弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

母性健康管理措置の申出は撤回できるのか?

1.母性健康管理措置

 男女雇用機会均等法13条は、1項で、

「事業主は、その雇用する女性労働者が前条の保健指導又は健康診査に基づく指導事項を守ることができるようにするため、勤務時間の変更、勤務の軽減等必要な措置を講じなければならない。」

と、2項で、

「厚生労働大臣は、前項の規定に基づき事業主が講ずべき措置に関して、その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針(次項において『指針』という。)を定めるものとする。」

と規定しています。

 そして、男女雇用機会均等法13条2項を受け、平成9年9月25日 労働省告示第105号『妊娠中及び出産後の女性労働者が保健指導又は健康診査に基づく指導事項を守ることができるようにするために事業主が講ずべき措置に関する指針』〔最終改正:令和元年5月7日 厚生労働省告示第2号〕が定められています。この指針は、妊娠中の女性労働者等から医師等の指導を受けた旨の申出があった場合につき、事業者に、

時差通勤、勤務時間の短縮、

休憩時間の延長、休憩の回数の増加、

作業の制限、勤務時間の短縮、休業、

等の必要な措置を講じることを義務付けています。こうした措置を総称し「母性健康管理上の措置」(母性健康管理措置)といいます。

https://www.mhlw.go.jp/content/000643882.pdf

 それでは、労働者は、一度行った母性健康管理措置の申出を撤回することが許されるのでしょうか?

 医師等の専門職が必要だと述べている措置を本人の自己判断で撤回することを認めるのは端的に危険ではないのでしょうか? 危険なことだと分かっていても、使用者は撤回を認めなければならないのでしょうか?

 また、母性健康管理措置の申出を受けた使用者は、代替要員の確保など、措置を実現するための体制を整えることになります。撤回は、こうした措置を覆すもので、職場に一定の混乱をもたらします。申出を認めなければならないのは当然として、申出の撤回に伴う混乱まで当然に甘受しなければならないのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、この問題を考えるうえで参考になる裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、横浜地判令5.1.17労働判例1288-62 学校法人横浜山手中華学園事件です。

2.学校法人山手中華学園事件

 本件で被告になったのは、横浜市において横浜山手中華学校を運営する学校法人です。

 原告になったのは、中華人員共和国生まれで日本国籍を取得した方です。被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し、児童・生徒の教育、指導等の業務に従事していた方です。被告から、

「自己都合による幾多の行為により、業務全体の遂行に甚だしく支障があること」

「業務に対する責任感、勤務態度および職務遂行能力が著しく劣り、また向上の見込みがないこと」

を理由に解雇されたことを受け、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件の被告は五つの解雇事由を掲げましたが、その中の一つに、次のような事実がありました。

(解雇事由1)

「被告は、令和2年10月3日の原告の新型コロナウイルスへの感染不安を理由とした母性健康管理措置による休業の申出を認め、適切な対応をしていたにもかかわらず、原告は、同休業期間中であっても、満額の給与の支給に固執し、最終的には、休業申請はしておらず出勤を認めるべきなどと要求するに至った(以下『解雇事由1』という。)。」

「被告は、母性健康管理措置による休業の申出がされており、医師作成による母性健康管理指導事項連絡カード(以下『本件カード』という。)も提出されている以上、その時点での状況下では休業させることが相当であると判断し、原告が休業する事態に備えて代替要員として非常勤講師1名を採用するなどしていた。しかし、原告は、新型コロナウイルスに感染する危険性の強弱ではなく労務を提供しない休業期間中の賃金支給に対する不満等から休業申請はしていないなどと虚偽の事実を述べて主張を翻し、また、自ら提出した本件カードにおける医師の指導すら無視して通常どおりの勤務を継続することを求めるなどし、現場に多大な混乱を招いた。」

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、解雇事由1を理由とする解雇を否定しました。結論としても、原告の地位確認請求は認容されています。

(裁判所の判断)

「原告は、令和2年10月22日、被告校長に対し、特記事項として『新型コロナウイルス感染症の感染のおそれの低い作業への転換又は出勤の制限(在宅勤務・休業)の措置を講じること』とされ、同措置が必要な期間が令和3年1月31日までと記載されている本件カードの写真を提出した上で、母性健康管理措置としての休業を取得する旨の希望を述べるメッセージを送信しており、かつ同日夜にも、翌日から休業することができるかの確認を催促していること・・・に照らすと、原告は、令和2年10月22日の連絡をもって、母性健康管理措置を講じることの申出をしたと認めるのが相当である。」

「原告は、その後、母性健康管理措置としての休業が認められた際に、賃金の支給が6割になると言われてそれに不満を示し・・・、賃金に影響のない特別休暇となったが、それが同年11月8日までで終了し、以後は、賃金が支払われない休業になると伝えられたのに対し、原告が申出たのは特別休暇であって休業の申出ではなく、賃金が控除されるのであれば在宅勤務を希望するし、在宅勤務の申請が認められないのであれば登校すると伝えており・・・、被告は、このような原告の対応をもって、解雇事由1としている。

「しかし、原告は、同年10月22日、被告校長に対し、上記のメッセージと併せて、仮に同休業を取得した場合の賃金控除の有無について確認するとともに、原告の令和3年1月31日までの人事上の処遇について被告校長と面談を求める旨のメッセージも送信している。一般に労働者にとって3か月以上にわたる期間の賃金の支払の有無及びその額は重大な関心事であることに照らすと、妊娠中につき新型コロナウイルス感染症への不安のためとして母性健康管理措置としての休業を希望するとの意向を示しつつ、それと同時に休業期間の賃金の支払の有無及びその額について確認を求め、その回答次第では、本件カードの特記事項欄に記載された『別途の措置』である在宅勤務を希望したり、休業の申出を撤回することは、労働者の対応として直ちに不合理なものとはいい難い。また、本件カードの上記特記事項には、新型コロナウイルス感染症の感染のおそれが低い作業への転換又は出勤の制限として在宅勤務の措置も含まれているから、在宅勤務を希望した原告の対応は医師の指導を無視したものということもできない。」

「したがって、原告が母性健康管理措置としての休業が認められた後の原告の言動が原告の職務遂行能力又は能率の不足等を基礎付ける事情となるものとはいい難い。」

「これに対し、被告は、原告は令和2年10月3日に休業の取得を申し出たのに、給与に対する不満等から、最終的には休業申請はしていないと主張を翻しており、現場に多大な混乱を招いた旨主張する。

「まず、原告が休業の申出をしていないと述べたことについては、休業となると給与が支給されないことが判明したことに伴うものと考えられるから、上記・・・のとおり、これを不合理なものということはできない。そして、これに係る被告の対応について検討するに、原告は、被告に対し、同月22日に本件カードを示して休業を取得する旨の希望を述べると同時に、同休業を取得した場合の休業期間の賃金控除について質問し、原告の人事上の処遇について被告校長と面談をすることを求めている。労働者にとって賃金の有無は重要であることに照らすと、その回答次第では休業の希望に影響があり得ることは想定されるところである。そして、被告においては、母性健康管理措置として休業を決定するなどの対応をするに先立って、上記の賃金に係る確認事項に対する回答をした上で、原告に対し、本件カードの特記事項欄に記載されている『別の措置』の一つである在宅勤務とすることの意向の確認などの対応を採ることも可能であったといえ、このような対応がされていれば、原告としても、賃金が支給されなくてもなお休業を希望するのか、在宅勤務を希望するのかを被告に伝えることが可能となり、被告としても、同月30日に代替教員との間で雇用契約を締結する・・・前に、このような雇用契約を締結する必要性の有無も検討することができ、被告が主張するところの業務上の支障が生じることも防止等することができたものとうかがわれる。

「上記・・・に照らすと、休業の取得に関する原告の対応が、直ちに原告の職務遂行能力又は能率の不足等を基礎付ける事情となるものと認められず、これをもって就業規則59条2号の『職務遂行能力または能率が著しく劣り、また向上の見込みがないと認められるとき』に該当するものとはいえない。」

3.解雇事由との関係での判断であるが・・・

 本件は解雇事由への該当性に関する判断であり、撤回の可否を直接議論したものではありません。

 しかし、

撤回を不合理ではない、

現場の混乱が生じるなどの業務上の支障は防止可能である、

と判示している部分は、母性健康管理措置の申出の撤回の可否を考えるにあたり重要な指摘だと思います。

 思ったより体調が良くなったから時短勤務や軽易業務への転換の請求を撤回したいというニーズは結構あります。こうしたニーズを叶えて行くにあたり、本裁判例の判断は参考になります。