弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

職種限定合意を解除する配転合意と「自由な意思」

1.職種限定合意と配転合意

 職種限定の合意とは、

「労働契約において、労働者を一定の職種に限定して配置する(したがって、当該職種以外の職種には一切つかせない)旨の使用者と労働者との合意」(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、初版、平29〕203頁参照)

をいいます。

 職種限定の合意は、使用者の配転命令に対し、抗弁として機能します。つまり、職種限定の合意が認められる場合、配転命令を拒否することができます。

 しかし、職種限定の合意も、合意である以上、別の合意によって上書きすることができます。職種限定の合意があったとしても、別途、配転合意が成立した場合、使用者は、新たに成立した配転合意により、異動を命じることができます。

 それでは、一旦配転合意を成立させてしまったら、職種限定合意のある労働者であったとしても、最早異動を拒否することはできなくなってしまうのでしょうか?

 職種限定合意のある労働者にとって、配転を受け入れることは、不慣れ・不本意なキャリアを歩まされることを意味します。このような不利益性の強い合意についても、錯誤、詐欺、強迫などの瑕疵がない限り、一旦合意してしまった以上は、有効なものとして取り扱われてしまうのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介した、宇都宮地決令2.12.10労働判例1240-23 学校法人国際医療福祉大学(仮処分)事件です。

2.国際医療福祉大学(仮処分)事件

 本件は配転命令の効力が争点となった仮処分事件です。

 本件で債務者になったのは、国際医療福祉大学を開学した学校法人です。債務者は、同大学の附属病院として、A病院も設置していました。

 債権者になったのは、債務者との間で、「国際医療福祉大学薬学部教授及びA病院薬剤部長」として有期雇用契約を締結していた方です。従業員等に対してハラスメントを行ったとして、債務者から薬学部教授等の地位を解任されたうえ、国際医療福祉大学病院において勤務することを命じられました(本件配転命令)。これに対し、本件配転命令の無効を主張して、薬学部教授の地位にあることを仮に定める処分を求める申立を行ったのが本件です。

 昨日言及したとおり、本件では職種限定の合意が認定されました。

 しかし、債権者は本件配転命令の後、債務者との間で、労働条件の変更された「雇用契約書兼労働条件通知書」を取り交わしていました(本件配転合意)。債務者は、本件配転合意が認められる以上、病院勤務を命じる配転は有効だとも主張しました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、合意の成立を否定しました。

(裁判所の判断)

本件配転合意は、前記・・・に記載のとおり、本件職種限定合意の効果を排除し、これに反した配転をすることに同意することを内容としたものであって、これにより労働者たる債権者は一定の不利益を被ることになるのであるから、このような合意の成否については、当該不利的変更を受け入れる旨の記載がある書面等に署名・押印するなどといった労働者の行為だけでなく、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供または説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと一応認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点を踏まえて判断することが相当である(最高裁平成28年2月19日第二小法廷判決・民集70巻2号123頁参照・上記のとおり『一応』を付記した理由は本件が保全事件であることによる。)。」

「債権者は、本件ハラスメント認定以前からこれに対する債務者の対応(特に自宅待機命令)に代理人弁護士を通じて異議を表明していたものであり、実際に本件ハラスメント認定を理由に本件配転命令を受けた後も、本件ハラスメント認定を含め、その配転の内容それ自体に異議を述べ、本件配転命令の無効を主張して当庁に対し本件申立てを行い、法的な救済を求めていたことに加え、本件配転合意書の署名・押印時においても、本件配転命令の効力を争わないことを明示的に確認した事実はなく、むしろ、わずか10分程度でその手続が終了したというのであるから、本件配転合意書の上記内容を認識しつつ異議を述べずに署名・押印を行ったからといって、その署名・押印が債権者の自由な意思に基づいてされたものであるとはいい難く、むしろ、上記のとおり病院職員証の返却やY1大学病院への着任等につき債務者からの要望に応じたのと同様、無用な混乱等を避け、給与や手当の支給手続が円滑に進むよう、とりあえず本件配転合意書への署名・押印に応じたものであって、それは飽くまで債務者との無用な軋轢を回避するための暫定的な取決めに過ぎなかったものとみるのが合理的である。」

「そうすると、債権者が、令和2年9月9日、債務者の担当者から本件配転合意書を示され、これに格別異議を述べることなく署名・押印し債務者に提出しており、その際、債務者の担当者は、その内容について本件配転命令時に交付した通知書と同じであると説明していたというのであるから、債権者は、本件配転合意書が本件配転命令に同意することを内容とする書面であることを認識しつつ同書面に署名・押印したことが一応うかがわれるほか、病院職員証の返却やY1大学病院への着任等本件配転命令を前提とした債務者からの要望にも応じていた事情等を踏まえても、本件配転合意書への署名・押印が債権者の自由な意思に基づいてされたものと一応認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するものとはいえず、本件配転合意の成立は一応も認められないものというべきである。

「なお、債務者は、本件配転合意書の記載内容は一見して明白であることや、上記・・・のとおり、本件配転合意書の署名・押印に先立ち、債権者代理人弁護士からは、人事的な事項に関する連絡等について直接債権者本人に連絡してよいと言われたことを指摘するが、上記のとおり、債権者は、本件配転命令に対し、一貫して異議を述べている上、本件配転命令に従わないことで生じる混乱を防ぐために、債務者からの種々の要求に暫定的に応じていたと認められるから、本件配転合意書の署名・押印についても、それらと同様に、債権者は、本件配転命令の効力が確定するまでの間の暫定的な勤務状態を受け入れる意図で署名・押印したものというべきであるから、債務者の上記指摘は上記結論を左右しない。」

3.配転合意にも「自由な意思」が必要

 上述のとおり、裁判所は、配転合意にも「自由な意思」が必要であるとの理解を示しました。「自由な意思」が必要であるとする考え方は、従来、賃金や退職金減額の場面で採用されてきた議論です。その適用範囲は徐々に拡張されてきましたが、職種限定合意のある労働者との間での配転合意にも妥当すると判示した裁判例は、おそらく本件が初めてではないかと思います。

 本件のようにハラスメントの嫌疑をかけられていたり、整理解雇を含意した退職勧奨を受けたりした場面では、職種限定の合意が認められる場面であっても、不安に駆られて配転合意を交わしてしまう例が散見されます。

 そうした労働者が事後的に合意の効力を争うにあたり、本裁判例は有力な武器になることが期待されます。