弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

「退職届は撤回できない」は本当なのか?

1.退職届は撤回できない?

 どのような理屈なのかは分からないのですが、

退職届は撤回できない

という俗説があるようです。

退職する場合、退職届と退職願のどちらを出す? | 法律事務所求人広場

 こうした俗説が掲載されているサイトは、ざっと見たところ、一つや二つでなく、かなりたくさん存在しているように思われます。

 しかし、退職届、退職願、辞表といった用語は法令用語ではなく、特定の法的な効果と結びついているわけではありません。「辞めたい」という意思を伝えたことが、

退職(辞職)の意思表示に該当するのか(民法540条2項により撤回できない)、

合意解約の申込みに該当するのか(民法525条1項により、承諾の通知を受けるのに相当な期間を経過した後は撤回できる)

は意思解釈の問題であり、書類の表題で決まるわけではありません。

 近時公刊された判例集にも、退職届の提出を合意解約の申込みと理解したうえ、撤回を認めた裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、福島地判令5.1.26労働判例ジャーナル134-14 しのぶ福祉会事件です。

2.しのぶ福祉会事件

 本件で被告になったのは、

障害者福祉サービス事業の経営等を目的とする社会福祉法人(被告法人)、

被告法人の業務執行理事P3(被告P3)、

被告法人が運営する施設のサービス管理責任者P4(被告P4)、

被告法人が運営する別の施設のサービス管理責任者P5(被告P5)

の四名です。

 原告になったのは、被告法人の支援員、事務職員として勤務していた方2名です(原告P1、原告P2)。

 原告P1は、撤回したはずの退職届により退職したと扱われていることが問題であるとして、

地位確認請求、

未払賃金請求、

を行ったほか、被告P3、P4、P5からパワーハラスメントを受けて鬱病を発症したと主張し、被告法人らに対して損害賠償を請求しました。

 原告P2も、休職期間満了を理由とする自然退職扱いが違法であるとして

地位確認請求、

未払賃金請求、

を行ったほか、被告ら3名からパワーハラスメントを受けて鬱病を発症したと主張し、被告法人らに対して損害賠償を請求しました。

 裁判所は、次のとおり述べて、原告P1の退職届は撤回されたとし、雇用契約上の地位の確認請求を認めました。

(裁判所の判断)

「原告P1は、前記前提事実・・・のとおり、『退職届』と題し、令和元年7月12日をもって退職する旨記載した本件退職届を被告P3に提出し、その記載からは、これを辞職(労働者の一方的意思表示による雇用契約の解約であり、使用者に到達した時点で解約告知としての効果を生じ、撤回し得ないと解される。)と見る余地もある。しかし、労働者は辞職によって生活の基盤たる従業員の地位を直ちに失うことになるのであるから、その認定は慎重に行うべきであって、使用者の態度にかかわらず確定的に雇用契約を終了させる旨の意思が客観的に明らかな場合に限り辞職の意思表示と解すべきであって、そうでない場合には合意解約の申込みと解すべきである。

「そこで検討するに、本件退職届の提出行為は、就業規則の定め・・・に従って行ったにすぎないとみることができ、使用者の承諾の有無にかかわらず雇用契約を終了させる旨の意思表示を確定的に示したとは直ちには認めがたい。被告P3が、『預かる』と述べて本件退職届を受け取っていることもこれと整合する。」

「被告らが主張する退職届の形式、退職申出の経緯や退職日の設定等の諸点は、いずれも本件退職届の提出を合意解約の申入れとみても、何ら矛盾しない。」

「以上によれば、被告法人の態度にかかわらず確定的に雇用契約を終了させる旨の意思が客観的に明らかであるとは認められず、原告P1による本件退職届の提出は、合意解約の申入れと解するのが相当である。

「そして、前記前提事実・・・のとおり、原告P1は、被告法人のよる承諾の意思表示(令和元年6月4日)の前である、同年5月31日に退職届を撤回する旨の意思表示をしているから、原告P1による合意解約の申入れは撤回されたと認められる。」

3.「退職届」を出したとしても撤回できる可能性はある

 上述のとおり、裁判所は、原告P1が提出した「退職届」の撤回を認めました。裁判所が規範として

「使用者の態度にかかわらず確定的に雇用契約を終了させる旨の意思が客観的に明らかな場合に限り辞職の意思表示と解すべきであって、そうでない場合には合意解約の申込みと解すべきである」

と述べていることからも分かるとおり、「退職届」だから撤回できないというルールはありません。退職届を出してしまったとしても、撤回できることはあります。

 また、本件では、

「原告P1は、令和元年5月22日、被告P3に対し、精神疾患を発症し勤務困難となったため同年7月12日をもって退職する旨記載した退職届(以下「本件退職届」という。)を提出した。」

「原告P1は、同年5月31日、被告法人に対し、本件退職届を撤回する旨記載した書面を送付したが、被告法人は、原告P1に対し、同年7月12日をもって退職とする旨の同年6月4日付け辞令を交付した。」

という事実が認定されています。

 原告P1が合意解約の申し込みを撤回したのは、退職届の提出から約9日後のことです。

 冒頭でお話したとおり、申込みの撤回は、承諾の通知を受けるのに相当な期間を経過するまでは認められません。本件は約9日後の撤回を認めているという点でも、実務上参考になります。