弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

医療従事者は人の死に慣れなければならないのか?

1.新生児の死亡事故等に直面した看護師にかかる心理的負荷

 以前、人の死に直面した医療従事者への精神的なサポートの重要性 - 弁護士 師子角允彬のブログ という記事を書きました。

 この記事の中で、看護師の方が新生児の死亡事故やその後の遺族対応の後に鬱病を発症したという事実関係のもと、鬱病の発症が公務災害(労災の公務員版)と認められるか否かが争われた裁判例を紹介しました(那覇地判平31.3.26労働判例ジャーナル88-25)。

 この事案で、那覇地裁は、

「新生児が容態急変の後に死亡するという事故が相当数存在するからといって、これらが一切、一般的な看護師をしても、強度の精神的負荷を与える事象に該当し得る類型の出来事にすら該当しないと短絡することはできない。」

としたうえ、

原告が、客観的には責任のない本件事故に責任を感じてうつ病を発症したのは、人一倍責任感が強いことに起因すると推認するほかなく、被告の提出する医学意見書・・・の趣旨も、結局のところ、これと同旨を述べていることに帰着すると考えられる。しかし、原告の責任感が人一倍強いとはいっても、本件事故に対するその受け止め方は、上記のとおり常軌を逸する程度のものとは到底いえないものであり、仮にそのような社会通念上理解可能な程度の責任感の強さが『ストレス脆弱性』として一蹴されて、これに起因する災害の公務起因性を否定することが容認され、責任感の強い職員ほど十分な社会保障を受けられずに労働安全衛生上の不利益を受けることになれば、その結果が前記1に判示した公務災害補償制度の趣旨にそぐわない

と鬱病の発症が公務災害に該当することを認めました。責任感が強いことゆえに労働安全衛生上の不利益を受けることはないとした、妥当な判断だったと思います。

 しかし、この那覇地裁の判断は、控訴審で破棄されたようです。控訴審判決が近時公刊された判例集に掲載されていました。福岡高那覇支判令2.2.25労働経済判例速報2424-3 地方公務員災害補償基金事件です。

2.地方公務員災害補償基金事件

 控訴審も、

「被控訴人(看護師 括弧内筆者)が、入院中の新生児の急変死亡という本件事故に遭遇したことは、上記施行規則(地方公務員災害補償法施行規則 括弧内筆者)が補償の対象とする事象に該当し得ると解される。」

と新生児の死亡事故が公務災害を引き起こす要因になること自体は認めました。

 しかし、

被控訴人は、過去に産婦人科に勤務していた際には、堕胎手術の介助、胎児に異常があった際の緊急手術の介助、新生児の蘇生措置の介助、分娩直後に大量出血となった母体への輸血や他科への緊急搬送など予期しない緊急事態に対応したり、婦人科の癌患者の死亡の場面に接したりしたことがあり、加えて、内視鏡・放射線科に勤務していた際には、日常的に患者が死亡する場面を経験してきたことが認められ(書証略)、被控訴人と業務経験等が同等程度の産婦人科看護師においても、被控訴人と同様の看護業務を担当し、業務中に生じる緊急事態への対応や、患者の死亡を含む重大な結果が生じた場面に接する経験を相当程度有しているものと推測される。

「本件事故は、保育器内収容、酸素投与の対象とされ一定の注意が必要と考えられてはいたものの、それ以外には生命の危機に瀕するような要因は全く把握されていなかったという入院中の新生児が、血中酸素飽和度の急速低下等を示して容態を急変させて死亡したというものであって、産婦人科の医師や看護師が経験する確率の低いまれな事例であるとは解されるものの、医療の現場においておよそ予期し得ないとはいえない事故であり、被控訴人と業務経験等が同等程度の産婦人科看護師を基準としたときに、前記で示した事故の内容や程度に照らして、業務負荷の分析表にいう、通常予想される範囲を超える程度の異常な出来事であったと認めることは困難というべきである。

本件事故が、本件患児を担当していた医療関係者に一定程度の精神的負荷を与えるものであることは否定されないものの、被控訴人と業務経験等が同等程度の産婦人科看護師を基準としたときに、前記で示した本件事故の内容や状況、被控訴人の関与の程度に照らして、業務負荷の分析表にいう、本人の驚愕等の程度が、うつ病を発症させる程の強度な精神的負荷を科される状態に置かれるものであったとまでは認めることはできない。

と判示し、新生児の死亡事故と鬱病の発症との間の相当因果関係を否定しました。

3.人の死に慣れているという理由で公務災害・労働災害の対象外としていいのか?

 控訴審の判断は、意訳すると、

当事者である看護師の方は患者の死亡は日常的に経験してきた、

当事者である看護師と同等の業務経験等を有する看護師にとっても、患者の死亡は日常的であったはずである、

本件新生児の死亡は、確率は稀であってもおよそ予期し得ないものではなかった、

予期できたのだから、新生児が死亡したところで、人の死を日常的に経験してきた看護師にとって、驚愕等のレベルは鬱病を発症させるほど強かったとは考えられない、

鬱病の発症は、ストレスに対する脆弱性という本人の個体要因にすぎず、業務に内在する危険が現実化したとはいえないため、公務災害とは認められない、

というものです。

 しかし、人の死が関わる事象について、慣れているから普通平気なはずだというのは、やや暴論であるように思われます。

 本件の一審は、

「救急医療者一般において、小児の心肺停止が、精神的な衝撃を受けた出来事として受け止められている旨の報告」

があることに言及していますし、医療従事者であるとしても、多数経験してきたから人の死をストレスとして感じなくなるということはないのではないかと思われます。

 高裁が用いた論理が通用するとすれば、責任感の強い人、人の死に慣れてはならないと思っている人、人の死に痛みを感じ続けられる人ほど、労働安全衛生の領域から保護されないことになってしまいますが、本当にそれでいいのかと、強い違和感を覚えます。