弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

退職勧奨の影響を受けてされた賃金減額の申出は無効/事後的であっても法律相談をしておく意義

1.賃金減額と自由な意思の法理

 最二小判平28.2.19労働判例1136-6山梨県民信用組合事件は、

「就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である」

と判示しています。

 つまり、賃金や退職金を減額することを内容とする合意は、外形的に合意してしまった事実があるとしても「自由な意思に基づいてなされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在」しないという理屈で、その効力を否定できる場合があります(以下「自由な意思の法理」といいます)。

 山梨県民信用組合事件以降、「自由な意思の法理」を適用して賃金減額の効力を否定した裁判例は少なくありません。近時公刊された判例集に掲載されていた、大阪地判令3.9.9労働判例ジャーナル118-30 グローバルサイエンス事件もその一つです。この裁判例は、退職勧奨下でなされた賃金減額の申出の効力について、特徴的な判断を示しています。

2.グローバルサイエンス事件

 本件の被告は、医療用具等の製造、販売及び輸出入等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で、期間の定めのない雇用契約を締結していた方です。それまで月額29万円であった基本給を18万円に下られたうえ、解雇されてしまいました。これを受けて、地位確認等を求めて訴えを提起したのが本件です。

 賃金減額の経緯について、被告は、

「原告は、令和2年1月23日、被告から退職勧奨を受けた際に、被告に対し、『給与は18万円で良いので、どうか働かせてください、営業成績は必ず改善します』と懇願してきたため、被告は仕方なくこれを了承した。」

と主張しました。

 原告がこれを否認したところ、裁判所は、次のとおり述べて、賃金減額の合意を否定しました。

(裁判所の判断)

「賃金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも判断されるべきものと解するのが相当である(最高裁平成28年2月19日第二小法廷判決・民集70巻2号123頁参照)。」

「被告は、令和2年1月23日に原告に対して退職勧奨をしたところ、原告はこれを拒否し、『給与は18万円でよいので、どうか働かせてください、営業成績は必ず改善します。』と懇願し、被告はこれを了承したと主張する。そうすると、原告の賃金減額の申出は、29万円から18万円という大幅な減額であって原告に対して大きな不利益を与えるものであるところ、被告による退職勧奨の影響を受けてされた申出であるから、その不利益の大きさ及び減額に至る経緯に照らして原告の自由な意思に基づいてされたものとはいえない。したがって、被告の上記主張は、事実の有無について認定するまでもなく採用することができない。

「なお、甲第20号証、第21号証によれば、原告は、退職を迫られて拒否したところ、一方的に給料を減額された旨を述べて法律相談を申し込んだことが認められるところ、これは原告が賃金減額を拒否していたことを推認させる事情であり、これに反する事情は見当たらない。したがって、原告が被告に対して賃金減額を申入れた事実は認められない。

「以上のとおり、原告の基本給を29万円から18万円に減額する旨の合意があったとは認められない。」

3.退職勧奨の影響をどうみるか/事後的であっても法律相談をしておく意義

 判旨で興味深いのは次の二点です。

 一点目は、退職勧奨の影響をどう評価するのかです。

 退職勧奨の影響に関しては、二通りの見方が考えられます。一つは、クビにされるよりは自分の利益になるという判断のもとに行われているのだから、賃金減額の申出は自由意思に基づいていたはずだという見方です。もう一つは、クビにすると言われてから行う賃金減額の申し入れは、その地位を守るための咄嗟の行動にすぎず、凡そ不本意であったに決まっているという見方です。本件裁判例は、後者の見方に親和的な判断を示しています。判決文中の「事実の有無について認定するまでもなく」というのは、「被告の主張に添う事実経過であったとしても」という意味であり、凡そ前者のような見方を否定する趣旨であるように読めます。

 二点目は、事後的な法律相談の意義です。

 裁判所は、退職勧奨の後、給料を減額されたと法律相談をしていることを、賃金の減額を拒否していた事実を認定するための根拠として指摘しました。このことは、仮に不本意な賃金減額を押し付けられるような格好になってしまったとしても、そこで諦めることなく、すぐに弁護士のもとに法律相談に行っておけば、それ自体が、合意の存在や合意が自由意思に基づいていることを否定する根拠になることを意味します。

 いずれも他の事案に応用できる重要な指摘だと思います。特に、二点目に関しては、自分の行動によって作出することが可能な事実であるため、多くの方にとって知っておく意義のあることだと思います。