弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

60時間以上の残業に留まっていても時間外労働が有意な心理的負荷として認定された例

1.心理的負荷による精神障害の認定基準

 精神障害の発症が労働災害に該当するのか(業務に起因するのか)を判断する基準として、平成23年12月26日 基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について(最終改正:令和2年8月21日 基発0821第4号)があります(認定基準)。

精神障害の労災補償について|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 認定基準は、業務による強い心理的負荷が認められることを、精神障害を業務上の疾病として取り扱う要件として掲げています。そのうえで、具体的な出来事について、出来事毎の心理的負荷の強度を定めています。

 この具体的な出来事の類型の一つに、長時間の時間外労働があります。

 認定基準は、

1か月に80時間以上の時間外労働が行われた場合

を「中」とし、

発症直前の連続した2か月間に、1月当たりおおむね120時間以上の時間外労働を行い、その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった場合、

発病直前の連続した3か月間に、1月当たりおおむね100時間以上の時間外労働を行い、その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった場合、

を「強」としています。

 時間外労働があっても、その時間が80時間に満たない場合、心理的負荷は「弱」として扱われます。そして、時間外労働に限らず、心理的負荷が「弱」である出来事が、業務起因性の判断に影響を与えることは、実務上、殆ど観測されません。

2.労災の認定基準と損害賠償法上の相当因果関係

 労災の場面における業務起因性と、損害賠償法上の相当因果関係とは、理論上は別の概念です。しかし、使用者側の過失行為と心理的負荷による労働者の精神障害の発症との間に相当因果関係が認められるか否かの判断が、実務上、労災の認定基準を参照しながら行われていることもあり、両者の認定は、広範に重なり合う関係にあります。また、業務起因性の判断で有意な事実は、不法行為法上の相当因果関係の判断でも有意とされるのが普通ですし、業務起因性の判断で無意味な事実が不法行為法上の相当因果関係の判断で意味を持つことは、あまりありません。

 こうした状況のもと、近時公刊された判例集に、60時間以上(労災で有意とされる80時間未満)の時間外労働に、相当因果関係を認定するうえでの心理的負荷としての意義を認めた裁判例が掲載されていました。名古屋地判令2.12.7労働判例ジャーナル109-28 名古屋市ほか事件です。

3.名古屋市ほか事件

 本件は自殺した労働者(公務員)の遺族が提起した、いわゆる労災民訴(公務災害民訴)です。

 被告になったのは、普通地方公共団体である名古屋市です。

 自殺したのは、名古屋市交通局で名古屋市営バスの運遠視として勤務していたP4です。

 原告になったのは、P4の相続人となった両親です。P4が自殺したのは、交通局の加重な労働環境下における勤務中、短期間のうちに強い心理的負荷のかかる3件の出来事に遭遇したことにより、精神障害を発病しからだと主張し、国家賠償請求訴訟を提起しました。

 公務災害の認定に関しては、先ず、地方公務員災害補償基金名古屋支部で公務外認定処分を受けました。

 これを不服とした遺族が公務外認定処分の取消訴訟を提起したところ、一審名古屋地裁は遺族の請求を棄却しましたが、二審名古屋高裁は公務起因性を認め、公務外認定処分の取消請求を認容する判決を言い渡しました。

 二審判決確定後、地方公務員災害補償基金は、改めて公務起因性を審査し、公務災害であることを認定しました。

 本件の特徴は、時間外労働が労災認定基準の「中」のレベルに至っていないにもかかわらず、心理的負荷の評価にあたり、時間外労働の事実を考慮している点です。

 P4の自殺前(平成19年6月13日行為着手、同月14日死亡)6か月の時間外労働は、

平成18年

12月15日から平成19年1月13日 58時間59分

平成19年

1月14日から2月12日 65時間19分
2月13日から3月14日 74時間23分
3月15日から4月13日 43時間12分
4月14日から5月13日 63時間26分
5月14日から6月12日 72時間34分

であり、一月も80時間には達していませんでした。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、時間外労働の事実を、相当因果関係の認定にあたり有意な事実として位置付けました。結論としても、原告遺族側の請求の大部分を認める判決を言い渡しています。

(裁判所の判断)

「被災者の本件自殺前概ね6か月間の時間外労働時間数は、前記前提事実・・・のとおりであり、1か月当たりの時間外労働時間数が80時間を超えることはなかったものの、これに近い時間(約74時間30分、約72時間30分)になることがあった。また、上記期間の1か月間当たりの時間外労働時間数の平均は、約63時間であった。さらに、被災者の超勤時間は、前記前提事実・・・のとおり労働基準法36条に基づく協定による限度を超えるものであり、被災者の本件自殺前概ね6か月間の拘束時間は、前記前提事実・・・のとおり改善基準が1日当たりの原則的な拘束時間とする13時間を超える日が70%近くを占め、最大拘束時間である16時間を超える日も少なからずみられた。」

「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである。また、長時間労働は、一般に精神障害の準備状態を形成する要因となっているとの考え方も考慮すれば、恒常的な長時間労働の下で発生した出来事の心理的負荷は、平均より強く評価される必要がある。」

「前記のとおり、被災者の1か月当たりの時間外労働時間数は、80時間を上回るものではなかったことなどから、その労働時間数のみでもって、客観的に心理的負荷の強度が大きいと評価することはできないものの、被災者が労働基準法36条に基づく協定や改善基準の定めを超えるほどの長時間労働を恒常的に行っていたことは否定できない。加えて、証拠・・・によれば、1か月の平均残業時間が60時間以上の場合には、平均残業時間なしや10時間未満に比べてストレス度に大きな有意差が認められ、平均残業時間が60時間以上はストレス度の見地から問題が多いとされていることを踏まえれば、被災者の労働実態は、一定程度、被災者の心身の疲労を蓄積させ、そのストレス対応能力を低下させるものであったと認められる。

4.80時間未満の時間外労働でも意味を持つ場合がある

 最初に述べたとおり、業務起因性や相当因果関係の認定にあたり、心理的負荷が「中」に至らない出来事(80時間未満の時間外労働を含む)が積極方向のインパクトを持つことは、あまりありません。

 そうした状況のもと、本裁判例は、60時間という具体的な数値を挙げて、心理的負荷として意味を持つ時間外労働の水準を設定しました。これは、労災認定・損害賠償いずれの場面でも活用できる画期的な判断として、銘記しておく必要があるように思われます。