弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

表見代理の適用のハードルは高い-雇用契約締結の場面での表見代理の否定例

1.表見代理

 民法109条1項は、

「第三者に対して他人に代理権を与えた旨を表示した者は、その代理権の範囲内においてその他人が第三者との間でした行為について、その責任を負う。ただし、第三者が、その他人が代理権を与えられていないことを知り、又は過失によって知らなかったときは、この限りでない。」

と規定しています。

 大雑把に言うと、

この人が代理人であると第三者に対して示してしまった場合、

実際には代理権を付与した事実がなかったとしても、

その人が第三者との間でした行為について、

本人が責任を負う、

という仕組みです。これは、外観を信頼した第三者を保護するための制度で、表見代理と呼ばれています。

 表見代理は、外観を作出した本人に帰責性があることを理由に、それを信頼した第三者を保護するための仕組みで、第三者にとって使い勝手の良い制度に見えます。

 しかし、実務上、表見代理が主張されることは、あまりありません。適用のハードルが極めて高いからです。正常に代理権が付与されている場合と殆ど区別ができないような状態でない限り、表見代理が適用されることは期待できません。そういう事案では、下手に表見代理を主張するよりも、有権代理の主張一本で行った方が、主張に説得力の出ることが多いからです。

 近時公刊された判例集にも、表見代理の適用のハードルの高さが分かる裁判例が掲載されていました。大阪地判令2.12.8労働判例ジャーナル109-40 王子石鹸事件です。

2.王子石鹸事件

 本件で被告になったのは、日用品雑貨の精算、販売及び輸出入等を目的とする株式会社です。シンガポールに本店を置き、「ウェルフィ・グループ」を構成する中心的企業の子会社です。

 原告は中国籍の外国人です。中国法人である広州ウェルフィで面接を受け、日本法人である被告との間で雇用契約を締結したとして、第一次的には有権代理を、第二次的には表見代理を主張し、被告に対して地位確認等を求める訴えを提起しました。

 この論点について、裁判所は、次のとおり判示し、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「原告は、原告と被告との間で本件雇用契約が成立した、又は原告と広州ウェルフィとの間で本件雇用契約が成立するとともに、広州ウェルフィは、被告の従業員の採用につき代理権を有しているか、又は広州ウェルフィの代理行為につき民法109条の表見代理が成立するから、原告と被告との間で本件雇用契約が成立している旨主張する。」

確かに、前記前提事実によれば、

〔1〕広州ウェルフィと被告は、いずれもウェルフィ・グループに属しており、Bが両者の代表者を兼務していること、

〔2〕広州ウェルフィは、中国国内で被告の従業員の求人広告を出しており、求人登録をしていた原告に採用に応募するかを打診し、面接を行い、賃金や勤務場所が記載された本件雇用通知書を交付し、その後には雇用契約書案も示したこと、被告代表者であるBも、本件面接の場に少なくとも顔を出しており、その際に広州ウェルフィが面接を実施していることについて異議を述べた形跡はないことからすると、被告は、広州ウェルフィが被告の従業員の採用に関する面接を実施することを容認していたものと推認されること、

〔3〕原告は、被告の従業員であるJとの間で日本での住居について相談をしていたこと、

〔4〕広州ウェルフィは、原告を日本に連れて行き、被告の堺工場で支払稟議書を作成させるなどし、その際、Cやその他被告側から何らかの異議が述べられた形跡はないこと、

〔5〕広州ウェルフィの財務担当者であるEは、被告の支払を承認したことがあったこと

などの事情によれば、広州ウェルフィは、原告を被告の従業員の少なくとも候補者として選定したものと認めることができるほか、被告(B)が、広州ウェルフィに対し、被告の従業員、とりわけ会計担当者の採用に関し、募集、応募者の面接、候補者の選定等を行うことを容認し、黙示的にその権限を付与していた可能性がないとまではいえない。

しかしながら、日本法人である被告が、外国人を経理担当の従業員として採用するに当たっては、日本における会計に関する知識経験や税理士その他関係者との間で適切に意思疎通を行うことができるような日本語能力を有しているかを確認してから採否を決定するものと考えられるところ、前記前提事実によれば、原告に中国国内で面接を行ったか、行った可能性があるE、F及びBは、いずれも日本語を解さないか、日本語が少し分かる程度であり、ほかに原告が日本における会計に関する知識経験の有無や日本語での意思疎通能力の確認を受けたことを認めるに足りる証拠もない。そのような状況のもとで、中国での面接等のみをもって被告の従業員としての採用を最終的に決定するとの判断がされたとは考えにくいし、被告がそのような権限を広州ウェルフィに付与していたとも考えにくいのであって、むしろ、被告(B)は、堺工場での面接や実務能力及び日本語での意思疎通能力の確認を行った上で、最終的な採否の判断を行おうと考えていた可能性が高いといえる。中国の労働契約法では、パートやアルバイトのような非全日制雇用の場合を除き、労働契約の締結に書面が要求されており・・・、Eも令和元年6月19日に原告に対して雇用契約書を作成する必要があると伝えていたところ、原告が堺工場を訪れるまでに、原告と被告との間での雇用契約書が取り交わされることはなく、原告に示された文案についても、最も重要である賃金額が異なっているなど不確定のものであったといえることにも照らすと、B、E、Fら広州ウェルフィの関係者は、原告を被告の従業員の候補者として日本に連れて行くにとどまり、最終的な採否は、堺工場においてCやその他被告の関係者が知識や実務能力を確認した上で決定されるものと考えていた可能性があるし、原告も、当初提出した履歴書に日本で二次面接を受けることは可能である旨を記載していたこと・・・からすると、採否の最終的な判断が日本での面接等を経て決定されるものと認識していた可能性を否定できない。

また、前記前提事実によれば、被告は、令和元年3月22日にエクレシア企画に対し、人事管理業務、経理業務及びコンサルティング業務を委託してCの派遣を受け、同年3月下旬頃には勤務経験が浅く、人事事務や経理事務の処理能力を欠いていたJを除く全従業員を解雇したものである。そして、証拠・・・によれば、被告代表者であるBは、多忙であって日本に滞在する期間がごくわずかであり、被告の運営はCに委ねられていて、同人は、被告の従業員の採用活動も行い、実際に面接等も行って従業員を採用すべきか否かを判断し、Bに対して採否に関する意見を述べていたことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。これらの事情によれば、

Cは、被告における採否の判断その他実質的な人事権を有していたものと認められるのであり、被告代表者であるBが、Cによる判断を経ないまま被告の従業員の採否を決定したり、採用権限又はその代理権を広州ウェルフィに授与したりして、Cの関与なしに被告の従業員の採否を可能としていたとも考えにくい。証人Cは、広州ウェルフィが中国国内で被告の従業員の採用活動を行っていることや、実際に原告を選定したことなどについて広州ウェルフィから知らされていなかった旨供述しており、ほかに広州ウェルフィと被告(C)との間で、原告が堺工場を訪れるまでの間に、原告を被告の従業員として採用するか否かに関し、何らかの具体的なやり取りがされたことを認めるに足りる的確な証拠はない。この点、前記前提事実によれば、原告は、Jに対し、原告の日本での住居について相談していたものであるが、Jは被告の人事や経理を担当しておらず、上記相談の事実をもって、被告と広州ウェルフィとの間で原告を採用するか否かに関する具体的なやり取りがされていたことを裏付けるには足りず、上記判断を左右しない。

「以上の諸点を総合すると、原告が堺工場を訪れるまでの間に、原告と被告又は広州ウェルフィとの間で、原告を被告の従業員として採用する旨の本件雇用契約が成立したと認めることは困難というべきであり、また、広州ウェルフィと被告との間には資本関係がないこと・・・にも照らすと、被告が、広州ウェルフィに対し、従業員の採否の決定に関し、代理権を授与していたと認めることも困難であって、ほかにこの判断を左右するに足りる他の証拠はない。」

(中略)

「さらに、民法109条の表見代理についても、前記・・・に述べたところにも照らすと、被告(B)は、広州ウェルフィがレイピンに被告の従業員の求人広告を出すことについてもこれを容認していた可能性がないではないが、当該求人広告の存在をもってしても、被告が、従業員の最終的な採否の決定に関し、広州ウェルフィに対してその代理権を授与するとの表示をしたものと解することはできず、ほかに当該事実を認めるに足りる証拠はない。したがって、仮に、原告と広州ウェルフィとの間で、本件雇用契約が成立したとしても、民法109条により、その効果が被告に帰属するとはいえない(なお、以上説示したところによれば、原告が、広州ウェルフィが従業員の最終的な採否の決定に関して被告の代理権を有するものと信じていたとはいえず、仮に信じていたとしても、そのことにつき正当な事由があるということはできない。)。

「よって、原告の主張は採用できない。」

3.ハードルが高い表見代理

 被告の求人情報に基づいて、被告代表者を兼任する方から面接を受け、被告の雇用通知書が交付されているなどの事情があれば、有権代理、少なくとも表見代理の成立は認められてもよさそうに思われます。

 しかし、裁判所は、有権代理はもちろん表見代理の主張も認めませんでした。

 日系企業による外国人の現地採用は、今後とも増加して行くことが予想されます。

 そうした事案においても、やはり、安易に有権代理、表見代理の成立の見通しを立てられないことを示す裁判例として、本件は参考になります。