弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

タイムカードの文書提出命令-信用性の欠如は必要性を否定するか?

1.時間外勤務手当等の請求(残業代請求)における文書提出命令

 実体的真実を解明するために必要な文書(書証)がある場合、民事訴訟の当事者は、裁判所を通じ、所持者に文書の提出を求めることができます。所持者が任意に文書を提出してくれない場合、当事者は「文書提出命令の申立て」という手続をとることができます(民事訴訟法219条ないし221条)。

 時間外勤務手当等(いわゆる残業代)を請求する訴訟で、使用者側がタイムカード等の労働時間立証に必要な資料を任意に提出してくれない場合、労働者側は文書提出命令の申立てを行うことになります。

 しかし、この文書提出命令の申立てを行うにあたっては「書証の申出を文書提出命令の申立てによってする必要がある」(民事訴訟法221条2項)とされています。

 それでは、対象となる文書に信用性がないことは、提出の必要性を否定する理由になるのでしょうか?

 残業代を請求する訴訟において、使用者が労働時間立証のために必要な資料を全く出さないということは、それほど多くあるわけではありません。そのような誰が見ても不誠実な態度をとれば、裁判所の心証を害すること著しく、どのような判断をされるか分からないからです。

 使用者が労働時間立証のための資料の提出を拒むパターンとしては、既に裁判所に提出されている資料で十分であり、敢えて追加資料を提出する必要性がないのではないかという議論の仕方をすることが多くみられます。

 この時、使用者は、労働者側が求めている書証は労働時間立証の資料として信用性に欠けると主張することにより、必要性を否定することができるのでしょうか? 例えば、労働時間管理は業務日報でやっており、タイムカードには信用性がないから出す必要はないといった議論は通用するのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京高判令4.12.23労働判例ジャーナル133-18 JYU-KEN(旧商号・住建情報センター)事件です。

2.JYU-KEN(旧商号・住建情報センター)事件

 本件は時間外勤務手当等(残業代)を請求する訴訟の中で、原告労働者がタイムカードの提出を求め、文書提出命令を申立てた事件です。

 原審が文書の提出を命じたことを受け、被告使用者は高等裁判所に不服申立て(抗告)をしました。

 この事件で被告使用者(抗告人)は、勤怠管理は業務日報メールで行っており、信用性が高いとはいえないタイムカードを取り調べる必要はないなどと主張して、文書提出命令の申立ての却下を求めました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、文書提出命令を発令した原審判断を維持し、抗告を棄却しました。

(裁判所の判断)

「抗告人は、

(1)従業員の勤怠管理は業務日報メールで行っており、相手方主張の従業員にサイボウズのタイムカード機能への入力を命じたこともなく、それにより賃金計算をしたこともない、同機能は出退勤しなくとも記録を行うことが可能であり、自動入力された時間を変更することができるなど内容の信用性にも限界がある、また、抗告人がサイボウズ社に問い合わせをしたが抗告人のタイムカードの情報は残されていないと回答を受け、相手方からの情報も得られずタイムカードの情報を取得できなかった、

(2)基本事件においては業務日報が提出されており、仮に相手方主張のタイムカードがあったとしても、上記のような信用性の高いとはいえないものを取り調べる必要はない、と主張する。」

「しかしながら、

(1)については抗告人において、上記のタイムカード機能を使用していたことが認められ、そうであれば、導入した抗告人においてタイムカードのデータを保持しているというべきであって、利用契約の契約者である抗告人においてサイボウズ社から入手して提出すること可能であると考えられる。なお、タイムカードの信用性などは文書の所持、保有の事実を左右する事情ではない。

(2)についても、タイムカードの信用性は審理の中で判断されるものであり、受訴裁判所においても必要性があるとしているのであるから、抗告人の主張では本件のタイムカードの取調べの必要性がないとはいえないのであり、抗告人の主張は採用できない。

3.信用性と必要性は別

 上述のとおり、信用性は審理の中で判断されるものであり、必要性を否定する理由にはならないと判断されました。

 より信用できる証拠があるから資料を出す必要はない-こうした議論を主張自体失当として排斥することができるとすれば、それは労働者側にとって画期的なことだと思います。

 文書提出命令の発令の可否を議論する場面において、本裁判例は有力な武器として活用できる可能性があります。