弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

協定限度時間(月45時間)を超えているだけではダメ-月60時間分の固定残業代合意の効力が認められた例

1.固定残業代の有効要件

 最一小判令2.3.30労働判例1220-5 国際自動車(第二次上告審)事件は、固定残業代の有効要件について、

通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要である・・・。そして、使用者が、労働契約に基づく特定の手当を支払うことにより労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったと主張している場合において、上記の判別をすることができるというためには、当該手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていることを要するところ、当該手当がそのような趣旨で支払われるものとされているか否かは、当該労働契約に係る契約書等の記載内容のほか諸般の事情を考慮して判断すべきであり・・・、その判断に際しては、当該手当の名称や算定方法だけでなく、上記・・・で説示した同条の趣旨を踏まえ、当該労働契約の定める賃金体系全体における当該手当の位置付け等にも留意して検討しなければならない」

と判示しています。

 傍線部の一番目は「判別要件」「明確区分性」などと言われています。傍線部の二番目は「対価性要件」と言われています。

 固定残業代というと、判別要件、対価性要件に絡めて議論されることが多いのですが、下級審裁判例の中には、これとは異なる観点から固定残業代の効力を論じるものがあります。その中の一つに、想定残業時間の長さに着目した裁判例群があります。例えば、想定残業時間を概ね100時間とする固定残業代の効力を否定した裁判例に、東京高判平26.11.26労働判例1110-46 マーケティングインフォメーションコミュニティ事件があります。また、想定残業時間を80時間分とする固定残業代の効力を否定した裁判例に、東京高判平30.10.4労働判例1190-5 イクヌーザ事件があります。

 それでは、想定残業時間を月60時間分とする固定残業代の効力は、どのように評価されるのでしょうか?

 残業の根拠条文である労働基準法36条は、次のような構造を有しています。

(1項)

「使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、厚生労働省令で定めるところによりこれを行政官庁に届け出た場合においては、第三十二条から第三十二条の五まで若しくは第四十条の労働時間・・・又は前条の休日・・・に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによつて労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる。

(2項)

前項の協定においては、次に掲げる事項を定めるものとする。

(略)

四 対象期間における一日、一箇月及び一年のそれぞれの期間について労働時間を延長して労働させることができる時間又は労働させることができる休日の日数

(略)

(3項)

前項第四号の労働時間を延長して労働させることができる時間は、当該事業場の業務量、時間外労働の動向その他の事情を考慮して通常予見される時間外労働の範囲内において、限度時間を超えない時間に限る。

前項の限度時間は、一箇月について四十五時間及び一年について三百六十時間・・・とする。

という構造になっています。

 実際には細かな例外要件があるのですが、協定によって創設することのできる残業時間の上限は基本的には45時間とされています。

 60時間というのは、労働基準法36条で定められている原則的な上限時間を15時間も超過するわけですが、こうした労働時間数を想定労働時間とする固定残業代の効力はどのように理解されるのでしょうか?

 昨日ご紹介した名古屋地判令5.2.10労働経済判例速報2515-31 住友不動産事件は、この問題を考えるうえでも参考になります。

2.住友不動産事件

 本件で被告になったのは、

不動産の売買・仲介等を営む株式会社(被告会社)

被告会社の従業員であり、原告が所属していたA事業所B営業所(本件営業所)の所長(被告丙川)、

被告会社の従業員であり、原告の指導係であった者(被告丁田)

の三名です。

 原告になったのは、被告会社との間で、期間の定めのない労働契約を締結し、本件営業所で営業職員として業務に従事してきた方です。退職した後、

在職中に適用されてきた事業場外みなし労働時間制、固定残業代が無効であることを前提に時間外勤務手当等(残業代)を請求するとともに、

パワーハラスメントを受けたことを理由として損害賠償請求

を行ったのが本件です。

 被告会社の給与規程や、被告会社と交わした労働契約書には、月60時間分に相当する固定残業代が定められていました。

 これに対し、原告は、

「被告会社の定める固定残業代は、月間60時間の残業を予定しているところ、労働省告示第154号及び改正労働基準法36条における残業時間の上限である45時間を超える異常な長時間であるから、このような合意は長時間労働を助長しかねず、固定残業代の定めは無効であり、時間外割増賃金の支払いとは認められない。」

と主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、固定残業代の合意は有効だと判示しました。

(裁判所の判断)

「被告の給与規程においては、一定額を固定残業代として支給すること及びその計算式を定め、労働契約書・・・においても、基本給月額のうち2万9400円と営業手当月額5万円の合計7万9400円を固定残業代として支払うことを明記し、令和2年4月1日以降については、覚書・・・により基本給月額4万7800円と営業手当月額5万8300円の合計10万6100円を固定残業代として支払うことを明記している。」

「したがって、前記各金額の基本給及び営業手当については、本件雇用契約上、固定残業代と合意され、固定残業代の趣旨で支払うことが明らかであり、通常の労働時間の賃金に当たる部分と固定残業代に当たる部分とが明確に区別されていることから、固定残業代の合意は有効であり、割増賃金算定の基礎となる賃金から除外される。」

これに対して、原告は、月約60時間の時間外勤務について固定残業代を定めていることが異常な長時間であり、無効であると主張する。

しかし、月60時間の時間外勤務は36協定の上限を超えるものではあるが、固定残業代の定めは月60時間の残業を義務付けるものではなく、公序良俗に反して無効とまではいえない。

3.60時間分では否定されなかった

 上述のとおり、想定残業時間60時間では、固定残業代の効力は否定されませんでした。

 80時間(令和3年9月14日『血管病変等を著しく増悪させる業務による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について』における労災認定基準。脳血管疾患及び虚血性心疾患等について、発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価される)を割り込むラインでも固定残業代の効力が否定されるのではないかという期待があったのですが、残念ながら、それは叶いませんでした。想定残業時間数からくる固定残業代の効力の有効/無効のラインを推知するにあたり、本件は参考になります。