弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

固定残業代の効力を争う場合の留意点-36協定(労働基準法36条1項所定の協定)の欠缺の主張のし忘れに注意

1.固定残業代の有効要件

 固定残業代の有効性について、最高裁は二つの要件を定立しています。

 一つは判別要件です。固定残業代が有効といえるためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外の割増賃金に当たる部分とが判別できる必要があります(最一小判平24.3.8労働判例1060-5テックジャパン事件、最二小判平29.7.7労働判例1168-49医療法人社団康心会事件)。

 もう一つは、対価性要件です。一定の金額の支払が残業代の支払といえるためには、時間外労働等の対価として支払われたものであることが必要です(最一小判平30.7.19労働判例1186-5日本ケミカル事件)。

 しかし、固定残業代の有効性は、この二つの要件との関係でのみ検討していれば足りるわけではありません。下級審では、判別要件、対価性要件以外の観点からも、固定残業代の有効性を問題にした裁判例が、多数言い渡されています。

2.固定残業代の有効要件と三六協定

 固定残業代の有効性を検討する視点の一つに、労働基準法36条1項所定の協定の欠缺があります。

 労働基準法36条1項は、

使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、厚生労働省令で定めるところによりこれを行政官庁に届け出た場合においては、第三十二条から第三十二条の五まで若しくは第四十条の労働時間(以下この条において『労働時間』という。)又は前条の休日(以下この条において『休日』という。)に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによつて労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる。

と規定しています。

 要するに、残業をさせるためには、きちんと労働組合・労働者代表との間で協定を結ばなければダメだという規定です。この規定による協定は、俗に「さぶろく協定(三六協定)」と呼ばれています。

 この協定を結ぶことは労務管理の基本中の基本ではありますが、残業代請求をしていると、案外、三六協定を結んでいない会社は多くみられます。

 それでは、この三六協定の欠缺は、固定残業代の有効性に何等かの影響を与えるのでしょうか?

 三六協定がなかったとしても、通常の労働時間の賃金部分と割増賃金部分とを物理的に判別できるようにしておくことは可能ですし、就業規則で特定の手当を時間外労働の対価として定義することもできなくはありません。そう考えると、三六協定の欠缺は、判別要件や対価性要件とは直ちには結びつかないようにも思われます。

 しかし、三六協定の欠缺が固定残業代の有効性に何ら影響を与えないかというと、そういうわけではありません。例えば、東京地判平28.5.30労働判例1149-72無洲事件は、

「三六協定が存在しない以上、少なくとも本件契約のうち1日8時間以上の労働時間を定めた契約部分は無効であるところ、いわゆる固定残業代の定めは、契約上、時間外労働させることができることを前提とする定めであるから、当該前提を欠くときは、その効力は認められないはずである。」

と判示しています。

 無洲事件の判示を私なりに理解すると、

① 三六協定がない以上、適法に残業をするということは不可能である、

② したがって、割増賃金として括り出された部分が、時間外労働の対価であることは論理的に在り得ない、

という趣旨なのかなと思っています。

 独自の要件とみるのか、対価性要件との関係で理解するとみるのか二通りの考え方があるとは思いますが、いずれにせよ、三六協定は固定残業代の効力を争う上で無関係な事情ではないと考えるのが、おそらく標準的な理解だろうと思います。

3.三六協定の欠缺の主張のし忘れ?

 前置きが長くなりましたが、三六協定の欠缺は、一見して判別要件や対価性要件との関係を連想しにくいため、固定残業代の有効要件の中では、それほど目立つ要素というわけではありません。

 そのせいか、時折、主張のし忘れだろうかと疑われる例を目にすることもあります。

 近時の公刊物に掲載されていた、名古屋高判令2.2.27労働判例1224-42サン・サービス事件(原審:津地伊勢支判令元.6.20)も、そうした事例の一つです。

 本件は原告労働者が被告使用者に対して残業代を請求した事件です。月額13万円の職務手当を固定残業代とする合意の効力が問題になりました。

 原審は固定残業代を有効だと判示しましたが、控訴審は固定残業代の効力を否定しました。原審の原告の主張、原審の判示、控訴審の一審原告の主張、控訴審の判示を検討してみると、三六協定の欠缺の主張が、決して失念してよい主張でないことが分かります。

 それぞれの判示は次のとおりとされています。

(原審の原告の主張-三六協定の欠缺に言及なし)

「原告は、被告から、職務手当を固定残業代に該当するとの説明を受けたことはない。」

「仮に、固定残業代の合意が認められるとしても、以下の理由により固定残業代の合意は無効である。」

「まず、固定残業代の合意が有効といえるためには、当該手当が実質的に時間外労働の対価としての性格を有していること、固定残業代として労基法所定の額が支払われているかどうかを判定することができるように、その合意の中に明確な指標が存在していること、当該定額が労基法所定の額を下回る場合には、その差額を当該賃金の支払時期に精算するという合意が必要というべきである。」

「本件では、割増賃金とみなされる職務手当が基本給の50パーセント以上と高額であり残業代としての実質を欠いていること、定額分の金額は認められるが、何時間分の労働時間に該当するのかは明確ではないこと、差額についての精算合意もなく、そのような慣行もないことから、かかる合意を有効と考える要件を欠き、労基法37条に反して無効である。」

「また、原告の賃金単価は、職務手当を控除すると、平成27年9月度から平成28年3月度までは1152円、試用期間1015円である。この13万円は、90時間(試用期間においては82時間)の長時間労働を原告に課すものであり、現実にもこれ以上の時間の残業を行っている。労基法37条が時間外労働等について割増賃金を支払うべきことを使用者に義務付けているのは、使用者に割増賃金を支払わせることによって、時間外労働等を抑制し、労働時間に関する規程を遵守させることを目的としているところ、かかる定めは、労基法36条が予定する恒常的な残業時間である月45時間を超え、厚生労働省のガイドラインにおいて過労死との関係が疑われる月80時間を超えるものであり、かかる観点からも本件の固定残業代の合意は無効である。」

(原審の判示-三六協定の欠缺に言及なし 固定残業代有効)

「労基法37条は割増賃金の支払を使用者に明示しているが、これは時間外、休日、深夜の労働に対し、労基法の基準を満たす一定額以上の割増賃金を支払うことであるから、そのような額の割増賃金が支払われる限りは、労基法所定の計算方法をそのまま用いる必要はないといえる。そうすると、定額残業代 の定めが有効とされるためには、通常の労働時間の 賃金に当たる部分と割増賃金の部分とが明確に区別 される必要があり、同条に定める最低賃金を超える ものであることが確認できるのであれば、同法の趣 旨には反しないといえる。」

「本件では、基本賃金月給20万円と明確に区別され た上で、職務手当13万円との記載があり、さらにこ れが残業・深夜手当を(ママ) 見なされる旨の明示もされて いることから、基礎となる賃金を算出すれば、労基 法37条所定の割増賃金との差額が明らかになるとい え、精算が可能ということになるから、あえて同規 定を無効と解する必要はなく、原告の稼働時間と照 らし合わせて、不足額があれば精算させれば足りる ものと解され、この観点で労基法37条に反するとはいえない。」

「もっとも、このように考えうるとしても、基本給が20万円であり、深夜・残業手当に充当されるべき職務手当が13万円であるところ、この13万円に相当する 労働時間は、別紙7「裁判所単価シート」記載の賃金単 価のうち、試用期間等を除く安価な賃金単価(平成27 年9月度から平成27年12月度までの1207円)の1.25 倍(1508円)で換算すると約86.20時間に該当する。 」

「確かに、上記時間は、一般的に恒常的な労働時間の上限とされる労基法36条の45時間の制限を超えるものであるが、本件の固定残業代の合意により、直ちに原告に同時間残業すべき義務が生ずるものでは ないこと、長時間労働により心身の障害と長時間労 働の因果関係が認められる時間ではあるものの、実際の労働内容については、上記・・・記載のとおりで あり、実質的には手待ち時間的なものも含まれるこ とを考えると、望ましいかどうかはともかくとして、本件の合意を無効とすべきとは認められない。」

「そうすると、本件の固定残業代の合意は有効と 解される。」

(控訴審の一審原告の主張 三六協定に欠缺を主張)

「固定残業代の合意が有効となるためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と労基法37条の定める割増賃金に当たる部分とに判別できること(判別要件)が必要とされるが、これは、固定残業代が、時間外労働等の対価の趣旨で支払われていること(対価性要件)を前提とした要件である(最高裁平成29年(受)第842号同30年7月19日第一小法廷判決・集民259号77頁翰日本ケミカル事件・労判1186号5頁-編注。以下、同じ肝。以下「最高裁平成30年判決」という。)。しかるに、原判決は、本件職務手当につき、判別要件のみを検討して所定割増賃金の定めを有効であると判断したが、これは、最高裁平成30年判決に違反するものである。」

「対価性要件は、雇用契約に係る契約書等の記載内容、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情に照らして、雇用契約においてある手当が時間外労働に対する対価として支払われているかどうかを検討して判断されなければならないところ、原判決は、これをしていない。以下の事情に照らせば、本件職務手当は、勤務実態と大きくかい離しており、労基法36条に違反し、仕事内容との関係でも役職手当というべきであり、かつ、基本給との均衡も欠いているなど対価性要件を充足しないから、固定残業代の合意としては無効である。」

「本件職務手当が固定残業代の合意として有効であるとすると、これは約86時間分の時間外労働分に相当するが、原判決の認定した労働時間を前提としても、一審原告は月平均約170時間の時間外労働をしており、想定している時間外労働時間と実際の時間外労働時間が大きくかい離している。」

「86時間もの残業を想定することは、過労死ラインである月80時間を超えるものであって、その違法性は顕著である。」

一審被告は、36協定を締結しておらず、一審被告の想定する残業は、労基法36条に違反する。

「一審原告は、レトルト食品を使わずに朝食、昼食、夕食の調理を担当し、2人しかいない調理場に穴を空けないようにシフトの穴埋めまで行ってきた。一審原告は、その中で月平均約170時間もの時間外労働に追われていたから、月20万円の基本給は低額にすぎ、13万円の本件職務手当は料理長という立場に対する役職手当というべきである。また、本件職務手当は、基本給の約半分の13万円であり、余りにも所定割増賃金の比率が高い。したがって、本件職務手当は、基本給や、一審原告の仕事の内容に照らせば、均衡を失っている。」

「一審原告は、一審被告から本件職務手当の内容について一切の説明を受けていない。」

「なお、一審被告は、固定残業代の合意が無効になるとしても、その範囲を45時間を超える部分に限られるべきと主張するが、裁判例において『過大な時間数の固定残業代の定めをした上でそれを上回る場合にのみ残業手当を支払っておくとの取扱いを助長するおそれがあるから、いずれにしても本件固定残業代の定め全体を無効とすることが相当である。』として固定残業代の定め全体について無効としており(東京高裁平成30年10月4日判決・労働判例1190号5頁〈イクヌーザ事件-編注〉)、本件でも、同様の趣旨から、固定残業代の合意全体が無効とされるべきである。」

「上記・・・の事情に照らせば、本件職務手当を固定残業代とする旨の合意は、公序良俗に反し、また、信義則に反し無効である。」

(控訴審の判示 三六協定の欠缺に言及あり 固定残業代無効)

「使用者は、労働者に対し、雇用契約に基づき、時間外労働等に対する対価として定額の手当を支払うことにより労基法37条の割増賃金の全部又は一部を支払うことができるところ、雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである(最高裁平成30年判決)。」

「本件においては、一審被告は、一審原告と一審被告間の雇用契約書である本件提案書に、『勤務時間』として『6時30分~22時00分』と記載し、『休憩時間は現場内にて調整してください。』としていた上、前記のとおり、勤務時間管理を適切に行っていたとは認められず、一審原告は、本判決別紙1、3のとおり平成27年6月から平成28年1月まで、毎月120時間を超える時間外労働等をしており、同年2月も85時間の時間外労働等をしていたことが認められる。その上、一審被告は、担当の従業員が毎月一審原告のタイムカードをチェックしていたが、一審原告に対し、実際の時間外労働等に見合った割増賃金(残業代)を支払っていない。」

「そうすると、本件職務手当は、これを割増賃金(固定残業代)とみると、約80時間分の割増賃金(残業代)に相当するにすぎず、実際の時間外労働等と大きくかい離しているものと認められるのであって、到底、時間外労働等に対する対価とは認めることができず、また、本件店舗を含む事業場で36協定が締結されておらず、時間外労働等を命ずる根拠を欠いていることなどにも鑑み、本件職務手当は、割増賃金の基礎となる賃金から除外されないというべきである。

「なお、一審被告は、割増賃金(固定残業代)の合意が無効となるとしてもその範囲は45時間を超える部分に限るべきである旨主張するが、割増賃金の基礎となる賃金から除外される賃金の範囲を限定する根拠はなく、採用できない。」

4.三六協定の欠缺の主張の存否だけが結論を分けるわけではないだろうが・・・

 原審は三六協定の欠缺に触れることなく、固定残業代を有効と判示しました。三六協定の欠缺に触れることがなかったのは、原告が主張していなかったからだと思います。

 他方、控訴審は三六協定の欠缺に触れたうえ、固定残業代を無効だと判示しました。これは控訴審で一審原告が三六協定の欠缺に関する主張を補充したことに対応しているのではないかと思います。

 判旨を見る限り、原審と控訴審とで結論が異なったのは、三六協定の欠缺だけが原因ではないと思います。

 しかし、結論を真逆にした要素の一つとなっていることを見ると、三六協定の欠缺が固定残業代の効力を争うにあたり、決して失念してはならない要素であることが分かります。

 弁護士の技量を図る指標の一つとして、言うべきことを落とさないことが挙げられます。個人的な経験に照らしても、相手の手落ちによって勝ったと思う事件は、それなりにあります。そう振り返ると、やはり弁護士によって事件の結果が異なることは有り得るし、訴訟に勝つうえでは事案の筋のほか適切な弁護士を選任することも重要な要素になってくるのだろうなと思います。