弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

大学教授の就労請求権

1.就労請求権

 労働者には、一般に、特定の仕事をさせるように請求する権利(就労請求権)まで認められているわけではありません(東京高決昭33.8.2判例タイムズ83-74参照)。

 しかし、これには例外があり、大学教授には就労請求権が認められる傾向にあります(第二東京弁護士会労働問題検討委員会『2018年 労働事件ハンドブック』〔労働開発研究会、第1版、平30〕10頁参照)。

 この判例の傾向は比較的安定しているのではないかと思っていましたが、近時の公刊物に、大学教授の就労請求権が認められることと整合的でない裁判例が掲載されていました。大阪地判令2.1.17労働判例ジャーナル97-40 学校法人近畿大学事件です。

2.学校法人近畿大学事件

 この事件は、勤務先学校法人からハラスメント行為等を理由として諭旨解雇された大学教授が、雇用契約上の権利を有する地位にあることの仮の確認と、賃金の仮の支払を求めた仮処分申立事件です。

 仮の地位を定める仮処分命令は、

「争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるためこれを必要とするとき」(民事保全法23条2項 保全の必要性)

にしか発令することができません。

 申立人となった大学教授は、

〔1〕図書館の利用が制限される、

〔2〕著書の執筆の機会及び債務者が発行する紀要への投稿資格が失われ、研究成果を発表する機会を喪失する、

〔3〕個人研究費の支給も停止され、研究室の使用が禁止され、学生等との情報交換の場を失う、

〔4〕債権者が大学教員として就業能力を維持するために、教育に継続的に携わり、現場で研究成果を学生に還元する機会を失う、

〔5〕外部の職を喪失する可能性が大きい、

〔6〕これまで積み重ねてきた対外的信用も失う、

ことから、大学教授としての雇用契約上の権利を有することを、仮に定める必要があるのだと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、保全の必要性を認めませんでした。

(裁判所の判断)

〔1〕図書館の利用が制限される点について、・・・債権者が、平成29年4月1日から平成31年1月23日(・・・自宅待機命令が発出される前日)までの約1年9か月の間に、債務者の図書館を利用したのは平成29年4月20日の1日のみであったこと、債権者が、債務者の入職以降に図書館から借り出したのは、平成25年1月から3月にかけて借り出したAV(視聴覚)資料の『プライマリー経済学入門』1巻ないし10巻の計10枚のみであり、書籍の借出しはないこと、以上の事実が一応認められる。債権者による債務者の図書館の上記利用状況に加え、今日万人が利用可能な図書館が数多く存在することを併せ鑑みれば、債務者の図書館の利用を制限されることをもって、債権者に回復し難い著しい損害が生じるとはいえない。 」
「〔2〕研究成果を発表する機会を喪失及び〔3〕個人研究費の支給停止・研究室の使用禁止について、疎明資料・・・及び審尋の全趣旨によれば、債権者による著書の執筆は、直近が平成12年発行のものであること、債権者による債務者の紀要である『生駒経済論叢』への投稿は平成30年7月のもののみであること、債権者は、科学研究費補助金について、平成24年度及び平成25年度は申請せず、平成26年度から平成30年度までの間は申請したが採択されなかったため支給されていないこと、以上の事実が一応認められる。これらに加え、疎明資料・・・によれば、債権者は、過去に債務者の紀要以外にも論文を投稿していると一応認められること、債権者の研究領域が経済学であり必ずしも債務者の施設利用を必要とするものではないこと、研究室の使用が情報交換のために必須と一応認めるに足りる的確な証拠も認められないことからすると、上記〔2〕及び〔3〕をもって、債権者に回復し難い著しい損害が生じるとはいえない」

「〔4〕教育に継続的に携わり、現場で研究成果を学生に還元する機会を失う点について、〔a〕上記第1の1記載の申立ての趣旨では、仮に仮処分命令が発令されたとしても、その命ずる義務の内容が包括的かつ概括的となるために、仮処分命令の文言に応ずる強制執行をなす余地がなく、上記の包括的かつ概括的な権利義務関係を基礎として派生する具体的な義務の履行については、債務者の任意の履行を待たなければならないこととなること、〔b〕一般に、労働者に使用者に対する就労請求権を認めることはできないと考えられること、〔c〕保全によって認められるのはあくまでも仮の地位であるところ、本件大学の在校生に教育を提供する義務がある債務者が、上記任意の履行として、そのような不安定な地位にある教員に講座を開講させて在校生たる学生に教育を受けさせることはおよそ期待できないこと、以上の点からすると、債権者が求める地位保全の仮処分命令を発令したとしても、上記〔4〕に係る『債権者に生じる著しい損害又は急迫の危険を避ける』ことにならない。よって、上記〔4〕の点を理由とする保全の必要性は認められない。」
「〔5〕外部の職を喪失する可能性が大きい点について、これを一応認めるに足りる的確な証拠は認められない。」
「〔6〕これまで積み重ねてきた対外的信用の点については、債権者の主張する『対外的信用』自体抽象的であり、どのような信用がどのように毀損され得るのかが明確ではなく、『債権者に生じる著しい損害又は急迫の危険』があると直ちに認め難い上、保全によって認められるのはあくまでも仮の地位であり、本案訴訟の確定まで債務者との係争中であることに何ら変わりはないのであるから、債権者が求める地位保全の仮処分命令を発令したとしても、『債権者に生じる著しい損害又は急迫の危険を避ける』ことにはならない。」
「以上のとおり、債権者に地位保全に係る保全の必要性があることについて疎明がなされているということはできない。」

3.未だ裁判例は固まるには至っていない?

 解雇が無効であることが認められれば、大学教授としての権利関係は回復され、自由に図書館を利用したり、研究成果を学生に還元させたりすることができます。こうした地位にあることの確認を求めて訴えを提起することは勿論可能です。

 しかし、訴えではなく保全の申立で同様に請求を立てるには、権利関係が認められるだけではなく、保全の必要性がみと認められる必要があります。この局面で、裁判所は大学教授として仮にでも働かなければならない積極的な理由は見出しがたいと判示しました。これは大学教授に就労請求権を認めてきた近時の裁判例の潮流とは異なる系統に位置しているように思われます。

 本件の申立人の方は大学の施設等への関りが少なかったように思いますが、それでも大学教授の地位の保全の必要性が否定されたのは、やや意外でした。

 大学教授の地位を特殊なものと見る裁判例の傾向は、ひょっとしたらまだ定着しているといえるほど固まってはいないのかも知れず、保全の必要性は都度本腰を入れて論証を試みなければならないものなのかも知れません。