弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

退職勧奨を受けての「分かりました」という発言・転職活動があっても合意退職が否定された例

1.退職勧奨を受けた時の対応

 退職勧奨を受けたとしても、会社を辞める意思がないのであれば、応じる必要はありません。

 しかし、自分が退職勧奨を受けたという事実に衝撃を受け、不本意ながらも、これに応じるかのような回答をしてしまったり、転職活動などの退職を前提とする行動をしてしまったりする方は、少なくありません。

 それでは、退職勧奨に際して、つい「分かりました。」と回答してしまったり、将来への不安から転職活動に入ってしまったりした人は、もう合意退職の効力を争うことはできなくなってしまうのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.11.24労働判例ジャーナル110-40 メガカリオン事件です。

2.メガカリオン事件

 本件で被告になったのは、iPS細胞から高品質の血小板及び赤血球を産生し、計画的安定供給が可能で、安全性の高い血液製剤の開発を目的としている従業員数約20名の株式会社です。

 原告になったのは、平成29年8月1日に被告との間で無期労働契約を締結し(賃金等月額117万円)、Eエンター長として勤務していた方です。

 平成30年8月16日、被告は、Eセンターの廃止を理由に、原告に対し、会社都合での退職を勧奨しました。

 その後、被告は、

本件労働契約は平成30年4月30日の経過をもって、退職合意により終了した、

仮に、退職合意が争われるとしても、Eセンターの廃止、従業員に対するパワハラ、能力不足等を理由に予備的に解雇する、

と通知しました。

 これに対し、原告は、退職合意の成立、及び、解雇の有効性を争い、地位確認等を求める訴えを提起しました。

 訴えの中で、被告は、退職合意が成立していたことの根拠として、

「4月末までは(在職を)許容する」と述べた際、原告が「分かりました。」と答えたこと、

本件退職勧奨後、原告が、速やかに職場を離れ、転職活動を開始したこと、

などを指摘しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、退職合意の成立を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、B取締役とF部長が平成30年1月16日午前に原告と面談し、本件退職勧奨をした際に、原告は同年4月30日付けで被告を退職することに合意したと主張するが、これを認めるに足りる証拠がない。」

「この点、被告は、本件退職勧奨の際、キャリアに空白が生じることを懸念する原告に対し、B取締役が、平成30年4月30日までの被告への在籍を認めたところ、『分かりました。』と言って、同日付での退職に合意したと主張する。原告がこのような発言をしたことを認めるに足りる証拠はないが、仮に、本件退職勧奨の際、原告が被告主張のような発言をしていたとしても、退職が、労働者にとって生活基盤を喪失することにつながる重大な意思表示であることに照らすと、単なる発言が直ちに労働契約解消の法律効果を生じさせる確定的な意思表示としてされたものであるか否かについては慎重に評価する必要がある。そして、仮に原告が『分かりました。』という発言をしたとしても、前後の文脈に照らすと、被告が平成30年4月30日までの在籍を認めたこと、あるいは、同年5月1日以降の在籍は認めない意思であることを理解したという意味と解することもできる上、前記認定事実のとおり、原告が、本件退職勧奨直後から数度にわたって退職合意書への署名や押印を求められながらも、一度もこれに応じなかったことに照らすと、被告が主張するような発言をもって、原告が退職に同意したものと認めることはできない。

「また、被告は、原告が本件退職後速やかに京都を離れ、東京の自宅に戻って転職活動を始めたのは、退職に合意していたからであるとも主張する。しかしながら、原告は、本件退職勧奨後間もなく転職活動を開始した一方で、上記のとおり、退職合意書への署名や押印には頑として応じなかったものであり、このような原告の言動に照らすと、速やかに転職活動に着手したことだけでは、原告が確定的に退職に同意していたことを推認するには足りないというべきである。原告の上記行動は、転職が決まった場合には被告を退職する意思を有していたことを推認させる事情にすぎないというべきである。

「被告は、本件退職勧奨の2日後である平成30年1月18日にB取締役が被告関係者宛に送った原告の退職を告知するメールに対し原告が異論を述べなかったのは、退職に合意していたからであるとも主張する。しかしながら、上記のとおり、原告は、被告から、会社の方針として被告を退職するように求められたものであるから、原告の退職は被告における既定事項と捉えて、これにあえて異論を述べなかったとしても、格別不自然とはいえない。B取締役の上記メールに対して異論を述べなかったことだけでは、原告が退職に同意していたことを推認するには足りないというべきである。」

「被告は、F部長が原告に対し平成30年1月26日に退職日を同年4月30日とする退職合意書を送ったが、原告が退職日については特に異議を述べなかったのは、退職に合意していたからであるとも主張する。確かに、前記認定事実のとおり、原告が主として異議を述べたのは競業避止義務条項に対してであり、退職日について異議は述べていないが、他方で、競業避止義務条項が訂正されれば退職合意書に署名や押印するとも述べていない。退職日について異議を述べなかったことをもって、退職に合意していたことを推認することはできないというべきである。」

「さらに、被告は、被告が本件労働契約の試用期間中に留保解約権を行使しなかったのは、原告が退職に同意し、留保解約権行使の必要性がなくなったからであるとも主張する。しかしながら、前記のとおり、原告は、本件退職勧奨直後から一貫して被告の求める退職合意書への署名や押印に応じておらず、原告が本件労働契約の解消を承諾する旨の確定的な意思表示をしていたとは認め難い。本件退職勧奨時の原告の言動から、被告が原告が退職に同意したと受け止めた可能性はあるが、被告がそのような主観を持ったからといって、原告が実際に退職に同意していたことが推認されるわけではない。」

「被告のその他の主張や提出証拠を検討しても、上記認定判断は左右されない。」

3.口が滑っても存外リカバーがきく

 民法の世界では、一旦成立した合意は撤回することができないのが原則です。

 合意を成立させた後、

「あれは本意ではなかった。」

と言い続けたところで、合意の効力が覆ることはありません。

 しかし、労働法の世界では、必ずしもそうではありません。仮に、一度は「分かりました。」と言ってしまったとしても、その後、一貫して合意退職を拒絶し続けていれば、合意の認定を阻止できる可能性があります。

 退職勧奨を受け、咄嗟に応じると口走ってしまって後悔している方は、すぐに弁護士のもとに相談に行くことをお勧めします。直後であれば、即座に退職合意の成立を否認する文書を発出するなどして、何とかなるかもしれないからです。仮に、会社側が退職合意の成立を主張して譲らなかったとしても、直ちに態度を翻し、争った形跡を残していることは、後の地位確認請求の足掛かりになるので、決して無駄にはなりません。