弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

他社就労して解雇前と同水準以上の給与を得ても就労意思(労務提供の意思)が否定されなかった例

1.違法無効な解雇後の賃金請求と就労意思(労務提供の意思)

 解雇されても、それが裁判所で違法無効であると判断された場合、労働者は解雇時に遡って賃金の請求をすることができます。いわゆるバックペイの請求です。

 バックペイの請求ができるのは、民法536条2項本文が、

「債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債権者は、反対給付の履行を拒むことができない。」

と規定しているからです。

 違法無効な解雇(債権者の責めに帰すべき事由)によって、労働者が労務提供義務を履行することができなくなったとき、使用者(労務の提供を受ける権利のある側)は賃金支払義務の履行を拒むことができないという理屈です。

 しかし、解雇が違法無効であれば、常にバックペイを請求できるかというと、そのようには理解されていません。バックペイを請求するためには、あくまでも労務の提供ができなくなったことが、違法無効な解雇に「よって」(起因して)いるという関係性が必要になります。つまり、何等かの理由によって、違法無効な解雇とは無関係に労務の提供をしなくなった場合、バックペイの請求は棄却されることになります。

 この違法無効な解雇とは無関係に労務の提供をしなくなったといえる場合の一つに、他社就労した場合が挙げられます。

 もちろん、解雇の効力を争って裁判をしている時に、生計を立てるため、やむなく行う他社就労の全てが、労務提供意思の喪失と認定されるわけではありません。例えば、アルバイトや非正規の仕事についたにすぎない場合には、通常、労務提供意思の喪失を認定されることはありません。しかし、解雇前と同水準の賃金額での正規雇用についたりすると、その時点から労務提供意思の喪失を認定されることがあります。

他社就労しながら解雇の効力を争う場合の留意点-黙示の合意退職を認定されないためには - 弁護士 師子角允彬のブログ

 このような状況のもと、近時公刊された判例集に、解雇前と同水準以上の給与を得ていても、労務提供の意思の喪失は認められないと判示した裁判例が掲載されていました。東京高判令2.1.30労働判例1239-77 新日本建設運輸事件です。この裁判例は、以前本ブログで紹介した地裁判決の控訴審事件です。

「もう来なくてもいい」系の言動への対応-働く気はないけれどもクビになるのは納得できない方へ - 弁護士 師子角允彬のブログ

2.新日本建設運輸事件

 この事件で被告(控訴人兼附帯被控訴人)になったのは、一般貨物自動車運送事業等を目的とする特例有限会社です。

 原告(被控訴人兼附帯控訴人)になったのは、被告でトラック運転手として働いていた人達です。賃上げ等の労働条件の改善をめぐって会社と話し合いをしていたところ、会社側から解雇通知を受け取るのか、これまでの問題行動を謝罪して交渉を白紙化するのかの選択を迫られ、解雇されてしまいました。これを受け、地位の確認やバックペイの支払い等を求めて被告会社を提訴しました。

 本件は解雇の効力のほか、原告が解雇前と同水準以上の給与を得ていたことが、就労意思を喪失した徴表といえるのではないのかが争われました。

 一審裁判所も二審裁判所も解雇の効力は否定しましたが、一審裁判所は、次のとおり述べて、就労意思(労務提供の意思)の喪失を認定しました。

(一審裁判所の判断)

原告らは、上記・・・のとおり、本件各解雇からほとんど間を置かずに、同業他社に就職するなどしてトラック運転手として稼働することにより、月によって変動はあるものの、概ね本件各解雇前に被告において得ていた賃金と同水準ないしより高い水準の賃金を得ていたものである・・・。これらの事情に加え、上記・・・のとおりの本件各解雇に至る経緯を考慮すると、原告X1については、遅くとも有限会社Nに再就職した後約半年が経過し、本件各解雇から1年半弱が経過した平成29年11月21日の時点で、原告X2及び原告X3については、遅くとも本件各解雇がされ再就職した後約1年が経過した同年6月21日の時点で、いずれも客観的にみて被告における就労意思を喪失するとともに、被告との間で原告らが被告を退職することについて黙示の合意が成立したと認めるのが相当である。

 しかし、二審裁判所は、次のとおり述べて、就労意思(労務提供の意思)の喪失は認められないと判示しました。

(二審裁判所の判断)

「被控訴人は、本件解雇後、代理人弁護士に相談した上、離職の2日後には、本件解雇が無効である旨通知し、控訴人との間で労働契約上の権利を有する地位にあることを明示し、平成28年6月分以降の賃金の支払を求めている・・・から、同通知が復職を求めるものであることは明らかであり、これに対し、控訴人は回答書・・・において被控訴人が従業員の地位にないとして争っていて、被控訴人が勤務継続を要求しても控訴人がこれに応じないことも明らかであったから、被控訴人が上記通知に加えさらに勤務継続を明示に要求しなかったとしても、そのことから被控訴人の離職時に就労意思がなかったということはできない。また、解雇された労働者が、解雇後に生活の維持のため、他の就労先で就労すること自体は復職の意思と矛盾するとはいえず、不当解雇を主張して解雇の有効性を争っている労働者が解雇前と同水準以上の給与を得た事実をもって、解雇された就労先における就労の意思を喪失したと認めることはできない。被控訴人による上記のLINEのメッセージ(「会社が潰れない事祈ってます」とのLINEのメッセージ 括弧内筆者)は控訴人主張の趣旨とは解されず、これをもって就労の意思を喪失したと認めることはできない。」

「なお、被控訴人は、平成28年7月からB、平成29年6月からC、平成31年2月から現在までDにおいて稼働し、それぞれ転職を繰り返しており、各再就職先において、完全にその職務に専念し、控訴人における就労意思を喪失したと認めるに足りる証拠はない。

「以上のとおり、控訴人の主張事実は、被控訴人が離職時又はその後、就労の意思を喪失し、又は黙示の退職の合意が成立したと推認するに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。」

3.賃金給与が同水準以上でも必ずしも就労意思(労務提供の意思)は否定されない

 賃金給与が解雇前と同水準以上だと、就労意思の喪失を認定されるリスクがあることは否定できません。しかし、だからといって、賃金給与が解雇前と同水準であれば直ちに就労意思が否定されるというものでもありません。本件のように、勤務先を定期的に変えていて、恒久的に他社で働くような形になっていない場合には、就労意思の喪失は認定されにくいのだと思われます。

 生活水準は解雇前の賃金額を基準に設定されていることが多いため、解雇の効力を争いながら当面の仕事を確保するにしても、労働者ができるだけ解雇前に近い水準の賃金を希望することは自然なことです。本裁判例は、他社就労しながら働く労働者に有利な先例として、参考になります。

 

「区切りのよいところで身を引くことを考えます」等の発言がありながら合意退職が否定された例

1.退職を承諾したかのような言動

 以前、退職勧奨を受けた時に、本当は退職したくないのに、その場の雰囲気にのまれて「分かりました。」などと回答してしまう方がいることを、お話しました。

退職勧奨を受けての「分かりました」という発言・転職活動があっても合意退職が否定された例 - 弁護士 師子角允彬のブログ

 退職の合意は、一旦成立したと認定されてしまうと、錯誤・詐欺・強迫などの事情がある場合を除き、容易には効力を否定できません。そのため、合意退職の効力を争う事件では、しばしば「合意の成立自体を否定することができないか?」という観点からの事案の検討が意味を持ってきます。

 こうした検討作業を行うにあたり、近時公刊された判例集に、参考になる裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令2.12.4労働判例ジャーナル110-48 東京都就労支援事業者機構事件です。注目に値するのは「区切りのようところで身を引くことを考えます。」等の言動をとったことが認定されながら、退職合意の成立が否定されている点です。

2.東京都就労支援事業者機構事件

 本件はセクシュアルハラスメント等を理由とする事務局長から事務局職員への降格の可否や、合意退職の成否等が争点になった事件です。

 被告になったのは、事業者の立場から犯罪者等の就労を支援し、再犯防止に寄与していくことを目的としていくことを目的として設立された特定非営利活動法人です。

 原告になったのは、法務省を定年退官した後、被告との間で有期雇用契約を締結した方です。当初、事務局長として勤務を開始しましたが、被告の女性職員C氏に対してセクシュアルハラスメントに及んだことなどを理由に事務局員に降格されたうえ、退職勧奨に応じたことなどを理由に、雇用契約を更新しない扱いを受けました。これに対し、降格の無効を主張したうえ、被告に対して、事務局長としての地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 被告が合意退職の成立を主張したのは、原告が退職勧奨に応じるかのような言動をとっていたからです。

 被告理事B会長は、原告に対し、二度に渡り退職勧奨の面談を行いました。

 一度目の面談で、C氏が労働局に訴えると考えているようだと伝えられた際、原告は、自らが辞めなければB会長に迷惑が掛かるのではないかと思い、

「区切りのよいところで身を引くことを考えます。」

「後任者については,会計課の後輩でMという男がいます。本人には未だ話していませんが、適任者だと思います。」

などと述べました。

 また、B会長に対し、

「私の退職のことで私の希望を申し上げますと、当職を含め全職員の任期は平成31年3月31日となっております(更新は可なのですが、F所長は退職を強く希望し承認、N支援員は定年で退職)。責任を顧みずと思われるかもしれませんが、私を含め3人が退職となると機構全体の業務に支障が出るのではと危惧しております。無責任に辞したと揶揄されるのは心外であることから、後任の体制を整えるのは常務理事の責任であると自覚しており、平成31年3月までに体制を整えるよう努力したいのでその時点での退職ができればと考えておりますことを申し述べます。大変失礼とは思いましたが、私の本心を述べさせていただきました。」

などと書かれた書面を送付しました。

 その後、B会長は、再び原告と面談し、後任の事務局長が内定したことを伝えるとともに、改めて平成30年10月末日に退職することを求めました。

 これに対し、原告は、

「分かりました。」

などと回答しました。

 また、原告は、B会長に対し、更に、

「『昨日会長から「自己都合退職(一身上)」にするか「解雇」にするしかないと言われ、自己都合退職にしますと申し上げ』ましたが、『会長は一方的な方向からしか見ていないのではないだろうか、これまでの私の実績を全く評価していないのではないか、当職の置かれた立場を考えていただいていないように思うようになりました。』、『弁護士の先生に相談したり、初めて昨晩今回のことを妻にも話しましたが、会長の立場をおもんばかって、自己都合退職とすることは止めた方がよいとのことです。その理由として、自己都合退職を希望する場合は、30日前までに退職願いを提出し承認を受けなければならないと就業規程第8条にあります。』、『今回の当職の退職は、年度当初の辞令どおり平成31年3月31日とすべきであると思われますが、会長の意向を汲んだとしても平成30年12月31日で退職させていただければと考えております。』、『ご了解いただけるのであれば、すぐに自己都合退職の願いを送付させていただきます』」

などと記載した書面を送付しました。

 こうした事実関係のもと、裁判所は、次のとおり述べて、退職合意の成立を否定しました。

(裁判所の判断)

「上記認定事実・・・によれば、第1回面談において、原告が、B会長に対し、『区切りのよいところで身を引くことを考えます。』などと発言したことや、後任として適任であると考えている者がいると発言したことは認められる。しかしながら、被告の職員が退職を希望する場合、就業規程8条4号によれば、退職願を提出することが求められているところ・・・、原告が被告に対し退職願を提出したとの事実を認めることはできない以上、原告による退職の意思表示がなされたかどうかについては、慎重に検討する必要がある。そして、原告は、面談の理由を告げられることなく第1回面談に臨んでおり、自らの退職が話題になるとは想定していなかったと考えられること、そのような状況の下、30分程度の面談において、原告が退職の意思を固めたとは通常は考え難いこと、第1回面談における原告の発言内容を見ても、退職時期が明確に示されたとまでは言い難いことからすると、第1回面談においては、原告と被告との間で、後任の事務局長について適任者が見つかった段階で、原告は退職を検討するといった方向性の確認がなされた程度であり、原告が、被告に対し、後任の事務局長が決まり次第、事務局長を退任して退職する旨の意思表示をしたとまでは認めることができない。」

「また、上記認定事実・・・によれば、第2回面談において、B会長が、平成30年10月末日での退職を求めたのに対し、原告は『分かりました』などと答えたことは認められる。しかしながら、上記認定事実・・・によれば、原告は、第2回面談前に、B会長に対し、任期どおり平成31年3月31日の時点で退職したい旨を文書により伝えていること、第2回面談において、原告は、退職について直ちに了承しておらず、B会長とのやり取りを重ねた後に、B会長に対し、『分かりました』などと答えただけであり、原告自身が、平成30年10月末日をもって事務局長を退任し、被告を退職すると明確に発言したとは認めることができないこと、第2回面談の翌日には、B会長に対し、自己都合退職することはやめる旨を記載した文書を送付したことが認められる。これらの事情に加え、前記のとおり、原告が被告に退職願を提出していないことを併せ考えると、第2回面談における原告の発言をもって、原告が被告に対し、平成30年10月末日に事務局長を退任し、被告を退職する旨の意思表示をしたと評価することはできない。」

「さらに、上記認定事実・・・によれば、第3回面談やその前後における原告とB会長との文書のやり取りにおいて、事務局長の退任や退職について、原告とB会長の意向は食い違っており、原告と被告との間で、原告の事務局長退任や退職に関する合意が成立したと認めることはできない。」

「以上によれば、原告と被告との間で、原告が平成30年11月10日に事務局長を退任し、平成31年3月31日をもって本件雇用契約を終了する旨の合意が成立したと認めることはできない。」

「これに対し、被告は、原告がB会長との各面談の前後に送付した文書の内容が、事務局長の退任や退職を前提とするものであり、原告が退任や退職を容認していたことは明らかである旨主張する。しかしながら、原告の作成した文書は、いずれも原告が事務局長の地位のままで退職することを前提として作成されたものであり、本件雇用契約の契約期間中に事務局長を退任し、契約期間終了時には事務局職員として退職することを容認する内容であるとは認めることができない。また、原告が、退社連絡票の原案を作成したこと・・・、D氏に対する引継作業を行ったこと・・・、本件降格後に長期にわたり有給休暇や病気休暇を取得したこと・・・、誓約書(退職時用)に署名押印して被告に提出したこと・・・は認められるが、これらの事実をもって、原告自身が事務局長からの退任や退職を容認していたとまでは認めることができない。したがって、この点に関する被告の主張は採用することができない。」

3.手続規定が手掛かりになる

 上述のとおり、裁判所は、手続規定に準拠した形で退職意思が表示されていないことを根拠に、退職合意の認定に慎重な姿勢をとりました。

 従業員の離職を防ぐためか、退職にあたっては、就業規則等で、一定の重みを伴った手続の履践が求められていることが少なくありません。使用者側からの不意打ち的な退職勧奨に応じてしまったとしても、所定の手続が踏まれていない段階であれば、まだリカバーを図れる可能性があります。

 矛盾する挙動をとっておくことが合意の成立を否定する根拠になることも考えると、不本意な退職合意を交わしてしまった方は、一早く対応を弁護士に相談することが推奨されます。

 

セクハラ被害者から席替えを求められたら真摯な対応が必要

1.セクハラ被害者による席替えの要請

 厚生労働省告示第615号「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(最終改正:令和2年1月15日第6号)は、職場におけるセクシュアルハラスメントが生じた事実が確認できた場合、

「被害者と行為者を引き離すための配置転換」

等の措置を講ずべきことを定めています。

男女雇用機会均等法関係資料 |厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/content/000643869.pdf

 セクシャルハラスメントの被害者の中には、行為者との接点を減らして欲しいという要望を持つ方が少なくありません。こうした要望を実現するにあたっては、上記の指針を根拠に配置の転換を求めて会社と交渉して行くことが考えられます。

 しかし、小規模な会社では、引き離しのための配置転換を求めるにしても、候補となる事業所や部署がないことがあります。こうした場合、職場に席替えを求めて行くことはできるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.12.4労働判例ジャーナル110-48 東京都就労支援事業者機構事件です。

2.東京都就労支援事業者機構事件

 本件はセクシュアルハラスメント等を理由とする事務局長から事務局職員への降格の可否等が争点になった事件です。

 被告になったのは、事業者の立場から犯罪者等の就労を支援し、再犯防止に寄与していくことを目的としていくことを目的として設立された特定非営利活動法人です。

 原告になったのは、法務省を定年退官した後、被告との間で有期雇用契約を締結した方です。当初、事務局長として勤務を開始しましたが、被告の女性職員C氏に対してセクシュアルハラスメントに及んだことなどを理由に事務局員に降格されたうえ、雇止めにされました。これに対し、降格・雇止めの無効を主張し、被告に対して事務局長としての地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 原告の女性職員C氏に対するセクシュアルハラスメントとしては、先ず、平成30年に次のメッセージ(本件メッセージ)を送信したことが挙げられます。

 原告送信 4月10日20時19分 

『いま電車に乗りました。8時50分頃に着くと思います。』

 原告送信 同日20時41分

『とどいているかな』

 原告送信 4月11日20時23分 

『これから帰ります。21時頃に着くと思います。』

 C氏送信 同日20時24分 

『局長、Cです。LINEを間違えて送信されているみたいです。』

 原告送信 同日20時26分 

『申し訳ありませんでした。』

 C氏送信 同日20時36分 

『私は大丈夫です。』

 原告送信 同日20時39分 

『ありがとう。一度は女性に言ってみたかったんだ?』

 C氏は上記のメッセージを読んだ際に、原告のことを気持ち悪いと感じました。

 翌日、原告は、C氏に対し、本件メッセージの誤送信について謝罪の言葉を述べた後に、『あなたから待っていますという返事がきたらどうなったんだろうね。」などと発言しました(本件発言)。この発言を聞いたC氏は、原告に嫌悪感を抱きました。

 これ以降、C氏は原告と距離を置きたいと思い、事務的な態度で接するようになりました。態度の変化したC氏に対し、原告も威圧的な態度で接するようになり、「あなたの歪んだ性格を直せ。」などといった発言にも及びました。

 こうした言動を受け、C氏は一連のセクハラ行為で原告への嫌悪感や恐怖感から仕事に集中できないなどとして、原告の隣の机から別の机に席替えを求めました。

 しかし、原告は本件メッセージの送信がセクハラにあたることを否定するなど、数か月に渡って席替えの要請を認めませんでした。

 本件では、こうした原告の対応の適否が問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、原告の対応には問題があると判示しました。結論としても、こうした対応を理由にした降格処分・雇止めの効力を認めています。

(裁判所の判断)

「原告は、C氏に対し、平成30年4月11日、誤送信を謝罪する旨のメッセージを送信した直後に、『ありがとう。一度は女性に言ってみたかったんだ?』とのメッセージを送信したこと、翌日の同月12日、本件メッセージの誤送信について謝罪の言葉を述べた後に、『あなたから待っていますと言われたらどうなっていたんだろうね。』との発言をしたことが認められる。このような本件送信等は、男性の上司である原告が、女性の部下であるC氏に好意を抱いていることを連想させる内容といえる。そして、上記・・・のとおり、C氏は、5人の支援員が外勤している際に、事務室内の原告と隣接する机で、原告と2人きりで勤務せざるを得なかったことを併せ考えると、本件送信等は、C氏に原告に対する嫌悪感や恐怖感を抱かせるおそれのある内容であったといえるのであり、上司として不適切な言動であったといえる。」

「また、原告は、上記・・・のとおり、上司として不適切な言動をとったのであるから、C氏から本件送信等に由来する何らかの申出があった際には、C氏の上司かつ被告の事務局長として、C氏の感情に配慮した適切な対応をとるべき職責を負っていたといえる。しかしながら、上記認定事実・・・によれば、原告は、C氏から、本件送信等の後、原告に対する嫌悪感や恐怖感が原因で仕事に集中できない旨の申出があり、席替えを求められたにもかかわらず、本件メッセージの送信はセクハラに当たらず、業務にも支障が生じるという自らの見解に基づき、数か月にわたり、席替えを拒否したこと、その後、席替えの条件として職員全員の同意を求め、同意が得られた後も、席替えの実施前に、本件確認書に署名押印して提出するように求めたこと、提出を求めた本件確認書は、今回の席替えが臨時的・非常措置であり、平成30年12月末又は平成31年3月末日で終了することを確認するとともに、業務遂行にあたってC氏が順守すべき事項を確認するという内容であったこと、そのため、C氏は、公的機関に相談せざるを得なくなったことが認められる。このような原告の対応は、自らが行った不適切な言動については何ら顧みることなく、C氏に一方的に負担を課した上で、席替えの許可を一時的に与えるというものであり、C氏の感情に何ら配慮しない問題のある対応であったということができる。それに加え、上記認定事実・・・によれば、原告は、事務的な態度で自らに接するようになったC氏に対し、威圧的な態度で接するときがあったことも認められる。以上によれば、原告は、本件送信後、C氏に対し、上司かつ被告の事務局長として、不適切な対応をとったと評価することができる。」

3.被害者からの損害賠償請求訴訟ではないが・・・

 本件は、あくまでも降格の適否が争われた事件であり、被害者からの損害賠償請求訴訟事件ではありません。それでも、上司の職責として、席替えなどの被害者の心情に配慮した対応をとるべきであったとしている点には、なお重要な意味があります。裁判所の判示事項を考えると、オフィスが一区画しかないような小規模な会社だったとしても、

「どうせ顔を合わせるのだから、席なんか変えても仕方がないだろう。」

といった態度で被害者に対応することは、法的に許容されない可能性があります。

 セクシュアルハラスメントの被害者で職場に席替えを求めたいとお考えの方は、本件のような裁判例を根拠に交渉することを検討してみても良いかもしれません。

 

組織改編によるポジション(地位)の消滅を理由とする解雇が否定された例

1.ポジション(地位)の消滅を理由とする解雇

 特定の地位に就くことを前提として、高待遇で採用されてきた労働者に対し、組織改編に伴う地位の消滅を理由に解雇することが許容されるのかという問題があります。

 特定の地位が念頭に置かれていようが、待遇が高かろうが、

「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」

と規定する労働契約法16条は適用されます。その意味で、客観的合理性・社会通念上の相当性のない安易な解雇が認められることはありません。

 しかし、配転による回避措置を期待しにくいなどの考慮が働くため、特段の職種限定がなく、待遇も極端に高いわけではない典型的な労働者との比較において、幾分か解雇が容易になる傾向があることは否定できません。

 こうした状況のもと、近時公刊された判例集に、組織改編によるポジション(地位)の消滅を理由とする解雇の効力が否定された裁判例が掲載されていました。昨日も紹介した、東京地判令2.11.24労働判例ジャーナル110-40 メガカリオン事件です。

2.メガカリオン事件

 本件で被告になったのは、iPS細胞から高品質の血小板及び赤血球を産生し、計画的安定供給が可能で、安全性の高い血液製剤の開発を目的としている従業員数約20名の株式会社です。

 原告になったのは、平成29年8月1日に被告との間で無期労働契約を締結し(賃金等月額117万円)、Eエンター長として勤務していた方です。

 平成30年8月16日、被告は、Eセンターの廃止を理由に、原告に対し、会社都合での退職を勧奨しました。

 その後、被告は、

本件労働契約は平成30年4月30日の経過をもって、退職合意により終了した、

仮に、退職合意が争われるとしても、Eセンターの廃止、従業員に対するパワハラ、能力不足等を理由に予備的に解雇する、

と通知しました。

 これに対し、原告は、退職合意の成立、及び、解雇の有効性を争い、地位確認等を求める訴えを提起しました。

 裁判所は、退職合意の成立を否定したうえ、Eセンターの廃止に伴う解雇の可否について、次のおとり判示し、これを否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、本件労働契約において原告の職種はEセンター長という特定の地位に限定されているところ、組織改編によってEセンターが廃止され、原告がEセンター長としてなすべきマネージメント業務は消滅したから、本件予備的解雇には客観的合理的理由があると主張する。」

「しかしながら、被告の主張する組織変更の後も、Eセンターを構成していたDオフィスとラボはそのまま残っており、そこで研究員らが研究開発等を行っているという実態にも変更はなく・・・、したがって、原告がEセンター長として担当していた研究業務の推進、京都研究拠点の組織マネジメント業務や、ラボ管理・機器管理・健康管理・GXP教育訓練等の総務的業務などの業務自体も、そのまま残存していることが推認される。被告が主張するのは、要は、従来Eセンター長に担当させていたこれらの業務を、生産技術研究部、薬事・臨床開発部などの各部門の部長らに分掌させることにしたというものと解される。そうすると、被告は、担当する業務内容をEセンターのマネジメント業務等と定めて原告を採用しながら、それから半年も経たないうちに、研究開発の機動性と能率を高めるためといった被告側の理由により、一方的に原告から業務を取上げ、解雇をしたものと言わざるを得ない。被告は、このような措置を採らなければならない合理的必要性を具体的に主張・立証しておらず、解雇を回避するための措置を検討した様子も伺われない。原告をEセンター長として採用しておきながら、それから半年も経過しないうちにEセンターの廃止を理由とする本件退職勧奨をし、原告がこれに応じないがためにした本件予備的解雇は明らかに信義に反するものであり、客観的・合理的な理由を欠き、社会通念上相当とは認められない。

3.半年も経たないうち行われた地位の消滅・解雇は信義に反する

 本件の判断の特徴は、「半年も経過しないうちに・・・した本件予備的解雇は明らかに信義に反する」と採用から地位の消滅までの時間的近接性に注目して解雇無効の結論を導いた点にあります。

 昨今では、比較的短い間隔で組織再編が行われることが、珍しくなくなっています。こうした情勢下で、半年という具体的な期間を明示したうえ、信義則違反を認定した点は注目に値します。採用から短い期間で地位を消滅させられている同種事案に波及する可能性を持っているからです。

 請われて高待遇で重要な地位に迎え入れられたものの、事情が変わったとして短期間でお払い箱にするかのような対応をとられているケースは、意外と多く目にします。本件のような裁判例もありますので、お困りの方は、ぜひ、一度ご相談頂ければと思います。

退職勧奨を受けての「分かりました」という発言・転職活動があっても合意退職が否定された例

1.退職勧奨を受けた時の対応

 退職勧奨を受けたとしても、会社を辞める意思がないのであれば、応じる必要はありません。

 しかし、自分が退職勧奨を受けたという事実に衝撃を受け、不本意ながらも、これに応じるかのような回答をしてしまったり、転職活動などの退職を前提とする行動をしてしまったりする方は、少なくありません。

 それでは、退職勧奨に際して、つい「分かりました。」と回答してしまったり、将来への不安から転職活動に入ってしまったりした人は、もう合意退職の効力を争うことはできなくなってしまうのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.11.24労働判例ジャーナル110-40 メガカリオン事件です。

2.メガカリオン事件

 本件で被告になったのは、iPS細胞から高品質の血小板及び赤血球を産生し、計画的安定供給が可能で、安全性の高い血液製剤の開発を目的としている従業員数約20名の株式会社です。

 原告になったのは、平成29年8月1日に被告との間で無期労働契約を締結し(賃金等月額117万円)、Eエンター長として勤務していた方です。

 平成30年8月16日、被告は、Eセンターの廃止を理由に、原告に対し、会社都合での退職を勧奨しました。

 その後、被告は、

本件労働契約は平成30年4月30日の経過をもって、退職合意により終了した、

仮に、退職合意が争われるとしても、Eセンターの廃止、従業員に対するパワハラ、能力不足等を理由に予備的に解雇する、

と通知しました。

 これに対し、原告は、退職合意の成立、及び、解雇の有効性を争い、地位確認等を求める訴えを提起しました。

 訴えの中で、被告は、退職合意が成立していたことの根拠として、

「4月末までは(在職を)許容する」と述べた際、原告が「分かりました。」と答えたこと、

本件退職勧奨後、原告が、速やかに職場を離れ、転職活動を開始したこと、

などを指摘しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、退職合意の成立を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、B取締役とF部長が平成30年1月16日午前に原告と面談し、本件退職勧奨をした際に、原告は同年4月30日付けで被告を退職することに合意したと主張するが、これを認めるに足りる証拠がない。」

「この点、被告は、本件退職勧奨の際、キャリアに空白が生じることを懸念する原告に対し、B取締役が、平成30年4月30日までの被告への在籍を認めたところ、『分かりました。』と言って、同日付での退職に合意したと主張する。原告がこのような発言をしたことを認めるに足りる証拠はないが、仮に、本件退職勧奨の際、原告が被告主張のような発言をしていたとしても、退職が、労働者にとって生活基盤を喪失することにつながる重大な意思表示であることに照らすと、単なる発言が直ちに労働契約解消の法律効果を生じさせる確定的な意思表示としてされたものであるか否かについては慎重に評価する必要がある。そして、仮に原告が『分かりました。』という発言をしたとしても、前後の文脈に照らすと、被告が平成30年4月30日までの在籍を認めたこと、あるいは、同年5月1日以降の在籍は認めない意思であることを理解したという意味と解することもできる上、前記認定事実のとおり、原告が、本件退職勧奨直後から数度にわたって退職合意書への署名や押印を求められながらも、一度もこれに応じなかったことに照らすと、被告が主張するような発言をもって、原告が退職に同意したものと認めることはできない。

「また、被告は、原告が本件退職後速やかに京都を離れ、東京の自宅に戻って転職活動を始めたのは、退職に合意していたからであるとも主張する。しかしながら、原告は、本件退職勧奨後間もなく転職活動を開始した一方で、上記のとおり、退職合意書への署名や押印には頑として応じなかったものであり、このような原告の言動に照らすと、速やかに転職活動に着手したことだけでは、原告が確定的に退職に同意していたことを推認するには足りないというべきである。原告の上記行動は、転職が決まった場合には被告を退職する意思を有していたことを推認させる事情にすぎないというべきである。

「被告は、本件退職勧奨の2日後である平成30年1月18日にB取締役が被告関係者宛に送った原告の退職を告知するメールに対し原告が異論を述べなかったのは、退職に合意していたからであるとも主張する。しかしながら、上記のとおり、原告は、被告から、会社の方針として被告を退職するように求められたものであるから、原告の退職は被告における既定事項と捉えて、これにあえて異論を述べなかったとしても、格別不自然とはいえない。B取締役の上記メールに対して異論を述べなかったことだけでは、原告が退職に同意していたことを推認するには足りないというべきである。」

「被告は、F部長が原告に対し平成30年1月26日に退職日を同年4月30日とする退職合意書を送ったが、原告が退職日については特に異議を述べなかったのは、退職に合意していたからであるとも主張する。確かに、前記認定事実のとおり、原告が主として異議を述べたのは競業避止義務条項に対してであり、退職日について異議は述べていないが、他方で、競業避止義務条項が訂正されれば退職合意書に署名や押印するとも述べていない。退職日について異議を述べなかったことをもって、退職に合意していたことを推認することはできないというべきである。」

「さらに、被告は、被告が本件労働契約の試用期間中に留保解約権を行使しなかったのは、原告が退職に同意し、留保解約権行使の必要性がなくなったからであるとも主張する。しかしながら、前記のとおり、原告は、本件退職勧奨直後から一貫して被告の求める退職合意書への署名や押印に応じておらず、原告が本件労働契約の解消を承諾する旨の確定的な意思表示をしていたとは認め難い。本件退職勧奨時の原告の言動から、被告が原告が退職に同意したと受け止めた可能性はあるが、被告がそのような主観を持ったからといって、原告が実際に退職に同意していたことが推認されるわけではない。」

「被告のその他の主張や提出証拠を検討しても、上記認定判断は左右されない。」

3.口が滑っても存外リカバーがきく

 民法の世界では、一旦成立した合意は撤回することができないのが原則です。

 合意を成立させた後、

「あれは本意ではなかった。」

と言い続けたところで、合意の効力が覆ることはありません。

 しかし、労働法の世界では、必ずしもそうではありません。仮に、一度は「分かりました。」と言ってしまったとしても、その後、一貫して合意退職を拒絶し続けていれば、合意の認定を阻止できる可能性があります。

 退職勧奨を受け、咄嗟に応じると口走ってしまって後悔している方は、すぐに弁護士のもとに相談に行くことをお勧めします。直後であれば、即座に退職合意の成立を否認する文書を発出するなどして、何とかなるかもしれないからです。仮に、会社側が退職合意の成立を主張して譲らなかったとしても、直ちに態度を翻し、争った形跡を残していることは、後の地位確認請求の足掛かりになるので、決して無駄にはなりません。

 

混ぜ物入りの手当を固定残業代とする合意の効力

1.固定残業代の有効要件

 固定残業代の有効性について、最高裁は主に二つの要件を定立しています。

 一つは判別要件です。固定残業代が有効といえるためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外の割増賃金に当たる部分とが判別できる必要があります(最一小判平24.3.8労働判例1060-5テックジャパン事件、最二小判平29.7.7労働判例1168-49医療法人社団康心会事件)。

 もう一つは、対価性要件です。一定の金額の支払が残業代の支払といえるためには、時間外労働等の対価として支払われたものであることが必要です(最一小判平30.7.19労働判例1186-5日本ケミカル事件)。

 固定残業代が有効であるためには、この二つのいずれの観点からも問題ないといえることが必要です。

 例えば、一定の手当に時間外勤務の対価としての性質が付与されていたとしても、その手当に他の趣旨も付加されていた場合、時間外勤務の対価としての部分と、それ以外の趣旨である部分とが判別できる形になっていなければ、有効な固定残業代であるとは認められません。

 それでは、この規範を合意によってクリアすることはできないのでしょうか?

 時間外勤務の対価以外の混ぜ物が入った手当であったとしても、その手当の全てを時間外勤務手当として受領することを合意した場合、手当全額を固定残業代にすることはできないのかという問題です。

 近時公刊された判例集に、この問題を考えるにあたり、参考になる裁判例が掲載されていました。大阪地判令2.7.16労働判例1239-95 石田商会事件です。

 なお、これは、以前、

労働時間管理が緩やかでありながら管理監督者性が否定された事例 - 弁護士 師子角允彬のブログ

という記事で紹介した裁判例と同じ事件でもあります。

2.石田商会事件

 本件は解雇された労働者が、時間外勤務手当等の支払いを求め、裁判所に訴訟提起した事案です。

 本件で被告になったのは、日用雑貨、食料品、書籍雑誌、服飾雑貨、タバコ、酒類の販売等を目的とする株式会社で、婦人服や紳士服、日用雑貨等を販売する小売店を営んでいました。

 原告になったのは、被告で統括バイヤーとして働いていた方です。

 本件では、時間外勤務手当等の額を議論するにあたり、「職務手当」の固定残業代としての効力が問題になりました。

 被告は、

「原告の職務手当には、76時間の超過勤務手当が含まれており、被告は、原告に対し、これを支払った。このことは、当初(試用期間中)、原告と被告との間で取り交わされた雇用契約書・・・において、職務手当には26時間の超過勤務手当を含む旨明記されていることからも窺われる。」

などと述べ、職務手当の固定残業代としての有効性を主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、職務手当の固定残業代としての効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、原告の職務手当には、76時間の超過勤務手当が含まれている旨主張する。確かに、試用期間中の雇用契約書には、職務手当には26時間以内の超過勤務手当を含む旨記載されている・・・。しかしながら、試用期間経過後については、原告・被告間で雇用契約書が取り交わされていない・・・。また、あくまで名目が職務手当である上、被告の主張によっても、その中に統括バイヤーの役職に対する手当も含まれるというのであるから、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金の部分が明確に区分されておらず、仮に職務手当を固定残業代とする合意があったとしても、そのような合意が有効とはいえない(最高裁判所昭和63年7月14日第一小法廷判決・労判523号6頁、最高裁判所平成24年3月8日第一小法廷判決・集民240号121頁等参照)。」

「したがって、固定残業代を支払った旨の被告の主張には理由がない。」

3.判別可能性のない混ぜ物の存在は、合意によっても乗り越えられない

 以上のとおり、裁判所は、職務手当を固定残業代とする合意があったとしても、統括バイヤーとしての通常の労働時間の賃金の部分と、割増賃金部分とが区別されていない以上、手当が固定残業代になることはないと判示しました。

 最高裁の定立した要件が強行規定(労働基準法37条1項)に由来している以上、当然といえば当然の帰結だとは思いますが、固定残業代の有効要件について判示した一事例として参考になります。

 

不妊治療を考えて会社を辞めるのは給料泥棒なのか?

1.退職妨害

 昨今、人口が減少傾向にあるとともに、生産年齢人口が減少していることにより、人手不足が深刻化していると言われています。

中小企業庁:2020年版「小規模企業白書」 第1部第1章第3節 人手不足の状況と雇用環境

 こうした世相を反映してか、会社に辞意を示した労働者に対し、ハラスメントが行われるという事案が増加しているように思われます。

 昨日紹介した、東京地判令2.12.22労働判例ジャーナル110-26 東京身体療法研究所事件は、退職妨害に違法性を認めた事例としても意味があります。

2.東京身体療法研究所事件

 本件で被告になったのは、按摩、マッサージ及び指圧等を業とし、都内に数店舗を展開する有限会社(被告会社)と、その代表者(被告C)です。

 原告になったのは、被告の元従業員2名です(原告A、原告B)。

 原告Aは、被告会社を退職した後、時間外割増賃金や、被告Cからのハラスメント等を理由とする損害賠償を請求しました。

 ハラスメント等を構成する具体的な事実として、裁判所では、原告Aの退職に際し、次の事実があったと認定されています。

(裁判所が認定した事実)

原告Aは、平成30年4月15日、被告Cに対し、不妊治療を考えて退職の意向があると告げたところ、被告Cは、原告Aのことを『そんな辞め方は会社に失礼です。』、『あなた売上の目標値に達してないでしょ。』、『こういうのを給料泥棒って言うんですよ。』、『私が納得いく成績になってから退職を申し出るように。』と言った。

「原告Aは、平成30年4月18日、被告Cに対し、『給料泥棒』という発言を理由として同年5月で退職する旨を告げたところ、被告Cは、『給料泥棒という言葉は使っていません。女性の脳は、都合のいいように過去の記憶を変えるのですよ。』、『賠償金を請求します。』などと言った。また、原告Aは、雇用契約書の開示を求めたが、被告Cはこれを拒絶した。」

「原告Aは、平成30年5月6日、被告Cに対し、雇用契約書と労使協定を開示するよう求めたが、被告Cは、原告Aがタイムカードのコピーを持っているのを目にして、そのコピーは会社でしたのかと聞いた上で、そうであるなら業務上横領として告訴するなどと言った。

「原告Aは、平成30年5月9日、原告B立会いの下、被告Cに対し、雇用契約書と労使協定を開示するよう求めたが、被告Cは、これを拒絶し、原告Aの有給休暇の希望に対しても、円満退社するのであれば認めるなどと言った。

「原告Aは、被告Cに対し、有給休暇の取得に関してメールを送ったが返事がなかったので、有給休暇7日間取得して平成30年6月7日付けで退職する旨の退職届を被告会社に提出した。」

「原告Aは、平成30年6月7日付けで被告会社を退職した。」

被告会社は、原告Aが退職した後も、原告Aに対し、離職票を送付しなかった。原告Aが、労働基準監督署を通じて督促し、被告会社は、平成30年9月12日になってようやく、原告Aに対し、離職票を送付した。」

 暴言(パワハラ・セクハラ)、損害賠償の示唆、些細な行為をとられての刑事告訴の示唆、有給休暇の取得妨害、離職票の送付拒否など、さながら退職妨害のオンパレードのような様相が呈されています。

 こうした行為に対し、裁判所は、次のとおり述べて、その違法性を肯定しました。

(裁判所の判断)

「以上のような、被告Cが原告Aに対してした『給料泥棒』などの暴言、退職を妨害する行為、離職票を直ちに交付しなかった行為などの一連の行為は、原告Aに対する嫌がらせというほかなく、原告Aの人格権を侵害するものであり、違法であるという評価を免れない。

「被告Cの上記不法行為により、原告Aが受けた精神的苦痛に相当する慰謝料は10万円と評価するのが相当であり、弁護士費用は1万円と認めるのが相当である。」

3.例によって慰謝料は低額だが・・・

 裁判所が認定した慰謝料額は、10万円でしかありません。

 しかし、少額とはいえ、会社代表者の一連の行為に違法性を認めた意義は、決して少なくないと思います。被告会社(代表者)がやっているような退職妨害行為は、典型的なものであり、残念ながら「よくあること」だからです。

 不妊治療は職業生活にかなりの負荷を生じさせます。負荷に耐えかねて仕事を辞める決意をするに至るまでに、相当な葛藤があったであろうことは想像に難くありません。

 そうした方に対し、「給料泥棒」などという暴言を浴びせ、退職した後の離職票の送付すら渋るといった行為を見せられては、在職中の従業員の方の士気に良い影響があるはずもなく、人が辞めていくのも仕方のないことであるように思われます。

 個人、企業、社会いずれにとっても、マイナスの影響しかなく、本件のようなハラスメントは、早急になくされるべきだろうと思います。