弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

趣旨から考える固定残業代の有効性-法定労働時間を超過した所定労働時間と対価型固定残業代の組み合わせは問題あり

1.趣旨から考える固定残業代の有効要件 

 固定残業代の有効性について、最高裁は主に二つの要件を定立しています。

 一つは判別要件です。固定残業代が有効といえるためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外の割増賃金に当たる部分とが判別できる必要があります(最一小判平24.3.8労働判例1060-5テックジャパン事件、最二小判平29.7.7労働判例1168-49医療法人社団康心会事件)。

 もう一つは、対価性要件です。一定の金額の支払が残業代の支払といえるためには、時間外労働等の対価として支払われたものであることが必要です(最一小判平30.7.19労働判例1186-5日本ケミカル事件)。

 ただ、これら最高裁が定立している要件が充足されているのかどうかは、字面だけを見て判断できるわけではありません。要件充足性は、その要件が要求されている趣旨に遡って考えて行く必要があります。

 例えば、医療法人社団康心会事件は、判別要件が必要となる趣旨について、

「使用者が労働者に対して労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったとすることができるか否かを判断するためには、割増賃金として支払われた金額が、通常の労働時間の賃金に相当する部分の金額を基礎として、労働基準法37条等に定められた方法により算定した割増賃金の額を下回らないか否かを検討」

できる必要があるからだと判示しています。

 つまり、基本給と区別できる形で対価型の固定残業代が設けられていても、何等かの理由により、割増賃金の対価とされた額と労働基準法37条等に定められた方法によって算定した割増賃金の額を比較することが困難である場合、判別要件が実質的に満たされているとはいえないという判断が導かれます。

 近時公刊された判例集にも、こうした実質的な価値判断に基づいて、固定残業代の有効性を否定した裁判例が掲載されていました。東京地判令2.12.22労働判例ジャーナル110-26 東京身体療法研究所事件です。

2.東京身体療法研究所事件

 本件で被告になったのは、按摩、マッサージ及び指圧等を業とし、都内に数店舗を展開する有限会社(被告会社)と、その代表者(被告C)です。

 原告になったのは、被告の元従業員2名です(原告A、原告B)。被告会社を退職した後、時間外割増賃金や、被告Cからのパワーハラスメントを理由とする損害賠償を請求する訴訟を提起しました。

 時間外割増賃金の請求との関係では、技能手当の固定残業代としての有効性が争点の一つになりました。

 この技能手当は、雇用契約書上、Aとの関係では30時間分の、Bとの関係では38時間分の固定残業代を含む手当だとされていました。

 しかし、被告会社では所定労働時間が

午前11時~午後8時30分(休憩時間60分)

と法定労働時間(8時間)を上回る形(必然的に残業が生じる形)で設定されていました。

 このような賃金体系について、原告らは、

「所定労働時間が一日8時間を超える違法なものであり、固定残業代に相当する部分がいくらかが分からない以上、明確区分性の観点から固定残業代の定めは無効である。30時間ないし38時間の固定残業代と定めたとしても、固定残業代に相当する金額が具体的には分からない以上、同様である。」

と主張し、技能手当の固定残業代としての有効性を争いました。

 裁判所は、次のとおり述べて、技能手当の固定残業代としての有効性を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告会社は、被告会社が原告らに支払った技能手当は、原告Aについては残業時間30時間、原告Bについては残業時間38時間に相当する固定残業代を含むものである旨主張する。」

「しかし、原告Aとの契約書には30時間分との記載・・・、原告Bとの契約書に38時間分との記載・・・があるが、所定労働時間が8時間30分とされており、法定の1日8時間を超える部分が時間外労働なのか否かが明記されておらず、文言上、上記30時間分又は38時間分にこの超過分1日30分が含まれているのか否かが明らかでない。そして、基礎賃金を算定する際に賃金等を除する時間(分母に当たるもの)が、法定の労働時間であるか、それとも所定の労働時間であるかも特定できない。

そうすると、技能手当につき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と労働基準法37条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することはできないこととなる。

「したがって、被告会社の前記主張を採用することはできない。」

3.趣旨から考えるのは専門家でなければ難しい

 今日、法律や裁判例に関する情報は、ネット上に多数あげられています。

 しかし、字面だけを読んでいても、正確な判断をすることはできません。本件の技能手当も、「手当」という形で他から区別はされていますし、時間外労働の対価であることが契約書上に記載されてもいました。

 本件で技能手当の固定残業代としての効力が否定されたのは、法定労働時間を超える所定労働時間が設定されていて、判別要件が必要となる趣旨に合致しないこと(時間外勤務手当等の計算にあたり曖昧な部分が残る賃金体系になっていること)が理由になっています。

 趣旨に遡って要件充足性を検討することは、専門家でなければ困難です。

 損をしないためには、ネット上の情報は足掛かりに留め、個別の事案における最終的な判断は、飽くまでも専門家に相談した後で行うことが推奨されます。