弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

懲戒処分の処分事由説明書に求められる理由提示の方法

1.処分事由説明書

 以前、

「地方公務員である自動車運転士のコンビニ店員へのセクハラ(フリーランスへのセクハラ問題とも関連)」

という記事を掲載しました。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/04/25/130802

 この記事の中で、コンビニ店員に対してセクハラを繰り返したことを理由として地方公務員の方に行われた停職6か月の懲戒処分の適否が問題になった事件を紹介させて頂きました(最三小判平30.11.6労経速2372-3A市事件)。

 原審(高裁)、原々審(地裁)は、停職6か月は重すぎるとして懲戒処分の取消を認めましたが、最高裁は、停職6か月とすることに問題はないと判示しました。その判示はがセクシュアルハラスメントの被害者の救済を考えるにあたり、示唆に富むものであったことは、上述の記事の中でご紹介させて頂いたとおりです。

 判決言渡しから随分時間が空きましたが、この事件が労働判例という判例集にも掲載されているのを見つけました(最三小判平30.11.6労働判例1227-21加古川市事件)。

 最高裁の判決に改めて目を通すとともに、原審、原々審の判旨を確認していたところ、原々審(神戸地判平28.11.24労働判例1227-30 加古川市事件)が興味深い判示をしているのを見つけました。

2.加古川市事件(第一審)

 何が興味深いのかというと、理由提示の方法について判示している部分です。

 公務員は懲戒処分を受ける時、処分事由説明書という書面の交付を受けます(国家公務員法89条1項、地方公務員法49条1項)。

 この処分事由説明書には、処分の事由を記載することになっています。

 本件の原告は、単純労務職員といって、地方公務員法49条の適用のない公務員の方でした(地方公務員法57条、地方公営企業等の労働関係に関する法律附則5項、地方公営企業法39条1項参照)。

 しかし、被告(加古川市)では地方公務員法49条1項の趣旨を考慮して、単純労務職員に対しても懲戒処分を行う時に処分事由説明書を交付する扱いをとっていました。

 本件の原告に渡された処分事由説明書には、

「あなたは、平成26年9月30日に勤務時間中に立ち寄ったコンビニエンスストアにおいて、そこで働く女性従業員の手を握って店内を歩行し、当該従業員の手を自らの下半身に接触させようとする行動をとった。」(行為①)

「また、以前より当該コンビニエンスストアの店内において、そこで働く従業員らを不快に思わせる不適切な言動を行っていた。」(行為②)

「このことは、公務に対する信用を著しく傷つける行為として地方公務員法第33条に違反する行為であるとともに、全体の奉仕者たるにふさわしくない非行である。」

「よって、地方公務員法第29条第1項第1号及び第3号の規定に基づき、懲戒処分として停職6箇月を妥当とする。」

と記載されていました。

 この行為②の記載について、原告の方は、時期も対象行為も被害者も特定されていない不十分な記載であるとして、理由不備の違法を主張しました。

 これに対し、被告加古川市は、非違行為は行為①であって、行為②は行為①の悪質性を裏付ける事情として記載したものだと主張しました。要するに、非違行為そのものではなく情状だから概括的な記載でも構わないという趣旨です。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、理由提示に不備はないと判示しました。

(裁判所の判断)

「原告のような単純労務職員に対して懲戒処分を行う場合、処分の事由を記載した説明書を交付することは法律上要求されていない・・・。懲戒条例2条も・・・、懲戒処分を行う場合は書面(辞令がこれに相当する)を交付して行わなければならないことを要求した規定であり、処分説明書の交付の根拠規定と解することはできない。」

「もっとも、被告では、地公法49条1項の趣旨を考慮して、単純労務職員に対して懲戒処分をする場合にも処分の事由を記載した説明書を交付しているというのである。そうであれば、処分を受ける職員の不服申立てに便宜を与えるためにも、処分説明書においては、処分の対象とされた非違行為が何であるかを認識できるよう、行為の主体、客体、日時、場所、態様等をできるかぎり特定すべきであることは当然である。

しかし以上はあくまでも懲戒処分の対象となる非違行為についての理由の提示の問題であり、情状を構成するにすぎない事実について同じように解することはできない。情状となる事実は、本来、地公法49条1項所定の処分説明書に記載しなければならないものではないし、非違行為の原因、動機、性質、影響、当該職員の態度、処分歴、非違行為後の事情など多種多様である。したがって、情状となる事実を処分説明書に記載する場合、ある程度包括的、概括的なものとなってもやむをえないし、そのことによって処分が違法となることはないと解される。ただし、情状となる事実が懲戒処分の対象となる事実と区別されることなく渾然一体となって記載されるなど、それが記載されることによって混乱をもたらし、何が懲戒処分の対象となる事実であるのかが認識しえなくなるような場合には、理由の提示に不備があると解すべきである。

「本件処分の処分説明書においては、行為①は日時、場所、被害者、行為態様等によって十分に特定されており、原告もこのことを争っていない。行為②については概括的な記載にとどまるが、情状となる事実としてはこの程度の記載をもって足りるというべきである。そして行為②は行為①とは明確に書き分けられており、行為①が本件処分の対象とされているという認識に混乱をもたらすような事情は見あたらない。したがって本件処分の理由の提示に不備はないというべきである。」

3.非違行為と情状が渾然一体となった記載は違法

 本件の特徴は、

「情状となる事実が懲戒処分の対象となる事実と区別されることなく渾然一体となって記載されるなど、それが記載されることによって混乱をもたらし、何が懲戒処分の対象となる事実であるのかが認識しえなくなるような場合には、理由の提示に不備がある」

として、何が非違行為なのかが分からない渾然一体型の理由提示に、消極的な評価を下したところではないかと思います。

 被告加古川市の件は非違行為と情状が書き分けられていたとして適法とされましたが、両者が意識的に書き分けられていないケースは一定数あるだろうと思います。また、民間企業が法律家の関与なく懲戒手続を進める時に、非違行為と情状とが区別されないまま弁明の機会付与が行われていることも珍しくありません。最高裁で破棄された裁判例ではありますが、本件で示された考え方は、こうした事案で理由提示の不備を指摘する時に参考になるように思われます。

 

医療従事者は人の死に慣れなければならないのか?

1.新生児の死亡事故等に直面した看護師にかかる心理的負荷

 以前、人の死に直面した医療従事者への精神的なサポートの重要性 - 弁護士 師子角允彬のブログ という記事を書きました。

 この記事の中で、看護師の方が新生児の死亡事故やその後の遺族対応の後に鬱病を発症したという事実関係のもと、鬱病の発症が公務災害(労災の公務員版)と認められるか否かが争われた裁判例を紹介しました(那覇地判平31.3.26労働判例ジャーナル88-25)。

 この事案で、那覇地裁は、

「新生児が容態急変の後に死亡するという事故が相当数存在するからといって、これらが一切、一般的な看護師をしても、強度の精神的負荷を与える事象に該当し得る類型の出来事にすら該当しないと短絡することはできない。」

としたうえ、

原告が、客観的には責任のない本件事故に責任を感じてうつ病を発症したのは、人一倍責任感が強いことに起因すると推認するほかなく、被告の提出する医学意見書・・・の趣旨も、結局のところ、これと同旨を述べていることに帰着すると考えられる。しかし、原告の責任感が人一倍強いとはいっても、本件事故に対するその受け止め方は、上記のとおり常軌を逸する程度のものとは到底いえないものであり、仮にそのような社会通念上理解可能な程度の責任感の強さが『ストレス脆弱性』として一蹴されて、これに起因する災害の公務起因性を否定することが容認され、責任感の強い職員ほど十分な社会保障を受けられずに労働安全衛生上の不利益を受けることになれば、その結果が前記1に判示した公務災害補償制度の趣旨にそぐわない

と鬱病の発症が公務災害に該当することを認めました。責任感が強いことゆえに労働安全衛生上の不利益を受けることはないとした、妥当な判断だったと思います。

 しかし、この那覇地裁の判断は、控訴審で破棄されたようです。控訴審判決が近時公刊された判例集に掲載されていました。福岡高那覇支判令2.2.25労働経済判例速報2424-3 地方公務員災害補償基金事件です。

2.地方公務員災害補償基金事件

 控訴審も、

「被控訴人(看護師 括弧内筆者)が、入院中の新生児の急変死亡という本件事故に遭遇したことは、上記施行規則(地方公務員災害補償法施行規則 括弧内筆者)が補償の対象とする事象に該当し得ると解される。」

と新生児の死亡事故が公務災害を引き起こす要因になること自体は認めました。

 しかし、

被控訴人は、過去に産婦人科に勤務していた際には、堕胎手術の介助、胎児に異常があった際の緊急手術の介助、新生児の蘇生措置の介助、分娩直後に大量出血となった母体への輸血や他科への緊急搬送など予期しない緊急事態に対応したり、婦人科の癌患者の死亡の場面に接したりしたことがあり、加えて、内視鏡・放射線科に勤務していた際には、日常的に患者が死亡する場面を経験してきたことが認められ(書証略)、被控訴人と業務経験等が同等程度の産婦人科看護師においても、被控訴人と同様の看護業務を担当し、業務中に生じる緊急事態への対応や、患者の死亡を含む重大な結果が生じた場面に接する経験を相当程度有しているものと推測される。

「本件事故は、保育器内収容、酸素投与の対象とされ一定の注意が必要と考えられてはいたものの、それ以外には生命の危機に瀕するような要因は全く把握されていなかったという入院中の新生児が、血中酸素飽和度の急速低下等を示して容態を急変させて死亡したというものであって、産婦人科の医師や看護師が経験する確率の低いまれな事例であるとは解されるものの、医療の現場においておよそ予期し得ないとはいえない事故であり、被控訴人と業務経験等が同等程度の産婦人科看護師を基準としたときに、前記で示した事故の内容や程度に照らして、業務負荷の分析表にいう、通常予想される範囲を超える程度の異常な出来事であったと認めることは困難というべきである。

本件事故が、本件患児を担当していた医療関係者に一定程度の精神的負荷を与えるものであることは否定されないものの、被控訴人と業務経験等が同等程度の産婦人科看護師を基準としたときに、前記で示した本件事故の内容や状況、被控訴人の関与の程度に照らして、業務負荷の分析表にいう、本人の驚愕等の程度が、うつ病を発症させる程の強度な精神的負荷を科される状態に置かれるものであったとまでは認めることはできない。

と判示し、新生児の死亡事故と鬱病の発症との間の相当因果関係を否定しました。

3.人の死に慣れているという理由で公務災害・労働災害の対象外としていいのか?

 控訴審の判断は、意訳すると、

当事者である看護師の方は患者の死亡は日常的に経験してきた、

当事者である看護師と同等の業務経験等を有する看護師にとっても、患者の死亡は日常的であったはずである、

本件新生児の死亡は、確率は稀であってもおよそ予期し得ないものではなかった、

予期できたのだから、新生児が死亡したところで、人の死を日常的に経験してきた看護師にとって、驚愕等のレベルは鬱病を発症させるほど強かったとは考えられない、

鬱病の発症は、ストレスに対する脆弱性という本人の個体要因にすぎず、業務に内在する危険が現実化したとはいえないため、公務災害とは認められない、

というものです。

 しかし、人の死が関わる事象について、慣れているから普通平気なはずだというのは、やや暴論であるように思われます。

 本件の一審は、

「救急医療者一般において、小児の心肺停止が、精神的な衝撃を受けた出来事として受け止められている旨の報告」

があることに言及していますし、医療従事者であるとしても、多数経験してきたから人の死をストレスとして感じなくなるということはないのではないかと思われます。

 高裁が用いた論理が通用するとすれば、責任感の強い人、人の死に慣れてはならないと思っている人、人の死に痛みを感じ続けられる人ほど、労働安全衛生の領域から保護されないことになってしまいますが、本当にそれでいいのかと、強い違和感を覚えます。

 

在職中の労働者の訴訟提起に対する嫌がらせに違法性が認められた例

1.法的措置をとったことへの報復

 在職しながら勤務先に対して法的措置をとることには、色々と困難が伴うことが少なくありません。そうした困難の一つに、会社からの報復があります。

 ある程度順法意識のある会社であれば、法的措置をとったからといって、少なくとも露骨な嫌がらせをしてくることはありません。しかし、法的措置の相手方が順法意識の希薄な会社である場合、報復を仕掛けてこられることがあります。この報復から労働者を護りながら法的手続をやりきるのが、結構骨が折れるのです。

 昨日ご紹介した大阪地堺支判令2.7.2労働判例1227-38 フジ住宅ほか事件は、会社側から仕掛けられた報復に違法性が認められた事案であるという点においても、注目に値します。

2.フジ住宅ほか事件

 本件で被告となったのは、住宅分譲等の事業を営む株式会社です。

 原告になったのは、被告に雇用されていた韓国籍の従業員です。被告会社の代表取締役である被告Aから

① 韓国人等を誹謗中傷する旨の人種差別や民族差別を内容とする政治的見解が記載された資料が職場で大量に配布されてその閲読を余儀なくされた、

② 都道府県教育委員会が開催する教科書展示会へ参加した上で被告らが支持する教科書の採択を求める旨のアンケートを提出することを余儀なくされた、

などと主張して、被告会社と被告Aに損害賠償を請求した事件です。

 本件で当初問題にされたのは、上記①、②の点だけでした。

 しかし、本件訴えを提起した後、被告会社は、原告の訴えの提起を誹謗中傷する旨の従業員の感想文を職場で配布しました。原告は、訴訟提起後、こうした報復的非難を受けたことも、人格的利益を侵害する行為として追加で問題にしました。

 どのような文書だったのかは判例集で省略されているため、その詳細は分かりませんが、裁判所では、次の事実経過が認定されています。

(裁判所の認定した事実経過)

「原告は、平成27年8月31日に本件訴えを提起した後、会見を開くなどした。そして、同年9月1日、本件訴え提起の事実が、『育鵬社教科書の採択運動 勤務先で強要され苦痛 在日韓国人女性、大阪で提訴』『職場で民族差別 在日の女性提訴』『資料に差別表現 勤務先を損賠提訴』『憎悪表現文書 勤務先が配布』『民族差別的表現文書を社内で配布 在日韓国人女性が提訴』などの見出しで新聞報道され、その中には被告会社の実名が記載されたものもあった。」

被告会社は、原告の氏名及び所属部署を秘した上で従業員に対して本件訴えについて説明し、同年9月7日から同月25日までの間、全従業員に対し、本件訴えや提訴者に対する批判が記載された従業員作成の感想文等を配布し(本件配布②)、以後現在に至るまでその配布を継続している。

本件配布②は、被告Aが、被告会社に提出された多数の感想文等の中から選別した上で、原告に対し、本件訴えが間違っており許されないことである旨を知らせるために行われたものであった。

「原告の支援団体は、少なくとも平成28年1月から平成29年9月頃にかけて、本件訴えへの支援を呼びかけるために、被告会社がヘイトスピーチを含む、人種差別やパワーハラスメントを行っている旨記載したチラシの配布や署名活動を行った。」

 こうした経過のもとで行われた会社の報復行為に対し、裁判所は、次のとおり述べて、その違法性を認めました。

(裁判所の判断)

「本件配布②は、前記・・・で述べたとおり、被告らが行った本件配布①及び本件勧奨はいずれも原告に対する不法行為を構成するものであるにもかかわらず、その救済を求めて本件訴えを提起した原告に対して、本件訴えが不当であることを、主に被告会社の従業員が本件訴え及び提訴者を批判していることを内容とする多数の文書を社内に配布することにより周知して、原告の前記行為を批判するものであって、原告に対する報復であるとともに、原告を社内で孤立化させる危険の高いものであり、原告の裁判を受ける権利を抑圧するとともに、その職場において自由な人間関係を形成する自由や名誉感情を侵害したものというべきであって、違法であることは明らかである。

3.訴訟提起に対する報復は許されない

 当たり前のことではありますが、本邦では、

「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」

と裁判を受ける権利が保障されています(憲法32条)。

 訴訟提起したことに対し、報復的措置を取ることは許容されていません(会社にしても、自分より経済的に強い会社の横暴に対し、法的救済を求めたときに、裸の実力を行使されて提訴妨害をされたら理不尽だと感じるのではないかと思います。)

 報復的措置をとることが却って会社の傷口(要賠償額)を拡大させることは、これを機に、広く周知されると良いと思います。

 

不利益性を伴わない人種差別的言動・民族差別的言動の違法性

1.差別的言動に対する一般的反応

 特定の人種・民族に対する差別的な言動を耳にしたとき、眉をひそめる人はいても、言動の主に加担して迫害行為に及ぶ人は殆どいないと思います。それは職場であっても同じで、人種差別的・民族差別的な言動をとる人がいたとしても、そういう言動をとる人の方が変人扱いされるだけで、集団での加害行為が発生したという話は、あまり聞いたことがありません。

 それでは、具体的な不利益取扱いが伴っていない場合、差別的な言動に晒された人は損害賠償請求などの法的な救済を求めることはできないのでしょうか? 本邦の損害賠償法は実際に損をした分を填補するという発想のもとで成り立っています。そのため、人種差別的・民族差別的な言動をとる人がいたとしても、周りがみんな無視していた場合、権利侵害が発生しているといえるのかが問題になります。

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地堺支判令2.7.2労働判例1227-38 フジ住宅ほか事件です。

2.フジ住宅ほか事件

 本件で被告となったのは、住宅分譲等の事業を営む株式会社です。

 原告になったのは、被告に雇用されていた韓国籍の従業員です。被告会社の代表取締役である被告Aから

① 韓国人等を誹謗中傷する旨の人種差別や民族差別を内容とする政治的見解が記載された資料が職場で大量に配布されてその閲読を余儀なくされた、

② 都道府県教育委員会が開催する教科書展示会へ参加した上で被告らが支持する教科書の採択を求める旨のアンケートを提出することを余儀なくされた、

などと主張して、被告会社と被告Aに損害賠償を請求した事件です。

 ただ、比較的周囲は冷静であったようで、訴えの提起後に嫌がらせを受けたことはあっても、訴訟提起前には、文書を閲読しなかったことにより何等かの不利益を受けたり、被告らや他の従業員から差別的な言動を受けたりすることはなかったようです。

 本件では、こうした場合に差別的言動を受けた方の権利侵害性がどのように理解されるのかが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のような理解を示し、権利侵害性を認めました。

(裁判所の判断)

「使用者は、労働契約に基づいて、労働者に対して教育を実施する権利を有しており、その時期、内容及び方法は、その性質上原則として使用者の裁量的判断に委ねられているものと解される。しかしながら、労働者は、労働契約を締結して企業に雇用されても、企業の一般的な支配に服するものということはできず(最高裁昭和52年12月13日判決・民集31巻7号1037頁参照)、使用者が有する上記裁量権は、労働契約上予定された範囲でのみ行使し得るものというべきである。」

「したがって、使用者において、公序良俗に反する内容の教育を行うなど法令に反することができないことはもちろん、たとえ、法令に反するとはいえない場合であっても、業務遂行と明らかに関連性のない教育の受講を強制することは労働契約上許されないというべきである。」

「また、たとえ本件配布①のように使用者の実施する教育が強制を伴わないものであっても、様々な思想・信条及び主義・主張を有する労働者が存在することが当然に予定されている企業では、企業内における労働者の思想・信条等の精神的自由が十分尊重されるべきであることは、論を待たない(最高裁昭和63年2月5日判決・労働判例512号12頁(以下『最高裁昭和63年判決』という。)参照)。それに加えて、憲法14条1項が『すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない』と定めていることを受けて、労働基準法3条が『使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない』と均等待遇の原則を規定し、使用者に対し、国籍に基づく差別的取扱いを禁止しており、労働者は、就業場所において国籍によって差別的取扱いを受けない人格的利益を有している。」

「にもかかわらず、たとえ労働条件に関する差別的取扱いそのものには該当しないとしても、使用者が、特定の国民に対する顕著な嫌悪感情に基づき、それらを批判・中傷する内容の文献や自己が強く支持する特定の歴史観・政治的見解が記載された文献等を就業場所において反覆継続して労働者に教育目的で大量に配布することは、それ自体労働者の思想・信条に大きく介入するおそれがあるのみならず、たとえ前記国籍を有する当該労働者に対して差別意思を有していない場合であっても、前記嫌悪感情が強ければ強いほど、前記国籍を有する労働者の名誉感情を害するのみならず、当該労働者に使用者から前記嫌悪感情に基づく差別的取扱いを受けるのではないかという危惧感を抱かせるのであるから、厳に慎まねばならないというべきである。

「したがって、私的支配関係である労働契約において、使用者の実施する文書配布による教育が、その配布の目的や必要性(当該企業の設立目的や業務遂行との関連性)、配布物の内容や量、配布方法等の配布態様、そして、受講の任意性(労働者における受領拒絶の可否やその容易性)やそれに対する自由な意見表明が企業内で許容されていたかなどの労働者がそれによって受けた負担や不利益等の諸般の事情から総合的に判断して、労働者の国籍によって差別的取扱いを受けない人格的利益を具体的に侵害するおそれがあり、その態様、程度がもはや社会的に許容できる限度を超える場合には違法になるというべきである(最高裁昭和48年12月12日大法廷判決・民集27巻11号1536頁(以下「最高裁昭和48年判決」という。)参照)。」

(中略)

「使用者の前記言動により、労働者が前記内心の静穏な感情を害され、それが一般人からみても、国籍による差別的取扱いを受けるのではないかとの現実的な危惧感を抱いてしかるべき程度に達している場合は、差別的取扱いそのものを行ってはいないとしても、労働者の国籍によって差別的取扱いを受けない人格的利益を侵害するおそれが現実に発生しているというべきであり、それによる精神的苦痛を労働者において甘受すべきいわれはないから、その侵害の態様、程度が内心の静穏な感情に対する介入として社会的に許容できる限度を超えているとして不法行為が成立するというべきである(最高裁平成11年判決参照)。

(中略)

「本件配布①は、たとえ前述したとおり、従業員間の在日韓国人に対する差別的言動を誘発していないとはいっても、労働契約に基づき労働者に実施する教育としては、労働者の国籍によって差別的取扱いを受けない人格的利益を具体的に侵害するおそれがあり、その態様、程度がもはや社会的に許容できる限度を超えるものといわざるを得ず、原告の人格的利益を侵害して違法というべきである。

3.損害賠償請求には必ずしも具体的不利益を伴っている必要はない

 確かに、本邦の法体系は、

「損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。」

と精神的損害に対しても賠償責任が生じることを認めています(民法710条)。

 しかし、裁判所は、慰謝料に対し、あまり温情的な考え方は持っておらず、強烈な不利益でも伴っていない限り、なかなか慰謝料の請求は認めてくれません。

 そのため、一般の方には当たり前のように見えるかも知れませんが、裁判所が、

差別意思(主観的悪性)、

差別的取扱い、

従業員間の差別的言動の誘発、

といったが事情が認定できなかったとしても、慰謝料請求が認められると判示している点は、法律家的な視点で見ると画期的なこととして捉えられます。

 特定の人種・民族を貶すことが業務上必要であるとは考え難く、多くの人が快適に働くにあたっては、こうした言動はないに越したことはありません。本裁判例は、差別的言動に対する一定の抑止力になるものとして、実務法曹において銘記されるべき裁判例だと思われます。

 

補助金の打ち切りを理由に業績を上げている研究者を簡単に雇止めにしていいのか?

1.雇止めルール

 有期労働契約は期間の満了により終了するのが原則です。

 しかし、更新されるものと期待することに合理的な理由があると認められる場合、雇止めをするには客観的合理的理由・社会通念上の相当性が必要になります。これが認められない場合、労働者が契約更新を申し込みさえすれば、承諾が擬制され、同一条件で契約が更新されたことになります(労働契約法19条2号参照)。

 このように、雇止めの可否の問題は、

① 更新されるものと期待することに合理的な理由があるか(合理的期待)、

② 更新拒絶に客観的合理的理由・社会通念上の相当性があるか、

の二段階で審査される構造になっています。②は①の合理的期待が肯定されて初めて議論の対象になります。①が否定される場合、客観的合理的理由・社会通念上の相当性が議論されるまでもなく、地位確認請求は門前払い(棄却)されることになります。

 この雇止めの可否について、近時公刊された判例集に、目を引く裁判例が掲載されていました。仙台地判令2.5.27労働判例ジャーナル103-76 国立大学法人東北大学事件です。目を引かれたのは、相当回数契約が反復更新され、研究者としての業績がきちんと上げられていても、補助金の打ち切りと不更新条項によって、比較的簡単に合理的期待が否定されてしまっている部分です。

2.国立大学法人東北大学事件

 本件は雇止めの効力が争われた地位確認等請求訴訟です。

 本件で被告になったのは、国立大学法人です。

 原告になったのは、平成17年6月1日に任期を平成20年3月31日までとする労働契約を締結し、以降、7回に渡って契約を更新し、平成30年3月31日まで被告の准教授として研究業務に従事してきた方です。

 原告の方の所属は、

平成17年6月1日~平成20年3月1日

金属ガラス・無機材料接合開発共同研究プロジェクト

平成20年4月1日~平成29年3月31日

原子分子材料科学高等研究機構(AIMR)

平成29年4月1日~平成30年3月31日

未来科学技術共同研究センター(NICHe)

とされていました。

 AIMRは文部科学省の世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)の支援を受けて創設された研究機関であり、平成19年度から平成28年度までの間、WPIから年間約13億円の補助金を受けて運営されていました。

 この補助金給付が平成29年3月31日に終了することから、原告は被告から雇止めの通知を受けました。研究継続の必要性があったことから1度は所属を移して労働契約の更新が認められましたが、結局、平成30年3月31日をもって雇止めされたため、その効力を争って地位確認等請求訴訟を提起したという経緯になります。

 本件の特徴は、

平成26年契約、平成27年契約の労働条件通知書には、平成29年3月31日までを更新上限とする条項が付されていたこと、

平成28年契約の労働条件通知書には、平成29年3月31日以降労働契約を更新しない条項が付されていたこと、

平成29年契約の労働条件通知書には、平成30年3月31日以降労働契約を更新しない条項が付されていたこと、

相応の研究実績が上げられていたと認められていること、

にあります。

 補助金が打ち切られて大幅に予算規模が縮小したといはいえ、AIMRは継続していました。そうした状況の中、いかに不更新条項があったとしても、相応の研究実績を上げてきた研究者を、簡単に雇止めにしていいのかが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、合理的期待を否定し、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

AIMRは、材料科学に関する高等研究所として世界トップレベルの研究成果を上げることが使命とされていたところ、AIMRの研究者は、高度の技術・能力を評価され、上記使命を達成するに相応しい即戦力として雇用された者であるといえるから、そもそも当該研究者の雇用については、高い流動性があったことが認められる。

(中略)

上記認定事実によれば、AIMRは、世界トップレベルの研究成果を上げることを使命とされ、そもそも雇用には高い流動性があり、原告も、平成20年契約締結当時から、平成29年にはAIMRに対するWPIの補助金の支給が原則打ち切られることを認識していたといえ、現に平成26年契約以降は、契約更新に際し、D機構長自身から、平成29年4月1日以降は原告との間の労働契約を更新できない旨説明を受け、労働条件通知書においてこれに同意していたのであり、平成29年契約も飽くまで例外的なものであったことが認められる。

これらの事情の下においては、原告において上記補助金の支給期間を超えて契約が更新されることを期待する事情があったものとは認め難く、平成29年契約も例外的なものであったことからすれば、平成29年契約の期間満了時において、原告には平成29年契約が更新されるものと期待することについて合理的理由があったものと認めることはできないというべきである。

「これに対し、原告は、被告との間の労働契約の更新回数は7回、計13年間にもわたるものであり、平成20年契約締結から平成28年契約締結に至るまで、被告からWPIからの補助金の終了時期をもって契約の更新の上限とすることを説明されたことはなかったし、AIMRはWPIからの補助金の終了後も継続することを表明しており、当然に雇用が終了する理由はなく、むしろ原告は十分な研究実績を上げていたことからすれば、原告には契約が更新されることを期待する合理的理由があったなどと主張する。」

「しかしながら、原告は、平成20年契約締結当時から、AIMRに対するWPIの補助金の支給期間が10年であることを認識していたといえることは、上記において説示したとおりである。そして、原告は、平成26年契約以降は、契約更新に際し、D機構長自身から、平成29年4月1日以降は原告との間の労働契約を更新できない旨説明を直接受けていたことが認められることからすれば、原告の主張は、上記認定とは異なる事実を前提とするものであり、その前提を欠く。上記説明の経過及び同意書の提出状況等を踏まえても、不更新条項自体が無効となるような事情を認めることもできない。」

「確かに、被告が、WPIからの補助金が終了した後も、AIMRを継続することを表明していたことには争いがないものの、WPIからの補助金は年間約13億円であったのに対し、被告が平成29年度以降のAIMRの予算として表明していたのは、7億6350万円から8億6350万円にとどまるなど、平成29年以降はWPIの補助金を受給できない以上、原告は平成29年以降AIMRにおいて大幅な人員整理が行われることは当然予見できたのであるから、原告と被告との間の契約の更新回数及び継続年数が多数かつ長期にわたるものであって原告がAIMRで相応の研究実績を上げていた事情を十分に考慮しても、原告の主張は、上記判断を左右するに至らない。

「したがって、原告の主張は、採用することができない。」

3.業績の上げられていた科学者を簡単に切り捨てていいのか?

 確かに、くどいくらいに雇止め予告がされていたことは否定できませんし、補助金が終了して予算面に制約があったのもそうだと思います。

 しかし、

世界トップレベルの研究成果を上げることを使命として設立された研究機関に対し、たった10年で補助金があっさりと打ち切られてしまうことも、

相応の業績を上げてきたと評価されている研究者が、即戦力として高い流動性があるのだから地位を失っても問題ないと言わんばかりに地位を追われたことも、

かなり衝撃的でした。

 理科系のことは門外漢ではありますが、

このようなことをしていては、幾ら補助金を投じてトップレベルの研究拠点を育成しようとしても、10年毎にリセットされてしまうのでは意味がないのではないか、

業績を上げていても簡単に雇止めに合うのであれば、組織に対する信頼感が生まれず、評価されている研究者でも、他に少しでも安定したポストが目に入れば、どんどん辞めて行ってしまうのではないか、

と素人目にも不安になります。

 科学技術政策として疑問に思うところはありますが、研究者の雇止めの効力を争う事件を担当する可能性のある弁護士は、本件のように研究者の立場についてドライな判断がされた裁判例が存在することには、留意しておく必要があるように思われます。

条例が存在しない場合、条件付採用期間中の職員に対する分限事由はどのように理解されるべきか?

1.条件付採用

 公務員には「条件付採用」という仕組みがとられています。これは、一定期間、職務を良好な成績で遂行できたことを正式採用の条件とする仕組みであり、民間でいうところの試用期間に相当します。

 条件付採用は、国家公務員の場合、国家公務員法59条1項で、

一般職に属するすべての官職に対する職員の採用又は昇任は、すべて条件附のものとし、その職員が、その官職において六月を下らない期間を勤務し、その間その職務を良好な成績で遂行したときに、正式のものとなるものとする。

と規定されています。

 また、地方公務員の場合には、地方公務員法22条で、

職員の採用は、全て条件付のものとし、当該職員がその職において六月を勤務し、その間その職務を良好な成績で遂行したときに正式採用になるものとする。この場合において、人事委員会等は、人事委員会規則(人事委員会を置かない地方公共団体においては、地方公共団体の規則)で定めるところにより、条件付採用の期間を一年に至るまで延長することができる。」

と規定されています。

2.分限の適用除外

 公務の能率性の観点から公務員に対して免職などの不利益な処分を科することを、分限といいます。

 職員の分限に関しては国家公務員法や地方公務員法に根拠規定が設けられていますが、これらの規定は条件付職員に対して適用がありません(国家公務員法81条1項2号、地方公務員法29条の2第1項)。

 条件付採用の職員を適格性欠如等を理由に分限するためには、そのための法的な根拠が必要になります。

 国家公務員の場合、人事院規則11-10(職員の身分保障)第10条が条件付採用期間中の職員に対する分限事由を規定しています。

 地方公務員の場合、条件付採用期間中の職員に対する分限については、条例で必要な事項を定めることができるとされています(地方公務員法29条の2第2項)。

3.地方条例を欠く場合、条件付作用期間中の職員の分限は可能なのか?

 それでは、条件付採用期間中の職員に対する分限について規定した「条例」が存在しない場合、条件付採用期間中の職員に対して分限を行うことは可能なのでしょうか? また、可能だとしても、条例が存在しない中、どのような基準に基づいて行われるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.3.30労働判例ジャーナル103-86 東京都・都教委事件です。

4.東京都・都教委事件

 本件は区立小学校の教諭に条件付採用された原告が、東京都教育委員会から受けた分限免職処分の取消を求めて出訴した事件です。

 東京都では条件付採用職員の分限事由を定めた条例が存在しなかったため、免職の適法性を判断するにあたり、どういった基準が採用されるのかが問題になりました。

 これについて、裁判所は、次のとおり述べて、条件付採用された国家公務員の分限に準じて人事院規則11-10第10条が参照されると判示しました。

(裁判所の判断)

「地方公務員法第22条第1項に基づく条件付採用制度の趣旨及び目的は、職員の採用に当たり行われる競争試験又は選考の方法がなお職務を遂行する能力を完全に実証するとはいい難いことに鑑み、試験等により一旦採用された職員の中に適格性を欠く者があるときは、その排除を容易にし、もって、職員の採用を能力の実証主義に基づいて行うとの成績主義の原則を貫徹しようとすることにあると解される。このように、条件付採用期間中の職員は、未だ正式採用に至る過程にあるものであり、当該職員の分限について正式採用の職員の分限に関する規定の適用がないこととされている(同法第29条の2第1項第1号)のも、このことを示すものである。」

「したがって、条件付採用期間中の職員に対する分限処分については、任命権者に相応の裁量権が認められるというべきである。もっとも、条件付採用期間中の職員も、既に試験等の過程を経て勤務し、現に給与の支給も受け、正式採用になることに対する期待を有するものであるから、この裁量権は、純然たる自由裁量ではなく、その処分が合理性を有するものとして許容される限度を超えた不当なものであるときは、裁量権の行使を誤った違法なものになるというべきである(最高裁判所昭和53年6月23日第三小法廷判決・判例タイムズ366号169頁、国家公務員の場合に関する最高裁判所昭和49年12月17日第三小法廷判決・裁判集民事113号629頁参照)。」

「この点に関して、被告においては、条件付採用期間中の職員の分限に関する条例が制定されていないところ(弁論の全趣旨)、このような場合、その分限免職処分は、同じく条件付採用期間中の国家公務員の分限について定めた人事院規則11-4(職員の身分保障)第10条に準じ、勤務成績の不良なこと、心身に故障があることその他の事実に基づいてその職に引き続き任用しておくことが適当でないと認められるときに限り、許されるものと解するのが相当である。

5.条件付採用期間中の職員への分限処分の可否自体も争点化できたのではないか?

 本件では、

「本件の争点は、本件処分が裁量権の行使を誤った違法なものであったかどうかであり、同争点に関する当事者の主張は、以下のとおりである。(以下略)」

という争点整理がされています。

 判決が、分限処分の「可否」を厳密に議論することなく、判断基準の議論に入っているのは、「可否」の問題が明確に争点設定されていなかったからだと推測されます。

 しかし、法律が明確に「条例」で必要な事項を定めるとしている問題について、条例がないにもかかわらず不利益処分を科すことが、果たして本当に可能なのかは、もっと緻密に議論されても良い問題であるように思われます。

 東京都のような巨大な自治体でも条例が欠缺しているくらいなので、この問題についての条例が未整備な自治体は少なくないように思われます。類似の事件が発生した場合には、分限処分の「可否」の問題について、より踏み込んだ議論をして行くことが期待されます。

固定残業代の有効性-36協定の欠缺だけでは勝てない?

1.固定残業代の有効性と36協定

 先月、36協定の欠缺が固定残業代の有効性を否定する事情として効いたと思われる裁判例(名古屋高判令2.2.27労働判例働判例1224-42サン・サービス事件)を紹介しました。

固定残業代の効力を争う場合の留意点-36協定(労働基準法36条1項所定の協定)の欠缺の主張のし忘れに注意 - 弁護士 師子角允彬のブログ

 しかし、これと同時期に、東京地裁労働部で、36協定の欠缺が固定残業代の効力を否定する理由にならないとした判決が言い渡されました。東京地判令2.3.27労働判例ジャーナル103-90 公認会計士・税理士半沢事務所事件です。

2.公認会計士・税理士半沢事務所事件

 本件は、いわゆる残業代請求事件です。原告(労働者)による残業代請求の可否・金額を判断するにあたり、被告が採用していた固定残業代(営業手当)の有効性が問題になりました。

 原告は、

「被告は、原告が勤務していた当時、36協定の締結・届出をしていなかったのであるから、本件契約において8時間を超えて働かせるという命令、契約自体が違法、無効である。」

などと主張し、固定残業代の有効性を争いました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、営業手当の固定残業代としての有効性を認めました。

(裁判所の判断)

原告は、被告が36協定の締結、届出を行っていないことを理由に、固定残業代の合意自体が無効である旨主張する。しかしながら、36協定が締結されておらず、時間外労働が違法であるとしても、使用者は割増賃金の支払義務を免れるものではないから、これにより固定残業代を支払う合意が無効となるとは解されない。この点に関する原告らの主張は理由がない。

「上記・・・の本件契約書の記載内容、本件契約締結に至る経緯及び本件契約締結後の状況を考慮すると、営業手当は、割増賃金の対価としての性質を有するものと認められ、また、上記・・・のとおり通常の賃金に当たる部分と固定残業代に当たる部分との判別が可能であるから、営業手当は、固定残業代といえる。」

3.36協定の欠缺だけでは勝てないのか?

 個人的には、

・36協定の締結といった最も基本的な義務すら懈怠している使用者を、そこまで保護する必要があるのか、

・36協定の締結がないのに、なぜ、固定残業代が残業代の対価であるといえるのか、

などといったことから、上記の判断には疑問を覚えます。

 しかし、東京地裁労働部の判断は全国的な裁判例の潮流に与える影響も大きいため、36協定の欠缺が固定残業代の効力に影響を与えることを否定したかのような東京地裁の裁判例が存在することは、残業代請求事件を行う弁護士として、記憶に留めておく必要があるように思われます。