弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

趣旨から考える固定残業代の有効性-法定労働時間を超過した所定労働時間と対価型固定残業代の組み合わせは問題あり

1.趣旨から考える固定残業代の有効要件 

 固定残業代の有効性について、最高裁は主に二つの要件を定立しています。

 一つは判別要件です。固定残業代が有効といえるためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外の割増賃金に当たる部分とが判別できる必要があります(最一小判平24.3.8労働判例1060-5テックジャパン事件、最二小判平29.7.7労働判例1168-49医療法人社団康心会事件)。

 もう一つは、対価性要件です。一定の金額の支払が残業代の支払といえるためには、時間外労働等の対価として支払われたものであることが必要です(最一小判平30.7.19労働判例1186-5日本ケミカル事件)。

 ただ、これら最高裁が定立している要件が充足されているのかどうかは、字面だけを見て判断できるわけではありません。要件充足性は、その要件が要求されている趣旨に遡って考えて行く必要があります。

 例えば、医療法人社団康心会事件は、判別要件が必要となる趣旨について、

「使用者が労働者に対して労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったとすることができるか否かを判断するためには、割増賃金として支払われた金額が、通常の労働時間の賃金に相当する部分の金額を基礎として、労働基準法37条等に定められた方法により算定した割増賃金の額を下回らないか否かを検討」

できる必要があるからだと判示しています。

 つまり、基本給と区別できる形で対価型の固定残業代が設けられていても、何等かの理由により、割増賃金の対価とされた額と労働基準法37条等に定められた方法によって算定した割増賃金の額を比較することが困難である場合、判別要件が実質的に満たされているとはいえないという判断が導かれます。

 近時公刊された判例集にも、こうした実質的な価値判断に基づいて、固定残業代の有効性を否定した裁判例が掲載されていました。東京地判令2.12.22労働判例ジャーナル110-26 東京身体療法研究所事件です。

2.東京身体療法研究所事件

 本件で被告になったのは、按摩、マッサージ及び指圧等を業とし、都内に数店舗を展開する有限会社(被告会社)と、その代表者(被告C)です。

 原告になったのは、被告の元従業員2名です(原告A、原告B)。被告会社を退職した後、時間外割増賃金や、被告Cからのパワーハラスメントを理由とする損害賠償を請求する訴訟を提起しました。

 時間外割増賃金の請求との関係では、技能手当の固定残業代としての有効性が争点の一つになりました。

 この技能手当は、雇用契約書上、Aとの関係では30時間分の、Bとの関係では38時間分の固定残業代を含む手当だとされていました。

 しかし、被告会社では所定労働時間が

午前11時~午後8時30分(休憩時間60分)

と法定労働時間(8時間)を上回る形(必然的に残業が生じる形)で設定されていました。

 このような賃金体系について、原告らは、

「所定労働時間が一日8時間を超える違法なものであり、固定残業代に相当する部分がいくらかが分からない以上、明確区分性の観点から固定残業代の定めは無効である。30時間ないし38時間の固定残業代と定めたとしても、固定残業代に相当する金額が具体的には分からない以上、同様である。」

と主張し、技能手当の固定残業代としての有効性を争いました。

 裁判所は、次のとおり述べて、技能手当の固定残業代としての有効性を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告会社は、被告会社が原告らに支払った技能手当は、原告Aについては残業時間30時間、原告Bについては残業時間38時間に相当する固定残業代を含むものである旨主張する。」

「しかし、原告Aとの契約書には30時間分との記載・・・、原告Bとの契約書に38時間分との記載・・・があるが、所定労働時間が8時間30分とされており、法定の1日8時間を超える部分が時間外労働なのか否かが明記されておらず、文言上、上記30時間分又は38時間分にこの超過分1日30分が含まれているのか否かが明らかでない。そして、基礎賃金を算定する際に賃金等を除する時間(分母に当たるもの)が、法定の労働時間であるか、それとも所定の労働時間であるかも特定できない。

そうすると、技能手当につき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と労働基準法37条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することはできないこととなる。

「したがって、被告会社の前記主張を採用することはできない。」

3.趣旨から考えるのは専門家でなければ難しい

 今日、法律や裁判例に関する情報は、ネット上に多数あげられています。

 しかし、字面だけを読んでいても、正確な判断をすることはできません。本件の技能手当も、「手当」という形で他から区別はされていますし、時間外労働の対価であることが契約書上に記載されてもいました。

 本件で技能手当の固定残業代としての効力が否定されたのは、法定労働時間を超える所定労働時間が設定されていて、判別要件が必要となる趣旨に合致しないこと(時間外勤務手当等の計算にあたり曖昧な部分が残る賃金体系になっていること)が理由になっています。

 趣旨に遡って要件充足性を検討することは、専門家でなければ困難です。

 損をしないためには、ネット上の情報は足掛かりに留め、個別の事案における最終的な判断は、飽くまでも専門家に相談した後で行うことが推奨されます。

 

表見代理の適用のハードルは高い-雇用契約締結の場面での表見代理の否定例

1.表見代理

 民法109条1項は、

「第三者に対して他人に代理権を与えた旨を表示した者は、その代理権の範囲内においてその他人が第三者との間でした行為について、その責任を負う。ただし、第三者が、その他人が代理権を与えられていないことを知り、又は過失によって知らなかったときは、この限りでない。」

と規定しています。

 大雑把に言うと、

この人が代理人であると第三者に対して示してしまった場合、

実際には代理権を付与した事実がなかったとしても、

その人が第三者との間でした行為について、

本人が責任を負う、

という仕組みです。これは、外観を信頼した第三者を保護するための制度で、表見代理と呼ばれています。

 表見代理は、外観を作出した本人に帰責性があることを理由に、それを信頼した第三者を保護するための仕組みで、第三者にとって使い勝手の良い制度に見えます。

 しかし、実務上、表見代理が主張されることは、あまりありません。適用のハードルが極めて高いからです。正常に代理権が付与されている場合と殆ど区別ができないような状態でない限り、表見代理が適用されることは期待できません。そういう事案では、下手に表見代理を主張するよりも、有権代理の主張一本で行った方が、主張に説得力の出ることが多いからです。

 近時公刊された判例集にも、表見代理の適用のハードルの高さが分かる裁判例が掲載されていました。大阪地判令2.12.8労働判例ジャーナル109-40 王子石鹸事件です。

2.王子石鹸事件

 本件で被告になったのは、日用品雑貨の精算、販売及び輸出入等を目的とする株式会社です。シンガポールに本店を置き、「ウェルフィ・グループ」を構成する中心的企業の子会社です。

 原告は中国籍の外国人です。中国法人である広州ウェルフィで面接を受け、日本法人である被告との間で雇用契約を締結したとして、第一次的には有権代理を、第二次的には表見代理を主張し、被告に対して地位確認等を求める訴えを提起しました。

 この論点について、裁判所は、次のとおり判示し、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「原告は、原告と被告との間で本件雇用契約が成立した、又は原告と広州ウェルフィとの間で本件雇用契約が成立するとともに、広州ウェルフィは、被告の従業員の採用につき代理権を有しているか、又は広州ウェルフィの代理行為につき民法109条の表見代理が成立するから、原告と被告との間で本件雇用契約が成立している旨主張する。」

確かに、前記前提事実によれば、

〔1〕広州ウェルフィと被告は、いずれもウェルフィ・グループに属しており、Bが両者の代表者を兼務していること、

〔2〕広州ウェルフィは、中国国内で被告の従業員の求人広告を出しており、求人登録をしていた原告に採用に応募するかを打診し、面接を行い、賃金や勤務場所が記載された本件雇用通知書を交付し、その後には雇用契約書案も示したこと、被告代表者であるBも、本件面接の場に少なくとも顔を出しており、その際に広州ウェルフィが面接を実施していることについて異議を述べた形跡はないことからすると、被告は、広州ウェルフィが被告の従業員の採用に関する面接を実施することを容認していたものと推認されること、

〔3〕原告は、被告の従業員であるJとの間で日本での住居について相談をしていたこと、

〔4〕広州ウェルフィは、原告を日本に連れて行き、被告の堺工場で支払稟議書を作成させるなどし、その際、Cやその他被告側から何らかの異議が述べられた形跡はないこと、

〔5〕広州ウェルフィの財務担当者であるEは、被告の支払を承認したことがあったこと

などの事情によれば、広州ウェルフィは、原告を被告の従業員の少なくとも候補者として選定したものと認めることができるほか、被告(B)が、広州ウェルフィに対し、被告の従業員、とりわけ会計担当者の採用に関し、募集、応募者の面接、候補者の選定等を行うことを容認し、黙示的にその権限を付与していた可能性がないとまではいえない。

しかしながら、日本法人である被告が、外国人を経理担当の従業員として採用するに当たっては、日本における会計に関する知識経験や税理士その他関係者との間で適切に意思疎通を行うことができるような日本語能力を有しているかを確認してから採否を決定するものと考えられるところ、前記前提事実によれば、原告に中国国内で面接を行ったか、行った可能性があるE、F及びBは、いずれも日本語を解さないか、日本語が少し分かる程度であり、ほかに原告が日本における会計に関する知識経験の有無や日本語での意思疎通能力の確認を受けたことを認めるに足りる証拠もない。そのような状況のもとで、中国での面接等のみをもって被告の従業員としての採用を最終的に決定するとの判断がされたとは考えにくいし、被告がそのような権限を広州ウェルフィに付与していたとも考えにくいのであって、むしろ、被告(B)は、堺工場での面接や実務能力及び日本語での意思疎通能力の確認を行った上で、最終的な採否の判断を行おうと考えていた可能性が高いといえる。中国の労働契約法では、パートやアルバイトのような非全日制雇用の場合を除き、労働契約の締結に書面が要求されており・・・、Eも令和元年6月19日に原告に対して雇用契約書を作成する必要があると伝えていたところ、原告が堺工場を訪れるまでに、原告と被告との間での雇用契約書が取り交わされることはなく、原告に示された文案についても、最も重要である賃金額が異なっているなど不確定のものであったといえることにも照らすと、B、E、Fら広州ウェルフィの関係者は、原告を被告の従業員の候補者として日本に連れて行くにとどまり、最終的な採否は、堺工場においてCやその他被告の関係者が知識や実務能力を確認した上で決定されるものと考えていた可能性があるし、原告も、当初提出した履歴書に日本で二次面接を受けることは可能である旨を記載していたこと・・・からすると、採否の最終的な判断が日本での面接等を経て決定されるものと認識していた可能性を否定できない。

また、前記前提事実によれば、被告は、令和元年3月22日にエクレシア企画に対し、人事管理業務、経理業務及びコンサルティング業務を委託してCの派遣を受け、同年3月下旬頃には勤務経験が浅く、人事事務や経理事務の処理能力を欠いていたJを除く全従業員を解雇したものである。そして、証拠・・・によれば、被告代表者であるBは、多忙であって日本に滞在する期間がごくわずかであり、被告の運営はCに委ねられていて、同人は、被告の従業員の採用活動も行い、実際に面接等も行って従業員を採用すべきか否かを判断し、Bに対して採否に関する意見を述べていたことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。これらの事情によれば、

Cは、被告における採否の判断その他実質的な人事権を有していたものと認められるのであり、被告代表者であるBが、Cによる判断を経ないまま被告の従業員の採否を決定したり、採用権限又はその代理権を広州ウェルフィに授与したりして、Cの関与なしに被告の従業員の採否を可能としていたとも考えにくい。証人Cは、広州ウェルフィが中国国内で被告の従業員の採用活動を行っていることや、実際に原告を選定したことなどについて広州ウェルフィから知らされていなかった旨供述しており、ほかに広州ウェルフィと被告(C)との間で、原告が堺工場を訪れるまでの間に、原告を被告の従業員として採用するか否かに関し、何らかの具体的なやり取りがされたことを認めるに足りる的確な証拠はない。この点、前記前提事実によれば、原告は、Jに対し、原告の日本での住居について相談していたものであるが、Jは被告の人事や経理を担当しておらず、上記相談の事実をもって、被告と広州ウェルフィとの間で原告を採用するか否かに関する具体的なやり取りがされていたことを裏付けるには足りず、上記判断を左右しない。

「以上の諸点を総合すると、原告が堺工場を訪れるまでの間に、原告と被告又は広州ウェルフィとの間で、原告を被告の従業員として採用する旨の本件雇用契約が成立したと認めることは困難というべきであり、また、広州ウェルフィと被告との間には資本関係がないこと・・・にも照らすと、被告が、広州ウェルフィに対し、従業員の採否の決定に関し、代理権を授与していたと認めることも困難であって、ほかにこの判断を左右するに足りる他の証拠はない。」

(中略)

「さらに、民法109条の表見代理についても、前記・・・に述べたところにも照らすと、被告(B)は、広州ウェルフィがレイピンに被告の従業員の求人広告を出すことについてもこれを容認していた可能性がないではないが、当該求人広告の存在をもってしても、被告が、従業員の最終的な採否の決定に関し、広州ウェルフィに対してその代理権を授与するとの表示をしたものと解することはできず、ほかに当該事実を認めるに足りる証拠はない。したがって、仮に、原告と広州ウェルフィとの間で、本件雇用契約が成立したとしても、民法109条により、その効果が被告に帰属するとはいえない(なお、以上説示したところによれば、原告が、広州ウェルフィが従業員の最終的な採否の決定に関して被告の代理権を有するものと信じていたとはいえず、仮に信じていたとしても、そのことにつき正当な事由があるということはできない。)。

「よって、原告の主張は採用できない。」

3.ハードルが高い表見代理

 被告の求人情報に基づいて、被告代表者を兼任する方から面接を受け、被告の雇用通知書が交付されているなどの事情があれば、有権代理、少なくとも表見代理の成立は認められてもよさそうに思われます。

 しかし、裁判所は、有権代理はもちろん表見代理の主張も認めませんでした。

 日系企業による外国人の現地採用は、今後とも増加して行くことが予想されます。

 そうした事案においても、やはり、安易に有権代理、表見代理の成立の見通しを立てられないことを示す裁判例として、本件は参考になります。

 

フリーランスの法的保護:業務提供誘引販売取引であることを理由とするクーリングオフの可能性

1.業務提供誘引販売取引

 特定商取引法に「業務提供誘引販売取引」という取引類型が規定されています。

 これは、

物品の販売・・・又は有償で行う役務の提供・・・の事業であつて、

業務提供利益を収受し得ることをもって相手方を誘引し、

その者と特定負担を伴う

その商品の販売・あっせん、又は、その役務の提供・あっせんに係る取引

をいいます。

 業務提供利益というのは、

「その販売の目的物たる物品(商品)又はその提供される役務を利用する業務(その商品の販売若しくはそのあつせん又はその役務の提供若しくはそのあつせんを行う者が自ら提供を行い、又はあつせんを行うものに限る。)に従事することにより得られる利益」

を指します。

 特定負担というのは、

「その商品の購入若しくはその役務の対価の支払又は取引料の提供」

のことです(特定商取引法51条1項)。

 非常に複雑な条文構造を持っているため、一読しても何を言っているのか分かりにくいと思いますが、要するに、

「『仕事を提供するので収入が得られる』という口実で消費者を誘引し、仕事に必要であるとして、商品等を売って金銭負担を負わせる取引のこと」

をいいます。

業務提供誘引販売取引|特定商取引法ガイド

 ある契約が業務提供誘引販売取引に該当するとどうなるのかというと、クーリングオフの対象になります(特定商取引法58条)。

 クーリングオフはかなり強力な制度で、法定書面の交付から20日以内であれば、無条件に契約を解除することができます。

 この「法定書面の交付から」というのが重要で、書面交付がない場合や、書面交付があっても記載内容に不備がある場合には、20日の起算は開始されず、ずっとクーリングオフの可能な状態が続くことになります。

 これだけ劇的な効果が与えられると、その行使の可否をめぐる紛争が頻発してもおかしくないように思われます。

 しかし、業務提供誘引販売取引への該当性や、クーリングオフの可否が争われた公表裁判例は、あまりありません。

 これは、

特定商取引法は、構造が複雑すぎて、一般個人に扱える類の法律ではなく、この法律を裁判で使おうと思ったら、現実問題として弁護士への依頼が必須であること、

この種の契約は、一件一件の取引金額が低く、弁護士に依頼しても、経済的な割に合いにくいこと、

が関係しています。

 そうした状況のもと、近時公刊された判例集に、業務提供誘引取引に該当するとして、クーリングオフが認められた裁判例が掲載されていました。

2.大津地判令2.5.26判例時報2474-131

 本件で被告になったのは、「Aフランチャイズシステム」というハウスクリーニング事業のフランチャイズを展開する株式会社です。

 原告になったのは、ハウスクリーニング事業を自営で始めようとしていた方で、平成30年12月19日にAフランチャイズ契約というハウスクリーニング事業の加盟店契約を締結しました(本件契約)。

 本件契約は、要旨、

被告が原告(加盟店)にハウスクリーニング事業に必要な「機材・消耗品等」を販売するとともに、開業前研修や開業支援等の役務の提供を行う、

被告が仕事を原告(加盟店)に斡旋する、

原告(加盟店)が被告にフランチャイズ開業初期費用(研修費、工具・機材消耗品費等219万8000円)を支払う、

ことを内容としていました。

 しかし、実際には、原告が被告からハウスクリーニング業務の斡旋を受けることはありませんでした。

 こうした経過を受け、原告は、法定書面の不交付を捉え、平成31年3月4日到達の内容証明郵便により、本件契約が業務提供誘引販売取引に該当するとして、被告にクーリングオフを通知しました。

 被告はクーリングオフの適用を争いましたが、裁判所は、次のとおり述べて、クーリングオフの適用を認め、原告への219万8000円の支払いを命じる判決を言い渡しました。

(裁判所の判断)

「業務提供誘引販売取引とは、物品の販売又は有償で行う役務の提供の事業であって、その販売の目的物たる物品又はその提供される役務を利用する業務に従事することにより得られる利益を収受し得ることをもって相手方を誘引し、その者と特定負担を伴うその商品の販売若しくはそのあっせん又はその役務の提供若しくはそのあっせんに係る取引をいうとされる(特定商取引法51条1項)。

「前記認定事実によれば、本件契約に係る取引について、被告は、ハウスクリーニング事業に必要な『機材・消耗品等』を販売し、また、開業前研修・開業支援等の役務の提供を有償で行う事業であって、その販売の目的物たる物品又はその提供する役務を利用する、被告が提供し、あっせんするハウスクリーニング業務に従事することにより得られる利益(業務提供利益)を、収益モデルを提示するなどして、収受し得ることをもって原告を誘引していること、原告ら加盟店が、フランチャイズ開業初期費用として、①研修費、研修参加費、②工具・機材消耗品費一式、③加盟金、④保証金、⑤開業支援金、⑥販促ツール代、⑦事務手数料の合計219万8000円を支払うなどの金銭的負担(特定負担)を伴う、上記業務のあっせんに係る取引をすることを業として営んでいたことが認められる。」

「そして、原告は、被告から提供・あっせんされた『業務』を、肩書住所地の自宅(マンションの一室)で行うことになっているから、本件契約は『事業所その他これに類似する施設によらないで行う個人との契約』に該当することが認められる。

「そうすると、本件契約に係る取引は、特定商取引法の業務提供誘引販売取引に該当するものと解するのが相当である。」

(中略)

「前記認定のとおり、被告は、原告に対し、特定負担である開業初期費用等を支払うことを条件に、ハウスクリーニング事業のフランチャイズとする業務提供誘引販売契約を締結したにもかかわらず、原告に対し、特定商取引法所定の契約の解除(クーリングオフ)に関する事項が記載されていない書面を交付したことが認められる。そうすると、原告が被告に対し本件契約の解除の通知を発した時点において、契約書面を受領した日から起算して20日を経過しているとは認められない。」

「よって、原告は、被告に対し、特定商取引法58条1項に基づき、本件契約を書面により解除したから、不当利得返還請求権に基づき、同契約において被告に交付した219万80000円・・・の支払を求めることができる。」

3.実店舗をもたないフリーランスにも適用される

 法定書面の交付義務の対象は、

「その業務提供誘引販売業に関して提供され、又はあつせんされる業務を事業所等によらないで行う個人に限る。」

とされています(特定商取引法55条1項)。

 そのため、事業所やこれに類似する施設をもっている方を保護するには、業務提供誘引販売取引であることを理由とするクーリングオフを主張するには難点があります。

 しかし、実店舗をもたないまま、高額の負担のもとフランチャイズシステムに組み込まれてしまったフリーランスの方を保護するにあたっては、クーリングオフは有効な救済方法として機能する可能性があります。

 特定商取引法というと、消費者保護法というイメージを持つ方がいます。

 これはあながち間違いでもないのですが、消費者保護法であるとともに、個人事業主保護にも活用できる法律であることも、意識しておく必要があります。

 

違法解雇の争い方-再就職が困難でも不法行為構成は金額が伸びない

1.違法解雇の争い方

 違法解雇には二通りの争い方があります。

 一つは、地位確認請求と未払賃金請求を併合する方法です。解雇が違法無効である場合、労働契約上の地位は依然として存続していることになります。契約が存続しているにも関わらず労務の提供ができないのは、使用者の責任なのだから、その間の賃金は全額が支払われなければならないという理屈です。

 もう一つは、不法行為に基づいて損害賠償を請求する方法です。違法な解雇により、精神的苦痛を受けた、あるいは、得られるはずだった利益を逸失したとして、その賠償を求めるという構成です。

 一般論として言うと、金額が伸びやすいのは前者です。解雇の効力をめぐる議論に決着がつくまでには、審理期間が1年以上に及ぶことも珍しくありません。地位確認請求・未払賃金請求の組み合わせによった場合、勝訴すれば解雇時に遡及して未払賃金の支払を受けることができます。

 他方、後者の構成の場合、慰謝料の請求が認められにくい・低額化する傾向があることはもとより、逸失利益も再就職までに必要な合理的期間内に限定されてしまいます。この合理的期間としては、数か月程度に留める裁判例が多いように思われます。

 近時公刊された判例集にも、不法行為に基づいて逸失利益を請求することに対する裁判所の消極的な姿勢を窺い知ることのできる裁判例が掲載されていました。東京地判令2.12.21労働判例ジャーナル109-20 スマートグリッドホーム事件です。

2.スマートグリッドホーム事件

 本件は違法解雇が不法行為にあたるとして、労働者から不法行為に基づく損害賠償請求訴訟が提起された事件です。

 被告になったのは、太陽光発電設備の販売、管理等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告と雇用契約を締結していた方です。昭和36年生まれの方であり(本件解雇時56歳)、次の経緯で被告に入社したとされています。

「原告は、平成26年12月、右足膝下を切断して自営業を継続できず失職し、平成27年1月に身体障害者手帳・・・の交付を受け(4級)、同年4月に年金の支給が決定されたが、同年12月ころまで経過観察としてリハビリ科等への通院をして年金のみで生活した後、ハローワークに職業あっせんを依頼した。しかし、原告の年齢及び上記障害から応募しても面談すらしてもらえなかったり面談に至っても採用されなかったりすることが続いた末、前記・・・のとおり、平成29年8月21日に本件雇用契約を締結するに至った。」

 しかし、入社約1か月後の平成29年9月22日、原告は、被告代表者のbから

「お前は気に食わん。1月分余計に放るからすぐにやめろ。」

「今から出ていけ。」

などと解雇を言い渡されてしまいました(本件解雇)。

 原告は、本件解雇が違法無効なもので不法行為を構成するとして、被告に対し、慰謝料100万円、逸失利益210万円(賃金月額の6か月分)、弁護士費用31万円の支払い等を求める訴えを提起しました。

 裁判所は、本件解雇の違法性を認めたうえ、被告に賠償させるべき損害について、次のとおり判示しました。

(裁判所の判断)

「本件解雇は無効であるところ、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告は、平成29年9月22日、被告代表者であるbから本件解雇の意思表示をされて、その場で、本件雇用契約に基づく被告の指揮命令下で就労する意思を喪失したと認められる。本件解雇の意思表示を受けた3日後である平成29年9月25日ころ、前記・・・のとおり、被告から外部社員として働く話を提示されて協議に応じる態度を示してbが消極的態度に転じたことにより契約締結に至らないままになった経過は、上記認定を左右するものではない。そうすると、本件雇用契約は、本件解雇及びその後の原告の就労意思の喪失により終了したと認められ、これにより、原告の被告に対する本件解雇翌日以降の賃金請求権も消滅し、原告は、本件解雇という不法行為によって本来得られたはずの賃金請求権を喪失したことになる。」

「そして、前記・・・のとおり、原告は、その年齢及び障害から、被告に就職するまで就職活動で苦労してきたものであり、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、本件解雇後2年以上にわたり再就職先を見付けることができなかった事実が認められるものの、原告の本件解雇(即時解雇)に至るまでの被告における就労期間は約1か月で試用期間(2か月)中であったこと、後記・・・のとおり解雇予告手当に係る請求が別途認容されることなどの事情も踏まえると、本件解雇と相当因果関係のある原告の逸失利益は賃金(月35万円・・・)の3か月分である105万円の限度で認めるのが相当である。

「また、上記で認めた逸失利益に加えて、慰謝料を別途認めるまでの事情はないというべきである。」

「そして、本件解雇と相当因果関係のある弁護士費用は10万円の限度で認めるのが相当である。」

「したがって、本件解雇の損害額は、115万円と認める。」

3.再就職が相当困難でも逸失利益は賃金3か月分

 本件の原告は、判決が指摘するとおり、再就職の困難な状態にありました。そうであれば、再就職するまでに逸失した賃金相当額に一定のボリュームを持たせても良さそうな気がしますが、裁判所は賃金の3か月分の限度でしか逸失利益を認めませんでした。実際には2年以上に渡って再就職先が見つからなかったことを考えると、解雇予告手当の請求が別途認容されていることを踏まえても、裁判所の認定は、抑制的・消極的に過ぎるのではないかと思われます。

 就労意思を完全に喪失してしまった場合には、不法行為構成で争わざるを得ないのでしょうが、

法律構成によって得られる経済的利益に顕著な差があること、

それなりに特殊な事情があっても、他の事案と同様に、逸失利益は伸びにくいこと、

を考えると、やはり、解雇の違法無効は、地位確認・未払賃金請求の構成で争った方が合理的であるように思われます。

 

身に覚えのない非違行為で責められることは大きな心理的負荷を生じさせる

1.心理的負荷による精神障害の認定基準

 精神障害の発症が労働災害(労災)に該当するのかを判断する基準として、平成23年12月26日 基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について(最終改正:令和2年8月21日 基発0821第4号)があります(認定基準)。

精神障害の労災補償について|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 認定基準は、業務による強い心理的負荷が認められることを、精神障害を業務上の疾病として取り扱う要件として掲げています。そのうえで、具体的な出来事について、出来事毎の心理的負荷の強度を定めています。

 この具体的な出来事の類型の一つに、

「同僚等から、暴行又は(ひどい)いじめ・嫌がらせを受けた」

という類型があります。

 三つ前の記事でお話したとおり、この類型の心理的負荷は、なかなか「強」にならないのですが、近時公刊された判例集に、強い心理的負荷を発生させる出来事がどのようなものなのかを知るうえで、参考になる裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、名古屋地判令2.12.7労働判例ジャーナル109-28 名古屋市ほか事件です。 

2.名古屋市ほか事件

 本件は自殺した労働者(公務員)の遺族が提起した、いわゆる労災民訴(公務災害民訴)です。

 被告になったのは、普通地方公共団体である名古屋市です。

 自殺したのは、名古屋市交通局で名古屋市営バスの運遠視として勤務していたP4です。

 原告になったのは、P4の相続人となった両親です。P4が自殺したのは、交通局の加重な労働環境下における勤務中、短期間のうちに強い心理的負荷のかかる3件の出来事に遭遇したことにより、精神障害を発病しからだと主張し、公務災害の認定を受けたうえ、国家賠償請求訴訟を提起しました。

 裁判所は、3件の出来事のうち、「本件苦情」と「本件転倒事故」の2件について、大きな心理的負荷を発生させたと認定しました。

 「本件苦情」とは交通局に寄せられた運転士の接客態度を非難するメールのことです。「本件転倒事故」とは、高齢者がバス内で転倒し、腰と頭を打った事故のことです。

 「本件苦情」と「本件転倒事故」の心理的負荷の大きさを評価する上で特徴的だったのは、いずれもP4にとって身に覚えのない出来事であったことです。こうした事実関係のもと、裁判所は、「本件苦情」と「本件転倒事故」の心理的負荷について、次のとおり判示しました。

(裁判所の判断)

・本件苦情に係る出来事による心理的負荷

「被災者は、平成19年5月16日、自身が本件苦情の対象の運転士であるとの自覚は無かったものの、P10助役から、被災者が本件苦情の対象の運転士であり、かつ、本件送信者の言い分どおりその接客に問題があることを前提とした指導を受けた。前記のとおり、本件苦情の対象の運転士は、被災者であったと認められるものの、P10助役による事実確認及び指導は、本件苦情の出来事から2週間が経過した時点で、被災者が出来事の具体的内容を思い出すことができないことも無理からぬ状況で行われたものであって、被災者も、結局事実関係を自覚することができずに終わっている。このように、P10助役は、本件苦情の対象の運転士であることの自覚がない被災者に対し、特段の配慮なく、上記のような指導を行っているのであるから、被災者は、これにより相応の心理的負荷を受けたものと認められ、現に同日中に、本件苦情に納得ができない旨を記載した本件進退願を作成し、同僚運転士に対してもその旨相談をするなどしているところである。

しかも、被災者は、その後平成19年6月11日まで、自身が本件苦情の対象の運転士であること及び本件苦情の内容が真実であることを前提に、しかしそのような自覚はないまま、他の模範的とされる運転士の市バスへの添乗、P9首席助役による指導及び本件添乗レポートの提出という指導を受けている。これら指導は、いずれも、自動車部自動車運転課指導係の指示によるもので、当時、それほど多く行われていたわけではなく、本件苦情をきっかけに、交通局内で被災者の接客が相応に問題視されることとなったことを示しているから、前記・・・による心理的負荷を継続し又は大きくするものであるといえる。そうすると、本件苦情に係る一連の出来事による心理的負荷の強度は、客観的にみても相当大きかったものと認められる。

・本件転倒事故に係る出来事による心理的負荷

「被災者は、平成19年6月12日の午後、突然、勤務を外された上、P9首席助役及びP12主任助役から、本件転倒事故に関する事実確認を受けた。被災者は、その際、転倒者及びその知人(P19)の供述があると告げられ、本件転倒事故を起こした認識は無かったものの、被災者が本件事故バスの運転士であることを前提に、警察への事故届提出を了解し、P12主任助役及びP13助役と警察署に赴き、警察官の取調べを受け、実況見分に立ち会い、P5営業所に戻った後には午後10時まで待機を命じられた。被災者は、P5営業所に待機させられている間、P14組長に対し、本件転倒事故について全く覚えがなく納得できない旨連絡した。

「本件転倒事故は、発進反動事故であると認められ、交通局において重点的に防止を図るべき事故として指導が行われていたものであり、これを起こすことは、交通局内では運転士のその後の処遇等について重要な意味を持つものであったと認められる。しかるところ、被災者は、自身が当事者であるとの認識が全くないにもかかわらず、職場においてこのような意味を持つ本件転倒事故を起こした者として扱われることとなったばかりか、警察においても同様の扱いを受けることとなり、自身の認識とは一致しない事実を理由に数々の軽視し難い事態を招く状況に立たされたのであって、現に、被災者は、P5営業所に待機中及び帰宅後もひどく落ち込んだ様子であった。

そうすると、転倒者の怪我が重度なものであったなどという事情はなく、転倒者が平成19年6月12日の時点で示談に前向きな姿勢を示していたことを踏まえても、被災者が本件転倒事故に係る一連の出来事により受けた心理的負荷の強度は、客観的にみても大きかったものと認められる。

(なお、本件転倒事故は被災者運転バスで起きたことに関して、裁判所は「断定することはできない」と判示しています)

3.理不尽な指導は大きな心理的負荷を生じさせる

 「本件苦情」に関していうと、名古屋市交通局は、客からの苦情の内容が真実なのかどうかを適切に検討することもなく、被災者P4に指導を加えました。

 「本件転倒事故」に関して言うと、名古屋市交通局は、運転者が被災者P4であると断定する根拠が薄弱であるにもかかわらず、被災者P4に指導等を行いました。

 本件の判示は、こうした杜撰な指導等が労働者に大きな心理的負荷を与える危険な行為であることを示した点に意義があります。

 法律相談を受けていると、労働者側が否定しているのに、使用者側が、ラフな事実認定のもと、強い指導や叱責を加えている事案が相当数見受けられます。そうした事案を処理するうえで、本件は参考になる裁判例として位置付けられます。

 

60時間以上の残業に留まっていても時間外労働が有意な心理的負荷として認定された例

1.心理的負荷による精神障害の認定基準

 精神障害の発症が労働災害に該当するのか(業務に起因するのか)を判断する基準として、平成23年12月26日 基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について(最終改正:令和2年8月21日 基発0821第4号)があります(認定基準)。

精神障害の労災補償について|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 認定基準は、業務による強い心理的負荷が認められることを、精神障害を業務上の疾病として取り扱う要件として掲げています。そのうえで、具体的な出来事について、出来事毎の心理的負荷の強度を定めています。

 この具体的な出来事の類型の一つに、長時間の時間外労働があります。

 認定基準は、

1か月に80時間以上の時間外労働が行われた場合

を「中」とし、

発症直前の連続した2か月間に、1月当たりおおむね120時間以上の時間外労働を行い、その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった場合、

発病直前の連続した3か月間に、1月当たりおおむね100時間以上の時間外労働を行い、その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった場合、

を「強」としています。

 時間外労働があっても、その時間が80時間に満たない場合、心理的負荷は「弱」として扱われます。そして、時間外労働に限らず、心理的負荷が「弱」である出来事が、業務起因性の判断に影響を与えることは、実務上、殆ど観測されません。

2.労災の認定基準と損害賠償法上の相当因果関係

 労災の場面における業務起因性と、損害賠償法上の相当因果関係とは、理論上は別の概念です。しかし、使用者側の過失行為と心理的負荷による労働者の精神障害の発症との間に相当因果関係が認められるか否かの判断が、実務上、労災の認定基準を参照しながら行われていることもあり、両者の認定は、広範に重なり合う関係にあります。また、業務起因性の判断で有意な事実は、不法行為法上の相当因果関係の判断でも有意とされるのが普通ですし、業務起因性の判断で無意味な事実が不法行為法上の相当因果関係の判断で意味を持つことは、あまりありません。

 こうした状況のもと、近時公刊された判例集に、60時間以上(労災で有意とされる80時間未満)の時間外労働に、相当因果関係を認定するうえでの心理的負荷としての意義を認めた裁判例が掲載されていました。名古屋地判令2.12.7労働判例ジャーナル109-28 名古屋市ほか事件です。

3.名古屋市ほか事件

 本件は自殺した労働者(公務員)の遺族が提起した、いわゆる労災民訴(公務災害民訴)です。

 被告になったのは、普通地方公共団体である名古屋市です。

 自殺したのは、名古屋市交通局で名古屋市営バスの運遠視として勤務していたP4です。

 原告になったのは、P4の相続人となった両親です。P4が自殺したのは、交通局の加重な労働環境下における勤務中、短期間のうちに強い心理的負荷のかかる3件の出来事に遭遇したことにより、精神障害を発病しからだと主張し、国家賠償請求訴訟を提起しました。

 公務災害の認定に関しては、先ず、地方公務員災害補償基金名古屋支部で公務外認定処分を受けました。

 これを不服とした遺族が公務外認定処分の取消訴訟を提起したところ、一審名古屋地裁は遺族の請求を棄却しましたが、二審名古屋高裁は公務起因性を認め、公務外認定処分の取消請求を認容する判決を言い渡しました。

 二審判決確定後、地方公務員災害補償基金は、改めて公務起因性を審査し、公務災害であることを認定しました。

 本件の特徴は、時間外労働が労災認定基準の「中」のレベルに至っていないにもかかわらず、心理的負荷の評価にあたり、時間外労働の事実を考慮している点です。

 P4の自殺前(平成19年6月13日行為着手、同月14日死亡)6か月の時間外労働は、

平成18年

12月15日から平成19年1月13日 58時間59分

平成19年

1月14日から2月12日 65時間19分
2月13日から3月14日 74時間23分
3月15日から4月13日 43時間12分
4月14日から5月13日 63時間26分
5月14日から6月12日 72時間34分

であり、一月も80時間には達していませんでした。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、時間外労働の事実を、相当因果関係の認定にあたり有意な事実として位置付けました。結論としても、原告遺族側の請求の大部分を認める判決を言い渡しています。

(裁判所の判断)

「被災者の本件自殺前概ね6か月間の時間外労働時間数は、前記前提事実・・・のとおりであり、1か月当たりの時間外労働時間数が80時間を超えることはなかったものの、これに近い時間(約74時間30分、約72時間30分)になることがあった。また、上記期間の1か月間当たりの時間外労働時間数の平均は、約63時間であった。さらに、被災者の超勤時間は、前記前提事実・・・のとおり労働基準法36条に基づく協定による限度を超えるものであり、被災者の本件自殺前概ね6か月間の拘束時間は、前記前提事実・・・のとおり改善基準が1日当たりの原則的な拘束時間とする13時間を超える日が70%近くを占め、最大拘束時間である16時間を超える日も少なからずみられた。」

「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである。また、長時間労働は、一般に精神障害の準備状態を形成する要因となっているとの考え方も考慮すれば、恒常的な長時間労働の下で発生した出来事の心理的負荷は、平均より強く評価される必要がある。」

「前記のとおり、被災者の1か月当たりの時間外労働時間数は、80時間を上回るものではなかったことなどから、その労働時間数のみでもって、客観的に心理的負荷の強度が大きいと評価することはできないものの、被災者が労働基準法36条に基づく協定や改善基準の定めを超えるほどの長時間労働を恒常的に行っていたことは否定できない。加えて、証拠・・・によれば、1か月の平均残業時間が60時間以上の場合には、平均残業時間なしや10時間未満に比べてストレス度に大きな有意差が認められ、平均残業時間が60時間以上はストレス度の見地から問題が多いとされていることを踏まえれば、被災者の労働実態は、一定程度、被災者の心身の疲労を蓄積させ、そのストレス対応能力を低下させるものであったと認められる。

4.80時間未満の時間外労働でも意味を持つ場合がある

 最初に述べたとおり、業務起因性や相当因果関係の認定にあたり、心理的負荷が「中」に至らない出来事(80時間未満の時間外労働を含む)が積極方向のインパクトを持つことは、あまりありません。

 そうした状況のもと、本裁判例は、60時間という具体的な数値を挙げて、心理的負荷として意味を持つ時間外労働の水準を設定しました。これは、労災認定・損害賠償いずれの場面でも活用できる画期的な判断として、銘記しておく必要があるように思われます。

 

市民感覚を理由に、特定の属性を有する職員を、市民との接触の少ない職場に配置することは許されるか?

1.差別と区別

 憲法14条1項は、

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

と規定しています。

 この条文に基づいて、人は国から差別されないことを保障されています。

 しかし、差別の禁止は、一切合切の区別を排除するわけではありません。

 それでは、許容されない差別と、許される区別との境目は、どこにあるのでしょうか?

 ごく大雑把に言うと、差別と区別との差は、合理性の有無に求められます。

 合理的な理由があれば区別することは許容され、これがない区別は差別として禁止されます。

 それでは、この「合理的な理由」として、実証的なデータではなく、市民感覚といった雰囲気的なものを挙げることは許されるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令2.12.23労働判例ジャーナル109-16 大阪市事件です。

2.大阪市事件

 本件は、大阪市が実施した入れ墨の有無等に関する調査に回答しなかったことを理由に戒告処分を受けた職員が、処分の取消を求めて出訴した事件です。

 被告大阪市は、

本件調査の目的は、公務員として職務遂行中に訴外職員の入れ墨が市民の目に触れることとなれば、市民が不安感や威圧感を覚え、ひいては、被告の信用を失墜させることにつながることから、このような事態が生じないよう、職員の入れ墨が職務遂行中に市民の目に触れる可能性のある部分にあるのかどうか、実態を把握した上で、人事配置上の配慮(具体的には、市民の目に触れる可能性のある位置に入れ墨がある職員を、市民と直接対応する頻度の低い又はその機会がない、あるいは入れ墨が市民の目に触れることがない服装を着用する部署に配属するなど)を行うことを目的とするものである。

と本件調査の目的の正当性を主張しました。

 これに対し、原告は、

そもそも、日本に一体何人の入れ墨をしている者がおり、その多くが反社会的組織の構成員であるということを示すデータはない。入れ墨については、事実よりむしろ、やくざ映画などの大衆文化によって広まった俗説の影響の方が大きい。入れ墨イコール反社会的勢力のシンボルという認識に立てば、入れ墨は、犯罪歴の属性を推測させる外見を構成するものだということになる。そうすると、入れ墨は、『犯罪歴を理由とする不当な差別』に関わることになるから、入れ墨があることを理由とする差別は、犯罪歴を理由とする不当な差別と同列のものとなり、被告は、その解消に積極的に取り組まなければならない。」

と本件調査は入れ墨をしている者への差別だと主張しました。

 裁判所は、本件調査が差別になるのか否かについて、次のとおり述べて、これを否定しました。結論としても、本件調査及び処分の適法性を認めています。

(裁判所の判断)

「本件調査によって被告の職員の中に入れ墨を入れている者がいることが判明すれば、『人事配置上の配慮』によって、市民との接触の機会が少ない職場に配置される可能性があることになり、その点において、入れ墨を有する職員と有しない職員において取扱いが異なることとなる。」

「この点に関し、憲法14条は、国民に対し絶対的な平等の取扱いを保障したものではなく、差別すべき合理的な理由なくして差別することを禁止するものであり、事柄の性質に即応して合理的と認め得る差別的取扱いをすることは、何ら同条の趣旨に反するものではない(最高裁昭和41年7月20日大法廷判決・民集20巻6号1217頁参照)。」

「しかるところ、世界的に見れば、著名なスポーツ選手等の中に入れ墨を入れている者がいることや、様々な歴史的・文化的背景から入れ墨が珍しくない国もあり、入れ墨の捉え方については国々によって異なること、わが国においても、近時、ファッショの一つとの認識のもとに入れ墨を入れる者がいることが認められる。他方で、わが国において反社会的組織の構成員に入れ墨をしている者が多くいることや入れ墨を示した脅迫行為が行われることは否定できない事実であり、暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(以下『暴対法』という。)においても、『少年に対して入れ墨を施し、少年に対して入れ墨を受けることを強要し、若しくは勧誘し、又は資金の提供、施術のあっせんその他の行為により少年が入れ墨を受けることを補助してはならない』(暴対法24条)、『他の指定暴力団員に対して前条の規定に違反する行為をすることを要求し、依頼し、若しくは唆し、又は他の指定暴力団員が同条の規定に違反する行為をすることを助けてはならない』(暴対法25条)として、指定暴力団等への加入の強要等の禁止、指詰めの強要等の禁止と並んで、入れ墨の強要等の禁止に関する規定が設けられているほか、フィットネスクラブ等において、入れ墨のあることが入会資格の除外事由とされていること・・・、各地の条例においても、入れ墨に関する規制が設けられている・・・など、わが国においては、入れ墨が反社会的組織との関わりを示す特徴的なものであるとの認識が広く一般的なものであることの表れであるということができるのであって、わが国において反社会的組織の構成員に入れ墨をしている者が多くいることや入れ墨を示した脅迫行為が行われることは否定できない事実であることを踏まえるとこのような認識が不当なものということもできない。

「そうすると、上記のとおり、ファッションとの認識のもとに入れ墨を入れる者が表れてきたことや、『市民の声』に寄せられた意見の全てが入れ墨を問題視するものではなく、入れ墨を問題視することについて否定的な意見も含まれていること・・・や、『入れ墨』に対する認識は永久不変というというものではなく、今後の社会の移り変わりの中で、わが国においても『入れ墨』についての認識が変容していく可能性もあり得ることを踏まえても、少なくとも、現時点のわが国において、一般市民が、入れ墨を目にした際に、不安感・威圧感・不快感を覚えることが不当な偏見や差別であるということはできない。

したがって、地方公共団体である被告が、市民が被告の施設を訪れたり利用した際に不安感・威圧感・不快感等を覚えることがないようにしようとすることは、合理的な取扱いであるといえる。

「原告は、

〔1〕『市民の声』に投稿された意見は、偏見と差別感情に満ちたものであるから、被告としては、差別の解消に取り組むべきである、

〔2〕本件調査は誤報道を前提とした人気取り政策であり、差別政策である、

〔3〕そもそも、入れ墨を入れている者の数も不明であり、その多くが反社会的組織の構成員であるというデータはなく、『入れ墨イコール反社会的組織のシンボル』という認識は入れ墨に対する不当な偏見に基づくものであって、犯罪歴を理由とする不当な差別につながる旨主張し、本件調査は憲法14条の平等原則に真正面から違反する旨主張する。」

「原告の上記主張のうち〔1〕及び〔3〕については、入れ墨を見た市民が不安感・威圧感・不快感を覚えることが不当な偏見や差別であるということはできないことは前記アで説示したとおりであり、犯罪歴を理由とする不当な差別となるものでもない。なお、原告が主張するとおり、わが国に入れ墨をしている者が何人いるのか、その多くが反社会的組織の構成員であるかを直接示すデータは存在しないが、入れ墨が反社会的組織との関わりを示す特徴的なものであるとの認識が広く一般的であり、このような認識が不当なものということもできないことは既に説示したとおりであり、原告が主張するようなデータが存在しないからといって、不合理な差別となるものではない。

「原告の上記主張のうち〔2〕については、本件新聞報道が誤報道であることを前提に被告が誤報道を放置したなどと評価できないことは、既に説示したとおりであり、原告の主張は採用できない。」

3.データよりも感覚が大事?

 上述のとおり、裁判所は、市民を不安感等から守るためであれば、データが存在しなくても、入れ墨を有する職員を、市民との接触の少ない職場に配置することは許容されると判示しました。

 行政訴訟で裁判所は公権力側に有利な判断をしがちな傾向にあります(ただし、それは、本邦の法令の殆どが行政主導で作られていて、法令の構造自体が行政に有利になっていることも関係しており、一概に裁判所が偏向しているというわけではありません)。しかし、ここまで開き直った判断が出るのは、やや意外でした。データがなくても多数派の感覚さえ守れれば差別ではないとなると、一体差別とは何なのだろうかという根本的な疑問に突き当たります。

 現に入れ墨を見せて市民を威迫するなどの行為に及んだ職員が、そのことを考慮された配置をされるのはともかく、ただ単に入れ墨を入れているからといって、該当の職員を市民との接触の少ない職場にしか配置しないことが理性的な判断といえるかは、再考の余地がありそうに思われます。