弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

市民感覚を理由に、特定の属性を有する職員を、市民との接触の少ない職場に配置することは許されるか?

1.差別と区別

 憲法14条1項は、

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

と規定しています。

 この条文に基づいて、人は国から差別されないことを保障されています。

 しかし、差別の禁止は、一切合切の区別を排除するわけではありません。

 それでは、許容されない差別と、許される区別との境目は、どこにあるのでしょうか?

 ごく大雑把に言うと、差別と区別との差は、合理性の有無に求められます。

 合理的な理由があれば区別することは許容され、これがない区別は差別として禁止されます。

 それでは、この「合理的な理由」として、実証的なデータではなく、市民感覚といった雰囲気的なものを挙げることは許されるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令2.12.23労働判例ジャーナル109-16 大阪市事件です。

2.大阪市事件

 本件は、大阪市が実施した入れ墨の有無等に関する調査に回答しなかったことを理由に戒告処分を受けた職員が、処分の取消を求めて出訴した事件です。

 被告大阪市は、

本件調査の目的は、公務員として職務遂行中に訴外職員の入れ墨が市民の目に触れることとなれば、市民が不安感や威圧感を覚え、ひいては、被告の信用を失墜させることにつながることから、このような事態が生じないよう、職員の入れ墨が職務遂行中に市民の目に触れる可能性のある部分にあるのかどうか、実態を把握した上で、人事配置上の配慮(具体的には、市民の目に触れる可能性のある位置に入れ墨がある職員を、市民と直接対応する頻度の低い又はその機会がない、あるいは入れ墨が市民の目に触れることがない服装を着用する部署に配属するなど)を行うことを目的とするものである。

と本件調査の目的の正当性を主張しました。

 これに対し、原告は、

そもそも、日本に一体何人の入れ墨をしている者がおり、その多くが反社会的組織の構成員であるということを示すデータはない。入れ墨については、事実よりむしろ、やくざ映画などの大衆文化によって広まった俗説の影響の方が大きい。入れ墨イコール反社会的勢力のシンボルという認識に立てば、入れ墨は、犯罪歴の属性を推測させる外見を構成するものだということになる。そうすると、入れ墨は、『犯罪歴を理由とする不当な差別』に関わることになるから、入れ墨があることを理由とする差別は、犯罪歴を理由とする不当な差別と同列のものとなり、被告は、その解消に積極的に取り組まなければならない。」

と本件調査は入れ墨をしている者への差別だと主張しました。

 裁判所は、本件調査が差別になるのか否かについて、次のとおり述べて、これを否定しました。結論としても、本件調査及び処分の適法性を認めています。

(裁判所の判断)

「本件調査によって被告の職員の中に入れ墨を入れている者がいることが判明すれば、『人事配置上の配慮』によって、市民との接触の機会が少ない職場に配置される可能性があることになり、その点において、入れ墨を有する職員と有しない職員において取扱いが異なることとなる。」

「この点に関し、憲法14条は、国民に対し絶対的な平等の取扱いを保障したものではなく、差別すべき合理的な理由なくして差別することを禁止するものであり、事柄の性質に即応して合理的と認め得る差別的取扱いをすることは、何ら同条の趣旨に反するものではない(最高裁昭和41年7月20日大法廷判決・民集20巻6号1217頁参照)。」

「しかるところ、世界的に見れば、著名なスポーツ選手等の中に入れ墨を入れている者がいることや、様々な歴史的・文化的背景から入れ墨が珍しくない国もあり、入れ墨の捉え方については国々によって異なること、わが国においても、近時、ファッショの一つとの認識のもとに入れ墨を入れる者がいることが認められる。他方で、わが国において反社会的組織の構成員に入れ墨をしている者が多くいることや入れ墨を示した脅迫行為が行われることは否定できない事実であり、暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(以下『暴対法』という。)においても、『少年に対して入れ墨を施し、少年に対して入れ墨を受けることを強要し、若しくは勧誘し、又は資金の提供、施術のあっせんその他の行為により少年が入れ墨を受けることを補助してはならない』(暴対法24条)、『他の指定暴力団員に対して前条の規定に違反する行為をすることを要求し、依頼し、若しくは唆し、又は他の指定暴力団員が同条の規定に違反する行為をすることを助けてはならない』(暴対法25条)として、指定暴力団等への加入の強要等の禁止、指詰めの強要等の禁止と並んで、入れ墨の強要等の禁止に関する規定が設けられているほか、フィットネスクラブ等において、入れ墨のあることが入会資格の除外事由とされていること・・・、各地の条例においても、入れ墨に関する規制が設けられている・・・など、わが国においては、入れ墨が反社会的組織との関わりを示す特徴的なものであるとの認識が広く一般的なものであることの表れであるということができるのであって、わが国において反社会的組織の構成員に入れ墨をしている者が多くいることや入れ墨を示した脅迫行為が行われることは否定できない事実であることを踏まえるとこのような認識が不当なものということもできない。

「そうすると、上記のとおり、ファッションとの認識のもとに入れ墨を入れる者が表れてきたことや、『市民の声』に寄せられた意見の全てが入れ墨を問題視するものではなく、入れ墨を問題視することについて否定的な意見も含まれていること・・・や、『入れ墨』に対する認識は永久不変というというものではなく、今後の社会の移り変わりの中で、わが国においても『入れ墨』についての認識が変容していく可能性もあり得ることを踏まえても、少なくとも、現時点のわが国において、一般市民が、入れ墨を目にした際に、不安感・威圧感・不快感を覚えることが不当な偏見や差別であるということはできない。

したがって、地方公共団体である被告が、市民が被告の施設を訪れたり利用した際に不安感・威圧感・不快感等を覚えることがないようにしようとすることは、合理的な取扱いであるといえる。

「原告は、

〔1〕『市民の声』に投稿された意見は、偏見と差別感情に満ちたものであるから、被告としては、差別の解消に取り組むべきである、

〔2〕本件調査は誤報道を前提とした人気取り政策であり、差別政策である、

〔3〕そもそも、入れ墨を入れている者の数も不明であり、その多くが反社会的組織の構成員であるというデータはなく、『入れ墨イコール反社会的組織のシンボル』という認識は入れ墨に対する不当な偏見に基づくものであって、犯罪歴を理由とする不当な差別につながる旨主張し、本件調査は憲法14条の平等原則に真正面から違反する旨主張する。」

「原告の上記主張のうち〔1〕及び〔3〕については、入れ墨を見た市民が不安感・威圧感・不快感を覚えることが不当な偏見や差別であるということはできないことは前記アで説示したとおりであり、犯罪歴を理由とする不当な差別となるものでもない。なお、原告が主張するとおり、わが国に入れ墨をしている者が何人いるのか、その多くが反社会的組織の構成員であるかを直接示すデータは存在しないが、入れ墨が反社会的組織との関わりを示す特徴的なものであるとの認識が広く一般的であり、このような認識が不当なものということもできないことは既に説示したとおりであり、原告が主張するようなデータが存在しないからといって、不合理な差別となるものではない。

「原告の上記主張のうち〔2〕については、本件新聞報道が誤報道であることを前提に被告が誤報道を放置したなどと評価できないことは、既に説示したとおりであり、原告の主張は採用できない。」

3.データよりも感覚が大事?

 上述のとおり、裁判所は、市民を不安感等から守るためであれば、データが存在しなくても、入れ墨を有する職員を、市民との接触の少ない職場に配置することは許容されると判示しました。

 行政訴訟で裁判所は公権力側に有利な判断をしがちな傾向にあります(ただし、それは、本邦の法令の殆どが行政主導で作られていて、法令の構造自体が行政に有利になっていることも関係しており、一概に裁判所が偏向しているというわけではありません)。しかし、ここまで開き直った判断が出るのは、やや意外でした。データがなくても多数派の感覚さえ守れれば差別ではないとなると、一体差別とは何なのだろうかという根本的な疑問に突き当たります。

 現に入れ墨を見せて市民を威迫するなどの行為に及んだ職員が、そのことを考慮された配置をされるのはともかく、ただ単に入れ墨を入れているからといって、該当の職員を市民との接触の少ない職場にしか配置しないことが理性的な判断といえるかは、再考の余地がありそうに思われます。