弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

裁判に勝つための方策-反省すべきか、反省しないべきか

1.解雇の可否と改善可能性

 以前、

「懲戒解雇の効力を検討するうえでの改善可能性の位置づけ-改善可能性がなくても懲戒解雇は有効にはならない」

という記事の中で、解雇の可否を判断するにあたり、改善可能性という概念が重要な意味を持っていることを書かせて頂きました。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/10/08/003826

 これとの関係で、労働者側の代理人として懲戒処分や解雇の効力を争う事件を処理するときに、使用者側の指摘する問題行為に対し、反省の姿勢を示すかどうかという問題があります。

 これがなぜ問題になるのかというと、反省の姿勢は多義的な評価が可能だからです。

 安易に反省の姿勢を示すと、「労働者側ですら問題があったと認めざるを得ないレベルで迷惑していた。」といったように、使用者側から延々と叩かれ続けた挙句、裁判所から非を過大に評価されたりする危険が生じます。

 しかし、だからといって何一つ悪くないといった姿勢を貫くと、裁判所から「自分自身の問題を認識することができておらず、改善の可能性がない。」として、解雇など職場から排除する方向での処分の有効性を基礎づけるための事情として評価される危険が生じます。

 本当に全く非のない事案であれば、反省すべき点は何一つないと堂々と主張すればよいのですが、法的紛争になるような事件は、多かれ少なかれ双方に問題があるのが普通で、一方当事者だけが全面的に悪いという事案は、それほど多くはありません。そのため、事件を担当する弁護士は、

反省の姿勢を示すかどうか、

示すとして、どの程度、どのような言葉で示していくのか、

を慎重に検討することになります。

 この判断が裁判所の心証とミスマッチを起こすと、

「自分自身の問題を認識することができておらず、改善の可能性がない。」

として裁判所から不利に判断をされることになります。

 昨日ご紹介した、東京地判令2.2.27労働判例ジャーナル102-48 日本ハウズイング事件は、こうした反省をめぐる訴訟戦略を誤ったことが、裁判所の心証を労働者側に不利に作用させたことが分かる事案でもあります。

2.日本ハウズイング事件

 本件は暴行をめぐる諭旨解雇の効力が問題になった事案です。

 本件で被告とされたのは、マンションの管理業を主要な事業の一つとする株式会社です。

 原告になったのは、被告にマンションの管理人として雇われていた方です。

 自らが管理するマンションの居住者(F)が第三者(G)との間で運転をめぐるトラブルに遭遇している場面を目にして、Gに対して暴行を加えました。具体的に言うと、裁判所では、次の事実が認定されています。

「Gは、平成29年6月21日午後4時45分頃、自らが運転する自動車とFが運転する自動車とが接触しそうになって自動車を停車させた後、運転席から降りてFが運転する自動車の運転席側のドアを開けようとしたがドアは開かず、自車の運転席ドアを開けて自車に戻ろうとした。これを発見した原告が、Gの立っていた付近に徒歩で近付いてGの両腕を掴み、両者は両腕を掴み合うような状態で歩道付近に移動した。その後、いったん両者は互いに両腕の掴み合いをやめて数秒間言い争ったが、原告が左手でGの胸倉付近を掴み、右手拳でGの顔面や上半身付近を十数回殴打した。この間、自動車から降車したFが両手でGの体を掴んで原告から引き離そうとしたが、原告は殴打を続け、また、Gは原告に対して反撃しなかった。」

 この傷害事件を起こしたことを理由に、原告の方は被告から諭旨解雇されました。この諭旨解雇が違法無効であるとして、原告は被告に対して逸失利益や慰謝料の賠償を求める訴訟を提起しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、諭旨解雇の違法性を否定しました。

(裁判所の判断)

「本件傷害事件に至る経緯及びその態様についてみると、・・・GはFの乗車している自動車のドアを開けようとした後は自車に戻ろうとしていたのであり、既にFが危害を加えられる危険性があったとはいえない。また、原告はGと掴み合いになった後、Gといったん離れて口論になったものの、Gが原告の身体に危害を加える素振りはみられず、原告がGに殴りかかった後もGは原告に対して反撃しなかったのであるから、原告がGから危害を加えられる危険性が高かったともいえない。それにもかかわらず、原告は、一方的にGに対して手拳で十数回殴打する暴行を加えたのであり、Gの傷害結果が比較的軽いといえるとしても、本件傷害事件における原告の行為は悪質であるといわざるを得ない。しかも、原告は、本件傷害事件の当時、被告の会社名及びロゴマークが入った制服を着用して本件マンションの管理人として勤務中であり、その業務は主として受付業務や清掃業務であった・・・ことを併せて考慮すれば、本件傷害事件における原告の行為は、本件マンションの管理人としての業務から大きく逸脱する行為であり、かつ被告の信用が毀損されるおそれの高い行為であるというべきである。」

「これに対し、原告は、Gに対する暴行がFを助けるためにした行為である旨主張するが、前記のとおり客観的な状況に照らしてそのようにいうことはできないし、かえって、原告はGが『俺は空手の有段者だ』、『てめえなんか関係ねえんだからあっち行ってろ』などと言われて口論になって興奮して手を挙げてしまった旨供述していること・・・にも照らせば、原告はGの言動に立腹して暴行したことが推認される。」

また、・・・原告はD支店長及びEや被告の代理人弁護士から本件傷害事件に関する事実関係の聴取を受けた際に繰り返し正当防衛である旨説明して自己の行為を正当化して反省の態度を示していなかったというべきである(なお、原告は本件の本人尋問においても悪いことをしたという気持ちはない旨供述している(原告本人〔・・・頁〕)。)。

「さらに、D支店長及びEや被告の代理人弁護士による平成29年7月14日及び同月19日の原告からの事実関係の聴取の主たる目的がGの被告に対する損害賠償請求への対応にあったとしても、原告が被告に対して本件傷害事件に関する自己の認識等を述べる機会であったことには変わりがないのであるから、本件諭旨解雇が、弁明の機会を全く付与されずにされたものということはできない。また、人事権を有する者が直接に被懲戒者の弁明を聴取しなければならないとする根拠はない。」

前記・・・述べたところに照らせば、本件傷害事件以前の原告の勤務態度に特段問題がなかったこと・・・を考慮しても、本件諭旨解雇が客観的に合理的な理由を欠くとはいえないし、社会通念上相当であると認められないということもできない。

3.裁判に勝つための方策―採れるポイントを落とさないこと

 過去に生じた歴史的事実は書き換えることができません。しかし、反省の姿勢を示すかどうかといった事情は、個別の事件を処理する中で、コントロールすることが可能です。

 日本ハウズイング事件は、明らかに正当防衛の主張には無理があった事案だと思います。そのため、打ち合わせ不足なのか、現場で冷静さを欠いてしまったための言動なのかは分かりませんが、原告の方が、

「悪いことをしたという気持ちはない旨供述」

したのは失敗であったかも知れません。

 結果論とはいえ、裁判所が、上述のような供述を反省の姿勢の欠如と評価し、解雇の有効性を基礎づける事実として位置付けているからです。

 もちろん、反省の姿勢を示していたら結論も変わっていたというほど物事は単純ではありません。それでも、コントロール可能なポイントを落としたことは、教訓として記憶に留めておいて損はないと思います。特に、一般の方(法律の専門家でない方)は、正当防衛の成否といった難しい事柄に関しては、自己判断はせず、事前に入念な打ち合わせをしたうえ、代理人弁護士の見解に従った対応をとることが推奨されます。

 

 

 

他人間の運転トラブルに介入し、諭旨解雇になるとともに使用者から100%の求償を受けた例

1.使用者から労働者への求償

 民法715条1項本文は、

「ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。」

と規定しています。

 この条文を根拠として、被用者の行為によって損害を受けた被害者は、その雇い主に対して損害賠償を請求することができます。

 そして、被害者からの求めに応じて損害を賠償した使用者は、支払った金額について、直接の加害者である被用者(労働者)に対して支払を求めることができます(民法715条3項参照)。これを「求償」といいます。

 しかし、求償は無制約に認められるわけではありません。最一小判昭51.7.8民集30-7-689は、

「その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償又は求償の請求をすることができるものと解すべきである。」

と支払を労働者に転嫁することに制約を加えています。

 こうしたルールがあるため、労働者の使用者に対する求償が満額で認められることは、あまりありません。

 ただ、それには例外もあります。労働者が故意に第三者に対して不法行為を働いたような場面です。そのことは、近時公刊された判例集に掲載されていた裁判例である東京地判令2.2.27労働判例ジャーナル102-48 日本ハウズイング事件からも読み取ることができます。

2.日本ハウズイング事件

 本件は、労働者から使用者への損害賠償請求と、使用者から労働者への求償権行使が交錯した事件です。

 本件で被告とされたのは、マンションの管理業を主要な事業の一つとする株式会社です。

 原告になったのは、被告にマンションの管理人として雇われていた方です。

 自らが管理するマンションの居住者(F)が第三者(G)との間で運転をめぐるトラブルに遭遇している場面を目にして、Gに対して暴行を加えました。具体的に言うと、裁判所では、次の事実が認定されています。

「Gは、平成29年6月21日午後4時45分頃、自らが運転する自動車とFが運転する自動車とが接触しそうになって自動車を停車させた後、運転席から降りてFが運転する自動車の運転席側のドアを開けようとしたがドアは開かず、自車の運転席ドアを開けて自車に戻ろうとした。これを発見した原告が、Gの立っていた付近に徒歩で近付いてGの両腕を掴み、両者は両腕を掴み合うような状態で歩道付近に移動した。その後、いったん両者は互いに両腕の掴み合いをやめて数秒間言い争ったが、原告が左手でGの胸倉付近を掴み、右手拳でGの顔面や上半身付近を十数回殴打した。この間、自動車から降車したFが両手でGの体を掴んで原告から引き離そうとしたが、原告は殴打を続け、また、Gは原告に対して反撃しなかった。」

 この傷害事件を起こしたことを理由に、原告の方は被告から諭旨解雇されました。この諭旨解雇が違法無効であるとして、原告は被告に対して逸失利益や慰謝料の賠償を求める訴訟を提起しました。

 これに対し、被告は、諭旨解雇が違法無効であることを争うとともに、被害者Gに対して支払った和解金(損害賠償金)60万円を求償する反訴を提起しました。

 裁判所は、諭旨解雇の有効性を認めるとともに、次のとおり述べて、被告の原告に対する100%の求償を認めました。

(裁判所の判断)

本件傷害事件は、原告の故意による不法行為であり、原告においてGに対する暴行をすることがやむを得ないという状況にあったとはいえず、しかも本件マンションの管理人としての業務内容を大きく逸脱するものであって被告において予見し得る行為であったといい難いことに照らせば、被告がGに対して使用者責任による損害賠償債務を弁済した場合の原告に対する弁済金相当額の求償については信義則上の制限を受けないというべきである。

(中略)

「したがって、本件和解に基づく解決金債務につき被告の負担部分はないというべきであって、被告は、同債務を弁済したことにより、原告に対して民法442条に基づきその全額である60万円を求償することができる。」

(中略)

「なお、D支店長の供述するとおり・・・、平成29年12月21日の話合いの際、Fから本件傷害事件に関して原告に対する求償をしないよう再三求められ、D支店長がその場を収めるために分かりましたという趣旨の発言をしたとしても、その経緯及び状況等に照らせば、D支店長の上記発言があらかじめ求償権を放棄する旨の意思表示であると評価することはできないし、原告が求償を受けないと信じたとしても後に求償することが信義則に反するということもできない。

3.暴力に対して裁判所は冷淡

 原告の方の行為は、行き過ぎであることは間違いありませんが、自ら管理するマンションの居住者をトラブルから守ることと無関係とまでは言えないように思われます。そのことは、Fが求償権の行使をしないように再三に渡って会社に申し入れていることからも推察されます。

 また、裁判所で認定された本件障害事件の結果が、

「全治までに1週間を要する傷害」

と認定されていることからすると、字面ほど暴行は激しいものではなかったとも推測されます。

 それでも、裁判所は、諭旨解雇の効力を認めるとともに、使用者に100%の求償を認めました。

 司法機関としての性格上、当たり前といえば当たり前ですが、裁判所は暴力に対しては、かなり冷淡な姿勢をとることが多いように思います。目の前で緊迫した状態が繰り広げられている時に、悠長なことを言いにくいことは否定できませんが、物理的な実力行使が必要になると思ったら、自力で何とかしようとはせず、速やかに警察に通報する形で対応することが推奨されます。

 

懲戒解雇の効力を検討するうえでの改善可能性の位置づけ-改善可能性がなくても懲戒解雇は有効にはならない

1.解雇の可否と改善可能性

 解雇の効力を検討するにあたり、改善可能性という考え方があります。大雑把に言うと、問題となる行為があったとしても、改善する可能性があるのであれば、解雇する前にきちんと注意、指導をしなければならず、こうした事前の注意、指導を欠く解雇には問題があるとする考え方です。

 改善可能性は様々な解雇理由との関係で問題になります。

 例えば、勤務態度・業務上のミス等を理由とする解雇に関して言うと、

「通常一度だけでは解雇理由とはならない。使用者が注意・指導したにもかかわらず、接客態度や業務上のミスが改まらないなど勤務態度の不良が繰り返された場合に初めて解雇が有効になる」

とされています(第二東京弁護士会 労働問題検討委員会『2018年 労働事件ハンドブック』〔労働開発研究会、初版、平30〕345頁参照)。

 これは普通解雇に限った話ではなく、懲戒処分の場面でも同様であり、

「事前に使用者が注意・指導・警告を行い、改善の機会を与えていたかどうかが、(懲戒処分の 括弧内筆者)相当性判断の中で考慮されることがある」

とされています(前掲『2018年 労働事件ハンドブック』203頁参照)。

 しかし、普通解雇の場面と懲戒解雇の場面とでは、改善可能性という概念の位置づけに差がありそうです。そのことを示す裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されています。東京地判令2.2.19労働判例ジャーナル102-50 日本電産トーソク事件です。

2.日本電産トーソク事件

 本件は懲戒解雇、普通解雇の効力が問題になった事件です。

 被告になったのは、精密測定機器の製造及び販売等を主要業務とする株式会社です。

 原告になったのは、被告に雇われていた方です。被告から懲戒解雇された後、予備的に普通解雇され、この二つの解雇の効力が争点となりました。

 原告の方が解雇されたのは、入社後配属された複数の部署においてトラブルを起こし続けたからです。最終的には、職場でカッターの刃を持ち出して所属部署の部長の座席まで来て、カッターの刃を自らの手首に当てて手を切る素振りをするなどの不穏当な行動に及び、懲戒解雇されました。普通解雇の意思表示は、その約2か月後に予備的に行われたものです。

 この事案において、裁判所は、次のとおり述べて、懲戒解雇を無効とする一方、普通解雇を有効だと判示しました。

(裁判所の判断)

-懲戒解雇の効力について-

「原告は、平成29年4月の人事総務部室内のレイアウト変更において、自席がgグループリーダーの横に配置されることに強く反発してこれを拒絶したにとどまらず、

同月24日、前日の自己の退社後に席が移動されたことを知るや、h部長に対し、座席配置の変更について配慮のない行為をされ精神疾患を誘発した責任を同部長にとってもらうなどといったメールを送信し、

翌25日もh部長に対し同旨の言動をして精神疾患に対する治療費を支払うよう求め、その住所を聞き出そうとしたり、同部長の前に立ちはだかったり、行く手を遮ろうとしたもので、被害妄想的な受け止め方に基づき、身勝手かつ常軌を逸した言動を執拗に繰り返したものといわざるを得ないし、その動機においても酌量すべき点はない。」

「そして、前記・・・のとおり、原告は、翌26日も、病院への通院や弁護士の相談に行くための職場離脱を業務扱いにするよう求め、h部長にこれを断られるや、カッターの刃を持ち出してh部長の面前で自らの手首を切る動作をしたものであって、その動機は身勝手かつ短絡的である上、h部長や周囲の職員の対応いかんによっては自傷他害の結果も生じかねない危険な行為であったといえる。また、かかる原告の行為によって、周囲の職員に与えた衝撃と恐怖感は大きかったものと推察されるし、2度も警察官が臨場する騒ぎとなったことも軽くみることのできない事情である。」

「このように、かかる原告の一連の行為については、少なくとも、就業規則所定の懲戒事由としての『職務上の指示命令に従わず、職場の秩序を乱すとき』(80条3号)に該当することは明らかであるから、懲戒事由該当性が認められる。そして、前判示のとおりその態様も危険で悪質といえることや、この平成29年4月の部屋のレイアウト変更をめぐる一件以前にも、原告が種々の問題行動を繰り返していたことは前記認定事実のとおりであることからすれば、原告に対しては、相当に重い処分が妥当するといえないではない。」

「しかしながら、他方で、h部長の適切な対応によるものとはいえ、この件によって傷害の結果は発生しなかったものであることや、前記・・・のとおり、カッターの刃を持ち出した原告の行為が自傷行為の目的に出たものであって、h部長や他の職員に向けられたものでなく、そのことはh部長も認識し得る状況にあったこと、前記のとおり、かかる行為が自己の要求を通すための自演であると認めるに足りる証拠はないこと、前記・・・のとおり、原告が、総務グループにおいて当初は種々雑多な業務に問題なく従事し、このうち、蛍光灯の掃除については約2000本にわたる蛍光灯をもう1名の社員と分担して行うなど、真摯な姿勢で業務に従事していた時期もあること、このレイアウト変更をめぐる件以前にも、原告に種々の問題行動があったことは前記認定事実のとおりであるものの、原告には懲戒処分歴はなかったことなど、原告にとって有利に斟酌すべき事情も認められる。このような事情をも勘案すると、1度目の懲戒処分で原告を直ちに諭旨解雇とすることは、やや重きに失するというべきである。

「以上のとおり、本件諭旨解雇及びそれに伴う本件懲戒解雇については、懲戒処分としての相当性を欠き、懲戒権の濫用に当たるものであって、労働契約法15条により無効であると認められる。

-普通解雇の効力について-

「原告は、被告入社直後に配属された自動車部品営業グループ在籍時において、顧客との対応がうまく行かなかった時などに顧客に対し声を荒げるなどのトラブルを起こし、上司や先輩社員からの注意に対しても感情を高ぶらせるなどして、顧客との接点の少ないあるいは接点のない部署に異動を命じられたものの、そのような部署である自動車部品事業管理部や生産試作技術部においても同僚職員や上司との間でもトラブルが絶えなかった。原告は、その後、人事総務部に異動となり、約2年以上に及ぶ出向先開拓の期間を経て、人事総務部・総務グループに配属されたが、ここでも、配属後しばらく経った後から、気に入らない業務については断ったり、他の従業員とのトラブルを起こすようになり、遂に前記2で判示したとおりの平成29年4月のレイアウト変更に端を発する事件を引き起こしたものである。」

「このように、原告が、入社後配属された複数の部署においてトラブルを起こし、最終的に職場でカッターの刃を持ち出すなどの事件を起こしたことからすれば、被告としては、このように職場秩序を著しく乱した原告をもはや職場に配置しておくことはできないと考えるのはむしろ当然であるといえ、かつ、それまでにも、被告が、トラブルを起こす原告に対し、その都度注意・指導を繰り返し、いくつかの部署に配転して幾度も再起を期させてきたことは、前記認定事実に照らし明らかであって、もはや改善の余地がないと考えるのも無理からぬものということができるから、本件普通解雇は、客観的に合理的な理由があり、かつ、社会通念上も相当であると認められる。

3.改善可能性がないからといって過度な制裁を科して職場から排除できるわけではない

 本件の特徴は、解雇事由が同一であるにもかかわらず、懲戒解雇としては無効、普通解雇としては有効という結論を導き出した点ではないかと思います。

 その理由として目を引いたのが、改善可能性の位置づけです。

 普通解雇の判示で、裁判所は、

「改善の余地がないと考えるのも無理からぬ」

と改善可能性に乏しいことを認定しています。

 改善可能性の欠如は、懲戒処分による職場からの排除(懲戒解雇)の効力を決めるうえでも重要な考慮要素になるかにも見えます。

 しかし、裁判所は、飽くまでも懲戒解雇としての解雇は無効だと判示しました。

 これは、やはり、懲戒が制裁であることに根差しているのではないかと思います。改善の可能性があろうがなかろうが、制裁は非違行為の軽重に対応している必要があります。改善可能性がなかったとしても、それが制裁である限り、行為に即応する以上の処分を科することは正当化できません。だから、裁判所は、不穏当な問題行動を認定したうえ、その改善可能性の欠如を心証として抱きながらも、懲戒解雇の効力を否定する判断をしたのではないかと思います。

 このことは懲戒解雇の効力を議論するうえで、改善可能性の欠如が労働者側にとって致命的な要因にならないことを示しています。

 「注意しても無駄だから・・・」というのが仮に真実であったとしても、懲戒解雇に釣り合うような非違行為がなされていない限り、懲戒解雇の効力は争える可能性があります。

 本裁判例を通じて得られる知見として、

些細な非を繰り返しいてなかなか改善がなかったとしても、それだけで懲戒解雇の有効性が基礎づけられはしないこと、

職場でカッターを手に取り自傷行為に及ぶといった相応に不穏当な行為をしていても、懲戒解雇の有効性が基礎づけられるには至らなかったこと、

は記憶に留めておいて良いのではないかと思います。

 

 

人事考課の理由を労働者本人に説明しないで降格することは許されるのか?

1.説明のない人事考課

 長期雇用システムの下の労働契約においては、使用者が、労働者を特定の職務やポストのために雇い入れるのではなく、職業上の能力の発展に応じて様々な職務やポストに配置することが予定されているため、労働者を組織の中で位置づけ、役割を定める使用者の人事権は、労働契約上、当然に使用者の権限として予定されています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、初版、平29〕60頁)。

 こうした人事権の行使として、労働者の職位や資格を引き下げることを降格といいます。多くの場合、権限、責任、要求される技能、そして、これらに応じて定められている基本給や役職手当の低下が伴うため(前掲『労働関係訴訟の実務』59頁参照)、降格人事を受けた方の中には、納得できないという感覚を持つ方も少なくないように思います。

 人事考課の理由を説明することは、法文で義務付けられているわけではないため、個々の従業員に対して一々説明をしないという姿勢をとっている会社も少なくありません。しかし、昇進、昇格の場面であればともかく、降格を受けたときに、自分が、なぜ、悪い人事考課を受けたのかを知りたいと思うのは、人として自然な感情ではないかと思います。こうした労働者の心情に対し「説明義務はないから。」と突っぱねてしまうことは、果たして許されるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.2.26労働判例ジャーナル102-52 長大事件です。

2.長大事件

 本件は、労働者の職務等級の引き下げと、それに伴う賃金減額の適否が問題になった事件です。

 本件で被告になったのは、交通インフラ・土木・都市基盤整備等の検閲コンサルタント事業などをしている株式会社です。

 原告になったのは、被告の従業員の方です。営業企画部の部長として働いていたものの、断続的に職務等級・賃金を引き下げられていったことを受け、降格される以前の職能資格等級・賃金の支払を受ける地位を有していることの確認などを求めて、被告を訴えたのが本件です。

 原告は人事考課がフィードバックされる体制になっていないことを捉え、

「被告の人事考課制度においては、部門長の立場にある従業員との関係では上長との面談が予定されておらず、また、人事考課の根拠となる記録を残すことや、人事考課書に具体的かつ十分な指導ポイントを記録することも求められていないのであって、事後的にその当否を検証する術もなく、考課者の恣意的な人事考課を許すものであって、致命的欠陥を抱えた制度になっている。」

と降格の元となった人事考課システムの不備を指摘しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、人事考課システムの欠陥を認め、降格は無効だと判示しました。

(裁判所の判断)

「人事考課においては、評価対象者の業績のみならず、業務に対する日常的な取組みの姿勢や業務の遂行手法等の事象を幅広く対象にせざるを得ないものであって、それらの事象は時に必ずしも客観的、明確といい難いことがあるから、被告のような人事・給与制度における降格・降級につき常に合理的な理由を求めるとするならば、妥当かつ円滑な人事考課の実施、運用を図ることはできないとの批判もあり得るところである。」

「もとより、人事考課において、そのような客観的で明確でない事象をも対象とせざるを得ない場合があることを否定すべき理由はないが、そのような事象を降格・降級の主要な理由とするのであれば、少なくとも、評価権者側において評価対象者に人事考課結果のフィードバックを実施し、その理由等について評価対象者に可能な限り認識、了解させて感銘付ける必要があるというべきであり、このような観点に照らすと、そのようなフィードバックすら実施されていないこと自体が、かような合理的理由の不存在を基礎付ける一事情となるというべきである。

(中略)

「被告は、人事考課のための面談実施対象者は役職のない社員に限定されており、原告のような部門長の立場にある者については、そもそも人事考課のための面談が予定されていない旨主張するところ、なるほど、被告の人事考課マニュアルにおいて、部門長は、各社員との人事考課結果のフィードバック面談の実施主体であることが想定されており・・・、同フィードバック面談の対象とされることは予定されていないようにみえないではない。しかしながら、同マニュアル上、部門長を同面談の対象とすることを明確に否定した記述はなく・・・、かえって、前述した同面談の意義、機能に照らすと、部門長であるからといって同面談を実施することが否定されるべき理由はないといえる。また、上記の事情に加えて、前記・・・のとおり、被告の社内においても、部門長に対しても同面談を実施すべきであるとの認識もあったことに照らすと、前記の人事考課マニュアルの記述ぶりを理由に、部門長に人事考課結果に対するフィードバック面談を行うことが否定されるべき理由はないというべきである。」

(中略)

「以上の事情に照らすと、本件降級・減給に関し、合理的理由は認められず、裁量権の濫用に当たるというべきであるから、これらについては、いずれも無効と認めるのが相当である。」

3.主観的な評価項目を立てるのであれば、最低限本人に説明を

 裁判所は、大意、

業務に対する日常的な取組みの姿勢や業務の遂行手法等の主観的・不明確な評価項目を立てるのであれば、評価理由を本人に告げてフィードバックを実施すべきである、

それすらないことは降格に合理性がないことを基礎付ける一事情になる、

これは部門長のような管理職でも変わらない、

と判示しました。

 フィードバックシステムの欠缺だけで原告が勝った事案ではありませんが、それにしても、本人への理由の説明を伴わない人事考課の仕組みに不合理だという判断を明確に示したのは、画期的な判断であるように思われます。個人的に観測する範囲内では、理由のない人事に不満を持っている方は決して少なくありません。理由の説明すらないまま一方的に低い考課を受け不利益を被っている方が、会社と話し合いをするにあたり、本件の裁判例は有力な道具になる可能性を持っているのではないかと思います。

 

就業規則の変更-従業員代表を不信任投票方式で選任することは許されるのか?

1.就業規則の変更の手続的要件-従業員代表からの意見聴取

 労働基準法90条1項は、

「使用者は、就業規則の作成又は変更について、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者の意見を聴かなければならない。

と規定しています。

 過半数で組織された労働組合どころか、労働組合自体が存在しない会社も珍しくなくなっている昨今、就業規則の変更における労働者代表(従業員代表)からの意見聴取の重要性が増しています。

 この従業員代表の選任について、労働基準法施行規則6条の2第1項2号は、

法に規定する協定等をする者を選出することを明らかにして実施される投票、挙手等の方法による手続により選出された者であつて、使用者の意向に基づき選出されたものでないこと。」

との要件を掲げています。

 この従業員代表について、特定の者を候補者に立てたうえ異議のある方は申し出ろという形式で選出することは許されるのでしょうか? 

 法律(規則)の文言では、投票、挙手など積極的な支持が表明されることが必要であるように読めますが、信任しない者は投票するようにとの方式で、従業員代表を選出しても問題ないのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.2.27労働判例ジャーナル102-46 野村不動産アーバンネット事件です。

2.野村不動産アーバンネット事件

 本件は営業成績給を廃止する就業規則・給与規程の変更の効力が争われた事案です。

 被告になったのは、不動産の売買や仲介等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告の営業社員(流通営業職)として働いていた方です。営業成績給を廃止する就業規則・給与規程の廃止が無効であるとして、従前の給与体系に従った営業成績給相当額の支払を求め、被告を訴えたのが本件です。

 就業規則変更の効力は、多角的な観点から争われましたが、その中の一つとして、従業員代表の選出手続の適否が問題になりました。

 原告は、本件の従業員代表が、特定の者について信任しない者は投票するようにとの方式で行われたことを捉え、

「本件就業規則の変更におけるもっとも重要な変更点は営業成績給の廃止であるところ、d氏は、営業成績給の廃止の対象となる者ではないから、従業員の過半数代表者としては不適格である。」

「また、その選任手続も、信任しない場合には人事部に投票用紙を提出するというものであり、信任の意思がない場合であっても、あえて不信任の手続をとらなかった従業員が多数いることは想像に難くない。上記選任手続は、労働基準法施行規則第6条の2第1項2号に反するものである。しかも、不信任投票の期限から意見表明まで中2日しかなく、意見集約を含む意見の検討に十分な時間が確保されていたとはいえず、労働基準法90条1項の趣旨に反する。」

「したがって、本件就業規則の変更について、従業員の過半数代表者の意見聴取手続が的確に行われたとはいえない。」

と主張しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、従業員代表からの意見聴取手続には問題がないと判示しました。

(裁判所の判断)

「被告は、従業員に対し、複数回にわたり説明会を開催して本件就業規則の変更の内容を説明し、変更後の就業規則及び諸規程を新旧対照表を付した上で閲覧できる状態にするなどして、本件就業規則の変更の内容を周知するとともに、従業員代表の候補者であるd氏を信任しない場合には所定の投票用紙を人事部に提出するように通知したが、原告以外にd氏を信任しない旨の投票をした従業員がいたとも認められないのであるから、その選任方法について不適切な点があったということはできず、d氏は、被告の過半数従業員職場代表として、本件就業規則の変更に異議がない旨の意見を述べたことが認められる。

したがって、本件就業規則の変更に係る従業員の過半数代表者からの意見聴取手続が、労働基準法90条1項、労働基準法施行規則第6条の2第1項2号に違反するとは認められない。

3.不信任投票方式-そんなに簡単に許していいのだろうか?

 上述のとおり、裁判所は、比較的あっさりと、従業員代表を不信任投票の方式で選出することを認めました。

 しかし、不信任投票の方式では、無関心票が信任票と同様に理解されることになるため、積極的な支持者が少数に留まる場合でも当選することが有り得ることになります。

 冒頭で述べたとおり、労働組合がない会社も珍しくない中、従業員代表による意見聴取手続は、恣意的な労働条件の変更を控制するうえで重要な意味を持っています。こうした実情を踏まえると、積極的な支持を取り付けなくてもすむ方式による従業員代表の選出を有効とした裁判所の判断には、少なからぬ疑問を覚えます。

 

固定残業代の効力-実際の時間外労働等の状況との乖離Ⅱ(下方向の乖離でも効力を否定する根拠になるか?)

1.固定残業代の対価性要件

 固定残業代の合意が有効といえるためには、

「時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていた」

ことが必要とされています(最一小判平30.7.19労働判例1186-5日本ケミカル事件)。

 そして、固定残業代が、

「時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていた」

と認められるかどうかを判断するにあたっては、当該手当で想定されている残業時間と実際の時間外労働の状況の乖離が考慮要素になると理解されています(同判例)。

 それでは、想定残業時間と実際の時間外労働等の状況について、具体的に、どの程度の乖離が認められれば、対価性が失われるのでしょうか。

 昨日ご紹介した、宇都宮地判令2.2.19労働判例1225-57 木の花ホームほか1社事件は、この問題との関係でも有益な示唆を含んでいます。

2.木の花ホーム事件

 本件は被告木の花ホーム等の従業員であった原告が、残業代等を請求した事件です。

 本件では、基本給30万円に対し、28万3333円と約131時間分に相当する固定残業代の定めを置くことの適否が問題になりました。

 固定残業代の効力は幾つかの観点から議論されていますが、その中の一つに対価性の問題があります。具体的に言うと、実際の労働時間数との乖離との関係で対価性が否定されるのではないかが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、対価性があることを認めました。

(裁判所の判断)

「被告らは、その賃金規程17条において職務手当の性質につき、『時間外労働に対する割増賃金として』支払われるものであることを明記した上(なお上記賃金規程の周知性に疑義を生じさせるような証拠はない。)、本件雇用契約の締結に当たって、『職務手当』の性質を確認すべく、原告に対し、本件給与通知書を交付し、『原告の給与』が『月額:583、333円(基本給(能力給)300、000円、職務手当283、333円)』であること、そして、その『職務手当』283、333円は『時間外労働に対する割増賃金の定額払い』であって時間外労働は131時間14分に相当するものであることを明示している。また、原告に対して支払われた職務手当は、1か月当たりの平均所定労働時間(173.75時間)を基に計算すると上記のとおり約131時間分の時間外労働に対する割増賃金に相当するものであるところ、原告の実際の時間外労働等の状況・・・との間に一定のかい離が認められるものの、上記固定残業代としての性質を否定するほど大きくかい離するものではない(むしろ、上記時間外労働時間数は1か月平均80時間を優に超えおり、上記131時間分の時間外労働の約3分の2に及んでいる上、1か月100時間を超えている月は6か月、90時間を超えている月になると17か月に及んでいる。)。これらによれば、原告に支払われていた職務手当は、本件雇用契約において時間外労働に対する対価として支払われるものとされていたこと(本件固定残業代の定め)が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

注)対価性の観点からは、上述のとおり、固定残業代の効力は否定されないとされましたが、結論としては、昨日ご紹介したとおり、想定残業時間の多さを根拠に、固定残業代の効力は否定されています。

3.3分の2あれば有効? 下方向の乖離でも対価性を否定する根拠になる?

 少し前、このブログで、想定残業時間を約80時間とする職務手当について、実際の時間外労働が120時間を上回っていたという事実関係のもとで、対価性が認められないことを理由に、固定残業代の効力が否定された事案をご紹介させて頂きました。

固定残業代の効力-実際の時間外労働等の状況との乖離 - 弁護士 師子角允彬のブログ

 この判決が出たときに、

① 40時間という乖離が一つの基準になり得るのか、

② 実際の時間外労働が下方向に振れている場合にも乖離という観点から対価性が否定されることが有り得るのか、

が気になっていました。

 本件は時間外労働の実体について、

「原告の平成25年4月11日から同27年6月30日までの間の時間外労働時間(法外残業時間)は、別紙・・・『時間・賃金計算書』の『法外等労働時間』欄に記載のとおりであり、これを基にすると、上記26か月(計算上は27か月であるが、原告は平成25年6月は病気により休職していたことから、この1か月を除いて月数を計算する。)の月平均時間外労働時間は80時間を優に超えており、具体的には80時間を超えた月は22か月あり、うち100時間を超えた月が6か月あった。

と認定されています。

 本裁判例は、想定残業時間の概ね3分の2以上・30時間台の乖離については対価性が否定されるほどのものではないと判示しました。

 また、下方向での乖離が理論的に対価性を否定する材料にならないのであれば、想定残業時間と実際の時間外労働との乖離を検討する必要はないはずですが、裁判所は乖離の実体をきちんと検討しました。このことは下方向の乖離でも対価性が否定される場合が有り得ることを示しています。

 どのような場合に対価性が否定されるのかは、未だ不明な部分が多く、引き続き裁判例の動向を注視して行く必要があります。

 

固定残業代として許容されない想定残業時間のライン

1.固定残業代の有効性-想定労働時間数を問題にするもの

 「時間外労働、休日および深夜労働に対する各割増賃金(残業代)として支払われる、あらかじめ定められた一定の金額」を固定残業代といいます(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕115頁参照)。

 この固定残業代の有効性について、想定労働時間数の多さが問題になることがあります。基本給を極端に下げたうえ、100時間分、120時間分といった極めて長時間の残業を想定した固定残業代を設け、事実上定額働かせ放題とする賃金体系を構築することの適否という形で問題になります。

 あまりに長い残業時間を想定した固定残業代の仕組みを設けることを違法だとした裁判例は相当数あります。しかし、そうした裁判例と比肩するほど想定労働時間が長いにも関わらず違法性を認めなかった裁判例も決して無視できない数存在しており、

固定残業代における残業時間数の上限について - 弁護士 師子角允彬のブログ

① 適法/違法の境目となる想定労働時間数がどのあたりにあるのか、

② 適法/違法の結論を分かつ労働時間数以外の要素として、どのような要素がどの程度影響を与えるのか、

が議論されています。

 こうした議論状況のもと、①の問題について、注目すべき判示をした裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。宇都宮地判令2.2.19労働判例1225-57木の花ホームほか1社事件です。

2.木の花ホームほか1社事件

 本件は被告木の花ホーム等の従業員であった原告が、残業代等を請求した事件です。

 本件では、基本給30万円に対し、28万3333円と約131時間分に相当する固定残業代の定めを置くことの適否が問題になりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、固定残業代の定めを公序良俗に反するものとして無効と判示しました。

(裁判所の判断)

「本件固定残業代の定めと原告の実際の時間外労働時間数は固定残業代としての性質に疑義を生じさせるほど大きくかい離するものではないが、ただ、そのかい離の幅は決して小さいものではなく、平均すると約50時間のかい離が生じている。その結果、かかる本件固定残業代の定めの下では、労働者(原告)は、1か月当たり平均80時間を超える時間外労働等を行ったとしても、清算なしに約131時間分の割増賃金(28万3333円)を取得することが可能となるため、常軌を逸した長時間労働が恒常的に行われるおそれがあり、実際、上記・・・で指摘したとおり、原告の時間外労働時間数は1か月平均80時間を優に超えているだけでなく、全26か月中、時間外労働等が1か月100時間を超える月は6か月、90時間を超えている月になると17か月にも上っていることなどに照らすと、上記・・・のとおり、本件各雇用契約の内容として本件固定残業代の定めがあることは事実としても、その運用次第では、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の疾病を労働者に発症させる危険性の高い1か月当たり80時間程度(平成22年5月7日付け基発0507第3号による改正後の厚生労働省平成13年12月12日付け基発第1063号参照)を大幅に超過する長時間労働の温床ともなり得る危険性を有しているものというべきであるから、『実際には、長時間の時間外労働を恒常的に行わせることを予定していたわけではないことを示す特段の事情』が認められない限り、当該職務手当を1か月131時間14分相当の時間外労働等に対する賃金とする本件固定残業代の定めは、公序良俗に違反するものとして無効と解するのが相当である。

「そこで最後に、上記特段の事情の有無を検討すると、本件全証拠によっても、上記特段の事情を基礎付けるに足りる事実は認められず、むしろ、前記・・・の事実及び別紙7①及び②の各『時間・賃金計算書』のとおり、原告の実際の時間外労働時間が優に1か月80時間を超え、減少する兆しなど全く認められない期間が長期に渡って続いていたことや、上記・・・のとおり原告が本件雇用契約の締結後間もなく心臓疾患(虚血性心疾患)を発症し、C病院で冠動脈バイパス手術を受けたことがあるにもかかわらず、被告らは、自らのリスク回避のため原告から前記・・・記載の誓約書・・・を取り付けただけで、その健康維持と心疾患の再発防止に向けた具体的な措置を講じようとした形跡が認められないことなどからみて、上記特段の事情は存在しないことがうかがわれる。」

「以上によれば、本件固定残業代の定めは公序良俗に違反し無効であると解される。」

3.1か月80時間を大幅に(優に)超える長時間労働が想定→違法

 上記のとおり、宇都宮地裁は、想定残業時間の多さを問題視するにあたり、いわゆる過労死ラインとされている月80時間という時間数に言及しました。

 「大幅に」「優に」といった修飾語が付せられていることを見ると、80時間を超えれば直ちに違法となる趣旨でないとは思われますが、それでも想定労働時間数の観点から固定残業代の効力を論じるにあたり、この裁判例が示した基準には、一定の意義を認めることができます。

 固定残業代の効力を否定できると、固定残業代部分を算定基礎賃金に組み入れたうえ、残業代を改めて全額請求することができます。固定残業代を採用する会社では長時間労働が恒常的に行われていることが珍しくないこともあり、残業代を請求することは結構な経済的利益に結びつきます。月80時間を超過する想定残業時間のもとで設計されている固定残業代の適用を受けている方は、一度、弁護士のもとに残業代請求の可否に関する相談に行ってみても良いのではないかと思います。もちろん、当事務所でご相談をお受けすることも可能です。