弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

固定残業代の有効性-36協定の欠缺だけでは勝てない?(Ⅱ)

1.固定残業代の有効要件

 最一小判令2.3.30労働判例1220-5 国際自動車(第二次上告審)事件は、固定残業代の有効要件について、

通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要である・・・。そして、使用者が、労働契約に基づく特定の手当を支払うことにより労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったと主張している場合において、上記の判別をすることができるというためには、当該手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていることを要するところ、当該手当がそのような趣旨で支払われるものとされているか否かは、当該労働契約に係る契約書等の記載内容のほか諸般の事情を考慮して判断すべきであり・・・、その判断に際しては、当該手当の名称や算定方法だけでなく、上記・・・で説示した同条の趣旨を踏まえ、当該労働契約の定める賃金体系全体における当該手当の位置付け等にも留意して検討しなければならない」

と判示しています。

 傍線部の一番目は「判別要件」「明確区分性」などと言われています。傍線部の二番目は「対価性要件」と言われています。

2.36協定の欠缺

 労働基準法36条1項は、

「使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、厚生労働省令で定めるところによりこれを行政官庁に届け出た場合においては、第三十二条から第三十二条の五まで若しくは第四十条の労働時間(以下この条において「労働時間」という。)又は前条の休日(以下この条において「休日」という。)に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによつて労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる。」

と規定しています。

 労働基準法32条は、週40時間労働、1日8時間労働を規定している条文です。

 つまり、労働基準法36条1項に基づく「協定」を締結し、これを行政官庁(労働基準監督署)に提出した場合、使用者は1日8時間・週40時間労働を超える「残業」を命じることができるようになります。

 この労働基準法36条1項に基づく協定は、俗に36(さぶろく)協定と呼ばれています。

3.36協定の欠缺と固定残業代の効力

 それでは、就業規則(賃金規程)上、特定の手当が固定残業代として規定されているものの、36協定が締結されていなかった場合、当該手当の固定残業代としての効力は、どのように理解されるのでしょうか?

 これは、

残業させることが法的に許容されないのであるから、当該手当が残業代の対価であることはあり得ない、

こうした理屈が通用するのかという問題です。

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、大阪地判令4.9.16労働判例ジャーナル131-24 キョーリツコミュニケーション事件です。

4.キョーリツコミュニケーション事件

 本件で被告になったのは、楽器類の販売等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で雇用契約を締結し、C営業所において営業職として勤務していた方です。被告から無断欠勤等を理由に解雇されたことを受け、その無効を主張し、地位確認を求めるとともに、未払時間外勤務手当等(いわゆる残業代)を請求したのが本件です。

 未払時間外勤務手当の請求との関係では、「営業手当」の固定残業代としての有効性が争点の一つになりました。

 被告は、

「原告を始めとする営業職従業員らに対して具体的に残業を指示したことはなかったが、定額の残業代として、月額一律4万円を支給していた。」

と主張しましたが、原告は、

「被告は、労基法36条1項に基づく協定(以下『36協定』という。)を締結していないから、被告においては適法な残業を観念することはできず、そうである以上、固定残業代の合意を有効なものと見ることはできない。」

と被告の主張に反論を加えました。

 裁判所は、次のとおり述べて、固定残業代としての効力を認めました。

(裁判所の判断)

「特定の手当が労基法37条の定める割増賃金として支払われたものであるというためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することができること及び当該手当が時間外労働の対価として支払われるものとされていることを要する。」

「これを本件についてみるに、被告の給与規程には、『営業手当は、営業職に従事する従業員に対し、一定の時間外労働に対する割増賃金として支給する。』との定めがあり・・・、営業手当が時間外労働に対する割増賃金の対価である旨が明記されている。そして、証拠・・・によれば、営業手当は、被告の賃金台帳及び原告に対して交付されていた給与明細において、いずれも、『営業時間外』と表現されていたことが認められ、賃金台帳及び給与明細上においても営業手当が時間外労働に対する割増賃金であることが明確になるような処理がされていたといえる。また、上記証拠によれば、営業手当とそれ以外の給与費目及び金額が明示的に区分されていたことも容易に認められる。
 以上の事情を考慮すれば、営業手当は、時間外労働の対価としての性質を有するものと認められ、かつ、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができることも明らかであるから、営業手当は、割増賃金として支払われたものであるといえる。

これに関し、原告は、被告は36協定を締結していないからいわゆる固定残業代の合意を有効なものと見ることはできない旨主張する。

しかし、仮に36協定が締結されていないために時間外労働が違法になるとしても、それによって使用者が割増賃金の支払義務を免れるものではないから、上記の事情のみによって営業手当を割増賃金として支払う旨の合意が無効になるとは解されず、この点に係る原告の主張を採用することはできない。

5.36協定の欠缺だけでは東京地裁では勝てないのか

 36協定の欠缺と固定残業代の効力との関係は、これまでの裁判例でも定期的に問題になってきました。

 以前、

固定残業代の有効性-36協定の欠缺だけでは勝てない? - 弁護士 師子角允彬のブログ

という記事を書きました。この記事の中で紹介した、東京地判令2.3.27労働判例ジャーナル103-90 公認会計士・税理士半沢事務所事件は、

「原告は、被告が36協定の締結、届出を行っていないことを理由に、固定残業代の合意自体が無効である旨主張する。しかしながら、36協定が締結されておらず、時間外労働が違法であるとしても、使用者は割増賃金の支払義務を免れるものではないから、これにより固定残業代を支払う合意が無効となるとは解されない。この点に関する原告らの主張は理由がない。」

と述べ、36協定の欠如が固定残業代の効力を否定することに消極的な見解を示しています。

 また、東京地判令2.9.25労働案例ジャーナル106-26 メディアスウィッチ事件の裁判所も、

「現実には36協定の届出を欠くため被告において法定外時間外労働等を命じ得なかったとはいえるものの、上記事実経過により合意されたところに従い支払われた時間外手当がおよそ対価としての性質を欠いていたとみることは困難である。そうすると、時間外手当の額が定額で合意されていた本件においては、通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することができるといわざるを得ないから、その支払が時間外労働等に対する割増賃金の支払として無効であるということはできない。」

と述べ、やはり36協定の欠缺が固定残業代の効力を否定することに消極的な見解を示しています。

 本裁判例も、

公認会計士・税理士半沢事務所事件

メディアスウィッチ事件

に引き続き、36協定の不存在が固定残業代の効力を否定することに消極的な見解を示しました。

 いずれの裁判も東京地裁でなされています。36協定が欠缺していても固定残業代の効力を否定しないという判断が東京地裁の全庁的なものであるのか、引き続き裁判例の動向が注目されます。