告に対し33万7600円の賞与しか支払いませんでした。
これを受け、原告は、被告に対し、期待権侵害を侵害されたと主張して、不法行為に基づく損害賠償金140万7812円の支払いを求める訴えを提起しました。ダイレクトに賞与を請求する構成をとらなかったのは、使用者の査定がないままでは、賞与を具体的な権利として構成するのが難しいと判断したからではないかと思われます。
しかし、裁判所は、次のとおり述べて、期待権の侵害を否定し、原告の請求を棄却しました。
(裁判所の判断)
「原告は、本件雇用契約の内容をなす本件採用通知書から年間の賞与額が322万2300円と算定されるから、6か月半の労務を提供した原告には合計174万5412円の賞与を受給することに対する期待権があると主張する。」
「しかし、原告が主張する賞与額は、本件採用通知書における本件条項(「・・・想定年収」)を根拠とするものであるところ、前提事実・・・のとおり、本件条項において示されている年収は、月次給12か月分に賞与の『目安値』を加えたもので、『上記に示す額はそれぞれ100%勤務した場合の理論値であり、実際に支給される年収とは異なる』と明記されているのであって、その標題である『想定』の域を出るものではなく、これにより一定の給与を支給することを確定的に表示したしたものということはできない。原告は、本件記載が賞与の減額事由として業績及び出勤率を定めるのみで、労働組合との事務折衝日に在籍していることを条件としていない以上、被告が原告の賞与を定めるに当たり、事務折衝日に在籍していないことを理由として金額を決定する裁量を有していない旨を主張するが、前示のとおり、本件条項が原告に対し一定の賞与を支給することを確定的に表示したものとはいえない以上、その一部である本件記載に何らかの拘束力があるとはいえず、原告の主張は採用することができない。」
「そして、本件採用通知書においては、賞与が『時期、金額等についてはその都度、労使で交渉を行い決定する』旨が定められており、認定事実・・・のとおり、被告の給与規定(就業規則の一部をなすものと認められる。)においても、『賞与、その他臨時に支給する賃金に関しては、その都度これを定める』とされているのであるから、本件採用通知書の記載から原告に法律上保護されるべき具体的な賞与額に対する期待が認められるということは困難である。」
「以上に加え、認定事実・・・のとおり、被告においては、本件訴訟で問題とされている平成31年度より前の年度(平成29年度及び平成30年度)の賞与についても、本件組合との交渉により事務折衝日に在籍していることが支給の要件とされ、その旨が本件組合の機関紙により組合員に周知されており、原告においてかかる賞与支給の状況を知ることについて特段の困難があったことを窺わせる証拠もないことに照らすと、原告主張の賞与受給に対する期待権があるということはできない。」
3.想定年収の記載は信用できない
本件のように具体的な想定年収の記載のある書面が交付されていた場合、請求が認められたとしても、それは耳触りの良いことを言って求職者を誘引した使用者側の自業自得だという見方もできるのではないかと思います。
しかし、裁判所は、原理原則に忠実に、賞与の具体的権利性を否定しました。
このような判断を見ると、使用者側から提示される賞与込みの想定年収の記載を安易に信用するのは危険であるように思われます。少なくとも、賞与を当て込んだ生活設計を立てるのは、慎重になった方が良さそうです。